諫山 保次郎
(大阪市民政局主査、大阪堂島RC推薦)
スウエーデンにはじめての一歩をしるした4月22日、真夜中のストックホルム空港の照明の中には残雪が光っていました。しんしんと冷え込む夜気のなか、吐く息の白さに、薄手のセーターでは足りなかったかな、と先行きに少々の不安を覚えつつ、時差ボケでスーツケースのごとく重たくなっている頭をひきずりながら、ホテルにたどりつきました。
さあ、いよいよ、福祉先進の国、スウェーデンでの生活がはじまるぞと、はりきる気持ちよりも先に寝息をたてていましたが、次の日から、これほど印象的で感動的で考えるべきテーマに満ち、そしてハードな40日が始まるとは思ってもいませんでした。
周到な準備と調整のうえに、異国での生活を安心して送れるようご支援いただいた国際ロータリー第2660地区の皆様と、遠来のチームを暖かく迎え、親しく接していただき、有効なプログラムの実施に常にご配慮をいただいた第2400地区の皆様、そしてそれぞれのすべての関係者の方々に心からお礼を申し上げます。
大内GSE委員長をはじめ多くの皆様から、GSEなればこそ訪問できる場所、出会える人々があり、通常の旅行とは全く異なる研修体験と国際交流の機会が得られることを教えていただいていましたが、実際に、公的機関や施設、景勝地などを訪問見学し、ホストの家庭から生活様式や習慣を学び、文化的、宗教的活動に参加し、さまざまな分野の人々と出会い、意見を交換するなどの体験を通じて、まさに「個人対個人のレベルで諸制度や人々について学べる機会を提供」するGSEの研修プログラムの素晴らしさを実感させていただくことができました。
今でも研修の日程表をめくれば、出会った人々や光景が鮮明によみがえってきますが、GSEのプログラムには研修効果をより一層高めるための数多くの工夫や惜しみない労力が注ぎ込まれていることを痛感いたしました。
事前のオリエンテーションでは、国際交流のための心構えを含め研修の意義や目的の十分な理解と浸透が図られました。
一方で、チームメンバーのプロフィールや一般的興味、職業的関心などを受け入れ先が十分に把握できるように調整がなされ、これに配慮したプログラムが組まれていることが随所にうかがわれました。
時には、現地におけるホストやエリアコーディネーターの方とチームメンバーとの意見交換のなかから、訪問先の変更や追加などチームメンバーの要望に沿ってより効果的な研修の実施のために柔軟な対応がなされました。
また、それぞれの地域の歴史や文化や産業を特色づけたり代表するような施設や機関への訪問が組み込まれ、地域ごとの印象が一層が深まりました。
何よりも、これらの研修が、国際ロータリーが培ってきた数々の社会活動の実績と個々のロータリアンの方々の社会的信用を基盤にした奉仕活動として行われており、そうしたことが、研修プログラムの内容の充実ぶりにも反映をされていると思いました。
ただ、メンバーにとってあまりなじみのない分野でありかつ専門性の高い領域に関する施設等の訪問については、基礎的な知識の不足が理解度に影響を与えた傾向があると思われます。訪問先のより詳細な情報の事前入手とそれに基づくメンバーの側の十分な準備の必要性を感じました。
国際交流の観点からは、各地の例会におけるプレゼンテーションの果たす役割も大切なものであったと思います。いくつかのパターンのプレゼンテーションを行いましたが、大阪を紹介するスライドを現地で作成するという臨機応変の対処?により、日程の後半にはこれを基本とするプレゼンテーションを行いました。ヘルシンボリ(Helsingborg)の地区大会でのプレゼンテーションでは、阪神大震災の状況を説明した際に、鉄道が再開する模様を映したスライドの場面で、会場から大きな拍手をいただき、感激をし、また勇気づけられる思いがしました。
第2400地区のイングマル・アンダソンGSE委員長は、「きみたちは、このプログラムを通じて、スウェーデンとは何か、スウェーデン人とは何かを学ぶだろう」と言われました。確かに多くのことを学び、考え、また感じました。と同時に、大阪からきたGSEチームのために周到なプログラムを準備し、職業的関心に沿うよう十分に配慮をし、また、リラックスできるようにと気遣うホスピタリティに「ロータリーとは何か、ロータリアンとは何か」を学んだ思いがします。労力を惜しまず、奉仕活動に取り組まれている姿に、社会的奉仕の何たるかを身をもって示しておられると深く感銘しました。
社会福祉施設における先進的な状況は日本にも多くのレポートとして紹介されていますが、そうした施設を数多く訪問させていただき、さまざまな取り組みをまさに目の当たりにさせていただいたという思いがしました。同時に、日本でも、取り入れつつあることも確認できました。これらの施設では、対象者の個別の状況に配慮しつつ、家庭に近い状況のなかで処遇が行われていることが印象的でした。福祉施設の居室として特化されたものでなく、極端な言い方になるかもしれませんが、自らの家具を持ち込んで生活をしている老人ホームの個室と、家庭の雰囲気にあふれた保育室は、備品さえ変えれば互換性があるのではないかとさえ思いました。
こうした状況を設備面から特徴づけていることのひとつがキッチンが付設されていることだと思いました。比較的暑い日でも、カラッとして湿度が低く、汗をかきにくく、たとえ汗をかいてもすぐひいてしまい、体が汚れているという感じがしない、そのために、スウェーデンでの生活を通して、それほど入浴をしたいという気持ちを感じませんでした。その湿気の少ないカラッとした気候が、子供、高齢者、障害者の世話をする側、介護をする側にとって介護の手法、負担の度合い、さらには自立のための条件にも関係してくるのではないかと思いました。すなわち、入浴、洗濯、衣類の着脱などの必要性や頻度が、日本のような高温多湿の地域におけるそれとは多少なりとも異なってくるのではないでしょうか。このため、相対的に食事に関する介護、あるいは喫食面で自立することが持つ意味合いが、より重要な比重を占めることになるのではないかと思いました。
高齢者のサービスハウスには食堂とは別に居室にキッチンがあり、ハルムスタッド(Halmstad)の病院では、リハビリ中の患者は、キッチンつきの病室で自炊の訓練をし、自立を目指すようになっていました。いくつかの施設には、流しや食器棚の高低がスイッチひとつで調整できるキッチンがありました。また、保育所の居室にキッチンが備えられているのは、日本ではあまり見かけられない光景でしょう。そこでは、背の高さを補うための引き出し式になっている台に乗り、子供が洗い物をしていました。
もちろん、キッチンを付設するには、財源上の手立てや設置スペースなどの条件も関係してきますが、その前提としての社会的自立についての理念の在り方が、これらの施設におけるキッチンの存在に強く影響を与えているのではないかと思いました。
「スウェーデンの社会福祉を見に来るなら10年前に来るべきだったのに。」偶然なのでしょうが、この言葉を2回、別々の人から言われました。確かにスウェーデンの福祉が模倣すべき対象として存在した時代からは大きく様相が異なってきたと思います。今回の研修についてのお話があったとき、福祉関係の仕事に携わる多くの人が思うように、「学び」の対象としてのスウェーデンの福祉を思い浮かべました。そうした目であらためて調べてみると、スウェーデンの福祉や社会について触れられた文献、書籍がいかに多いか再認識をしました。と同時に、新しい文献ほどスウェーデンの状況を厳しくとらえているものが多いことも特徴的でした。国家レベルでの財政収支の悪化が社会福祉の圧縮を迫っていることをスウェーデンの人々はどうとらえているのか、将来に向かってどういう道を選択しようとしているのでしょうか。
ホスト家庭を含め出会った人々からの「取材」の範囲内で言えば、その多くの人は、公共セクターの歳出予算の70%を占めるという人件費、ことに分野別で30%を占める社会福祉関連分野における費用のカットの必要性を論じていました。実際、育児休業中の給与保障が90%から75%に削減されたこと、福祉サービスの利用者の費用負担の増加を福祉行政関係者が示唆していたこと、保育所では1人の保母が担当する乳幼児の数が増えていること、小中学校の再編成がすすめられていることなど、一定の方向性を持った状況の変化が見られるようです(ただし、それらはもともと日本よりもかなり高い水準にあるのですが)。また、移民や薬物・アルコール中毒症患者の増加など社会的要因がもたらす社会保障給付対象者の急増が「負担する側」のいらだちを募らせているようにも感じられました。さらに、現時点では一定のレベルで整備されている種々のインフラもやがて老朽化してくるでしょう。硬直化した財政事情のもとでどのようにそれらの再整備を図っていくかということも将来に向かって大きな課題となってくると思われます。このことだけでなく、異国からの訪問者に対して、スウェー デンの抱えるさまざまな社会、政治、経済の諸問題について、決して飾ることなく率直かつ真摯な意見を伺うことができました。メーデーの日、テレビは、メーデーの参加者の少なさを伝えるとともに、政党支持率に関する世論調査の結果として現政権政党に対する評価の厳しさを伝えていました。一方では、福祉レベルの維持、発展を望む声も依然として強いという状況もあるようです。
積み上げてきた成果と危機的な財政状況のバランスをいかにとり、その隘路を見いだしていくのか、先進的な施策の継続性の確保と見直しの必要性のはざまの中から模索される新たな福祉プログラム、そうした状況であるからこそ、これからのスウェーデンから学ぶべきことはむしろさらに多くなるのではないでしょうか。「10年後のスウェーデンの社会福祉を見に来なければ。」そう思いました。
プログラムの最初の日にホストに湖に連れて行ってもらいました。車でわずか10分ほどの所に、広大な湖と森林が広がり、キャンプ場やサマーハウスが点在する、そんな自然へのアクセスのよさと美しい風景に深い感動を覚えたことを思い出します。
プログラムの最終日にもホストに湖に連れて行ってもらいました。湖畔にただずみながら、広大な自然を享受し保護するアレマンツ・レット(自然享受権)や、水資源を活用した農業、化学産業、医療、飲食料品、カヌーの製造技術などに思いを馳せました。森から聞こえてくるチェーンソーの響きには、世界各国に輸出されている製材、ペーパーミル、ドア製品などを、また、夏になるとサマーハウスでゆったりとバケーションを楽しむ暮らしの豊かさ、そしてEU加盟と貨幣価値のゆらぎのなかで強い通貨を背景にこの湖にも訪れるであろうドイツ人の観光客たち、楽しげな笑い声がする方向を振り返ると障害者の人たちが散歩を楽しみ、空には、永世中立の守り手のひとつであるスウェーデン空軍の軍用機が飛び交っている、40日間の研修を経て、あらためて湖畔に立ったとき、いくつものスウェーデンをそこに見た、見ることができたように思いました。
スットクホルムをたつときには、初夏の陽光がふりそそいでいました。プログラムの最後に書かれていた言葉「ウエルカム バック」を思い出しました。いつかまた戻って来よう、そう思いながら5月末のスエーデンをあとにしました。
この研修での体験や得られたデータをもってスウェーデンの社会や人々を一般化することは短兵急であることはもちろんです。第2400地区のなかだけでも、さまざまなライフスタイルや考え方が存在することも事実でしょう。しかし、この研修をきっかけに、もっと深く、もっと広く、そして将来にわたってスウェーデンについて知り、それを活かしていきたいという思いを持つようになりました。
最後に、この素晴らしい体験を分かち合い、支えあうことのできた、刺激的かつ個性あふれるチームメンバーに心から感謝の意を表したいと思います。
フェアウエルパーティでの川本氏の感動的なあいさつを思い出します。「これは決して終わりではない、始まりなのだ」と。