団長・(株)修英代表取締役(枚方くずはRC会員)
2001年4月21日〜5月27日 訪問先のオランダ(D-1560)において、平井拓巳君を中心に団員が一致団結して作成したプレゼンテーションが大好評で、ホスト・クラブのロータリアンは勿論のこと、参加された家族、地区関係者にも高い評価を頂けたことをご報告しておきます。
また、職業研修、各種研修、見学、様々な意見交換でも、団員の真摯で積極性溢れる姿勢が共感を呼びました。そして、持参したバッグには入りきらない程たくさんの人々の友情と研修成果 を携えて、長くて短かった5週間の研修を終了、6名全員が5月27日に元気で帰国しました。
今回の訪問で得たオランダでの情報と体験を基に、独断と偏見で日蘭比較論を行い、帰国報告とさせていただきます。
1. 歴史的背景
あまり過去に遡るわけにいかないので、両国の交流が始まった西暦1600年に起点を置くことにする。その頃、日本は“関ヶ原の戦”で戦国時代に別 れをつげ、間もなく鎖国政策で200余年に及ぶ太平の江戸時代を謳歌する。一方、オランダはスペインとの80年戦争に勝利・独立して大航海時代の全盛期を迎え、世界の覇者として君臨する。
両国は全く正反対の道を進んだが、唯一の接点であった長崎の“出島”を通じて両国の通 商は継続された。200余年後の日本開国に際し、オランダから齎された西洋各国の情報で適切な対応をなし得た日本は、他のアジア諸国にみられる西洋列強国による植民地化から免れる原動力になったと云っても過言ではない。また、その間に齎されたオランダ文化、進歩した科学技術が日本に与えた影響は計り知れないものであった。
2. 地勢
日本は四方を海に囲まれ、起伏に富んだ火山列島であるのに対し、オランダは九州ほどの広さであるが、ほとんど起伏がなく平坦である。
オランダの国土は氷河期の洪積層が北海に向かって徐々に潜り込むところに、氷河や河川で運ばれた土砂が堆積してできた。ところが、紀元前700年頃から海の浸食作用が目立ち、海水が陸地に入り込んで湾や海水湖を創った。
一方で低い土地は度重なる河川の氾濫を受け続けた。産業、経済の発展に伴い増加する人口に対応するため、古くから国土拡大のため干拓により湖や海を陸に変える努力をしてきた。そのため、国土の約30%
が海面下にあり、20%以上は13世紀以降の干拓事業で創出された土地である。アイセル湖干拓のため1932年には
32kmの大堤防を完成させている。また、国土の約8%が河川、水路、運河が占めている。オランダ中に張り巡らされた運河、内陸水路は延べ
5000kmに及び、度重なる洪水の被害から学び続け、今なお如何に水を管理するかに心血を注いでいる。
3. 人口と人口密度
人口は日本の1億2千万人に対し1千6百万人足らずと比較にならないほど少ないが、国土が小さいために人口密度は日本338/平方kmにたいしてオランダ466/平方kmと逆転している。しかし、狭い平野部に人口が集中する日本に比べ、オランダの長閑な田園風景を眺めていると、人口密度はむしろ逆ではないかという錯覚に陥る。
4. 皇室と王室
日本の皇室とオランダの王室は時代的背景が全く異なるが、双方共に国の象徴として大多数の国民から敬愛の念で尊敬されているという点で、極めて似通 っている。オランダの王室は国民の関心が非常に高く、開放的でより多数の国民に慕われているようだ。それは現王室オラニエ・ナッサウ家が16世紀に国民と共に戦ってスペインからの独立を勝ち取った指導者オラニエル公ウィレムに端を発しているからにほかならない。
最後の訪問地となったアペルドーンの郊外に、ロイヤル・パレスがある。手入れの行き届いた庭園、宮殿内は王室が使用される時を除き一般
に開放され、年間管理費の半額を賄っている。帰国2日前には、宮殿の一室で催されたコンサートに招待していただき想い出の一ページとなった。
5. 経済情勢
戦後、驚異的な経済成長を遂げた日本は、バブルが弾けてその処理に悪戦苦闘する今日である。オランダはここ10年間、経済成長2〜4%、インフレ率2%で堅実な成長を続けている。そのために失業率も1994年の8%をピークに低下を始めて、現在は2%以下となっている。今後の予測はむずかしいが、現在は絶頂期であることに間違いはない。産業別 内訳では、国内総生産に対する比率が一次産業3%、二次産業39%、三次産業58%となっている。
農・牧畜国とは云いながら、その国民総生産に対する比率僅か3%と低い。しかし、輸出総額の約23%は農産物とその加工品が占めている。農業は貴重な輸出産業で、その輸出金額は、米国、フランスに次いで世界第3位 で、1/3が畜産品、1割が花・球根となっている。6割近くを占める三次産業は大航海時代からの伝統を引き継ぐ運輸、金融・保険業界で、世界的な活躍が際立っている。
6. 自由貿易立国
前項の経済情勢でも述べたように、両国共に国の豊かな繁栄を堅持するには、二次、三次産業の発展なしにはありえない。国際平和に貢献しながら自由貿易立国としてのみ繁栄が齎される。日本の二次産業に対し、オランダは三次産業がその主体を成している。オランダは金額的には、輸出の8割はEU向けで、米国向けは4%、日本向けは1%に過ぎない。
経済協力では、日本が世界の黒字国として群をくいているが、オランダも対GNP比0.8%で世界3位 、金額では同6位と健闘しており、かつ援助のほとんどが無償援助である。また、NGOによる援助活動も活発でODAの10%程度がNGOを通 じて実施されている。
7. 運輸産業
日本はそのほとんどが自国の輸出入、国内輸送のための運輸産業であるのに対して、オランダはハブ港、ハブ空港を起点に外国貨物の輸送に深く関わっている。
スキポール空港は滑走路が4本の大空港で、ロンドンのヒースロー、パリーのドゴール、ドイツのフランクフルトの各空港と共にヨーロッパのハブ空港の一角をなしている。それでもなお、手狭になってきたとして、アムステルダムから北北東、約40〜50kmのポルダー(人工島)に大空港建設計画を検討している。日本の空港計画と比較して、その先見性に感服する。
空港がスキポールなら、ロッテルダム港は貨物取扱量が世界一の港、そこに入港する貨物はオランダのみならず陸、海(水路)、空路を通 じてヨーロッパ全域に輸送される。また、ヨーロッパ各地から集積された貨物は船積みされ、世界の各地へ輸送されている。また、道路、鉄道およびライン川等を利用した内陸水路がヨーロッパ主要都市に縦横に延びており、EU域内の国際運送貨物の約4割はオランダ業者が取扱っている。
8. 農牧畜・漁業
数百年過去に遡れば、共に国民生活の糧は農業、牧畜業が中心であった。それに四方を海に囲まれた日本、北海やアイセル湖を有するオランダは漁業が盛んに行われた。現在では、日本が食料の大半を世界に依存しているのに対し、オランダでは農・牧畜で自給体制がとられ、畜産加工品は輸出製となっている。また、花やチューリップの球根も盛んに輸出されている。
英国に端を発した口蹄疫、狂牛病が、オランダ国内の4ヶ所(4月現在)で発生していた。確たる原因が不明で、予防法が確立されていないため、その規模は小さいが国民全体に深刻な心理的影響を与えている。そのため、好天に恵まれるハイシーズンにもかかわらず、空気感染をさけるために屋外に放牧されている家畜はごく僅かであった。お祭りムードで沸き立つ4月30日の“クインズ・ディー”は自粛された。
9. 義務教育と宗教
新設されたばかりの公立小学校を見学に行った。同じ敷地内で、宗教別に学校が区分されている。カトリック系、プロテスタント系、その他の3分校で、それぞれの施設の屋根が青色、赤色、黄色に色分けされている。それぞれの分校を見学したが生徒の態度、学習意欲にもかなりの差があるように感じた。親の教育姿勢や貧富の差に起因するものなのだろうか、よく分らない。
小学校の修学年齢は4〜12歳で、修業開始年齢が他の先進諸国よりも1〜2年早い、その理由は4歳になれば、ほとんどの児童は幼稚園や保育所に通 う。そうであれば、その年齢から公教育として扱ってしまおうというものである。道理に適っている。では、具体的にその教育内容はどうなっているのか。決して早期教育で知識の先取りをさせて英才を育てるためではなく、幼稚園や保育所と同様に遊びを中心にした集団生活体験型の内容となっている。
子供達の教育は、どこの国も共通の悩みを抱えているようだ。落ちこぼれ生徒と教師の問題であるが、対応の仕方にはかなりの差がある。まず、生徒については原因別 に大きく3分類されている。 @ 身体的ハンディキャップ、A家庭環境、B他国からの移民、である。
70市町村が一つの地域になっていて、その中に200校の小学校がある。200校の内、185校が普通 校で15校が特別校に設定されていて、グループ社会全体として特別校を活用して問題児童の対応が行われている。児童個々の様態に応じて、かなりきめ細かく対処されている印象を受けた。
教師についても、その地域内の学校で働く教師養成学校(日本の教育大学)がある。その学校の特色は18〜22、3歳の生徒と職場に就いている教師を定期的に、あるいは随意に再教育している。移民児童に対処するための語学教育にも取り組んでいる。
10. 天災との戦い
地震や台風といった自然災害の脅威にさらされている日本に対して、オランダは干拓で築いた低い土地が河川の増水や海水の侵入による水害の脅威を常に意識している。そのために国土全体の地下水をモニターして、水位 を安全領域に保つよう人為的にコントロールしている。
日本なら当然、国家機関がトータル管理するような水位コントロールを中小企業に属するボーリング会社が、その一翼を担っている。
11. 生活の豊かさ
生活の豊かさを何で計るかは、個人差もあり難しい問題であるが、それも独断で比較してみたい。
(1)個性的な個人住宅
平均的なオランダ人の生活設計は、まず一戸建ての自宅を持つこと、次に自宅の庭に樹木や花を植えること、そして三番目はペットを飼うことだそうである。勿論その前に、電化製品や自動車等がくるのは日本も同じである。
もっとも驚いたのは、都会、田舎にかかわらず一軒一軒の家屋が実に個性的で二軒と同じような家が見つからないことである。家の前後には必ず木々が植えられ、花壇がある。お陰で写 真を取り捲らなくてはならなかった。マンションでさえ、その周辺は樹木や花壇のスペースが十分に取ってある。土地の値段を聞いてみたが、国土の狭いオランダはさほど安いわけではない。家の造りが違うので長持ちするらしく、一部の新築以外はほとんどが古家で売買され、買った人が内部を改装して住むことが多いようだ。
ペット(ほとんどは犬)については実に良く訓練されている。野良犬は5週間の滞在中に一度も見かけたことがない。また、道路わきの専用サイクリング・ロードほど多くはないが、市街地に犬マークの看板が立っている犬専用の散歩道には驚かされた。
(2)憩いの森
朝夕には、市街地周辺の森にペットを連れて散歩に出かける人をたくさん見かける。森では、ペットを綱から離して自由に遊ばせているが、犬同士の喧嘩や人に対する危害はほとんどないらしい。その森が実に良く手入れされているので聞いてみた。日本なら当然、市有地であれば市の予算で、市が管理すると考えるのだが、オランダでは市民の寄付とボランティアで成り立っている。だから公徳心も高く、綺麗な森がいたるところに存在する。日本も是非とも見習いたい事である。
(3)質素な食事
日本は戦後の貧しい時代から経済成長に伴い、次第に豊かな食生活へと変わった。飽食の時代といわれて久しく、より美味しく高級な食物を追求してきた。口に合わないと自分で取った物でも、お金を出した物でもまずいとごく当然のように食べ残している。ところが、歴史の教訓から学んできたオランダの食文化は全く事情が違うようだ。まず、食物は生きるための糧であり、美味しさや贅沢は二の次である。特に食物の食べ残し、それも自分で取った物については絶対に残してはならないと感じさせられた。食事の前後は家庭でも、ロータリーでも暫しの黙祷で感謝を捧げるのが習慣となっている。
日本の現状を見るにつけ、壮年以上の思い出となりつつある戦後の苦しい食糧難の体験や食料の大半を外国からの輸入に依存している事実を再認識する必要を痛感した。
(4)家庭パーティー
田舎では、今も事あるごとに隣近所が集まり、寄り合いや飲み食いする機会はあると思うが、都市部ではめったに見かけなくなった。
オランダでは、ほとんどの家屋の造りが“家庭パーティー”用に出来ている。一階部分はダイニング・キッチンとリビングが占め、寝室等は二階以上に配置されている。多い時には数十人を越す客人をもてなすスペースが十分に確保されていて、今回の訪問でも随分とこの“家庭パーティー”のお世話になった。4月からは夏時間に入り一時間時計を進めるので、好天の日は午後9時過ぎまで明るい。室内よりも庭先や芝生の上でバーベキュウを楽しむことも多い。皆さんよく飲み、よく食べ、そしてよく喋る。地域社会や仲間同士のコミュニケーションの場として活用されている。
12. 公共施設
公共施設の充実は住民生活を豊かにする上で重要な役割を果たしている。
(1)博物館・美術館
近年は日本でも町おこしの一環として博物館を建設する市町村を見かけるが、オランダではほとんどの町や村に博物館や美術館がある。人口1600万人足らずで約1000館の博物館があると聞いて驚いた。今回の滞在中に訪れた地元博物館・美術館の数だけでも10館は下らない。古城を改装した『Huis
Bergh』や『Royal Palace』、干拓や大航海時代の歴史を伝える『ニューランド博物館』、『戦艦バタビア博物館』、室内装飾の『タイル博物館』、数百万本の貯蔵ワインと共にヨーロッパ各地のワインナーの歴史、製造法や用具等を展示している『ワイン博物館』、広々とした森林の中に自然とマッチするような彫刻が点在する『彫刻博物館』、17世紀頃からのオランダ農家や使用目的の異なる風車、古い街並みを再現した『オープン・エアー博物館』等々。それ以外のアムステルダム、ロッテロダム、ライデン等、今回見学した博物館だけでも20館を下らない。その何れもが取って付けたような代物ではなく、展示物が充実していること、入館料金が実に安い。
(2)図書館
図書館は日蘭共に各市町村には存在するし、移動図書館等の配備もされていて大差はない。また、コンピューター、TV、ビデオ等の発達で若者の読書離れが進んでいることも同様である。オランダではテープ、CD、ビデオ等の貸し出しも公共図書館でおこなっていて、その内容も豊富で人気が高いようだ。
(3)コンサート・ホール
人口数万人の街にしては、日本ではとても考えられない施設、内容である。老若男女、様々な楽器、グループレッスン、個人レッスン、それに対応出来る施設、その音響効果
もなかなかのものである。 小、中、高生のオーケストラ練習に二人の大人が、それも現役を引退した年齢で子供たちと一緒になって、指揮者から注意を受けながら必死でチェロの演奏をしている姿は実に微笑ましい。
(4)スポーツ施設
日本のように専用の野球場、相撲場、武道場といったものはほとんどない。オランダの国技はサッカーである。あの狭い国に何とプロ・サッカーチームだけで70〜80チームあるというから驚きである。それぞれランク分けされていて、毎年上位
を目指して鎬をけずっている。勿論、どこの町でも地元チームがあるので、住民はその応援にサッカー場に駆けつける。当然どこの市町村にも芝生のサッカー場はあるし、そこには必ずといっていいほど地元企業の看板が懸かっている。協賛しているのである。
冬のスポーツでは、平坦で山のないオランダはスケートが盛んで、冬季オリンピックやワールドカップで活躍しているトップ選手を多数のスケート人口が支えている。
自転車競技はサイクリングの盛んなオランダはお手のものである。休日ともなると頭に防護用のギアーを着けて、早朝から練習に余念がない。その中には子供達も含まれていて、層の厚さを感じる。最近は日本でも、余暇の過ごし方が変化してきたのか、時々サイクリングを楽しむ人達に見かけるようになってきた。
13. 福祉
(1)病院
日本の病院と決定的に異なるのは、病院で宗教上のケアーをするのが当然のこととされていることである。特に高齢者のケアーについては、人間らしく安らかな死を迎えるために“安楽死”の法律が制定された。“安楽死”問題については、宗教と絡んで現在もなお様々な議論がなされている。
(2)福祉施設
急速な高齢者社会を迎えた日本は、法整備・制度と施設の拡張で忙しい昨今であるが、オランダでは上記の病院でのケアーと相まって、かなり以前から取り組まれていたようである。お世話になったホストファミリーに両親のケアーについて尋ねてみたが、日本のように老人問題で悩んでいる様子はなかった。
ハンディキャップを抱える青少年には、義務教育の欄でも述べたように進んだ取り組みがなされている。その一つに音楽療法が実施されていて、患者の精神的ストレスを緩和するのに役立てている。
(3)墓地
墓地は先祖代々子孫に引き継がれてゆくものと考えていたが、オランダの新しい規則で墓地は国有地とされ、場所により多少の差はあるが10平方メートルほどの土地を3000ギルダー(約15万円)で購入、夫婦が並んで埋葬できる。25〜30年が経過すると自動的に国に返還される仕組みになった。狭い国土を有効利用することもさることながら、子孫が絶えて放置され、無縁仏のままで放置されるのを防ぐためである。
14. その他
(1)世界一のコーヒー好き
何かが始まる前は必ず、先ずコーヒー、これがないと次に事が進まない。 5週間の滞在期間中に訪問した100を超える企業、公共団体、家庭等々すべてにおいてしかり。私のようにコーヒーが飲めない者は、その度に“紅茶にして下さい”とか、“水にして下さい”とか、“No, thank you.”を云わなければならない。
時には、そのコーヒーにクッキーやケーキが付いて来る。 これは、私の独断と偏見であるが、コーヒーを飲みながらの雑談が、相互のコミュニケーションの雰囲気を和らげ、本題をスムーズに進める緩衝材としての人間の知恵なのかも知れない、とそんな気がしてきた。
(2)麻薬を公認
オランダはソフト・ドラッグを公認している世界中でも珍しい国である。
オランダでは、コーヒーが飲みたくなっても“コーヒー・ショップ”に入ってはならない。“コーヒー・ショップ”とは大麻やマリファナのようなソフト・ドラッグを公認で吸わせてくれる店のことである。コーヒーを飲みたければ“カフェ”に入らなければならない。
五番目の訪問地アーネムで警察署長担当の研修があった。押収したありとあらゆるドラッグの実物を教材にして、その入手経路から使用法、その結果
発生する症状まで詳細にご教授いただいた。そしてパトカーに乗って“コーヒー・ショップ”へ。まだ昼前というのにお客が入っている。30歳前後の比較的若い層が多かった。一種独特の匂いと煙が充満している。そこに暫く居るだけで先程聞かされたドラッグをやっているような気分になってきた。
何故公認しているのかとの問いに、厳重に禁止すればするほど地下に潜ってドラッグは高価となり悪質な犯罪に発展するため、またソフト・ドラッグそのものはタバコよりも害が少ない。その二点で公認されているそうだ。
“コーヒー・ショップ”一日の販売量は500mg、一人に5mgとなっているが、実際は裏取引まで管理するのは困難らしい。
(3)乗馬
日本では高級なスポーツかレジャーで、乗馬人口はごく僅かであるが、オランダでは牧畜業の傍らで馬が飼育され、乗馬クラブはいたる所にある。そして、ほとんどのオランダ人は乗馬が出来るのだと聞かされた。それは単にスポーツやレジャーのためではなく、低い土地で起こる災害時の救命に馬が活用されているためだそうである。
(4)マーケット
街の広場、市役所横の広場、広い路上等で、毎週決まった曜日、時間帯に市場が開かれる。生鮮食料品が多いが電気製品や雑貨用品等も揃い、値段も手頃である。ここで、一週間の食料品を買い込んでいる家庭も少なくないようである。店舗は仮設テントを組み立て、車で運んできた商品を見栄え良く並べて、あとはお客を如何に上手く引き寄せ、買わせるかである。同じ物でも店によって値段が違うので、常連客でない者は最初の店に飛びついてはいけない。一巡してから品質や値段を比較して買うのがコツらしい。
(5)八重桜
桜といえば日本の専売特許だと思っていたが、オランダになぜこんなに沢山の桜があるのか不思議でならない。幹も太く樹齢数百年にもなろうかと思える巨木もある。しかし、そのほとんどは八重桜で、吉野桜や山桜は見かけない。米国ワシントン・ポトマック湖畔の桜のように日本から送られたものなのか。それとも昔からオランダに生息していたものなのか、私には判らないが、日本の桜に優るとも劣らないほど美しい春を演出していた。
最後に、当地でお世話になった1560地区、ホスト・クラブ、ホスト・ファミリー、そして訪問先の方々に心よりお礼を申し上げて報告を終わります。