(八尾市役所勤務、八尾東RC推薦)
皆さんこんばんは。八尾市役所に勤務しております原田です。
さて、帰国して早くも1カ月余りが経とうとしていますが、今、まだ、すばらしい経験をすることができたアメリカ滞在の余韻に浸っているところです。今日は、お世話になりました皆様に、感謝の気持ちとともに、この感動をお伝えしたいと思います。
まず、職業研修では、6カ所の市役所訪問に加え、州会議事堂や裁判所、民間の浄水施設をはじめ、障害を持つ方のための作業所、老人ホームなど、公的役割を担う様々な分野の施設を見学することができました。
とりわけ、うれしかったことは、オマハ市役所を訪問した際に、時間が足りなくて残念に思っていたところ、昨年10月に来られたGSEのスティーブ団長やオマハのロータリアンの方々が、それを察してすばやく対応して下さったおかげで、翌日、再度オマハ市役所を訪問し、担当者とお話しできるようスケジュールを調整していただけたことです。
この職業研修を通して、行政について学ぶことの難しさを痛感いたしましたが、今、思い返しまして大変ありがたかったことは、アメリカへ出発する前、奥田団長が、オリエンテーションなどの機会に、日米の行政比較についてレクチャーして下さったり、「日経新聞で“自治の攻防”というアメリカの自治体についての特集記事があるから読んでおくといい」など、折々にアドバイスして下さったことです。また、私が何とかアメリカの自治体の一部を理解することができたのは、役所や公的施設を訪問した後に、必ず奥田団長がそれぞれの背景を含め、役割や課題などを日本と比較しながら、わかりやすく説明を加えて下さったからです。
ところで、このGSEプログラムの職業研修以外の大きな目的の1つに、アメリカ文化の理解に努めるということがありました。これは、主にホストファミリーから学ぶことが多かったのですが、奥田団長は、よくそのきっかけを作って下さいました。
リンカーンに滞在している時のことでした。「何かスケジュールで、ご希望はないですか」と尋ねられたとき、「メンバーにアメリカの結婚式を見せてやりたいのですが」と言って下さいました。ご存知のとおり、今回のGSEメンバーは、女性は皆、独身ですし、河池さんは新婚ホヤホヤなので、町から町へ移動する車中では、恋愛や結婚を話題に、しばしば話が盛り上がりました。しかし、滞在中、まさか結婚式をみることができるとは思いもしませんでしたので、私達はその日ワクワクしながら教会へと向かいました。
パイプオルガンの美しい響き、厳かに歌い上げるテナーの「主の祈り」、祝福を受けながら父親に付き添われて緊張気味に入ってくる花嫁、それを待つ花婿・・・私達は、ただただうっとりと見入っていました。
式が終わって車に乗り込むと、さっそく奥田団長が、「どうでしたか」とおっしやったので、私達は「すごくよかったです」と感想をひとしきり述べて・・・、ここまではよかったのですが、次に「神父さんが何て説教してはったかちやんと聞き取れたか?」と言われて、ハッと現実に返りました。何て言ってたんだろう、そう言えば新郎新婦の名前すら聞き取れなかったな、と思うと、相変わらずのヒアリング力にちょっと情けなくなってしまいました。
後で、奥田団長に教えていただいたところ、「Love is a decision.愛とは決断であり、結婚とはその形である、つまり、たとえ相手が誤った行動をとったとしても決して非難せず、相手のすべてを受け入れる。愛とは、これが決断できるということ。そして、結婚とはその証である」というようなことでした。説得力のある説明ぶりに、奥田団長が、一瞬、神父さんのように思えました。夫婦の機徴を感じさせるお話しでしたので、こういうことも英語で理解できたらなあと思いました。
話は変わりますが、乗馬を楽しんだ日のことでした。春になると、暖かい日が続いていると思ったら、たまに強い風が吹き荒れて肌寒い日になることがあるそうです。日本の三寒四温のようなものかと思いますが、たまたまその日は冬を思い出させるような日となりました。私達は、暖炉を囲んで、おしゃべりしながら、タ食用のフランクフルトが焼けるのを待っていました。
すると、家の人が1メートルぐらいの細い棒で、先がYの字になっているやつに、大きな白いマシュマロを突き刺し始めました。知ってる方もいらっしやるかもしれませんが、マシュマロをこんがりきつね色に焼いて食べるととてもおいしいのです。これを暖炉であぶって食べようということだったのです。私は早速、挑戦しようと思ってマシユマロの一杯突き刺さった棒を手にしました。が、そこへ奥田団長がやって来られて、「かしてごらん、これはこうやってあぶるねんで」とあぶり始めました。少しずつきつね色になっていくのを見ているのは非常に面自いので、しばらくじっと見ておりました。ところが、ちょうどおいしそうに色付き始めた時、パチパチといったかと思うと、フワフワのマシュマロに炎が燃え移って、燃え上がりました。そして、奥田さんの消火の努力も空しくマシュマロは真っ黒になってしまいました。
いつも、日本語でも英語でも自由自在にこなして、堂々とスピーチをされ、どこへ行っても何でも知っておられ、何があってもとにかくスーパーマンのようにこなしてしまう奥田団長が、マシュマロを燃やしてしまったと思うと、私は、しばらく笑いが止まりませんでした。
滞在中はこのようにして日常的なことを含め、色々な事をよく学びつつ、楽しんだわけですが、また、反面、よく遊びました。
先程も申し上げましたが、乗馬をして楽しんだり、巨大なトラクターに乗せてもらったり、セスナに乗せてもらったり、広大な土地を持つアメリカを目で見るだけでなく、肌で感じることができました。
とりわけ感動したことの1つに、空から見たニューヨークの街と自由の女神をあげたいと思います。私達は、ネブラスカ・アイオワ訪問の後、ボーナス旅行でワシントンDCとニューヨークに行かせていただきました。私は今回初めてアメリカに行きましたので、ニューヨークやワシントンは、「行ったら面白いけど、治安がめちゃくちゃ悪い」という噂さで、とにかく行く前日まで不安で一杯でした。正直なところ3日間のボーナス旅行で、熱海の温泉にでも行かせてもらえたら・・などと思っておりました。しかし、ワシントンで満開のすばらしい桜を満喫した翌日、私達は、ニューヨークに降り立つと、奥田団長が手配して下さっていたリムジンで、さっそうと街の中を走りまわったのです。ニユーヨークは、ワシントンDCとは比べものにならないぐらい汚いというか、雑然とした街でしたが、この無秩序が、今にも噴き出しそうな、爆発的なエネルギーを秘めているように感じさせ、多くの人々を魅了しているように思いました。
しばらくして、リムジンは、暗く妙な雰囲気の漂う所で止まりました。「ここに、いてて」と言い残して、奥田さんがさっさと降りて行かれたので、私達はわけがわからず「ちょっと大丈夫かな?」と辺りを見回しました。降りて行く勇気もありませんでしたが、まさかここがへリポートだとは思いもしませんでした。この日は、あいにくの雨で、霞がかかって視界も悪かったのですが、私達は、窓から下をのぞきこみ、「どの通りが危険なのかな」などとワイワイはしやぎながら、空からのニューヨークを楽しみました。さすがに、悠然とたたずむ自由の女神の上を通過するときは、思わず息をのみました。私はひそかに、「熱海もいいけど、熱海にしなくてよかった」と思いました。
帰国してみると、うれしいことに、エアメールが2通届いていました。それから数日してまた、数通届き、この間は私の誕生日に合わせてバースデーカードも届きました。どのお手紙もうれしく何度も読み返しましたが、とりわけうれしかった手紙の一節とそのときのエピソードを、最後にご紹介したいと思います。手紙を下さった方は、商工会議所のブレジデントで、私がこの方と二人で昼食をとった日は、他のメンバーと別行動の日でした。とにかく二人ですので、何かしゃべらなければと思い、必死で話しました。こういう状態の時は、以外と気恥ずかしさもあまり感じないもので、とにかく自分のことや日本のことを何とか知って欲しい、また相手のことを知りたいという気持ちを口と全身を使って表現したという自己満足だけが、今、記憶として残っています。
彼は、手紙の中でこう書いてくれました。「あなたとランチをご一緒し、とても楽しい時間を持つことが出来ました。あなたと色々なことをお話しして、私は、日本に対して非常に興味を持つようになり、そして、まだ先のことになるかもしれませんが、いつか、日本を訪問しようと思っています。」
本当に私のブロークン英語が、通じていたのかなという一抹の不安は残っていますが、今回の訪米で、人の輪を築いてこれたんだということを、実感することができ、非常にうれしく感じでいます。
このようなすばらしい経験をする機会を私達に与えて下さったロータリー財団のプログラム、それを運営し、支えておられるすべてのロータリアンの皆様方に、心から感謝したいと思います。
そして、お忙しいにも拘わらず、空港へお見送り下さった方々には、緊張で顔もこわばり、十分にごあいさつもできずにいたこと、また、3月8日、こちらの東南ロータリーの例会で、皆様に激励していただいた際のお写真を、この日、搭乗口までお届けして下さったことも今ではなつかしく思い出されます。リーダーとして、時に師として、私達を導いて下さった奥田団長、そして仲良く、助け合ったチームのメンバー、たくさんの方々のご協力で、今こうしてご報告できますことを深く感謝いたします。本当にどうもありがとうございました。