6)ヘンク・フェーンベルゲン(チームリーダー)による一般的な印象

準備を十分整え、ソウル経由のフライトを終えて、我々の冒険は始まりました。チームリーダーは、以前この国で働いた経験があり、驚きは減殺されていましたが、チーム員のすべてにとっては絶対的なチャレンジでした。というのも日本の文化、習慣は非常に特殊だからです。空港では大阪のGSE委員会のほぼ全メンバーが出迎えてくれました。大変温かい歓迎で、我々は初めて、日本式の名刺交換の儀式を行いました。

大阪地区がこのような長期間の交換をするのは初めてで(訳注:誤解、過去数回あった)、彼らはこの5週間以上に亘る期間中の5つのホスト家庭を選んでくれました。週末はチーム全員がホテルニューオータニに宿泊させてもらいました。これは五つ星ホテルです。これは片方では、特別 の贅沢でしたが、また一方では非常に賢明な決定であることが分かりました。親しい雰囲気の中で、狂乱的な1週間を過ごした後、元気回復する機会を与えられたのです。またこの際に、それぞれの体験を話し合い、評価する時間を得ました。関係者全てがどんなに熱心かを発見する度に感激しました。食事の仕方が異なり、習慣も異なり、生活様式も異なりましたが、ホスト家庭、職業研修日の体験、個々のロータリークラブ訪問、いろんなパーティ、多くのプレゼンテーションは温かいものでした。プログラムは非常に良くできていたので、批判的な評価を下すことは、滅多にありませんでした。

このパラグラフでは、いくつかの話題と体験について話たいと思います。完全であろうとは思いません。それは膨大になりすぎるでしょう。プログラム全体については、付録3を見てください。大阪地区の人たちが、素晴らしいプログラムを我々に提供するために、どんなに努力してくれたかが分かります。

このプログラムを特徴づけるものは、“さくら”でした。この時期、プルーン(すもも)タイプの樹木は花を咲かせ始めます。その数は、とても数え切れたものではありません。日本人は大変喜んで、一日中“さくら”を話題にしています。週末には、花を咲かせている公園の桜の木の下に場所をとり、そこで一日中食べたり、飲んだり、話をします。素晴らしい現象です。これはまた、日本の食料ナンバーワン、お米の田植えの始まる時期でもあります。これが日本の社会にどんなインパクトを持っているのかを、毎年、何年にも亘って、日本に帰ってきて、個人的に感じる必要があります。

確かに、最初はプログラムが非常にハードでしたが、だんだんリラックスしたものになりました。チームは退屈することがなく、すべての瞬間、すべてのハイライトを楽しみました。最初のうちは、先に述べたように日常生活の非常な特殊性に対処しなければなりませんでした。狭い街路、日本の文字、日常着物を着ている人、マスク、整然とした交通 、非常に正確でいろんな会社が運営する鉄道交通、お辞儀して挨拶する習慣、素晴らしい人たち、きれいな店、パチンコ、非常な物価高、ハイテクの発展、食べ物、日常生活で社会の欠くべからざる一部となっている神社仏閣など。最初の大きなイベントの一つは、巨大な大相撲のパーフォーマンスに参加できたことでした。日本人ですら、多くの人が相撲を生で見る経験がありません。入場料が極端に高いからです。大阪市役所を訪問してこの都市の市長にあった体験はどうでしょう!ワールドトレードセンター、海遊館、アサヒビール、朝日新聞、フランスのガラス専門家ガレの興味深い展示をしていたサントリー美術館、著名なオーストリア人フンデルトヴァッサーがデザインした新しいゴミ焼却場。近郊都市の奈良、京都も訪れました。その際だった目印はもちろん、木造の東大寺のような多くの古いお寺、そして神社です。それらは、何世紀にも亘って、神道と仏教が平和的に共存してきた印象を与えます。

ヒロシマは「じっくり考える」機会を与えてくれます。原爆ドームや記念碑は起こった大惨事の静かな証人です。その傍にある博物館(平和記念資料館)は、1945年8月6日に何が事実として起こったかを感銘深い方法で展示しています。若い世代がグループやクラス単位 でこの地に折り鶴の輪を持参し、モニュメントの前に置くことで、この悲劇の思い出は新たにされています。

温泉を経験し、マッサージを受け、畳の上に座って良い料理を食べ、カラオケを楽しみ、巨大なローラーコースターのある遊園地で遊び、オープンしたばかりのユニバーサル・スタジオを訪問、これらはチームを楽しませたことの一部でした。この設定を我々は大いに楽しみました。

受入に関係したロータリークラブの多くを訪問しました。その度に、我々はある種の格式と拍手で歓迎されました。一つの例外もなく、日本、オランダ、ロータリー旗が正面 に掲げられ、起立して我々全てが国歌を唱いました。その上、多くの場合、ロータリーソングが時には立って手をつないで唱われました。ミーティングの最中に、すごいご馳走が供されました。もちろん多くの場合、魚料理で、芸術的な盛りつけでした。多くの場合、人目を惹くものでした。

どの場合も、プレゼンテーションの機会がフルに与えられました。数回すると、チームは非常に熟練しました。先に述べたように、いつも日本語の通訳がついていました。

我々のホスト家庭は、どの家庭も、我々が非常に歓迎されている感じを与えるためにベストをつくしてくれました。大きな問題は何もありませんでした。多くの種類の食事が供され、その質の高さに関して言えば、それが必ずしも日常の食事ではないのではないかとの印象を、一度ならず受けた次第でした。オランダの食事と非常に違っていましたが、我々はそれを非常に楽しみました。最初のうちホスト家庭は、集合場所(多くの場合は鉄道の中央口)への送り迎えをしてくれました。外国からきた人間にとって、交通 はかなり複雑ですが、しばらくするうちに、自分たちで行くことを許してくれました。必要なチケットをもらい、もし問題が起きれば、支給された携帯電話でコミュニケーションできました。申し上げた通 り、苦情をいうことは何もありませんでした。