地域におけるオランダ・モデル:緑の国・国際ロータリー1560地区オランダ中東部を訪ねて     

平井 拓己

大阪府立産業開発研究所 研究員(大阪そねざきRC推薦)

はじめに  

今回、私は大阪そねざきRCのご推薦をいただき、去る4/21〜5/26の5週間にわたり、オランダ中東部地域の6都市(ネーデNeede、ドゥッティンヘム Doetinchem、ハーダヴェックHarderwijk、ベネコムBennekom、アーネムArnhem、アペルドールンApeldoorn)を訪問させていただきました。この地域の中心は、オランダの13ある州(Province)のうち、ヘルダーランド(Gelderland)と呼ばれる地域で、アムステルダム、ロッテルダム、ハーグなど主要都市がある西部の各州に比べ、国内総生産(GDP)による経済規模は13州中4位 、全国に占めるシェアは10.4%(1998年)程度です。ヨーロッパの玄関口として有名なスキポール空港から、車で約2時間くらいのところです。  

今回の派遣にあたっては、枚方くずはRCの中団長をはじめとして、岩上君、梅田さん、平島さん、米澤さん、そして私という、様々な専門分野を持つ6人の大変ユニークなチームが結成され、準備をして臨みました。  

現地では、各地のRC、及びロータリアンには、こんなにもしていただいていいのだろうかと思えるくらいに大変暖かく受け入れていただき、様々な場所を訪れ、色々な人と出会い、何物にも代え難い貴重な経験をさせていただくことができました。ご支援いただいた皆様への感謝を込めまして、簡単ではございますが以下にご報告させていただきます。

現地での訪問先  

私は、現在大阪府庁にある大阪府立産業開発研究所という職場で、大阪経済・産業についての調査、研究を行う、研究員という仕事をいたしております。また、昨年は、大阪府が発表した「大阪産業再生プログラム」という行動計画をとりまとめる部署とも兼務するなど、地域の経済産業発展に関わらせていただいております。  

正直に言えば、GSEに参加する以前には、オランダという国に対する印象はそれほど大きいものではありませんでした。経済学で言う「オランダ病」という言葉を知っていたり、オランダの方にお会いしたことは何度かありましたが、国としては風車、チューリップ、低地、そして安楽死問題の議論など、ごく一般 的な知識に限られていました。  

今回の派遣にあたって、色々と調べると、好調な経済、そして、そして、競争力という点では、スイスのIMDという機関による「世界競争力年鑑2001 (World Competitiveness Yearbook)」のデータでは、日本が26位と低迷しているのに対して、オランダは5位 に挙げられている、といったように、学ぶべきことの多い、非常に注目すべき国であることがわかってきました。

そこで、今回オランダに派遣させていただくことになり、そうした現在EU諸国の中でも優等生といわれるくらい好調なオランダ経済を形作った「オランダ・モデル」あるいは「ポルダー(干拓地)・モデル」について学び、大阪に適用できる可能性を探りたいと考えました。特に、地域レベルでの取り組みや、経済の主要な地位 を占める中小企業の役割などは日本ではあまり知られていません。オランダにおいても、従業者数100人未満の中小企業は2000年で70万社以上存在し、その数は近年増加傾向にありますので、それらの取り組みについて知りたいという希望を出させていただきました(表1)。

表1 オランダの中小企業数

上段:企業数(1000)、下段:構成比(100%)
資料:Statistics Netherlands(オランダ政府統計局)のホームページより作成。

1996 1997 1998 1999 2000
合計 625.4
(100)
645.3
(100)

672.5
(100)
684.4
(100)

701.7
(100)

小規模企業(従業者数10人未満) 568.4
(90.9)
568.7
( 90.9)
613.6
(91.2)
624.8
(91.3)
640.5
(91.3)
中規模企業(従業者数10人以上100人未満) 50.8
(8.1)
52.3
(8.1)

52.5
(7.8)

53.2
(7.8)
54.6
(7.8)
大規模企業(従業者数100人以上) 6.2
(1.0)
6.3
(1.0)
6.4
(1.0)
6.5
(0.9)
6.6
(0.9)

実際に、現地では職業研修という各人それぞれの専門分野に基づくプログラムで、商工会議所をはじめ、大企業や中小企業、地方自治体の産業振興部門などを訪問することができ、大変有益なお話を伺うことが出来ました。  
(オランダにおける商工会議所(KVK: Kamer Van Koophandel)は、任意の会員制度ではなく、企業の設立にあたってその加入が義務づけられている。その利点を活かし、充実した企業データベースなどが整備されているといった特徴がある。また、従来地域の独自性に重点が置かれた活動が、組織の再編や政策の見直しにより変化しつつあることも興味深いです。)

写真1 商工会議所のロゴとサイン

写真2 商工会議所の職業研修で説明を聞く筆者
 

また、チーム全員での訪問も、日本大使館への表敬訪問をはじめ、学校、警察署、大学など、様々な場所が含まれ、オランダの生活や文化に直接触れる機会が得られました。また、オランダの有名な画家であるヴァン・ゴッホなどのコレクションを美術館で鑑賞する機会などもいただきました。

オランダ経済と地域開発  

オランダは人口1,600万人、広さは九州と同じくらいで、隣国のドイツなどと比べれば小国の部類に入ります。GDPは1999年の名目値で3,937億ドルと、大阪府(同3,555億ドル)とほぼ同じ程度です。  

経済活動別にみると、「農林業、狩猟業、漁業」「卸売・小売業、飲食店、ホテル業」「金融・保険、不動産、事業サービス業」の比率が日本に比べて高く、農業関連及びサービス業等の集積という特徴を持つ経済であることがわかります。(表2)

表2 経済活動別国内総生産(1995年)

日本 オランダ
農林業、狩猟業、漁業 1.9 3.1
鉱工業(うち製造業) 27.7(24.7) 22.1(17.8)
建設業 10.3 5.0
卸売・小売業、飲食店、ホテル業 12.7 14.2(注2)
運輸・倉庫、通信業 6.5 6.6
金融・保険、不動産、事業サービス業 17.7 23.4
その他の経済活動 27.3(注1) 20.8

(注1)日本の「その他の経済活動」には飲食店、ホテル業を含む。
(注2)オランダの「卸売・小売業、飲食店、ホテル業」には不動産業を含む。
資料:総務省統計局・統計研修所編「世界の統計2001」より作成。  

1970年代から80年代にかけては、オランダ経済は停滞の時期であったと言われています。天然ガスの採掘によって得た所得を原資として社会保障などの政府支出が拡大し、一次産品の価格が下落した後も歳出削減が困難となり、社会保障の削減、賃金上昇要求、人件費の増大による企業収益悪化と雇用削減、といった悪循環を経験しました。  

しかし、現在では、オランダの経済成長率は1999年で3.5%と高い水準にある一方、失業率は1990年代に低下を続け、2000年の平均値は2.8%、さらに2001年4月には2.3%を記録しており、EUの中でルクセンブルグと並んで最も低い水準にあります(表3)。20年の間に大きく改善したその経済パフォーマンスは「オランダの奇跡」と言われるほどになっています。

表3 失業率の国際比較(単位%)

  1995 1998 1999 2000

ベルギー

9.5
9.5
8.8
7.0
デンマーク
7.2
5.2
5.2
4.7
ドイツ
8.2
9.3
8.6
8.1
フランス
11.7
11.8
11.2
9.5
ギリシャ
9.2
10.9
11.7
-
アイルランド
12.3
7.5
5.6
10.5
イタリア
11.9
11.8
11.3
10.5
ルクセンブルグ
2.9
2.7
2.3
2.2
オランダ
6.9
4.0
3.3
2.8
ポルトガル
7.3
5.2
4.5
4.2
スペイン
22.9
18.8
15.9
14.1
英国
8.7
6.3
6.1
5.5
フィンランド
16.2
11.4
10.2
9.8
スウェーデン
8.8
8.3
7.2
5.9
オーストリア
4.5
4.5
4.0
3.7
欧州15カ国
10.7
9.9
9.2
8.3
米国
5.6
4.5
4.2
5.5
日本
3.1
4.1
4.7
4.7

(注)
1)各国の失業率はILOの規準による。
2)ドイツは旧東ドイツ地域も含む。
資料: Statistics Netherlands(オランダ政府統計局)のホームページより作成。

この「オランダの奇跡」を実現させた要因としては、1982年に政府、経営者団体、労働組合が参加した「ヴァッセナー(Wassenaar)合意」と言われるものに端を発する「オランダ・モデル」の貢献が大きいとされています。政府は歳出削減と減税、経営者団体は雇用確保と時短、労働組合は賃金抑制を容認する、というように、それぞれの立場で共通 の目標に向けて取り組みを行った結果が、こうした経済成長を可能にしたと言われています。1993年には「ニュー・コース」(新たな進路)といわれる再合意が行われ、さらに2002年に新たな合意を目指した協議が行われています。  

今回訪問させていただいた中東部地域でも、商工会議所やNPO、自治体など、様々な主体がリーダーシップを取り、ビジョンを作成し、関係する団体と協議しつつ地域開発のプロジェクトに取り組む実態を見ることができました。紙幅の関係上全てを紹介することはできませんが、以下にその代表的な例を挙げます。

地域開発の取り組み事例

(1)Achterhoek地域(人口約15万人)

同地域は、Doetinchem市(人口4.8万人)周辺の17市町村によって構成される地域です。この地域は、正式な行政区域ではないが、構成する市町村が共同で組織を形成し、経済社会関連など単独で行うことが非効率な課題を受け持っています。  

この地域において特徴的なのは、SEO (Sociaal-Economisch Overleg:経済社会協議会) というNPOの存在です。この団体は、Achterhoek地域の市長がそれぞれの問題について話し合いを持ったことに端を発し、1994年に小規模な地域開発プロジェクトを開始したのが始まりです。  

現在の代表で、同地域の経済部長も兼ねるvan Hulstijn氏は、10年程度の長期経済社会ビジョンを策定し、それに伴ってプロジェクトをコーディネイトする役割がSEOの最も重要な役割である、としています。具体的には、関係機関との利害調整、進行管理、様々なレベルの公的機関(市役所、州政府、中央政府、EUなど)への働きかけを行っています。  

取り扱う経済社会問題も多岐にわたっており、道路などのインフラ、工場立地や、地域のプロモーション、観光振興、労働問題、など様々な問題に対して関係者と共同してプロジェクトがSEOの呼びかけによって立ち上がっています。

その一例が人材育成プログラムです。人手不足に悩む同地域における金属産業の業界団体が、学校が共同して、団体の加盟企業における実習を含む、教育プログラムを策定した。教育プログラム修了者には、同業界での仕事を保証するという仕組みです。参加者は2000年に開始した当初は19人であったが、2001年には68人にまで増加しました。これは、同様の趣旨で行われる政府のプログラムに比べて非常に高い関心を集めています。  

SEOはこのプロジェクトの発案、運営主体づくり、実際の進行など、あらゆる面 で関与し、助言や関係機関の参加を確かなものにするための活動を行っています。このように、NPOが各主体間を機動的に調整することによって、より早い合意形成と、迅速な執行が可能になると考えられます。

写真3 Achterhoek地域・SEO(経済社会協議会)代表Walter van Hulstijn氏

(2)Apeldoorn市(人口16万人)  

同市は、近辺に有名な王宮や、国立公園を抱え、「緑の街」として有名な地域ですが、同市の市役所は、2001年1月に@緑(green) A持続性(sustainability) B安全(safety)をベースとした、2020年までを範囲とした長期経済ビジョンと、2005年までの短期的なアクションプランの策定を行いました。

写真4 近代的で明るいApeldoorn市役所。市議会は1Fにあり、自由に傍聴できる。
 

こうした緑や、持続性という方向性を活かした同市の独特の取り組みの一つに、エコファクトリー(Ecofactorij)が挙げられます。これは、牧草地であったところに新たに造成される95haの工業団地で、2003年初頭に稼働開始予定です。

この工業団地では、エネルギー供給を全て再生可能資源を利用して行うとともに、工場で発生した熱を循環し、地区暖房などに用いるという形で、エネルギーの循環を重視しています。  

また、入居企業に対し、様々な環境配慮を7つのテーマ(企業イメージ、土地利用、交通 、建築、エネルギー、水利用、廃棄物)に分類し、それに沿って企業の取り組みをポイントに換算して協定を交わし、3年後に達成されたポイントに応じて、土地代金の最大20%を返金する、という仕組みを導入しています。こうしたことから、オランダ国内はもとより、EU諸国の企業や自治体からも大きな注目を集めています。(この工業団地における地価は、通 常1平米当たり300ギルダー(約15,000円)と、日本の水準と比べると大幅に低いですが、近年の好況を反映して、現地では価格は上昇傾向にあるということです。)  

このように、これらの例は、公的部門と商工会議所や業種別団体、NPOなどによる、協議とコンセンサスに基づいた協働(コラボレーション)が有効に機能していることを示しています。  

今回滞在した都市は一番大きなところでも人口16万人程度(それでも首都アムステルダムの人口が100万人程度であるオランダの中では8、9番目に大きな都市ですが)と、大阪市の260万人とは規模が大きく異なるので、そのままこうした事例を持ち込むというのは困難でしょう。何人かのロータリアンと議論したとき、日本は全員一致が原則だが、オランダでは議論の末、全員がある程度妥協して、速やかに実行に移す国民性がある、ということを聞き、そうした違いも感じました。  

しかし、もともとコンセンサスを重視する日本社会において、オランダ・モデルにみられる手法は、他国に比べてむしろなじみやすいという意見もあり、は大阪においてもその適用の可能性をさらに検証すべきだと考えます。

ダイナミックな企業活動  

また、訪問した企業の中には、資本にせよ事業分野にせよ、(少なくともEU内においては)国境を越えてダイナミックな企業活動を行っているところも多く、EUという大きな経済圏を実感いたしました。例えば、Arnhemで訪問した電力会社のNuonという企業は、2004年の電力供給完全自由化をにらんで地域と国を越えた再編を積極的に行い、国際競争力の強化を図っています。また、Harderwijkの中小企業を訪問したときも、生産拠点をEU内の他国に持つことはごく当然のこととしてとらえられていました。こうした企業のダイナミズムが維持されるということが、オランダ・モデルの有効性の鍵になるだろうと考えられます。

写真5 欧州内に複数の生産拠点を持ち活動するHarderwijkの電子部品メーカーの社長
 

私たちも一度だけドイツへ半日訪問したときに国境を越えたのですが、パスポートの検査も何もなく、道路を走っていたらいつのまにかオランダからドイツに入国していた、ということもありました。  

また、通貨もオランダのギルダーから、いよいよ来年から統一通貨のユーロが本格的に導入されます。小さな店でも値段は両方の通 貨で併記されており、オランダの方々は、ギルダーに対する惜別の念よりも、ユーロによって計算が便利になることを歓迎しているようでした。

オランダ経済の課題  

順調に見えるオランダ経済ですが、今年に入りやや心配な課題も出てきているようです。まず、訪問した企業のほとんど全てが人手不足の問題を口にしておられました。ポルダーモデルの特徴の一つは、パートタイム労働をフルタイムと同等の扱いにするという政策ですが、企業にとっては、そうした人手不足の中、管理の難しいパートタイムでも受けいれざるを得ない状況になっていると感じました。  

こうした人手不足の中、長年続いていた賃金抑制にも限界が見え始めています。インフレ率も上昇しており、経済成長のシェアを求めて、今まであまり見られなかったストライキが国鉄や個別 産業の組合などで滞在中にも起こっていたようです。  

交通渋滞の深刻化も問題です。道路の整備状況は日本よりも良いと感じましたが、それでもラッシュ時をはじめ渋滞は頻発しており、そのために予定が変わってしまうこともありました。ヨーロッパの中心に位 置し、交通の要所としてオランダでは運輸産業が発展してきたことを考えると、今後の経済に若干の不安が残るところです。  

しかし、オランダ中東部では他地域に比べ特に農業が盛んであるため、何といっても最も大きな不安要因は口蹄疫(Foot and Mouth Disease)の影響です。これについては、訪問したオランダ中東部では農業が盛んであるため、日本で見聞きするよりもずっと影響が大きいものでした。日程の最初数週間は、感染を防ぐため牛は全て屋内に入れられ、放牧される姿を見ることはありませんでした。また、国立公園も閉鎖され、ここでも予定の変更を余儀なくされました。この地域では感染した農家があり、その半径数km以内の全ての家畜を処分しなければならず、オランダの強みであった牛肉をはじめとする農産品の輸出について今後が心配されます。  

こうした不安材料も存在するものの、立場の異なる活動主体が、あるイニシアティブのもとに集結し、地域開発のプロジェクトに取り組む、という実態を調査し、地域レベルにおいても国レベルにおけるオランダ・モデルと同様のシステムが存在することが確認できました。このモデルの存在は、様々な課題に対するアプローチが可能であるという点で、この発展の持続性を示すものでもあると思います。

RCの受け入れ  

様々なハプニングがありながらも、各地のRCの受け入れは素晴らしいの一言につきるものでした。スキポール空港へ降り立ってから右も左もわからない我々に対して、各RCのコーディネイターがとても頼りになり、ハプニングに対しても的確に対応し、代替案を用意してくれました。  

ロータリーの方々の活躍する分野が様々であることもあり、職業研修も含め、訪問先についてもおそらく一般 の研修や旅行ではまず行くことの出来ないところに行けたり、普通なら会えない人に会えたり、といったことが数多くありました。

現地では、我々にとても気を遣ってくれ、日本人には目を見て話をしないように、など、こういうように接するべき、といったことが書いたマニュアルがホストファミリーなどに用意されていたほどです(我々があまりにも典型的な日本人とはかけ離れていたため、ほとんど杞憂に終わってしまいましたが)。  

何よりも嬉しかったのは、我々のために相当な時間と手間をとってくれたことに対して感謝すると、決まってみんなが「自分たちもあなたたちが来てくれて私たちも学んだし、楽しかった」と言ってくれたことです。こうしたホスピタリティの高さは、ロータリーの方々共通 のものだと思いますが、国民性も相まって、オランダではその恩恵に十分すぎるほどあずかることができました。  

地区のGSE委員会の人たちも、2日目のウェルカムパーティの時から、プログラムのちょうど中頃にあった地区大会の時、そして終わりにあたってと、時間を取っていただいて、自分たちのわがままに近い感想とリクエストを聞く機会を持っていただきました。

オランダの印象  

そのような人々の親切さこそがオランダの特色ですが、彼らの暮らしについても、その生活の質(Quality of Life: QOL)の高さというものを実感いたしました。仕事を合理的にかつ生産性を高くこなし、長時間残業はせず、早く家に帰って家族との時間を過ごす、また、2〜3週間にわたる長期間の休暇を取る、ということが当たり前に行われています。訪問中はサマータイムということもあり、午後9時過ぎまで明るく、季候も良かったため、平日の夕方にオランダの国民的スポーツの一つであるサイクリングに興じる人々の姿を目の当たりにしました(私たちも経験させてもらいました)。

オランダの文化を特徴づけるもう一つの点は、豊かな国際感覚を持った多言語文化であるということでしょう。オランダ語を母国語としながらも、ほとんどの人が少なくとも英語とドイツ語を流暢に話します。歴史的な背景や、地理的な条件もあるでしょうが、日本の状況を振り返り彼我の違いを痛感いたしました。  

また、言うまでもなく、風車や運河、そしてこの季節に咲き乱れていたチューリップ畑に代表されるオランダの風景も大変すばらしいものでした。高速道路沿いにも緑が多く、また普通 の道路を走ると、5月の若々しい緑の並木が両方に立ち並び、緑のトンネルのようで、大変美しい景色でした。

写真6 道を囲むように立ち並ぶ並木
 

国名の語源になったNederland(ネーデルランド:低地)という言葉が示すように、山がなく、限りなく平野が広がる中を走りながら、干拓や洪水との闘いに培われたこの国の歴史を想いました。  

歴史という意味では、古い街並みを大事にする国民性をも肌で感じました。建築物には概観や使用する材料などについて通 常厳しい制限があり、それに対して文句を言うどころか積極的に協力しようという人々の、コミュニティに対する意識の高さということも勉強になりました。

ホストファミリー  

滞在はアムステルダム訪問の週末1泊を除き、すべてホームステイでした。出発前は、正直に言えば社会人になってからのホームステイというのは何かと気を遣うのでは、と心配もしていたのですが、実際に過ごしてみて、これこそがGSEの一つの重要な要素だと思うようになりました。  

ロータリアンのお宅ということで、私のホストファミリーの場合は特にお子さんが独立し、広々とした家にご夫婦だけというご家庭が多く、自分の家とは比べものにならない空間でとてもゆったりと過ごさせていただきました。

時にはワインをごちそうになりながら、おいしい食事を頂きながら(Droppeドロップという黒く苦いお菓子以外はすべての料理をおいしく頂きました)、あるいはホームパーティの席で、オランダや日本の様々な話をして、お互いの理解が深まったのではないかと思います。例えば、オランダの人に良く聞かれる質問の一つに「日本語と中国語はどのくらい違うのか」というものがありました。私たちは違うのが当然という説明をするのですが、それは、我々がオランダ語とドイツ語は似た言葉だ、と思っているのと同じ感覚なのだ、ということに気づきました。  

それぞれ一軒ごとは5、6日間という短い期間でしたが、私のお世話になった一つ一つの家族が特徴的でした。広い庭にクジャクを数羽飼っていたりして大変びっくりしましたが、室内プールで泳いだりと楽しい時を過ごした最初のホストファミリーJaap and Gerda、きれいな庭と広いワインセラーがある家で暮らす、ピアニストでもあったJanと元英語の先生のMerrikah。目と耳に障害を持ちながら、元気に暮らしておられる娘さんがいらしたArie and Rita(後日娘さんは全国TVに出演して、私たちもその放送を観ました)。日曜日にすてきな庭園と運河のドライブに連れて行ってくれて、これも広い庭での家族のバーベキューに加わらせてもらったJan and Joke。パーティのために一緒に買い出しに行って10年ぶり私に料理(巻きずし)に挑戦させてくれたJacques and Miguel。そして仕事上での的確なアドバイスをしてくれたMariaと、家具を作ったり公道をポルシェで飛ばしたりと本当の親子のような時を過ごしたFrans。一言ずつではとても語りきれない、忘れることのない日々にしてくれた皆さんに心から感謝します。

RC例会、地区大会への出席  

滞在した先のそれぞれのRCで、合計6回の例会に出席させていただきました。出発前にチームメンバーで時間をかけて色々と知恵を絞り、それぞれの自己紹介、RCの紹介と、日本、特に大阪の経済や休日、スポーツ、食べ物、音楽などについてコンピュータに用意したプレゼンテーションで紹介しつつ、メンバーがそれぞれお茶や折り紙など、典型的な日本の姿をデモンストレーションしました。また、外国でも有名な日本語の歌ということで、「上を向いて歩こう」などを全員で歌ったりもいたしました。

写真7 例会でのプレゼンテーション
 

45分の予定時間が時には1時間以上もかかってしまい、各地のクラブにはご迷惑をおかけしたかとも思いますが、終わった後には必ず多くの人が「大変良かった」「日本のことがよくわかった」と握手を求めに来ていただき、お世話になった方々に、少しでも日本のことを知っていただくという形で恩返しが多少ともできたのではないかと、報われた思いがいたしました。また、バナー交換の時には、自分のスポンサークラブである大阪そねざきRCのバナーを見せるたびに感嘆の声があがり、嬉しく思いました。  

滞在中には、当地の地区大会にも参加させていただき、150人ほどの前で短いスピーチと、いつもの歌を披露いたしました。そこでは、大阪を訪れたオランダのGSEメンバー達とも再会し、短い間でしたがすでに懐かしくなった大阪の思い出話に花を咲かせました。

写真8 地区大会でのプレゼンテーション

GSE Dayについて  

オランダでのGSEプログラムのうち、ユニークなものの一つに「GSE Day」というものがありました。これは、その時オランダの7地区に滞在していた各国から訪れているGSEメンバー達が、一同に会するというものです。実際は、すでに1チームが帰国していたため、オーストラリア、カナダ、アメリカ、フィリピン、日本の仙台からのチームと、そして我々が集まり、自己紹介のプレゼンテーションをしたり、お互いに交流したりする時を持ちました。

写真9 オランダ国内のGSEチームが一同に会したGSE Day
 

その日に初めて会った人たちが、同じGSEに参加していることで、すでに同じ体験を共有しているので、その日初めて出会ったにも関わらず、旧知の友人のように話ができるということが大変素晴らしい事だと感じ、こうした経験の出来るGSE、そして国際ロータリーに感謝する思いを強めた次第です。また、こうしたことが可能になるのは、お互い地区同士が近く、2、3時間で集まることの出来るオランダならではのものだったと思います。

むすびにかえて  

手元にある、書き込みでぼろぼろになった現地のスケジュール表を見ながら、現地での出来事を思い返しています。5週間というのは長い期間でありましたが、こうして振り返れば一瞬にも思えるくらい、あっという間のひとときでした。その間に、私の専門分野についてはもとより、様々な分野について触れる大変充実した経験をさせていただき、人間としての視野が広がった思いが致します。  

GSEプログラムはそれ自体すでに素晴らしいプログラムでしたが、今回のメンバーで、オランダという国へ訪れた、ということが私にとっては意味あることだと考えています。逆に、そう思わせるところがこのプログラムの良さなのかも知れません。  

今回得た経験を通じて、大阪にとって何を取り入れていくべきか引き続き検証を続け、自らの仕事に活かし、大阪の地域発展に役立つような、よりよい調査研究を続けたいと考えています。また、日本や大阪の今の姿についてもっと知ってもらうためにも力を尽くしたいと思います。それがこのGSEという機会を与えてくださった皆様へのお返しの形になると信じています。  

そして、GSEプログラムのすばらしさを少しでもお伝えできるお手伝いができればとも思います。このプログラムが少しでも多くの人に、よりよいものとなって受け継がれていくことを願っています。  

改めて、野村委員長をはじめこのプログラムを可能にしてくださったGSE委員会の皆様と、準備の時点から様々な面 で助けていただいた前々回派遣のカナダチーム、前回派遣のイギリスチームの方々、私を支えてくださり、暖かく送り出していただいたそねざきRCの皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました。  

そして、現地での素晴らしいプログラムを提供してくださったHans HaffmansGSE委員長を初め1560地区GSE委員会の皆様、そして受け入れクラブの皆様、特にコーディネイター(私は彼らには特別 の想いがあります)であった、Mr. Ron van der Meulen, Mr. Ton ten Have, Mr. Hans Baars, Mr. Roel Moore, Ms. Inrid Stuij, Mr. Yoop van den Berg, そしてMs. Els van der Ven, お一方お一方に心から感謝申し上げたいと思います。Dank U Wel & Tot Ziens(ありがとう、そしてまたお会いしましょう)!!

写真10 1560地区GSE委員長のHans Haffmans氏

【参考文献】  
長坂寿久「オランダモデル-制度疲労なき成熟社会-」日本経済新聞社 2000年  
日本経済新聞社 第一勧業銀行総合研究所「世界の経済・財政改革」東洋経済新報社 2001年  
東洋経済新報社 総務省統計局・統計研修所「世界の統計2001」2001年 財務省印刷局