エミリー・ジェイコブズの報告

回想/始まり

私の好きな格言の一つは「人生は旅であり、目的地ではない」です。私はこれまでずっと、この格言を信奉してきましたが、準備、期待、体験を伴ったこの6ヶ月間の私の生活は、まさに目的地に関連していました!大阪、日本、ワウ。いままで行こうと思ったことのない場所、しかし私の未来を形作り、記憶に残り続ける場所。

すべては、昨年11月末、雇い主からの電話で始まりました。それは私にこのプログラムを薦めるものでした。私は内容を調べて見ましたが、ロータリーが何であるかは全然分かりませんでした。GSEプログラムについてはなおさらでした。インタビューが2回あり、2週間後には私が選抜されたことが分かり、日出ずる国へ向かうことになりました。

私たちのグループは、私の望むすべてを備えていました。バックグラウンドの違う4人が、うまくかみ合いました。私たちは1月に初めて会い、お互いを知り合いました。それからプレゼンテーションの準備をし、日本語のレッスンを受けました。神戸から来た先生のレッスンが5回。文法、語彙、文章構造、そしてもちろん、発音を私たちの大旅行のために教えてもらいました。私たちはウイスコンシンおよびアメリカの多様性と民族性について、プレゼンテーションすることを求められました。私たちは、それぞれが良く知っている領域について述べることになり、私はウイスコンシンの環境を担当しました。私たちはパワーポイントを使ったプレゼンテーションを共同でつくり、一度、地区の壮行会で予行演習しました。そして突然、あの日がやってきました。

私たちのホスト、2660地区のロータリアン

私たちが大阪に降り立った瞬間から、日本のロータリアンは信じられない対応をし、歓迎してくれました。関西国際空港では、後にウイスコンシンを訪れることになる2660地区GSEチームを含む大勢の人が出迎えてくれました。それから、続く数週間、私たちの基地となるホテル・ニューオータニへ直行しました。日本のGSEチームによる市内観光、大相撲の切符、オーケストラの座席、その他「特別」のイベントが私たちの滞在中に企画されていました。私たちの訪問で不可能なことは何もありませんでした。

私たちが会った日本人の中で、最もインパクトが有ったのはホスト家庭でした。私たちは訪問中、一週間に一家庭、合計四家庭に滞在しました。私たちは新しい文化に触れるとき、人々についてある種の既成概念を持ちがちです。日本の家庭で暮らすことは、これらのステレオタイプを払拭します。私の滞在したどの家庭も、信じがたいほどで、私のニードを満たすのにベストを尽くしてくれました。到着早々、私はひどい風邪をひいていました。大阪のロータリアンは、私の健康を気遣って、それぞれの家庭に私の「病気」について周知徹底しました。最初の家庭は、非常に心配してウールの毛布、電気毛布を提供し、寝室の暖房を全開にし、「風邪をひかない」ようにしてくれました。その週の終わりまでに、私のビールスは発汗とともに去り、気分が快適になりました!

異なった家庭に滞在したことは、日本人の生活に対する異なった見方を与えてくれました。毎週がそれぞれ、異なった経験と物の見方を与えました。ハイライトを述べますと、桜の木の下でのバーベキュー、温泉に入ったこと、キャッツを初めて見たこと(日本語で!)、正式のお茶席に参加したこと、日本の若い姉妹(11才の三つ子!)に「ゴー・フィッシュ」(カードゲームの一種、訳注)を教えたこと、キモノを着たことです。日本人になった気がし、文字通り日本の文化を味わった(食べ物で)のはホスト家庭でした!

日本について学んだこと

GSEプログラムには二つの局面があります。一つは文化的、もう一つは職業に関した局面です。大阪へ出発する前に、私たちは、それぞれカルチャーショックに対して準備しようと試みました。到着して最初は、しばしばまだアメリカにいるような感覚にとらわれました。次ぎに、突然(しかも全く鮮明に)地球を半分まわった別の国に実際はいるのだと気づきました。芸者さんを見、街角をまわるとお寺があり、魚市場を歩き回って新鮮な烏賊や蛸を見る、これらはすべて現実に戻ったサンプルです。結局のところ、日本はすべての面で異なっているように思えました。私たちのナイフ、フォークに対応するお箸、トイレのサンダルに至るまで、自分が文化的に正しいことをしているのか鋭敏にならざるを得ませんでした。習慣や伝統のあるものには全く驚きます。相撲は信じられないほど超現実的でした。私はそれが神道と多く結びついていること、あるいはお茶が客席で出されることを知りませんでした。畳(私の寝室の二つにあった、伝統的な日本のマット)の匂い、お茶の味、とても新鮮な果物も好きになりました。初めてキャビアを食べ、日本語で行われるイースターのミサに参加し、カラオケも初めて歌いました。キモノを着せてもらったり、お茶席や活け花のような昔からの伝統に触れた時は、厚遇されていると感じました。本当に文化の違いを認識し、有り難く思いました。

おそらく、最も意義深い文化交流経験は広島行きでした。爆心地の近くに立ち、爆弾で蒸発した川の側を歩き、平和を祈って折られた幾千もの紙の鶴を見たことは、忘れ得ない経験です。私がもっとも驚いたことは、起こったことに対して日本人がアメリカを非難していないことでした。私の通訳および私が質問した他のロータリアンによれば、広島のことは両方のサイドに役割と責任があったと観られています。いま最大の焦点は、平和と理解に置かれています。このような受容は本当に驚くべきものでした。

環境教育者としての私の職業研修は、いくつかの企業の環境アクションに集中していました。私はゴミ焼却場、天然ガス設備、電力会社を訪問しました。最も異なって見えたものは活動と設備の組み合わせでした。例えば、ゴミ焼却場には一般大衆が使用する水泳プール付きのフィットネスセンターがあり、それはゴミを燃やして得られた熱で温められていました!日本人は(アメリカ人よりさらに)多くの製品をリサイクルしているように思えました。また、いくつかの技術製品(例えばテレビ)には、使用後に製造者への返送リサイクルが可能なことを要求する法律がありました。私は日本における国連の二つのオフィスを訪問する名誉が与えられました。これらの訪問のそれぞれで、幹部に面会し、環境教育や地球環境の現状についてディスカッションができました。日本とアメリカが同じ様な環境問題とを抱え、その解決が求められていることは、おそらく驚くことではないかもしれません。

忘れ得ない思い出

このような驚くべき国を4週間訪問すると、多くの忘れ得ない思い出があります。私の好きな思い出をいくつか挙げてみましょう。ホスト家庭の「養子」になったこと。私のホストマザーの一人は、娘がなく、私が彼女の「新しい」子供だと決めました。彼女は私が来るからと言う理由だけで、英語を学び、私の結婚式にはアメリカへ来ると語りました。あるロータリークラブは、私たちみんなのために、バーベキューパーティを開いてくれました。ミラー・ビールが出され、パチオで特別のスリッパを履き、プールサイドで蛸をグリルしたのは、絶対に私の好きな思い出です。飛び込もう!日本式の入浴。私はこんなに深い浴槽に入ったことがありません。息を吸うと浮き上がりそうでした。しかし、私はこの日本の伝統を共有することを名誉に感じ、高揚した一日からリラックスする方法として楽しむようになりました。初めてのヨガクラス。私はホスト家庭の一人とヨガのクラスに参加しました。すべて日本語の指示を理解できないので、クラスについて行き、呼吸に集中することは困難でした!この10年間で初めて逆立ちをしました。しかし、レッスンを受けるのにこれ以上適した場所を想像できません。厳しいヨガの先生が私ほど嬉しがってくれたかどうか分かりませんが!サクラの下でのバーベキュー。私は日本語が話せず、誰も英語を多く話せなかったのですが、好きな思い出の一夜でした。一行の中の2人はお互いのアクセントをからかい合っていました。(大阪のアクセントは東京とことなります)私はボディランゲージと音の抑揚でそのからかいをフォローすることができました。サクラの花の下で30分、防水シートの上に座ったあと、こりゃまあ困った、靴を履いているのは私だけと気づいて陽気になりました。食べ物。出発前は蛸、ウナギ、桜の花のアイスクリーム、「ポカリ・スエット」(スエットは汗、訳注)という名の飲料を飲むことを考えたこともありませんでした。

ありがとう

私たちのプログラムと訪問に関して、多くの方々に御礼を言わねばなりません。特別のお礼を申し上げたいのは:2660地区のGSE委員会。野村さん、松岡さん、加藤さん。「Jチーム」の愛称をつけた2660地区チーム。私のホスト家庭。6270地区(私たちのスポンサー)。ウエストベンド・ヌーンRC(私のスポンサー)。ノンロータリアンにこのような無私のプログラムを組織した国際ロータリー。私の同僚「Aチーム」の面々。あなた方は最高です!