ブラジル人の価値観と日本人

長谷川 剛

(ダイコロ株式会社映像研究部研究員、枚方くずはロータリークラブ推薦)

 日本には現在、外国生まれの日系人がおよそ十五万人滞在し就労しているといわれている。その大部分が南米のブラジルから来た日系人で、国籍はブラジル連邦共和国であり、私たちロ−タリ−使節団がお世話になった日系人の方々と同世代、あるいはそのお子さんたちがこれにあたる。

 ブラジルという国から、一般の日本人が連想することといえば、アマゾン、カ−ニバル、コ−ヒ−、サッカ−、サンバなどだろう。かなり知識度の高い人たちになると、それに猛烈なインフレの国、世界有数の借金大国などが加わるが、数十年前に、日本政府の政策で移住した日本人とその子孫の日系人が、百二十万人余も在住していることは、あまり知られていないだろう。

 その日系人たちが、比較的景気のよい日本に逆流してきているわけで、今後も増加の傾向にあるとされている。

 実際、私の会社にも日系ブラジル人の女性が一人働いていて、出発前に簡単なポルトガル語での挨拶や生活習慣を教わった。日系二世の彼女は日本に来たとき、「日本人しかいない」環境に驚いたそうだ。なぜなら、ブラジルでは180年以上も前からすでに移民導入という形で外国人の受け入れが実施されており、世界中の国をル−ツとする人たちが白人・黒人・黄色人種、いわゆる人種差別なく同居している。外国人労働者の受け入れに関する行政が後手後手になる日本とは根本的な違いがある。

 彼女は一見、「日本人」そのもので、流暢な日本語を話す。漢字も書ける。そして、性格的にとても明るく、すぐに打ち解けることができた。しゃべり方もやわらかく、古風な日本人女性のイメ−ジを起こさせる。

 さらに、私がサンパウロのホ−ムステイプログラムのときにお世話になった日系人家庭にも21歳の二世の娘さんがいた。彼女はポルトガル語を話しているときは物腰がきつく近寄りがたいが、日本語を話し始めるととたんに口調がやさしくなり、何度も私をほっとさせた。彼女の家の戸棚には博多人形がかざつてあり、朝食には梅干しやつけものが並んだ。

 彼女らはブラジルで生まれ、ブラジル国籍を持ち、ポルトガル語を話し、他のブラジル人とまったく同じ条件で教育を受け、日本の23倍もある広大な国土でのびのび育った。二人とも共通しておおらかなブラジル人気質を持ち合わせている。しかし、彼女たちの中には、日本文化が息づいている。それは、ときとして二重の性格をもっているのではないかと思わせる。

 ここでは、ブラジル人としての彼女たちの価値観と、日系ブラジル人としてのブラジルでの生活にわけて、日系ブラジル人の二面性について私が今回の研修を通じて遭遇したエピソ−ドを交えて見ていきたい。

 ブラジル人の価値観について、「時間」「物」「職場」の3つの側面からみていく。

 南米大陸の広大な土地とアマゾン川の悠久の流れの中で、ブラジル人はゆったりと日々の生活を送っている。ブラジル全体が時間にあくせくせず、時間厳守という習慣を持たない。ホ−ムステイ先のロシア系ブラジル人のお父さんが言っていた。「時間とは自然の流れであり、勝手に区切ってその中に人間の生活まで押し込めようとするのは不自然だ」と。少なくとも私が出会ったブラジル人は全員こう考えているようで、時間をあまり気にしない。ある日、サッカ−中継を見ようとお父さんがTVのスイッチを入れた。新聞の番組表では午後8時から中継開始となっていたが、10分たっても始まらない。しかし、お父さんは不思議がる様子も無い。それもそのはずで、時間通りにプログラムが進むことは滅多にないようだ。留守中にビデオ録画するときも、少なくとも5分前から開始、予定より30分過ぎくらいまでセットしておかないと、中途半端に録画されてることが多々ある。待ち合わせをしても、きっちり30分くらい遅れてくるので、かえって調整し易いほどだ。研修中の最初の頃は「人を待たすことはいけないこと」と考えていた私も、日が経つにつれ、30分くらい遅れても平気だ、と思うように なった。日本での生活のように、スケジュ−ルが分刻みならたいへんなことになるが、込み合ったスケジュ−ルがないブラジルでは、かえってゆったりと余裕があっていいとさえ思うようになつた。

 出勤時間もゆっくりのようだ。日本の労働者は始業時間までに準備をし、始業時間になるとすぐにでも仕事にとりかかれるようにするが、ブラジル人は、開始時間までに会社の門を入ればいいと考えているようだ。また、同僚とのおしゃべりやコ−ヒ−にも多大な時間が費やされる。グワルリョス市の給食配送センタ−を見学した時も、私たちがいるあいだずっと若い女性社員たちはコ−ヒ−を飲みながら談笑していた。上司ふうの男性が怒る気配も無い。サンパウロのロ−タリ−クラブに在籍している、日本企業の管理職の方は、「ブラジル人の労働意欲の薄さにはあきれている。」と嘆いていた。それでいて、賃金上げの請求や待遇の改善は頻繁に要求すると言う。

 日本では「時はカネなり」ということわざがあるが、ブラジルではこれは当てはまらないようだ。官庁手続きや銀行業務はどこも長蛇の列。これを工夫して解消しようとは全然思わないらしく、利用者の不平不満の声も無い。怠惰なのかおおらかなのか、ブラジルは時間の流れに逆らうことはしない。

 「物」に対する価値観はどうだろう。

 ブラジル人には物を大切にするという習慣が無い。国土は資源にあふれ、農作物にも恵まれている。研修で南米銀行を訪れたとき、アナリストの方が、農作物の価格に触れたときにこう語っていた。「農作物は農場から消費者に届くまでに25〜30%が失われるが、誰もこれを改良しようとはしない。収穫期の取り扱いのまずさ、流通過程での不注意、倉庫や冷蔵庫の不備による腐敗など、さまざまな要素が重なってロスが大きくなる。その損失は消費者価格に乗せられる為、農家の庭先価格と消費者価格の差は穀物類で二倍、野菜果物類では三〜四倍が普通である。

 ロ−タリ−クラブの方やホ−ムステイの家族に週に3回は連れていってもらったシュラスコレストラン。そこでは豊富な肉と野菜、果物がバイキング形式で供給される。皆、皿いっぱいに食べ物を取ってくるが、全部たべないうちに皿を取り替える。相当な量の肉や野菜を食べ残している。ブラジルではこれが当たり前で、食べている途中でもウェイタ−が皿を持っていってしまう。また、建築では、資材の30%はムダに捨てられる。資源の乏しい日本では考えられないが、これがコストを引き上げている。怠惰なのか、おおらかなのか、ブラジル人は自然の恵を自分の思うままに食べ、使用し、そして捨てている。

 ブラジル人は「職場」に関してはどう考えているのか。「時間」のところで少し触れたが、労働意欲が低い割に給料アップはいつも念願においている。同じく南米銀行の方が言っていたが、ブラジル人は就職していても、いつも二つか三つの職業紹介所に次の仕事を申し込んでいる。現在よりも少しでも給与が高く、楽な仕事があると、すぐに職場を変えようとねらってるのだ。これが習慣となっているため、転職回数がおおいほどその労働者にハクがつく。一つの会社から動かない人間は社会にとってよほど重要な人間なので、高給を出してひきとめられているか、あるいはまったくウダツの上がらない存在かのどちらかと見なされる。このように安易に転職する習慣は、使用者側にも責任がある。

 ブラジルの生活活動は、年末商戦に焦点を合わせて動いているため、工場は下半期になると雇用を増大させ、原材料を大幅に仕入れて増産に入る。商業は8月頃から仕入れを増加していく。この商工業活動が経済活動全体を活気づけるが、クリスマスが過ぎると大衆はフトコロが寂しくなり、商業は閑散として仕入れを停止し、工場はレイオフや解雇を強行して減産期に入る。生産の都合であっさり解雇されてしまうので、ブラジルのサラリ−マンは、正社員でありながら日本の季節労働者のように雇用に明日の保証はない。

 さらに、企業の財政が苦しくなると、企業は給料の高い古参従業員を解雇して安い新卒と入れ替える習慣があり、生涯安心して働ける職場は少ない。したがって、就職した職場を失いたくなければ、使用者側に努力と実力を見せねばならず、使用者側は従業員を失いたくなければそれ相応に給料を支払わなければならない。

 現在のように技術を持たない労働者の失業、潜在失業率が非常に高いと、一般労働力の入れ替えは容易であるため、一般労働者の立場は不利となり、給与面の待遇は下がってくる。

 以上の様に、「時間」、「物」、「職場」に関する価値観を見てみると、ブラジル人は自然の流れに逆らわない、なるようになる、という生活を送っている。時間の概念に自分を押し込めようとはせず、いつもゆったりと構えていて余裕があり、小さなことにはこだわらない。その国民性はときに長所となり、ときに短所として国際社会に認識されるだろう。しかし、ブラジル人にとっては、これは長所・短所の枠を越えた、どうにもならない国民性なのである。

 次に、ブラジルに住む日系人について彼らの生活や文化について見ていく。

 世界中の人種をすべて一堂に集めると、どのような風景になり、その中で最も目立つ人種はどの人種だろうか。この疑問はブラジルを訪れると簡単に解けた。ブラジルは世界中の人種が集まってできている国なのである。

 ブラジルで最も目立つ人種は、黒人、東洋人と、金髪の白人だろう。白人といってもいろいろな人種がいて、強いて言えば、ラテン系は見分けがつくが、その他は一体どこの国から来た移民の子孫か、まず見分けはつかない。また、研修期間中に出会った方々は、自分の先祖がどこの国から来た民族であるかを全く気にしていなかった。ブラジルには、相手を人種の系統などで分別する習慣は無い。

 ブラジルに移住してきた日本人たちは、日本人が日本国籍を持っていない人たちを「外国人」と呼ぶ習慣をそのまま持ち込んでおり、本来なら自分たちが外国人であるにも拘わらず、日系人以外のブラジル人を「ガイジン」と読んでいた。これは、聞いていて少し滑稽に思えた。また、興味深かったのは、日系の方々は、韓国系や中国系のブラジル人たちは、「ガイジン」とは呼んでいなかった。

 日系人は、日系人、韓国系、中国系以外のブラジル人を「ガイジン」と呼ぶが、それがいったいどこ系のブラジル人であるかは問題にしていない。しかし、日系人に対しては、一世だろうが、二世だろうが、三世だろうが、一般ブラジル人は「ジャポネ−ズ」と呼ぶ。この「ジャポネ−ズ」には、日本人を卑下する意味合いは全くなく、むしろ親しみを込めて呼んでいるようだ。南米銀行の方が、「日系人はブラジルの中でいちばん尊敬されている人種だ。とくにお金の貸し借り、信用度に関しては絶対的な信頼を得ている。」と言っていた。南米銀行は日系人が創始した銀行だが、現在ブラジルの銀行界で五指にくみ込もうかと検討している要因はその辺にあるだろう。しかし、一般ブラジル人の韓国系に対する評判は悪く、接する態度も日本人に接するときと比べてかなり慎重になるようだ。日系人が韓国系を「ガイジン」と呼ばず、ある程度同胞意識を抱いているのと対象的に、一般ブラジル人は、日系と韓国系を、はっきりと区別して接しているようだ。また、ブラジルでは、金髪の白人を「アレモン(ドイツ人)」、黒人を「バイア−ノ」と呼ぶ。金髪の白人と言ってもドイツ系とは限らない。アン グロサクソン、ユダヤ、ロシア系などがあるわけだが、その辺は全く気にしない。ユダヤ系やロシア系のブラジル人が「アレマン」と呼ばれても何の違和感も感じないようだ。黒人を「バイア−ノ」と呼ぶのは植民地時代に導入された黒人が主にバイア州に集中していたからで、バイア生まれの人、の意であるが、今日ではブラジル全土に在住しているにも拘わらず、黒人の総称は「バイア−ノ」だ。これは、グワルーリョスの薬局の日系人主人が、黒人を見る度に「バイア−ノ、バイア−ノ」と連発していたことからも明らかだ。これらの呼び方は人種差別に起因するわけではない。自分たちと同じブラジル人の同胞であることを、お互いに認識したうえで、単に容姿の特徴で区別して、「ジャポネ−ズ」、「アレモン」、「バイア−ノ」となるだけのことだ。 

 「ジャポネ−ズ・ガランチ−ノ」という言葉がある。先にも触れたが、「日本人は信用できる」の意であるが、ブラジルにおける日系人の評価はこの言葉にすべて言い表されている。移民の先駆者たちが、日本人であることに誇りを持ち、堂々と築きあげてきたブラジル社会からの信用に他ならない。今日でも世代に関係なく、日本人は勤勉、誠実な人種として、一般ブラジル人かの評価はきわめて高いうえに、本国の日本が世界の経済大国に成長したことで、日系人がおおいに誇りを持って活動できるようになったことは、ロ−タリ−クラブでの日系人の活躍、一般ブラジル人の日系人、あるいは私たちのような日本からの客に対する接し方からも明らかだ。しかし、1940年代の一時期に、現在では想像もできないくらい日系人が肩身の狭い思いをしていた時代があったことも事実だ。

 それは、第二次世界大戦で日本はブラジルの敵国となって戦い、敗戦の憂き目をみたからである。おそらく、敵国人としてみられていた頃の「ジャポネ−ズ」の呼称は、その意味合いにおいて今とは雲泥の差があったことだろう。主に日系二世が言っていたことだが、「同じブラジル人でありながら、日系人であるがゆえに理不尽に咎められたり、迫害されたことに、日本人の血をひいて生まれたことを恨んだ」こともあったようだ。また、それを払拭するためには、「学校の成績で抜きんでること」が唯一の方法だったそうだ。周囲からの圧力にジッと耐えて、ただひたすらに勉強に励んだ世代の二世の中から、優秀な判事、弁護士、医師などの学識者が多数輩出している。日系人ロ−タリアンにも、優秀と言われる学識者、とくに医師の方が多かった。

 一般ブラジル人にとって、日本の今日の成長は決して驚きではないと言う。ブラジル社会においても、学校では優秀、職場では勤勉で、各界で活躍している日系人に重ね合わせて見るだけで、日本の発展は容易に理解できるそうだ。日系移民博物館の展示内容を見ていると、100%農業移民で始まった日系人は、今日では農業に留まる数はわずか10%にすぎず、短期間の間にいかに広範囲に活躍の場を拡大していったかが理解できる。これは、日系人が人種に関係なく、他のブラジル人と同じ条件で活躍できたことが大きな要因だろう。日本在住の外国人は100万人を越えたが、何かと物議をかもしている日本とは対象的に、120万人を越す日系人を同胞として、何の分け隔てもなくつきあっているブラジルは、日本とは次元の違う国だ。ブラジル人が抱いている対日感情は、日本人がブラジルに抱くそれとは比較にならないくらい良好だ。

 今回の研修中、多く話題にのぼった事項として、「日本人と他人種との同化」があった。これは、どこの地区のロ−タリ−クラブ、ホ−ムステイ、資料館などでも多くを聞かされ、日系人とブラジル人の文化の融合を考える上で重要なことだ。

 ブラジルは世界でも数少ない人種差別のない国といわれており、事実、法律で人種差別をすることが禁じられている。ひと昔前のことだが、日本人移民の親たちは、二世の子供たちがブラジル人とつき合うことに対しては非常に厳しく、特に娘が「ガイジン」の恋人でも作ろうものなら、たいていの親は激怒していたようだ。人種差別をするのはむしろ日本人のほうだった。そのせいか、二世の混血率はわずか6%だったが、親の干渉が少なくなった昨今、三世となると42%となり、四世では60%を越すという数字となって現れており、差別が同化に対する抵抗感がほとんどなくなっていることが伺える(パトリシオ「ブラジル生まれの日本人たち」より抜枠)。かといって日系人の若者が特に「ガイジン」との結婚を望んでいるということではないが、ほとんどこだわりはなくなっている。今回のホ−ムステイ家族のブラジル人の息子さんが言っていたが、「学校においても職場においても、日系人の勤勉さと優秀さはどうしても目立つ存在で、ブラジル人は日系人のことを配偶者として好ましい存在としてとらえている」ようだ。子供が日系人と結婚することに対しては、頭のいい血がファミリ−に導入さ れるという点で歓迎こそすれ、反対する人はいないだろう。

 ブラジル人の価値観と、日系ブラジル人の生活や文化を見てきたが、簡単にまとめると、一般のブラジル人は、時間や細かいことにこだわらず、自然の流れのままに優雅に暮らして、おおらかな性格を持っている。しかし、それは、怠惰で自分勝手という短所としてとらえることもできる。一方、日系ブラジル人に見られる勤勉さとお金やものごとに関する信用度は、一般ブラジル人が持っていない面であり、短所をカバ−しているが、人種差別という点では、薄れてきているものの、根強く残っているようだ。日系ブラジル人は、おおらかで差別はしないが怠惰なブラジル人の特徴と、勤勉で信頼されるが差別的な日本人の特徴を合わせ持つている。私が接してきた感覚から考えると、日系ブラジルの中で、それら二つの国民性は融合されておらず、完全に分離され、使い分けられているようだ。ときとしておおらかで怠惰、ときとして勤勉で差別的、この二面性は日系ブラジル人に共通する二重人格的なものなのだろうか。それは二面性という次元を超越した、ひとつの「国民性」なのだろうか。日系人と他の人種とのハ−フにおいては、この二面性の融合がなされるのだろうか。これらの疑問に対する答 えは、ブラジルに興味も持ちはじめてから間もない私には解決できなかった。しかし、この研修を通じて言えることは、それがどういった形であれ、「ブラジルの中で、日本文化は確かに息づいている」ということだ。

参考文献: 

「バトリシオ・ブラジル生まれの日本人たち」 ブラジリアン・ベストクリエイション社著、柏書房、1992年

「ブラジルと日本人」 

斉藤広志著、サイマル出版会、1984年

「目覚める大国ブラジル」 

鈴木孝憲著、日本経済新聞社、1995年