日本は、多くの人にとって夢の国であり、また、そうであり続けます。日本は世界最大の経済の一つでありながら、非常に例外的な文化を持ち、その文化に毎日直面することは、多くの人にとって大きなチャレンジであります。今日では距離の問題は超えられないものではありません。他方、円高は多くの人に、日本への旅行を阻んでいます。ですから、ロータリーが有名なGSEを通じて若い人に、ほとんど6週間に亘って日本とその住人を知る旅行を可能にしていることは大変に特別なことなのです。そのこと自体ですでに非常に例外的な経験です。
永年の間、この国は非常に閉じた社会でした。その歴史時代にオランダは出島を通じて日本と交易する特別 な役を通商国の一つとして持っていました。最近2000年には両国は通商400年を祝いました。文化交流、宣言、通 商使節、日本の天皇とオランダの皇太子の相互訪問などは、この昔からの通商関係が再び緊密となった理由となりました。永年に亘り、オランダの通 商艦隊は日本にとって外界に開いた窓でした。もちろん、このことは日本社会に深い影響を与えました。その場所で、GSEチームはオランダの治水技術者に捧げられた博物館、当時のオランダ医学の知識を得るためのオランダ語学校跡を目のあたりにしました。そのオランダ医学の知識により、毎年多くの死者を出していたコレラが抑制されたのでした。困難な状況下で(日本社会の保守的な層が反対しました)著名なオランダ人がオランダ語を教えました。今日でも日本語の中にオランダ語に由来する言葉を見つけることができます。これは、何世紀以上に亘って重要な痕跡を残した通 商関係の証明でもあります。ロータリークラブや企業を訪問したいろんな機会で、このことが何度となく強調されました。
GSEがこんなにも特別なのは、若い人たちが職業研修を通じ、それぞれの専門分野における日本の経験と発展について知識を得ることを可能にするからであります。現在の所、話言葉も書き言葉も問題なのは事実です。日本人の多くは英語が流暢ではありません。2660地区ロータリーはこの問題を全ての場合に通訳を用意することで解決してくれました。
先述したように大阪地区(2660地区)が我々の最終目的地でした。大阪は本州の中で二番目に大きい都市で、以前は日本のベニスとして知られ、多くの商業活動とこの国最大級の港湾があります。ここからあまり遠くないところに奈良や京都のような非常に興味深い場所があります。これらの都市は古代文化(お寺や神社)で有名です。我々のプログラムはこの報告書の別 の部分で記載しますが、全ての予想を上回ったハイライトを述べているに過ぎません。関与されたロータリアンやホスト家庭の献身ぶりは感銘深いものでした。日本の若者達がオランダの習慣、慣習に殆ど我々と同様に直面 していることを知ったのは、チームとしての我々にとって良いことでした。オランダの1560地区はそれらのことについて責任があります。このような交換の主な目的の一つは、また、相互理解の改善であります。このことに何回も言及され、この大義が十分かなえられたことを経験が答えています。
一生を通じての友情が生じ、この日出ずる国への訪問機会が増加します。事実、我々のホスト家庭の男女はオランダ訪問がより容易になるでしょう。その最初の人たちはすでにオランダで歓迎を受けました。
日本、大阪の2660地区とオランダの1560地区との交換は多くの方法で、一般に公示されました。それは2000年の夏と秋に地方新聞を通じて行われ、もちろんGSE委員会のイニシャティブで関係ロータリークラブを通じても行われました。全体で24人の応募があり、事前審査で14人が残りました。この14人が最終選考に参加出来ました。選考は2000年11月11日でした。5人の若者を規定の基準で選ぶことは委員会にとってやさしい仕事ではありませんでした。候補者の潜在能力が極めて高いことが最終的に判明し、第二のチームをたやすく編成できたほどでした。日本への旅行は2001年3月23日から4月30日と計画されました。
選抜されたのは以下の人たちです。
レナーテ・ベルグマン
マルコ・エルート
マーヨ・エヴァース
ロナルド・ファン・リーンデン
マルチナ・モレンディク
補欠 リアーネ・ファン・シューンホーフェン
チーム・リーダー ヘンク・フェーンベルゲン
日本行きの候補者を知って後、チームリーダーは、10回に及ぶミーティングの第1回目を開催しました。グループ内にある種の結束を作り出すことがもちろん重要でした。最初から(補欠の)リアーネ・ファン・シューンホーフェンもずっと参加しました。彼女は出発直前まで十分に役を果たし、チームメンバーとチーム・リーダーは、このことを十分尊重しました。
我々は一緒になって、必要な物のリストをつくりました。まず、GSEハンドブックに則って必要事項をフォームに書き込みました。さらに、我々の、企業や諸機関、ロータリークラブ訪問の最後に手渡す感謝状及び名刺の準備に注意を多く払いました。適切なユニフォームの選定にも努力を払い、もちろん、いろんなロータリークラブ訪問の中でのプレゼンテーションにも神経を払いました。現実の問題は、チーム全体として15分しか割り当てられていないことでした。というのも、日本語への通訳のための時間が必要だったからです。我々の社会を反映する5つの重要な項目が決定されました。それは次の通りです。
1.地理
2.経済と輸出
3.歴史と芸術
4.立憲君主制と政府
5.余暇の過ごし方
これらプレゼンテーションのすべてをパワーポイントでサポートしました。 個人の名刺には、日本の文字も印刷しました。
日本の風俗習慣についてのオリエンテーションも数回行いました。オランダに永年住んでいる日本人を囲んで、情報の夕べを開きました。最後はホスト家庭への適切なお土産を見つけることを考えねばなりませんでした。航空券はRitsが準備してくれました。これはアメリカのエヴァンストンで、適切にしかも早く手配されました。コミュニケーションは主として電子メールで行われました。チームリーダーと日本のコーディネーターとの間のコンタクトは全て電子メールでした。2660地区のGSEコーディネーターの松岡茂雄さん、GSE委員会委員長の野村浩司さんは、悪く行きそうなことを避けるため、できることは何でもしてくれました。フランス人はこれをシャポー(訳注:コンドーム?)と言います。我々の交信は何度にも及び、大変楽しいものでした。私は、いまだにこの時期のことを思い出します。彼らは、大いに歓迎されているという印象を我々に与えるため最大限の努力をしました。チームはその職業研修日に訪問したい企業や諸機関に関する要望を事前に伝えるチャンスを得ました。我々はこの機会を喜んで利用しました。チームが集まる場所や責任者はその都度変わりました。これは環境が変わってもチームがお互いにより良く知り合える機会をもたらしました。準備は計画通 り進行しました。最後に、チームリーダーのホームクラブで、GSE委員長のハンス・ハフマンスの面 前でプレゼンテーションの予行演習をしました。