人々の素晴らしさに感動

平島理佳

建設会社社員(守口RC推薦)

 

はじめに

「五週間かあ。長いなあ。」友人は言った。 「そうですね。でもきっと、あっと言う間ですよ。」私は答えた。  

「お帰り。疲れたでしょ?」友人が言った。 「只今戻りました。でも楽しかったですよ。」私が笑顔で答えた。   

行く前から予期していた会話であった。と、言うのはこのプログラムの内容とサポートが他に類を見ない物であったからだ。 そしてその思いは出発が近づくにつれて強くなっていった。   

思い起こせば、新聞でメンバー募集の記事を見た偶然から私の人生最大にして最高の日々が始まろうとしていたに違いない。 私にとって全てが良い方向に回っていたように思う。 記事が何気なく目にとまったこと、委員会にお電話を差し上げた時、野村委員長直々に御説明頂いた事、守口ロータリークラブからご推薦頂けた事、そして何より私というものをメンバーに選んでくださった事・・・ この偶然の内一つでも欠けていたら、今の私は存在していなかっただろう。 偶然を幸運に導いてくださった近藤ガバナー、野村委員長を始めとするD2660委員会のメンバーの皆様、守口ロータリーを含む全てのロータリアン、私を受け入れて下さったD1560でお目に掛かった方々全てに、広辞苑に載っている感謝の言葉の全てを申し上げたい。 この気持をどのように伝えればいいのか分からないが、これから成長していく私を見て頂きたい。そして、私を選んだ事を良かったと思って頂けたなら、その時初めて私のご恩返しが出来たと思えるだろう。  

各クラブについて

*第一クラブ・・Neede  

オランダ・スキポール空港に着いて最初にお会いしたのがRC Needeの方々だった。NeedeはこのDistrictの中で一番東に位 置し、ドイツ国境に程近い地域である。 車で2時間ほどかかった(らしい)が、彼らが気を使って色々と説明やジョークを話して下さったので全く苦にもならなかった。ホストファミリーと出会うのが彼ら内のひとりの方の自宅で、到着すると皆集まって下さっていた。その瞬間のことは、とても言葉では表現できない。と、言うのも全員が満面 の笑みで迎えて下さり、その瞬間から「家族」となっていた。歌も歌い、ダンスもし誰もが打ち解けていた。

Hostparentsお二人ともが、私に対して決して気を使わせない方達で、朝食から寝るまでの時間に至るまで、全てが私の中で自分の家にいる時のように気楽で、安心して過ごす事が出来るように、常に心掛けて下さっていた。彼らのお陰で最初からオランダに対する思いが「期待できるぞ」と、いうものになっていた。 着いた次の日に、Daddy&Mommy、そして息子さんと4人でお散歩に行った。 素晴らしい景色の中、皆でお話しながら歩き、途中にある小屋からバードウォッチングをした。沢山の鳥達が楽しそうにおしゃべりしている様子を見ながら、自分の旅がいよいよ始まったという事を実感した。もちろん、気使いはお二人だけに留まらず、お目に掛かる全ての人に言えることであった。特にこのクラブは、皆が仲良くファミリーであるというのを、ここにいた4日間で痛感し、又 それは、最初の瞬間に感じたとおりであった。 誰が誰のホストというものではなく、皆が私のファミリーとして接して下さった。

本当に暖かい人々だった。例えホストファミリーでなくても、全力で私を可愛がってくれた。 それは国籍や年齢や状況といった条件ではなく、本当にその人達の性格なのだと思う。それと同時にこの人たちにめぐり合えてよかったと心底思う。宝物である。

*第二クラブ・・Doetinchem

4月25日夕方、Needeの皆さんに涙・涙の別れを告げ、次のクラブへ移動。ここでは直接ホストファミリー宅へ送り届けて頂いた。 各クラブで色々と違うんだと学んだ。  今度は男の子二人のいるご家庭で、小学生の生活に触れる事が出来た。 特に感心したのは、殆どパーフェクトの英語を話せ、初めて見る日本人の私に対して、とても気を使いながらも興味を示し、優しく接してくれた事である。 こういうところは、我々日本人が最も見習わなければならない事だと思う。毎晩夕食後から寝るまで(12時)が「Talking time」で、優雅にワイン片手に沢山お話した。 怖いお顔で冗談好きなDaddy と、元イギリス皇太子妃のダイアナさん似のMommyとで日本の話や仕事の話し、そして今までに行った事のある国の話等、話題は尽きる事が無かった。ここではほとんどの時間をそれぞれのホストと過ごしたので、他のファミリーとのつながりはあまり無かったが、その分「家族」の生活を理解する事が出来た。貴重な日々であった。

*第三クラブ・・Harderwijk

5月1日の夕食を全ホストファミリーと共にした後、次のクラブへと移動した。 再び涙の別 れ。このクラブでは、コーディネーターがオーナーであるホテルが待ち合わせ場所として決まっており、次の日の打ち合わせは「時間」と「服装」だけだったので、ややこしさが無く楽であった。ホストファミリーは、時間も服装もいつもきちんとしたお父さんと、とても大人しいお料理上手なお母さんだった。飾りではなく実用の木靴を買って下さったり、サイクリングをしたりと「Typical Dutch」を体験させて下さった。ここは「ニューランド」と呼ばれている、水をポンプで吸い上げる事によって現れた土地が近くにあり、ポンプ施設等の見学が多かった。「水の事なら我々に聞いてくれ。」と、自信に満ち溢れており、中には実際に関西空港建設時に携わった方もおられた。何処までも続く道(防水堤)を走っていて両岸を見ると、片側の水面 の方が反対側の土地よりも高くなっている様は信じがたい光景であった。しかもその土地に住んでいる方々もいて「洪水の心配は無いんだろうか?」と、こちらの方が気にしてしまった。週末に1泊2日のアムステルダム小旅行があり、初めて「旅人気分」に浸った。ただ、このクラブのスケジュールは少し過密すぎて、質問等の時間が殆ど無かった事が心残りである。(訪問先が何処も素晴らしかったので)

*第四クラブ・・・Bennekom

5月8日、最後の日もいつものホテルであった。 ディナー後、次のクラブへ移動。 このクラブも一ヶ所に全てのホストファミリーが集まって出迎えて下さった。皆とてもカジュアルで、最初のNeedeを思い出した。丁度、その週の日曜日(ホストとFreeDayになっていた。)がMotherユs Dayにあたり、3人兄弟が其々必死になって考えたであろうプレゼントを嬉しそうに渡す姿を見る事が出来た。私が居るいないという事は全く関係ないと言うように、お父さん、お母さんも一緒にお庭を裸足で駆けたり、一日中ゴロゴロと寝転がったりと、家族の時間を大切にする様子や、飾らずいつも通 り有りのままの生活を体験できた。それはきっと私を「特別な家族」ではなく「本当の家族」と思って下さったからであろう。「本当の幸せってこんな事かも知れない。今の私たちに欠けていて、でも一番必要なものとは心のゆとりなのかも。」と、つくづく考えさせられた。本当に「ほんわか」した5日間だった。毎朝、犬のお散歩を兼ねて下の子供が通 っている primary school まで同行すると、校内の全ての生徒が私の事を、まるで芸能人を見るかのような目で見ていた事が懐かしく思い出される。 お天気にも恵まれ、顔も腕も日焼けするほどであった。まさかオランダで日に焼けるとは・・・

*第五クラブ・・・Arhnem

5月14日、いつもの如く目を腫らして次のクラブへ。 今度のparentsは、お二人ともロータリアンで、共通 の趣味がゴルフとグラスホッケーというアクティブなご夫婦だ。例えば、私が何気なく「歩いて国境を渡るなんて私達日本人には考えられない。」と、言うと「じゃあ今からドイツに行こう。」と、いとも簡単に夕食後、車を飛ばしてドイツ観光をしてくれた。しかも帰りにはわざわざ車を止めて「ここから足で国境を越えてみよう。」と一緒に歩いて下さった。そのフットワークの良さに感心すると共に、私の為を思い、疲れなどを見せず連れて行って下さった事に対して、嬉しくて涙が出そうになった。 このお家でも毎晩夜中の12時まで話をする機会を与えて下さり、性格的にもチャキチャキで頭の回転も速く、お話をしていて飽きる事無く本当に楽しかった。ロータリアン同士の団結も強く、「お迎えまで家でお話してましょう。」というように、どの人にも出会う機会が多かったように思う。

GSE dayの付き添いがたまたま私のmotherで、帰りに「折角来たんだから」とデルフトの街まで観光に連れて行って下さった。その時、なんと言う偶然か。Meetingで集まっていたオランダ・ドイツ・イギリスのロータリアンが私たちのスーツ(ロータリーマーク)を見て話し掛けてこられて、暫くこのプログラムの話に花が咲いた。改めて「ロータリーの絆」の強さを感じた。

*最終クラブ・・・Apeldoorn

5月20日、サッカーのデイゲーム(Arnhem Vittesse)を皆で観戦した後、最終週を過ごすクラブに移動した。もちろん涙無しと言う事は考えられない。 最後の最後まで私はホストファミリーに恵まれた。今度の家族はお母さんがロータリアンであった。余程の理由が無い限り、お食事はお庭でとるのが普通 なようで、朝食から「お天気が良いから外で食べよう。」と、うきうきとお父さんが用意をして下さった。又、お忙しいのにもかかわらず「私(hostmother)が大好きだから。」とガーデンパーティーをメンバー全員の為に開いて下さった。もちろん、ホストファミリー共々である。BBQをするからと、言われるがままお手伝いしたが、結局全てはお父さんとお母さんがして下さった。もちろん其々のホストが色々な食材を持ち寄ってお庭で焼いたのだが、同じお肉にしても味付けが違ったり種類が違ったりで楽しいdinnerであった。

Districtのferewell party 後、コンサートか家に帰るかの選択を与えられた時、私は「お家でお父さん達と過ごしたい」と答えた。自然とそう答えていた。出来る限り一緒にいたかった。帰国の日の最後の最後まで私達は普通 の会話をし、普通に笑い、そして「又ね」と別れた。

職業研修

各ロータリークラブが私の為に色々な状況を与えて下さった事に心から感謝する。合計6個の研修を行う事が出来たので、簡単ではあるが一つ一つ説明する。

1) Needeでは、hostfather の同僚の会社へ行き、実際の工事現場を見せて頂いた。計画や基礎工事を見学し、日本との違いを知る事が出来た。私が感じたのは地盤が根本的に違うと言うのが最大の違いであると言う事だ。

2) Doetinchemでは、リサイクルの会社へ行き、工事現場から出る廃材(紙・木材・アスファルト)のリサイクル方法、その行方等、日本ではしていないような方法を見ることが出来た。残念ながら、今の日本ではそこまでの施設も法律もないので不可能であろうと言うのが現実である。

3) Harderwijkでは、市が計画した都市開発のプロジェクトの説明を受けた後、工事中の現場に自転車で行った。ただ、大変興味深いプロジェクトであったのにもかかわらず、ロータリアンが車で行った方が良いと仰ったのを振り切って、大雨の中を自転車で連れて行かれたのは、正直辛かった。 水が頭から滴り落ちて、見たい物も見られなかった。

4) Arnhemでは、motherのお知り合いの建築設計事務所へ連れて行って頂いた。日本の感覚からすると、市役所の設計を個人会社が引き受けると言うのは考えられない事であるが、オランダではそれが一般 的なやり方で、しかも一つの建物・一つの道路と言った小さな単位ではなく、駅前の広域の範囲を全てと言うように、エリアで計画すると言う事が当り前であると言う事に驚いた。

5) Apeldoornでは、やはり市役所を訪問し、まずは歴史的建物を見学した。この街は monumental やhistorical な建築物を市が率先して修理し、未来へ残すべく努力をしている。オランダでもこの街だけにmonument adviserという役職があり、他の市町から問い合わせがあるそうだ。 日本は逆に、古い物を壊して全てを新しくしようとする傾向があるように思う。なんと勿体無いことか。特に御堂筋などの事を思うと、真剣に考えなければならない問題だと思う。

6) 最後になったが Bennekom での研修場所、「SMIT INTERNATIONAL」について少し詳しく触れたいと思う。「SMIT」と聞いてピンと来る方は殆どいらっしゃらないと思うが、「えひめ丸」引き揚げを手掛ける会社と言えば「あ〜」と言う声が沢山あがるだろう。又、知らない方のほうが多いとは思うが「SMIT」はオランダの会社なのである。実は、私がこの会社の事を知ったのは出発1週間前のテレビニュースであった。偶然オランダということを耳にし、正直ダメで元々と思いD1560のコーディネーターに訪問したい旨を伝えた。しかし、さすがロータリー。殆ど諦めていた頃、このクラブ内での研修で訪問が実現すると知った。ただ、開口一番「えひめ丸の引き揚げに関しては一切No comment。我々の顧客はUS NAVYである。」 と、バリケードを張られてしまった。しかし、メンテナンス工場やタグボート停泊所等に連れて行って下さったり、また、実録ビデオ2本までも頂戴し、貴重な体験をする事が出来た。ご一緒頂いたロータリアン夫人も「今日は理佳のお陰で、とても素晴らしい経験が出来たわ。」と仰って下さり、感動冷め遣らぬ 一日であった。突然のアプローチに、かなりご苦労なさったであろうMs.Ingrid Stuijに心から感謝申し上げる。

Presentationについて

メンバーが共同で行った最初の作業はプレゼンの準備であった。今までのメンバーの方々がなさった事をお手本に話が進んでいたが、私は「人まねではなく、私達にしか出来ないようなプレゼンにしよう。もし、このやり方があかんかっても、今後の役に立つやん。」と、あえて突拍子もないアイデアを主張した。 由香里ちゃん(梅田さん)以外のメンバーは、もちろん難色を示した。 だが私は、自分達の個性を出した物にしたかった。それは、我々一人一人が、日本の伝統的な何かをオランダの方々の目の前でお見せすると言う事だ。「百聞は一見にしかず。」この言葉こそが私の基本だった。私の意見をようやく受け入れてくれた事で、自分達の役割や時間配分等の流れを作っていく事が出来た。

手前味噌になるかもしれないが、オランダでは私達のプリゼンが大変評判になり、お伺いした全てのクラブは勿論の事、今までお目に掛かったことのないクラブの会長様にまで「プリゼンの一部を見せて欲しい。」と頼まれたものだ。その様なお言葉を聞くと、最後まで自分の信じる意見を言い続けて良かったと本当に思う。と、同時に受け入れてくれたメンバーにも有り難く思う。

驚いた事

きっと今まで日本人に接する機会が少なかったせいだとは思うが、1560地区で関わりのある全ての方々に(例え職業研修であっても)数枚のpaperが配布されていた。それは、日本人に対してのマナーの説明であった。 B5版2〜3ページにわたるかなり長いメモ書きであったが、その内容とは「プレゼントは目の前で開けてはならない。もし、開ける場合は、開けてもいいですか。と一言聞く事。」「日本人はヌードル(インスタントラーメンの意味)を常に食べるので、必ず用意しておく事。」「名前の後に必ず”〜〜さん”と付ける事。」「日本人はライスを食べたがるので、出来るだけ聞く事。」「first name(名)で呼ぶのは失礼なので、last name(姓)で呼ぶ事。ただし、一応どう呼ぶのかを聞いてからにする事。」などであった。その紙の説明を受けた時、私は「未だにまだ日本と言う国、日本人と言う人種に対する理解とは、これっぽっちの物なんだなあ〜。」と、ショックを受けると同時に、「それなら私達が、どれだけオランダという国、人々に対する知識があるのかな〜。」と、考えた。 その結果 「何も分かっちゃいないんだ。お互いを理解する為にも、理佳が日本人として恥ずかしくない行動、言動をしていかなくちゃいけないんだ。」と決心した。沢山の方々が、「理佳ってあのメモに書いてある日本人と全然違うね。」と、仰った。「何が?」と伺うと、「だってここには、日本人はイエス・ノーをはっきり言わないので、何度も聞くようにって書いてあるけど、理佳はいつもはっきり言ってくれるもんね。」と誉めてくださった。「そこに書いてある事全ての反対が私だと思ってください。」といつも繰り返し答えていた。又、多くの方が、「理佳のお陰で日本人に対する考えが変わったよ。以前はとっつきにくくてやりにくいだろうな、と思っていたけど、本当にフレンドリーで楽しい人達なんだということが分かった。」と、言って下さった。私は彼らのお言葉を「お褒めのお言葉」と受け止めている。食事に関しても、何でも美味しく頂戴し、日本人の象徴であるご飯も、普段から口にしない私にとっては、食べられないと言う事は何の問題でもなかった。どのお料理も何となく馴染みのあるようなお味で、食べられないと言う事は全くなかった。その点でも、彼らの予想を良い意味で反する事が出来た。又、行儀作法についても、一応のマナーは知っていたし、オランダ独特のお作法等についても、その場その場で学んでいき、知識として自分の中に取り入れていく事が出来た。好き嫌いなく、又最低限の洋食のお作法についても、小さい頃から何処へ出ても恥ずかしくないようにと、躾の一つとして育ててくれた両親に感謝する。

最後に

District 全体のFarewell Party が始まる前、コーディネーターの方々とお目に掛かり、最後の意見交換をした時だった。「全体を通 しての君達の素直な意見を聞かせて欲しい。」とのご質問に、メンバー各々が答えていった。 「私が申し上げられる事はただ一つ。人々の素晴らしさに感動し、又、感謝している。プログラムの結果 が素晴らしい物になったとのは、その一つ一つに携わってくださった方々が最高であった為であると確信している。例えこれ以上無いような完璧なスケジュールであったとしても、人が悪ければそれは私にとっては良い物であったとは言えない。しかし逆に、少々ミスがあったとしても、人々の誠意や愛情と言う物が感じられたなら、私にとっては最高の時間になる。私には、人が全てであり、愛情無しでは何も始まらないし、何も成功しないのである。この5週間が、何物にも変えがたい体験となったのは、あなた方全員のお陰である。私の感謝の気持を完璧に伝える言葉を見つけることは不可能であるが、今までの私をご覧になってお分かり頂いていると確信している。本当に有難う御座いました。」これが私のAnswerであった。

Partyが始まり、一人一人とお話していた時、彼らの数人が「理佳だから、我々は愛情を持って対処して来れたんだよ。他の誰でもない。YOUだからだ。君がこのチームの雰囲気を盛り上げ、成功に導いたんだ。」と、誉めてくださいました。しかも、目に涙を滲ませながら・・・ このお言葉を私は一生忘れる事は無いであろう。他に何の能力も持たない私だが、ムードメーカーという特技(?)は有ったのだと少し自信を付ける事が出来た。彼らと出会い、一緒に過ごした事は職業研修という枠を遥かに越え、「平島 理佳」という1人間の研修になったに違いない。そして、これからの生き方に、この貴重な日々をどう生かしていくかが私の試されどころであると考えている。

オランダでお世話になった全ての方々のお名前を列記すると、それだけでこのレポートが終わってしまうと思うので出来ないが、せめて私のDaddy達とMommy達のお名前だけでも書かせて頂きたい。
Tonnie & Ricky, Mindert & Ditte, Jan & Fina, Palko & Jacqueline , Frank &Rita , Frans & MariaにSpecial Thanks with all my heart.

人と別れる時の私の決り文句を書いて、締め括りたい。
「I'm not going to say Good-bye. I just say See You.」