GSE報告書
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キャシー・スミス
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思い出
ロータリーの究極の目的は、世界理解と平和を達成することです。世界のいろんな地域から他の地域へ人を派遣し、他国の文化を経験させ、人々にレッテルを貼ることなく個人としての知り合わせることほど、この目標を達成する良い方法を、私は思いつきません。
2660地区について述べて、これで十分ということはありません。私たちのチームが体験したものより、良くオーガナイズされた交換があろうとは想像できません。カナダからの出発の前に詳細な日程が送られてきました。大阪に着くと、時間や内容の変更を細大漏らさず記した最新の日程が配られました。これはワンダフルでした。この日程表のおかげで地に足が着いた気になりました。詳細をこんなに知らせていただいて感謝します。
ロータリーについて学んだこと
2660地区のロータリアンは、ロータリー会員であることを名誉と考えています。私は、ロータリーでこんなに多くの慶祝を経験したことはありません。私たちの地区では、発足の援助を得た子クラブが、毎年親クラブ元に集うイベントがありますが、それ以外には慶祝はありません。2660地区では慶祝のイベントが、礼儀正しく行われていることに感銘をうけました。私たちの地区も、この伝統をスタートさせることを希望します。
私の4つのホスト家庭は、例外的な人たちでした。本当に懐かしく思います。それぞれの家庭が、日本の家庭生活と日本料理を経験するよい機会を私に与えてくれました。
ある日、地下鉄に乗っていると、あまり遠くない席に、少さい女の子と彼女のお祖父さんがいるのに気づきました。その小さい女の子は、私を恥ずかしそうに見つめていました。そのとき地下鉄にのっている外人は、私一人だったのです。私が微笑んで、コンニチワというと、彼女はお祖父さんのシャツに顔を隠しました。お祖父さんは体を傾けて、彼女に何言か日本語でささやきました。彼女はゆっくりと顔をむけて「ハロー」と言って、また顔を隠しました。私はカナダ国旗のピンを取り出し、それを彼女のお祖父さんに渡しました。彼がそのピンを彼女の胸につけると、彼女は振り向いて「サンキュー」と英語で言いました。
私がチームリーダーに選ばれる前に、私たちの地区は、2660地区に女性がリーダーに選ばれたら何か問題があるだろうか、と問い合わせました。(有り難いことに)答えは、問題なし、でした。私が親切と最大の敬意をもって扱われなかった瞬間は全くなかった
個人的に学んだ経験のうちで最大のものは、他人の手に自分を完全に委ねることでした。毎朝、地下鉄や電車や車でどうなるか判らない場所へ行くのです。一ヶ月というもの、実際上、私は自分で意志決定をしませんでした。自分で自分をコントロールすることに慣れている人間にとって、一ヶ月間もそのコントロールを放棄することは、良い学習経験です。GSEは、メンバー一人一人を慣れ親しんだものでない環境に置きます。これこそ、人を個人的に成長させる領域なのです。快適でない状況にメンバーが対処し、成長して行くのを私は観察しました。私はまた、多くのエリアで自分自身が試され、GSEの結果として成長したと思っています。私たちは、チームとして大変ラッキーでした。と言うのも、2660地区チームとの親密な関係を発展できたからです。私たちは大阪でもカナダでも一緒に過ごす時間を持ちました。私たちのチーム内部ばかりでなく、2660地区チームとも、一生続く友情を確立できたと信じています。電子通信時代は、世界をどんどん小さくしています。カナダに帰ってから、大阪から少なくとも一つの電子メールを受け取らなかった日は、殆どありません。帰国してから 、二人の新しい友人の訪問を受けています。私は、自分が新しい友人のもとへ会いに行き、カナダへもさらに多くの訪問があることを疑いません。この「贈り物」をロータリーに感謝したいと思います。
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リオ・アライ(オークヴィルノースRC推薦)
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日本の大阪とのGSEは信じられないくらいの体験でした!4週間という短期間で、私たちのチームは、日本の文化、ビジネス習慣、伝統、食べ物そして日常生活についての強力な印象を受けました。以下は私の最終報告です。 ロータリーについての、私の第一印象は、私が8歳で、所属していた日本舞踊の団体が、トロントのユダヤコミュニティセンターで開かれたロータリーミーティングに出演するよう依頼を受けたときのものです。母がロータリーはビジネスマンのための閉鎖的な(そして権威のある)クラブだよと話してくれました。もっと最近の経験は、私の親しい友達が、ロータリー入会の勧誘を受けたことです。彼女はそれ以来、毎週の例会や資金集めの活動について、私に話してくれます。 GSEのことを初めて知ったのは、地域の新聞、オークヴィル・ビーバーに掲載された広告からでした。この広告はGSEについて説明していて、行き先が日本であることで嬉しくなりました。私は即座にロータリアンの友人に電話を掛け、彼女はさらに詳しく、このプログラムのことを説明してくれました。GSEの委員長のノーマ・ギャンブルにも電話しました。彼女はこのプログラムについての知識をさらに与えてくれ、応募手続きの概略を教えてくれました。このプログラムの諸費用は、すべて支払ってもらえることが分かり大変に興奮しました。というのは、自費では4週間も日本旅行をする余裕が絶対にないからです。 選考の日は、その過程は興味深かったのですが、大変に疲れました。自分の業界以外の若い職業人に会い、話しをすることを楽しみました。みんながユニークな、また興味深いバックグラウンドを持っていました。資格十分の若者がこんなに多くいるのだから、私がこのプログラムに参加できることはない、とあきらめました。その晩、リーダーのキャシー・スミスから私が選ばれたことを聞いて、大変驚きました。 旅行の準備は、集中的に行われました。ほとんど毎土曜日に集まり、4〜7時間を過ごしました。このミーティングの目的は、日本語のレッスン、グループとしてのプレゼンテーション、パンフレット、名刺、ギフトの準備とユニフォームの決定でした。国際ロータリーの日本語研修予算に限界のあることは知っていますが、先生の側に研修の内容も、その準備も欠けているのには失望しました。また、私たちのグループがミーティング中、いつも目標に向かっていたわけでないと感じました。時には話題が脇道にそれて、大切な土曜日の時間を空費しました。ミーティングの良かった点は、旅行前に多くの時間を一緒に過ごしたので、それからの4週間を共にする以前にお互いをかなりよく知り合いになれたことです。 日程および旅のアレンジは、この旅行を通じて、よくオーガナイズさていました。日程には特に感銘を受けました。それはロータリーの例会、会社訪問、職業研修および観光が完璧にミックスされていました。日程は集中的なものではありましたが、私たちは4週間という短期間で日本の多くの面を体験することができました。毎週土曜日にホテルで休息の一夜を過ごせたのは幸運でした。スケジュールが非常に密でしたから、忙しかった1週間から解放され、次の週に備えるために、ホテル滞在が楽しみになりました。 GSEで私が好きだったのは、ホームステイ、会社訪問そして職業研修でした。私たちは、それぞれ一家庭に一週間ずつ滞在しました。一家の一員になって、日常生活に加わることを特に楽しみました。家族という単位をのぞき見て、その独特の活力に触れることができました。それはカナダの家庭とは非常に異なっています。 日系カナダ人の三世として、これまでの人生で日本語と日本文化を経験してきました。 また、これまでに日本を2回、訪問しています。一回目は15歳の交換学生として三週間、二回目は日本政府がスポンサーのJETプログラムでのAETとして一年間の滞在です。これらの経験は、日本語と日本の文化を理解しコミュニケーションを図るのに役立ったと信じています。英語の練習をしようとしているのでない限り、ホスト家庭の家族とは常に日本語で話しをしました。そのため、挨拶的な会話の域を越えて、奥深いディスカッションができたと思います。それは見合い結婚、家庭における父親および母親の役割、料理のレッスン、お茶会などの理解、子供に対する両親の期待、文化、社会、隣人、社会的な不文律などです。複雑な日本社会を理解し、よりよく学ぶために、以前の訪問は、しっかりとした基礎を提供してくれました。 このGSE交換は、スケジュールが教育的であり、また文化的である点で以前の訪問とは異なっています。いろんな会社訪問には魅惑されました。大阪ウォーターフロント開発会社(海遊館)、松下電器の技術館、三洋電機の枚方中央研究所、ダイハツ自動車、明石海峡大橋(世界最長の吊り橋)、竹中工務店。どの訪問でも幹部の方からの公式プレゼンテーションがあり、自分の関心領域について質問することができました。マーケティングや広告の分野は、カナダのやり方と全く異なっていました。 職業研修での訪問も楽しみました。私はトロントのスカイドームで働いていますから、大阪ドームへの訪問にはスリルを覚えました。まる一日をゼネラルマネジャーと一緒に過ごしました。この訪問は最もインフォーマティブなものであり、通訳は優秀で、両者の情報コミュニケーションは完璧でした。私の他の訪問も同様に興味深いものでした。広告の電通(日本最大の広告代理店)、宝塚歌劇、ミキハウス(ギャップによく似た衣料品店)それからユニバーサルスタジオ・ジャパンの本部です。 私たちのチームは、ツーリストを惹きつける主要な観光スポットも楽しみました。水族館の「海遊館」、でんでんタウン(エレクトロニクス地域)、奈良、京都、広島です。これらの場所へは、別々のロータリークラブがホストになって下さいました。いろんなロータリアンに会い、一日を過ごすのを特に楽しみました。みんな、とても親切でした! 大阪地区のいろんなロータリークラブで多くのプレゼンテーションをしました。非常に多くのロータリアンにお会いし、カナダを訪問すれば何が体験できるかの知識を共有しました。いつも誇りを持って、カナダと私たちのロータリー地区のプロモーションのためのプレゼンテーションを行いました。この人たちが、私たちが日本という素晴らしい国について学んだのと同じように、私たちの素晴らしい国について学んで頂ければ嬉しいのですが。 このGSE交換は、全体として、信じられないほどの体験でした。これからも決して忘れることはありません。私たちのチームは、この旅行を通じて結ばれ、これから続く友情が楽しみです。終わりにあたって、国際ロータリーにこの素晴らしいプログラムを感謝したいと思います。ロータリーの夢が現実のものになったのですから! | |
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デニス・フラミング(ケンブリッジ・サンライズRC推薦)
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概観 1999年3月18日から4月18日まで、日本の大阪地区で参加したGSEプログラムは、豊かで実り多い経験に満ちていました。第7080地区(カナダ、オンタリオ)から派遣された私たちのチームは、大阪地区の多くのロータリークラブによって組織され、大変充実したスケジュールをエンジョイしました。
私の職業研修訪問は、私の仕事と関連が密で、大変役立つものでした。私は地方政府の食品産業コンサルタントとして働いていますので、日本の田舎を一日かけて旅行したり、8つの農業と食品関係の組織や会社を訪問できたことは大いに楽しい出来事でした。
私の二つのホスト家庭に対し、私がどんなに感謝し、有り難く思っているかということを、うまく言い表すのは困難です。彼らの目を通して日本を経験し、初めて会った時から家族の一員のように扱って頂いたことは、大阪へのGSE旅行であきらかに最も素晴らしく、また最も記憶に残る出来事でした。
GSEの中で、もっとも魅力的なことは、日本の人たちの文化や日常生活を深く体験できたことです。どの日も驚きに満ちていました。ロータリアンによるホスト家庭への出迎え、あるいは電車に乗って都心のホテルへ行き、他のチームメンバーと合流することから毎日が始まりました。
終わりに
私は、カナダから日本への親善大使チームの一員になって、恵まれたと感じています。 | |
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ヴァネッサ・カトー(オークヴィルRC推薦)
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日本に向けて出発したとき、この交換は大きな成長の機会であり、新しい文化を体験し、また自分自身についても学ぶ機会でもあることを認識していました。私が認識していなかったのは、その体験が、どんなに信じがたいものであるかということでした。ビジネスのトップの意志決定者に毎日のようにお会いしたり、日本の文化遺産を味わうためにカギとなる場所を訪問したり、日本の家庭生活を豊かに経験したり、私たち自身のチームや日本でできた新しい友達との絆や友情を大きく育てることができたのです。私たちの地区のGSE委員会、ホストGSE委員会そしてこの交換を計画し参加した全てのロータリアンのサポートのおかげで、最初から最後まで旋風のような活動がもたらされたのでした。この体験は一生に一度の経験で、その思い出を一生大事にして行きたいと考えています。特に申し上げたいのは、私たちの素敵な友達、松岡茂雄GSE委員長(ガジェットさん)のことで、彼は私たちのために信じがたいほど優れた、これからの新しいスタンダードになるような体験を用意してくれました。
それは、1998年秋、グレアム夫妻が電話でロータリーのGSEプログラムにについて説明し、興味があるかと訊ねてくれた時に始まりました。グレアム夫妻とは、ロータリーの目的、私の生涯設計に対するGSEの価値などを最初に話し合い、非常に楽しく、また真に価値のある学習体験が開始されたのです。
日本人への尊敬を表すために、交換に先立って、できるだけ日本の文化を勉強したのは、大変に重要なことでした。出席したロータリーのどの例会でも、私たちが最初のセンテンスを日本語で話すと、熱狂的な拍手を受けました。私のホスト家庭は、私が食前・食後の感謝を述べたり、箸を使い、また共通の皿からとるときは箸のきれいな方を使う(家では必要ないとみんなに言われましたが)のを見て大変喜びました。私の話す日本語はどんなに分かりづらくても、いつも笑顔で迎えられました。(子供たちはくすくす笑いました)日本文化について知っていることを披露するときは誇らしい気がしました。私たちの努力は大いに歓迎されたのです。
ホスト家庭での滞在は、この交換をユニークで思い出深いものにしてくれます。ホスト家庭は、素晴らしいお世話を私たちにして頂きました。彼らは日本についての見解を私たちに述べ、カナダのことも熱心に知りたがりました。彼らはまるまる一週間、自分の日常生活を乱して、定められた集合場所へ時間通りに(大変重要)連れて行き、また連れて帰り、毎晩おいしい伝統的な日本料理を提供してくれました。私が自分だけで行動したいと申し出たときは、そうさせてくれましたが、こうすると大阪(いつも活動的)の複雑さが身にしみて分かるのでした。もっとも重要なことは、ホスト家庭が、私たちを本当に歓迎していると感じさせてくれたことでした。私たちは生活を比べあいながら、おしゃべりし、くすくす笑いました。
<職業研修日>
私の職業は金融関係です。住友銀行、野村証券、大阪証券取引所、松下電器、大阪商工会議所、ビジネス・デザイン社そしてユニバーサルスタジオ・ジャパン。金融サービスという、かなりクローズドな産業なのに、信じられないくらいのラインアップでした。
<文化研修日>
私たちの交換は、ビジネスと文化そしてロータリー例会が完璧にミックスされていました。
<日本の列車のシステム>
日本の文化では時間厳守が重要であることに驚きました。それは列車のシステムに一番よく現れています。私は毎日、仕事でオークヴィルからトロントへ通勤しているのですが、この日本の列車運行システムをオンタリオに持参して帰れたらと思います。一ヶ月の滞在中、どの電車も信じられないくらい時刻表通りに到着しました。それも秒単位で。
<テクノロジー> テクノロジーのリーダーシップに触れずに日本について語ることはできません。サンヨーの研究所、松下電器、でんでんタウンを訪れて、カナダではこれからも長くお目にかかりそうもない、エキサイティングな新技術を見ました。スクリーン付きの携帯電話、CDに取って代わる小さなMD。DVDは小さなディスクに映画が数本は入り、ビデオの5分の1のサイズの機械で再生できます。カナダの電気店は競争相手から離れた場所に店を構えるのに対し、でんでんタウンは数ブロックにわたって、水平にも垂直にも電気店だけが集合しています。それは大した光景でした。
この交換は、真に一生一度の体験です。自分の職業が新しい国ではどうなっているかを経験でき、その国のビジネスや政府についての包括的な知識が得られ、歴史上の名所や豊かな文化的施設を訪問できるのです。私たちの訪問のタイミングは完璧で、カナダではまだシーズン最後の降雪の時期に美しいサクラの満開を楽しむことができました。(ロータリーでなく)自分で旅行しているのなら、絶対不可能な楽しい活動、たとえば大相撲見物、プライベートクラブでのゴルフができました。
<文化について学んだこと>
あって当然のように思っていることが、それがないとどうなるかを見て初めて認識できるものです。この交換で、我々の社会では女性に利用可能な機会が多くあり、また、キャリヤーを追求する女性をサポートするインフラストラクチャーに恵まれていることを認識させられました。
<私が日本で最も楽しんだこと>
言葉!私にとって、文字、それも3セットあるものに由来する言語に接触する初めての機会でした。サイン類が全く読めない国で暮らすのは信じられない体験です。もし、フランスへ旅行したとすれば、フランス語のサインを理解できないかも知れませんが、読むことはできます。象形文字由来の言語表記では、その読むことすらできないのです。
最後に、いつも記憶に鮮明な大変特別な瞬間についてお話ししましょう。京都の竜安寺を訪問したときのこと。茶室の「つくばい」の手洗い石にあったユニークな刻印、「吾ただ足るを知る」に出会いました。禅の哲学に極めて重要なこのコンセプトは、このように拡大解釈できます。「満足を知る人は精神的に豊かであり、満足することを学ばない人は、たとえ物質的に豊かでも精神的には貧困である。」
・ ほとんどの家は断熱がよくありません。それは主として、大変暑く湿度の高い夏に、家の中への風通しを良くしたいと思うからです。寒い気候になると部屋は個別にスペースヒーターで暖房されます。これは主な部屋は大変暖かいのに、ホール廊下は大変寒いということを意味します。トイレの便座を温めることが重要です。ある家庭では食卓の下のマットが(薄い電気毛布のように)温められていました。多くの家庭では、テレビルームの中央にテーブルがあり、その下の床の凹みが暖房されていました。テーブルからは毛布が垂れ下がり、暖かさを保ちます。
<浴室とトイレ>
・ トイレと浴室は分かれています。多くのトイレには暖房便座があり、コンピュータがビデとシャワー、温風を制御しています。小さくてタンクをおけないトイレは、水が背後からフラッシュする方式があります。
<台所>
・ 冷蔵庫はしばしば4ドアで、肉や野菜が異なった温度で保存できるよう、小部屋に分かれています。
<食べ物>
<ビジネス>
・ チップは不要です!
<面白いこと>
・ エレベーター付きで何階にもなった駐車場を見ました。土地が限られているからでしょう。 | |
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アキラ・ピープルズ(ミシソーガRC推薦)
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“一生一度の機会”
日本の有名な諺に、「入りやすいものは出やすい」(訳注:悪銭身に付かず)があります。
一般的な観察 ホスピタリティ ロータリーのホストは、私たちのGSEチームに対して、日本とそのカルチャーの最善の部分を見せようと強く思っていることが、ほとんど直ちに分かりました。空港で心から歓迎され、ホテル・ニューオータニにエスコートされましたが、これはマロニー氏が首相だった時滞在したホテルでした。このホテルは美しく、私たちにとって家から離れた家になりました。というのも、ホームステイの狭間に、幸運にも毎週末このホテルに滞在できたからです。ホテル滞在は、私たちのバッテリーを充電し、グループとしてチームがまとまる機会を与えてくれました。そのとき以来、ベストのレストランでの食事、運転手付きの車、トップクラスのサービス、細部にわたるケアが、私たちのニードのすべてを満たしてくれました。日本のロータリアンは、彼らの国のベストの部分をゲストに示し、費用を惜しまず、このGSE体験を快適で、価値があり、実り多いものにしてくれました。
感覚のオーバーヒート 私は、世界中のいろんな興味深い場所を旅しましたが、感覚のオーバーヒートを感じたことは決してありませんでした。この国は、知らない風景、音、肌合い、味覚、匂いに満ちています。私は生まれて初めて、街頭のサイン、メニューお店のショーウインドーで何が書いてあるのか少しも分からず、文盲であることはどんな感じがするものなのかを体験しました。私が旅をしたのは、アルファベットに基づいた言語の国に限られていましたから、少なくとも何が書いてあるのか推測ができていたのです。日本語は文字(平仮名、カタカナ、漢字)がベースで、4000以上の字が含まれています。短期間に書き言葉を多く習得することは、ほとんど不可能です。この感覚のオーバーヒートは、私たちのチームが絶えず疲れた感じを持った主たる原因と信じます。
日常生活
日本の人たちは、いつも早く集まります。少なくとも定刻15分前に。電車は奇妙な時間に出発します。(例えば午前10時23分とか、午後5時17分)それも分単位に正確で、ぐずぐずしていません。即座に出発です。人は目的を持って早く歩きます。私は、カナダ人としては歩くのが早いほうですが、それでも大阪の人たちに付いて行くのに走ることがしばしばありました。彼らは世界で2番目に足の速い人たちです。(1番は東京人ですが!)道路の交差点には大きなデジタルのサインがあり、歩行者に青信号で渡れるまであと何秒かを60秒の範囲内でカウントダウンしています!
食べ物 日本の食事はカナダの食事より、ずっとヘルシーです。日本人は魚を多く食べ、肉は少なく、野菜は多く食べます。一般的に脂肪や炭水化物は少なく、チーズやミルクもほとんど食べません。私は生まれて初めて食べたものが多くあります。くらげ、あわび、生の小烏賊、生肉、うにです。私は新しい味覚も発見しました。紅葉おろし、ポン酢、そして納豆さえも。前の2つは風味のあるソースで、私はとても好きになりました。あとのものは、発酵した大豆で、これはもう食べなくてもかまいません!私は寿司をエンジョイしましたが、3週目になると北アメリカ風の食事がほしくなりました。有り難いことに、ホスト家庭はこのことを予期していたようでした。
清潔さ 着いた早々から、大阪が大変クリーンな場所であることに気づきました。公共の場所に生ゴミが落ちていたことはありません。壁の落書きもありません。これは人口が密で、スペースが限られているのを考えると驚くべきことです。地下鉄の駅に従業員が掃除機をかけていたのには全くビックリしました!
安全
私はいつも、大阪は安全だと感じました。非常に小さい子供が何の心配もなく、一人で地下鉄に乗っているのを見て驚きました。身の回りのものが無くなる心配は全くしませんでした。日本で何かを無くしたら、忘れた場所に戻ってみると、おそらくそこにあるでしょうと教わりました。
家族が社会の要 日本では家族というユニットの強さを印象づけられました。若い世代が反抗する心配はあるのですが、家族が社会の要になっていることはたやすく見て取れます。上役や目上の人への尊敬はごく普通で、これは日本のカルチャーの大変特別な特徴であると思います。この分野では、カナダ人は日本の友人から学ぶことができます。
労働倫理、ビジネス習慣、職場 大阪に対する私の第一印象は空港からホテルまでの道のりで得たものでした。金曜日の夜7時30分というのに、高速道路周辺のオフィスビル(“空中のお金”とホスト家庭はいっていました)は、まだ働いている人で一杯でした。明らかに、残業が期待され、それが労働のノーマルな部分となっています。雇用、被雇用の関係は、カナダとは明らかに異なります。この関係は終身の間続くと期待されています。転職、転社はありません。労働者が会社を辞めれば、どこかで別の仕事を得ようとしても忠誠心が疑われます。忠誠心は、労働倫理の中に組み込まれているのです。給料、特典、休暇やその他のことは標準化され、契約はないのです。被雇用者は志願して昇進するのではありません。彼らは任命されるのです。ですから彼らは仕事で(能力を)証明せねばなりません。その結果、レストランやお店のサービスは通常優秀です。
明らかに、大変印象的でした。ほとんどの車には衛星利用のカーナビとテレビが付いています。非常に小さい携帯電話は、どこにでもあります。(ローティーンにまで激しい売り込み)コンピュータ、ノートパソコンはカナダの半分のサイズです。テレビは数センチの厚さで、駐車場はコンピュータ化され無人。駐車スペースへの出し入れはロボット化されているものもあります。リビングルームにいて、ボタンを一押しすると、浴槽には自動的に、適温のお湯が適量に満たされます。(浴槽使用後もお湯の量と温度は自動的に保たれます)このリストは、どこまでも続いたとしても不思議ではありません。
贈り物の習慣 圧倒的です!他に言いようがありません。日本文化に欠くことのできない要素です。私たちは、この親切さにお返しができることを喜びました。
ホームステイ
私にとって、この冒険で最も記憶に残る部分は、(ホームステイという)個人的な体験です。毎週違った一つの家族のもとで、日曜から土曜までを過ごし、週末はデラックスなホテルでリラックスできて幸運でした。
職業研修
職業に就いて間もないころ、私は高校の担任教師をしていました。そのとき、日本人の生徒を多く教えましたが、いつも彼らは勉強熱心なのに感心していました。この旅行で、彼らがなぜ、学業にいそしむのか、そのルーツが理解できました。
この次来るなら
サクラ、サクラ
準備時間
旅行鞄、衣服その他
してはいけなかったこと
誰にも寿司?
賞賛また賞賛
直ちにノートをとる
自分の市やスポンサークラブからのメッセージを持参
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ
正直は最良の策
現実に返る
郷に入っては郷に従え
帰国してから
ここからどこへ | |
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