大阪厚生年金病院歯科口腔外科歯科衛生士
(大阪西南ロータリークラブ推薦)
ロータリーGSEプログラムに参加し4週間のカナダ・オンタリオ州での研修を終え、他国との文化の交換、人々との交流、ホームステイ、職業上の研鑚と言う、私の人生において素晴らしく有益で貴重な経験を得る機会を与えて頂いた全ての方々に、心から感謝しております。
カナダは日本の北北東から北東に位置しており、私達が訪れたオンタリオ州は、カナダの南東部に位置しています。面積は日本の26倍と広大ですが、人口は大阪府の440分の1と、非常にゆったりと人々が過ごしています。国土の大半は平地でその広大な自然は非常に美しく、庭先のいたる所で、りすなどの小動物を見ることが出来ます。人々はとても親切で礼儀正しく穏やかです。主義主張にこだわらず、むしろ控えめであるとさえ感じました。
カナダはご存知のように移民の国と言われています。その歴史は、自治領カナダが1867年に発足して以来わずか120年余りと、日本に比べると非常に若い国だと、皆、口をそろえて言います。しかし、その懐の深さは我が国以上ではないでしょうか。多くの人種を受け入れ、そして彼らはそれぞれの民族や文化のカラーを尊重し保持したまま生活し、カナダの社会の発展を目指しています。私達は、そのカナダにてまさしく心から受け入れて頂き、より多彩な自然と人々の暮らし、文化に触れることが出来ました。
カナダでは、キッチナ−ル、ミソソーガ、ウッドストック、バーリントンと4地区を訪れました。キッチナ−ルでは、再洗礼派の一派であるメノナイトの村を訪れ、19世紀当時の電気を使用せず、移動手段として今も馬車を利用する、彼ら独自の素朴な生活に触れることが出来ました。ミソソーガでは、世界に誇れる近代的な施設であるスカイドームやCNタワーのあるトロントを訪れ、大都市の発展ぶりを見るとともに、その治安や環境の良さに驚きました。ウッドストックでは、180度地平線が広がる広大な土地で、その肥沃な土壌を利用した、タバコの栽培や乳牛などの家畜の飼育場、他に農耕機器の製造所などを訪問し、その規模の大きさ、用途の多様さに目をみはりました。バーリントンでは、ロータリー財団がホスピスケア施設のために出資を行っているマラソン大会で、給水活動のボランティアに参加することが出来ました。また、ナイアガラでは巨大な水力発電所があり、その電力のほとんどをアメリカ側に供給していると言う興味深い話を聞きました。数多くのすばらしいプログラムをこなすのに、時には体力的に厳しい事もありましたが、非常に充実した毎日を過ごすことが出来ました。
職業研修では、正規のプログラムにより歯周病歯科、矯正歯科、一般歯科、大学の歯学部など計5施設を訪れ、その他にホストファミリーやロータリアンの方々の配慮にて、プライベートに、口腔外科を含め7施設をも訪れることが出来ました。駆け足で診療風景を見るだけの所もありましたが、どの施設も非常に興味深く、私にとって有益な経験となりました。
特に今回は歯科衛生士の立場として、歯科衛生士が実際の現場でどのように活躍しているかを知ることを目的として研修に臨みました。
我が国では、歯科衛生士の業務として、歯科医師の直接の指導のもとに
@歯牙露出面及び正常な歯肉の遊離縁下の付着物を機械的操作によって除去する。
A歯牙及び口腔に対して薬物を塗布する。
B歯科診療の補助を行う。
C歯科保健指導を行う。
などが挙げられます。そして実際の状況としては、歯科衛生士の多くがBに示す、歯科医師の診療補助業務を主としています。それに対しカナダでは、歯科助手もしくは看護婦が診療補助を行い、ほとんどの衛生士は先に示した@、Aを主としており、特に歯周疾患予防処置に力を入れていました。彼女達の専門性を生かし職務に従事する姿には、学ぶべき所が多いにありました。また、ほとんどの歯科医院は多くの歯科衛生士を雇用し、彼女達の勤務時間も曜日によって彼女達自身で設定していました。より自分の生活スタイルに合わせた勤務をほとんどの衛生士が実行出来ることは驚きでありました。さらに私が訪れた歯科医院では、10年勤務の衛生士が多いことにも驚きました。日本では平均4年ほどで、短い人は約2年で結婚、出産、その他の理由で辞めてしまうケースが多いのですが、カナダでは“孫がいる”と言う人も働き続けています。より長期間働き続ける意志と職務への取り組み方、環境作りについて、私達は再考する必要性があるのではないかと感じました。
衛生士教育においては、日本の2年制のみに対し、4年制、2年制の制度があり、2年制の中でさらに2つの教育プログラムを持っていました。1つは、日本と同じくダイレクトに2年間学校で学んだ後、免許取得試験を受ける制度で、もう1つは、1年間歯科衛生について学び、その後一旦歯科医院にてアシスタント業務を経験し、再び学校に戻り1年間学んだ後、免許取得試験を受けると言った制度があります。これらはどのコースを選択しても、免許取得後の臨床の場における業務内容に変わりはありませんが、4年制を終了した場合は教育者としての資格が持てると言うことでした。学生たちは多くの教育スタイルの中から自分の考えに合った所を選べることは興味深いことでした。しかし、多くの歯科医師や衛生士教員は2年制の後者を奨励しているようでした。と言うのも、現場にて多くの経験をする事により、さまざまな状況に対処できる技術が身に付くからだと彼らは言っていました。また、学校では、学生の時から30名程の患者を受け持ち、治療計画をたて、患者の全身管理についても考慮しながら処置する訓練がなされていました。それがゆえ、現場に出てもすぐさま専門性を発揮できるこの教育制度
は素晴らしいものだと感じました。
それぞれの歯科医院についての状況は、1つの医療ビルの中に専門性を掲げ所属している医院が多いようでした。ですから患者の口腔内状態によっては、一人で複数の歯科医院へ通院しなければならないケースもあります。中にはgeneral
practiceと言い、日本と同様、困難な外科処置以外は全て行うところもありました。また、全ての受付はコンピューター管理されており、receptionistがその業務を請け負います。スタッフの多い診療室では、dental
coordinatorと呼ばれる人がreceptionistと歯科衛生士の間で患者予約と人数の調整、その他の管理を行っていました。
制度や社会情勢などの違いにより、歯科衛生士の地位や業務への取り組み方にも違いがあります。歯科界での自分の知り得ていない背景などを考えると、容易に変革出来ない、あるいはすべきでない事もあるやもしれません。しかし、今回学んできたことが少しでも衛生士の地位の向上と発展に繋がる糸口になれば素晴らしいことだと考えます。またそのように取り組みたいと考えます。
私達はこのGSEプログラムにて、相手国のGSEメンバーとの親睦を深めることが出来ました。カナダGSEメンバーとの最初の出会いは3月19日、彼らの時差ボケ解消として大阪の街を案内した時です。集合場所のホテルで彼らを目にした時、緊張のあまり、かわそうとする自分の握手の手が、汗でぬれるのを何度も拭いていたことを思い出します。彼らとは毎週末ごとに会い、夕食やカラオケで共に過ごし、少しづつお互いを知り合い、彼らの帰国時には、カナダでの再会を固く約束しあいました。この交流は、実は加藤団長の発案でした。そして、この結果は私達のカナダでの滞在をさらに素晴らしいものにしました。彼らは時に過密なスケジュールの私達に、2泊3日のツアーを企画してくれました。そこで私達は、好きな時に寝て、起き、食べると言う贅沢な時を共に過ごし、少し緊張していた心と体を十分にほぐすことが出来ました。キャシー団長と加藤団長の出発前からの綿密な打ち合わせや、お互いの固い信頼関係がこのGSEの成功の鍵になったとロータリー関係の方々から聞かされました。
なによりも忘れがたい貴重な経験はホストファミリーとの交流ではないでしょうか。初めての経験、環境において戸惑っていたにもかかわらず、お互いの文化、生活を分け合い、温かく受け入れて下さった皆様に感謝の気持ちで一杯です。早朝の車での送りや、深夜の帰宅にも寝ないで待っていて下さいました。職業研修のためにもあらゆる手を尽くして頂きました。私達がリラックス出来るように、細心の心配りとさまざまな準備をして頂いた姿には、感謝の気持ちをどう表現して良いか言葉が見付からないほどです。また、生活を共にする中で私は、自分にゆとりを持つ事の大切さを学びました。とかく時間に追われ周囲を見る余裕のない生活を送りがちの中、自分の時間を大切にする事は家族、そして仕事をも大切にする事につながると言うことです。これは多くの日本人の生活上での課題ではないかと思いました。
多大な御迷惑をおかけしましたが、それ以上のたくさんの素晴らしい思い出を与えて下さったホストファミリーの皆様のことは、今後いかなる時でも私の心の支えとなるでしょう。
このGSEプログラムは、異国の国、文化、習慣について学ぶ大変貴重な機会でしたが、同時に自分の国、さらに自分自身についても学び、知る非常に良い機会でもありました。私達は今回の経験で得た知識と、体験した奉仕、交流、相互理解の素晴らしさを少しでも多くの人々に伝え、示していきたいと考えます。また、今回のGSEプログラムは終了しましたが、私達のこのfriendshipは始まったばかりです。今後この交流をさらに深め、発展させる努力を私は惜しまず続けていきたいと考えます。