カレン・キース

(物理療法士、鍼灸セラピスト)

 ある忙しい日のこと、夫から電話があった。「日本へ行きたいかい?」「もちろん行きたいわ」と少し興奮を覚えながら、私は答えた。GSEチームの選抜への応募はこのようにして始まった。当地のロータリークラブのジョン・エイブラハムから電話をもらった夫は、応募の手続きについて私に説明を続けた。私は、海外でのコンファレンスに出掛ける準備をしていたので、大急ぎで応募用紙に書き込み、後はすっかり忘れていた。これが人生を変える体験となって行くことを知る由もなかったのである。

 コンファレンスから帰るとGSEチームの選抜が待っていた。団員同士が知り合いになるためのミーティングやプレゼンテーションの準備などで、時はたちまち過ぎていった。その中で一番がっかりしたのは、団員の一人が大阪へ行けなくなったことだった。日本行きの準備の中で大変だったのは、6週間も仕事を留守にすることで、これは不可能のように思えた。時には行かない方が楽だと思ったこともあった。留守の間の段取りが進むにつれて、日本行きはだんだん現実のものとなり、これは本当にすごい経験になると、決心がついた。ワイマテRCは極めて協力的だった。ニュージーランドを代表して選抜されたことは名誉だった。

 日程の小冊子が到着して、興奮をかきたてられた。どんな人たちだろうか、どんな場所に行くのだろうかと話し合った。私の秘書はGSEチームの名誉秘書となり、ユニフォームのことや団員同士の連絡の中継などで活躍してくれた。

 チームの選抜以前にはロータリーに関して殆ど知らなかったが、それは変わった。ロータリー財団やその国際的なプログラムについて、私は熱烈な関心を、今後も持ち続けることだろう。日本に関する本を数冊読むことで、旅行の準備をした。テープやコンピュータを使ってのCD再生で日本語をいくらか学んだ。私の子供たちも、日本語学習に興味を示し、一寸した競争となった。大阪からワーキングホリデーで当地区に来ているサチヨと知り合いになった。彼女は、私の家族に会い、多くの質問に答え、一家の親しい友となった。

 東京での語学学校の研修は大変有用だった。時には能力テストのように思えることもあったが、面白く、またホストファミリーやロータリアンに会う前に、日本とその文化に徐々に慣れ親しむことができた。自分たちだけで暫くの間、あるがままに見くことを楽しんだ。

 別々の家庭で過ごした5週間を振り返ってみたい。第1週のホスト家庭では、やや限られた英語で、家庭内の習慣、入浴、靴を脱ぐことなどを上手に説明してくれた。彼らは私の際限ない質問に答え、自分たちの文化を教えてくれた。私は、どのホームステイもすべて楽しんだ。第2週は、団員2名が同一の家庭に滞在したので、家族と接触する時間が思ったほどではなかった。一つの家庭に一人の団員というのが良いように思う。

 言葉が不自由なこともあって、ホテルに週末に宿泊できたことは有り難かった。開放された時間があり、空間的な自由もあった。ロータリーのお世話は行き届いたものだったが、時にはエスケープして自分でやってみる自由が欲しいこともある。私の職業である物理療法と鍼の教育という観点からは、知識を増し、将来のコンタクトを得ることができ、素晴らしい機会となった。

 職業研修は、大変値打ちがあった。八尾ロータリークラブは、初めの訪問では充分な時間のなかったクリニックを再訪するアレンジをして頂いた。ドクター・カミヤマ医師と私は、いろいろアイデア交換を楽しんだが、もっと日本語が流暢に話せたら良かったのにと思った。物理療法や鍼の訓練システムにいろんなものがあることがわかった。明治東洋鍼灸大学はこの旅のハイライトだった。国へ帰ったあとも文通が続いている。研修日に通訳をつけて頂いたことは極めて良かった。通訳がなければ研修の成功はおぼつかなかっただろう。通訳のかたは優秀だったが、専門技術用語が難しく、時間を要することがあった。訪問時間の変更があった時は、通訳の準備がなく、コミュニケーションが不可能だった。

 言語能力のうち、読めないことは、話せないことより、障害となる度合いは大きい。会話の方は、辞書やジェスチャーの助けを借りて理解してもらうことができるから。

 日本は、時計のように動いている国である。人々が動き回っているのを、ただ観察しているだけで、私は飽きることがなかった。こんなに多くの人が居て、秩序正しく、礼儀をわきまえている。商店やレストランのサービスは、賞賛に値する。

 桜の咲く大阪の春は美しい。家々は、畳の部屋と近代的なテクノロジーの新旧がミックスしていた。子供たちは、ニュージーランドの子供にくらべて幼いように思えた。その原因は、学校では同じであるように教えられているからではないかと思った。ニュージーランドでは、子供達には独立と、ヨコの志向が求められるのだが。こんなにも違う社会からニュージーランドへ来た日本人たちが、苦労するのは分かる気がする。

 私の旅行のハイライトは、歌舞伎を見たこと、日本の文化や歴史に触れたこと、我々のものとはまるで異なった食べ物を味わったことである。日本に初めて着いた時に比べて、私の箸の使い方は、かなり上手になったと断言できる。一人で旅行したなら決して見ることができなかっただろう場所を訪問し、心からの温かい歓迎を受けた。私にとって日本とは故郷のように思える。いつか、家族とともに帰ってきたい。ニュージーランドへ来たいという人も多かったから、こちらでも再会したい。

 帰国後、仕事に戻るのは大変難しかった。日本の食べ物、日本語、日本人との会話が恋しかった。もちろん、家族との故郷での生活も良いものだが。ワイタキRCで、日本チームに会えて良かった。私は、ある朝をワイタキ湖のジェットボートで彼らと過ごした。GSEについての多くのスピーチを求められているが楽しみである。また、帰国後、仕事上のコンタクトが何カ所からあったが、嬉しかった。

 日本のチームも、2〜3日ではなく、一家庭で1週間滞在できたら良かったのにと思う。大阪滞在中、2つの週では、小冊子よりもさらに詳細な日程表を受け取った。これは有り難かった。どの週もこのようであったらもっと良かった。ユニフォーム問題は、他のことに比べて時間を取りすぎた。難しい問題だ。

 GSEの体験は、私のキャリアーに大変な価値があった。このことを可能にして下さったみなさんに感謝したい。ロータリーは、青少年交換と研修プログラムを通じて、世界平和と理解を促進するため、多くの人々に機会を提供している。この機会を得たことを、私は感謝したい。