今再びオランダに学ぶ!     

梅田 由香里

ピアノ教室主宰(大阪住吉RC推薦)

はじめに

この度、大阪住吉ロータリークラブからのご推薦を受けオランダ1560地区にGSE団員として約5週間研修させていただきました。出発前は、オランダと言えば風車とチューリップしか想像できなかった私が、これからの自分の職業と人生に大きく影響する研修をさせていただく事が出来ました。

オランダという国

4月21日スキポール空港に着いた私達は、沢山のロータリアンの方々に出迎えていただきオランダに第一歩を印しました。スキポール空港からNeedeまで車で約2時間ほど。車窓から見える景色はひたすら牧草と風車に柔らかな緑。時々運河も見え、どの家の窓にも花箱が備え付けられ、通 りには色とりどりの花が咲き、夜になっても多くの家がカーテンで窓を閉ざさず家族の団らんがそのまま見えていました。

・「水との戦い」

オランダの歴史は「水との戦いの歴史」でした。「世界は神様が造ったが、オランダはオランダ人が造った」という有名な言葉がありますが、国土の5分の1以上を干拓によって造り、人口の3分の2は堤防がなければ水没してしまう「海面 よりも下」にあるとのこと。オランダのシンボルである「風車」も、もとは干拓の為に造られました。まず堤防を築いて水を閉じ込め、風車で水を堤防の外へと干上がるまで汲み出し、こうして少しずつ陸地を造ってきたのです。

・ オランダ病克服

「高い失業率」「財政危機」に苦しんでいたオランダ。しかし世界は「オランダに学べ」へと一変しました。「財政黒字」「高い経済成長率」ヨーロッパで「最低の失業率」「最高の競争力」「労働者の高い満足度」。EU(欧州連合)の優等生などなど。それらの最大の要因は「パートタイム革命」、つまり一人当たりの労働時間を減らし、それによって多くの人が仕事を分かち合ったということだそうです。政府はパートタイムもフルタイムも時間あたりの賃金、昇給、昇進、社会保障での差別 を一切禁じています。人々は働く形態を選べるようになり、共働きが増え収入が増えた分、消費は増え経済は安定しました。二つの職業を持つ人もあり、育児や介護などでフルタイム労働が出来なくなった時、パートタイムに移行します。その後またフルタイム労働に戻ることもできます。もちろん、男性も女性もです。「オランダ・モデル」が万能だと思ってはいませんが「人間の要請にあわせて社会の仕組みを変える」言い換えれば「人間主義」には感心しました。

・ 人権意識

1983年オランダは憲法を改正し、自国を「多民族国家」と正式に規定しました。オランダでは5年以上住んでいると外国人にも地方参政権が得られるそうで、もちろん選挙権も被選挙権もです。多様なグループが現にいるのだから「政治権力を分かち合う」と言う考え方で国自体が政治参加を推進し、差別 は許さない事を徹底的に教育しています。人権意識が日本とは雲泥の差だと感じました。

・ アンネ・フランク

2日間アムステルダムに滞在する事が出来、アンネ・フランクの隠れ家に見学に行くことができました。オランダが少女アンネ・フランク一家をかくまった国である事は世界的に有名で、沢山の国から見学に来られていました。ビルの隠れ家で狭く日も差さない部屋で息を詰めながら、見つかる恐怖におびえながら、物音も立てられない、外に出る事もなく13歳だった少女は15歳になりました。その隠れ家を見学しながら「違う国だから関係がない」などとは思えませんでした。あれほど「生きたい!」と願いながら無念のうちに殺されていった人達に対して、私は「世のため、人類のために働く責任がある」と感じました。オランダでは歩く地面 そのものが先祖が将来の人々の為にと汗みずくで残してくれた遺産であると思いました。

職業研修

1)音楽学校について

希望していた音楽教育について「Doetinchem Music School」を見学させて頂きました。1950年創立のこの学校は、教師50名、生徒数2500名、年齢8歳〜80歳まで。教える楽器、ジャンルは全分野に及びます。もちろん大人の方は趣味で学ぶ方が圧倒的だそうです。この学校には立派なコンサートホールや2つのオーケストラ、20のバンドがあり、オーケストラ編成は小さな子供から大人まで。私はまず校内を見学させていただきました。奥行きのある学校で一直線の廊下から枝分かれに各教室があります。各楽器を教える事の出来る教室がいくつも並び、中でもバンド演奏を行えるように用意されているスタジオには全ての機材が設備されていました。一番奥の右の扉を入るとホールにつながる部屋に出ました。そしてホールに足を踏み入れた私は大きくて音響のいいホールに「Great!!」の連続でした。それから私は子供のリトミック・クラス、バンド・ポップス・クラス、サックスホーン・クラス、フルート・クラス、ヴァイオリン・クラス、ピアノ・クラスを見学させて頂きました。音楽を学ぶこの学校の設備は完璧でした。そして「音楽は楽しまなければ意味がない・・・」というこの学校の関係者、教授、生徒たちの精神が何よりも素晴らく感じられました。

授業風景

2)ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団

私が最も希望したロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団(Royal Concertgebouw Orchestra、略称RCO)の演奏を聞きにBennekomのホストファーザーWimさんと一緒にアムステルダムへ参りました。「コンセルトヘボウConcertgebouw」とはオランダ語で「コンサートホール」と言う意味です。私はてっきり「ロイヤル」と言う名前から宮廷楽団だと思い込んでいましたが、聞く所によるとそうではありませんでした。「RCOの創立は1888年。この名称になったのは1988年。創立100周年の時にベアトリクス女王から<ロイヤル>の称号を受けた」のだそうです。

私が最もこのプログラムを希望した理由は「RCO」は「ベルリン・フィル」や「ウィーン・フィル」と共に「ヨーロッパ3大オーケストラ」と呼ばれる事もありますが、昔から商業都市として栄えてきたアムステルダムは、クラッシック音楽から見るとウィーンやプラハなどの都市に比べて19世紀末までは1地方都市でしかありませんでした。それが20世紀に入って、アムステルダムをクラッシック音楽のメインステージに変えたのは「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」の功績だと言う事を知ったからです。もちろん日本でも彼らの演奏を聞くことは可能なのですが、もう一つ大きな理由がありました。それは根拠地アムステルダムにあるホール「コンセルトヘボウ」は、1869年につくられたウィーンのムジーク・フェラインザール(楽友協会ホール)と1900年に作られたボストンのシンフォニー・ホールウィーンと共に、この3つがヨーロッパで「最高の音響を持つホール」と言われていることを知っていたからです。

その大ホールは変形シューボックス型(舞台背後が曲面)、収容人員2206人(席数2037席)で、470席のリサイタル・ホールを併設しており、残響時間2.4秒(空席時)/2秒(満席時)、幅29メートル、奥行き40メートル、天井高さ15.2メートルとのことでした。この高さには驚きました。建築空間というものは数値や図面 や写真や模型をもってしては把握しがたいものであり、実際にその内部に身を置いてはじめて実感できるものなのです。そこで「一度自身の目と耳で経験してみたい」と思っていました。そして希望どうり今回自身で「最高の音響と音楽」を体験する事が出来ました。音響技術の発達した今日「日本などの最新のホールがなぜそれを超えることができないのだろうか?」と疑問に思いました。その答えは、

・ ホールには大量の木が使われていて、これがほどよく枯れてちょうどヴィンテージ・ヴァイオリンのように良い音を奏でているのかもしれない。

・ 創立当時は建築音響学も構造力学も未熟でコンピューターもなかった分だけ造る人達の感性が非情に豊かだったから。 もう少し科学的な分析をすると、

・ 現在は建築材料に規制があり、ホール部分等に使用できる材料が限定されているとか、

・ 空席時と満席時の残響時間にほとんど差がないという驚異的な設計とか、

・ ホールの幅29メートルと広い分、側方反射が弱く、響きすぎたり細部が若干不明瞭にならない、

などと言う事が挙げられます。最高のホール、ステージ周りと共に、もう一つコンセルトヘボウ大ホールの特徴は、角が優雅な丸みを帯びている2階席バルコニーにずらりと埋め込まれた作曲家名のプレートでした。その由来や選定基準は何なのか、残念ながら情報は未入手です。

とにもかくにも、最高のホールで最高のオーケストラの演奏を聞いた時の「魂が揺さぶられる」感じは今でも私の耳の中でしっかりと残っております。

3) 障害者施設と音楽療法について

思っても見なかった障害者施設(名称Groot-Schuylenburg1935年設立)に行き、音楽療法について見学させていただく事が出来ました。同行の彼は音楽療法師ではありませんでしたが私には十分にそう見えました。彼は「音楽療法は音楽を使って関わって行くセラピスト(治療者)とクライアント(被治療者)の間で行われるが、その方法はセラピストの数だけある」と言っておられました。私が見学させていただいたのは個人セッションではなく集団セッションでした。彼らとは言葉でコミュニケーションを図るのが難しい為、音楽で情緒と言った部分に直接働きかけていろいろな表現形態から彼らの状態を知ろうとされていました。そして実際の現場を見せて頂いた私は「音楽療法は理論よりもセラピスト一人一人の人間性、音楽性、その場の空気が非常に重要だ」と言う事を感じさせられました。

音楽療法の風景

あらゆる面で「オランダの福祉は行き届いている」と聞いていた私は「日本の福祉は何処まで行き届いているのか」と疑問に思い、福祉作業所「バオバブの家」の阿萬敦子代表に現状の福祉に対しての行政の取り組みや体制などのお話をお伺いしました。彼女によると「施設を建てるにもまずは土地探しで数年を要し、見つかっても周りの住民の反対や、資金面 で長期戦になる。国からの助成金は15人以上で年間1330万(年間)。現状16人がいて費用は約2000万(年間)、資金が不足。作業内容も「簡単で期限を要さない物」となってくると非常に数少ない。作業所で働く職員の方々や沢山の方々のボランティア精神で成り立っているので本当にありがたい」とのことでした。私が見学させて頂いたGroot-Schuylenburgは緑豊な中にあり、大きさ43ha、障害者710人、職員1210人、600人のヘルパー、500人のアシスタント、300人のボランティア。費用40億(年間)、これは国家予算に組み込まれているそうです。施設内にサッカー場やプール、カフェレストランなどの施設も完備されていました。そしてもちろん市民も利用する事が出来ます(有料)。施設内の作業所では自転車の部品を作ったりしていましたが、一番驚いたのは郵便局の制服を着用し配達を手伝っていたことでした。「公務員の仕事を障害者の人達がする!」素晴らしい!私は施設を見学させて頂き、日本との差を感じれずにはいられませんでした。

4)ピアノ工場

ここでは、ピアノの製造過程、内部構造について詳しく教えて頂きました。彼はピアノのリペアーもされており、見るも無残になった200年前のスタインウェイや、14世紀に最も盛んであったクラヴィコードに似た楽器などがありました。特に印象深かったのは1800年代(ベートーヴェンやシューマン)のピアノをそのままコピーして製造されたピアノを見せて頂いた事でした。このピアノは製造するのに数年を要し、鍵盤は象牙を使用、「おいくらですか?」と訪ねると、「値段はつけれないよ!売り物にするつもりはないから。でももし売るとしたらとても高いだろう」とおっしゃってました。この時代の作曲家の演奏会を開く時は、彼のピアノを貸りて演奏会を開くピアニストも多くいると聞きました。 私は特別にそのピアノを弾かせて頂く事ができました。音域は5オクターブ。音は低音域と高音域とでは音質が違うし、響きもチェンバロに近い感じがしました。「当時のピアノでその当時の作曲家の曲を演奏する」なんてなんともリアルで当時の作曲家に少し親近感を感じました。ピアノを演奏する私にとってここでの研修は非常に有意義でありました。

1800年代のピアノを再現!
 

5)カリヨンとの出会いと構造について

4月30日 Queen's Birthday 私達は Doetinchem という町の中心にある教会に登りました。高さ約90mの大きな塔。階段は狭く急。しかも螺旋状になっていて何度も休憩しながらやっとの思いで約70m登った所でカリヨンとの出会いがありました。

暗い塔の中でカリヨンの鐘たちは厳粛にしかも気品をもってそこにいました。その重厚さに見惚れていたらプレイヤーが演奏室から降りてきました。それはなんと日本人女性でした。彼女の名前は「みどり」さん。旦那様がオランダの方でオランダに住んで9年目になるとのこと。みどりさんは私達にカリヨンについて簡単に説明をしてくれた後、オランダの国歌を演奏してくれました。私はその激しさと演奏の仕方に見惚れました。一番大きい鐘で重さ2tもあるカリヨンは、両手をジャンケンで言う「グー」の形をつくりその手で木の鍵盤をたたき、同時に両足も動かしてメロディーを弾くのです。「弾く」と言うより「鳴らす」と言った方が良いかもしれません。大変興味を持った私は、Harderwijkロータリークラブの方々やみどりさんのお陰で、別 途職業研修の日を設けていただき彼女の通っている「Nederlandse Beiaard School」(1953年創立。)に見学に行かせて頂く事が出来ました。

14世紀、1300年代にオランダなどでは、カリヨン(カロヨン)と呼ばれました。教会などで紐で引っ張って鳴らす鐘の音で人々に時を知らせていたそうです。即ち時報を知らせる為のものだったので、宗教的な楽器では無いそうです。酒蔵会社と同じように鐘にもブランドがあり、エモニー兄弟が作った鐘が今でも一番音色が美しいと言う事で評判らしく、鍵盤は木で出来ていて音階の並びはピアノと同じですが鍵盤の数は塔によって異なります。ピアノで言うセンターのC(ド)は、やや左にあり、足で弾く鍵盤はちょうどエレクトーンと同じような造りになっています。調律は鐘を製作する時に合わせているので必要は無いのですが、天候や気温によって微妙に音が変化するので演奏者がワイヤーの調節を行います。 カリヨン曲はハーモニー、メロディー共に美しい作品が沢山存在するのですが、楽譜は図書館に行っても楽譜屋に行っても手に入れることは出来ないので、入手したければカリヨン学校でコピーをするしかないそうなのです。それを聞いた私はみどりさんにお願いして、カリヨン作曲家で最も活躍したMathias van den Gheyn (1721〜1785) の曲の中で最も有名な曲の楽譜を戴く事が出来きました。

カリヨン曲はピアノでも弾く事が出来ますので、私のレパートリーの一つになると思います。私は「日本で聴く事の無いカリヨンの音色について、また構造について非常に興味を持ちました」とロータリアンの方々に、また5月12日に行われたD1560地区大会でそのように発言しましたところ、沢山のロータリアンの方々がCDを送ってくださったり、カリヨンコンサートの紹介などをして頂き、後半のプログラムに特別 に追加して頂くことができました。

練習用のカリヨン

・カリヨンコンサート

ドイツのEmmerich という地方St Aldegonde Kirche教会でそのコンサートは行われました。沢山の人が集まっていて開演5分前なのに教会の中に入ろうとしないので「おかしいな」と思っていたら野外コンサートだったのです。通 常カリヨンは塔の上にあるので演奏を目の前で見ることは出来ません。ですからモニターで弾いているところを映し出し、鐘の音色を教会のお庭で聴くというスタイルが普通 なのだそうです。皆ビール片手に黙って演奏に耳を傾けていました。古いレンガの歩道、数百年は経っていそうな歴史ある教会、うす赤く染まる夕焼け、風に乗って聴こえる鐘の音色は波のように強くなったり弱くなったり。私はその音色に酔いしれました。

・カリヨン演奏

私はカリヨン演奏者のMenry Groenさんとお会いすることができました。彼は挨拶を済ますとアペルドーム旧市役所の上にあるカリヨンのある場所まで私を案内してくれました。また細くて急な階段を登りました。高所恐怖症の私はプレイヤーには向いていないとつくづく感じました。彼はまず最初にワイヤーの調節を行い、Bachの曲と「上を向いて歩こう」を演奏してくれました。そして私に「連弾しよう!」とおっしゃり、弾き方、手の握り方を教えてくれました。初めはピアノのように指を使わず軽く手を握り、小指側で弾く弾き方になかなか慣れなかったのですが、少しずつ慣れてきて楽しく連弾させていただきました。弾き終わった後は手に少し痛みもありましたが大変有意義で楽しかったです。  

カリオンを弾く

アペルドール旧市役所

一般研修

5週間の研修期間の間に様々なところで研修させて頂きました。ドイツ(Munster)、日本大使館、ビール工場、リサイクル工場、オーガニック会社、市役所、宮殿、発電所、風車見学、タイルミュージアム、サッカー観戦、警察所(アーネム市)、コーヒーショップ(麻薬販売所)、たばこ工場、森林大学・猿公園、フィリップス社、図書館(アペルドーム市)など。全てのプログラムではオランダを知るための貴重な体験とお話をお伺いする事が出来、感謝しております。出来る事なら全てのプログラムについて書きたいのですが、中でも私自身がピアノ教師だと言う事で下記の事を書かせていただきます。

・「えーっあの方の・・・!!!」

中でも私の中で印象に残っているのはApeldoornで「Palace het loo」を見学した時の事です。素晴らしい宮殿は沢山の森林に囲まれ、その風格は言わずとも感じるものがありました。私達の案内をしてくださったEelco Elzinggさんは宮殿の管理員。もちろんロータリアン。彼のお陰で一般の方が入れないような部屋、廊下、展示場、バルコニーなどに行かせて頂く事が出来ました。宮殿の中は沢山のお部屋があり、迷路のようになっていました。ちょうどヴェルサイユ宮殿のような感じと言えば想像しやすいと思います。宮殿内には各国から贈呈された数え切れないほどの食器、家具、格式ある絵画などが展示されていました。Eelco Elzinggさんは丁寧に説明をして下さいました。そして見学も終盤を迎え最後のお部屋に入ると、そこには一台のピアノがあり、彼は私に「君はピアニストだったね」と問い掛けました。私は「そうです」と答えると彼は「特別 にあのピアノを弾かせてあげよう」と言い、センサーを跨いで「弾いていらっしゃい」と。私はドキドキしながらそのピアノに近づいて行きました。そのピアノは見るからに年代を感じさせるピアノでした。私はそこで大好きなべェートーヴェンの「エリーゼの為に」を弾き始めました。年代物のピアノだけに鍵盤は重く鍵盤の返りがいつもと少し違ったので少し戸惑いましたが、宮殿の部屋の中の独特な感じの中でピアノを弾く私は「こんな感じの場所でベートーヴェンも演奏したんだろうな」と思いながら弾き終えました。すると彼は私にそっと「このピアノはとても有名な方が演奏したピアノなんだよ」「えっ、何方ですか?」「誰だと思う?」「うーーん???」「あのフランツ・リストだよ」「・・・」息が止まりました。体の力がどんどん抜けていき、声も出ませんでした。今までピアノを弾いていた私の10本の指は震えていました。そんな私を見て彼は「もう一曲どうぞ」「えーーーっ!」私は頭の中がパニックで何を弾いていいのか解らなくなりました。とっさに弾いた曲はショパン作曲の「子犬のワルツ」、手が震えて弾けない・・・。頭の中は「嘘でしょう!!!」の言葉がぐるぐる駆け巡りペダルを踏む右足は緊張のあまり震えが止まりませんでした。が無事に弾き終えました。日本人で初めて弾いただろう由緒あるピアノ。後で聞くとリストが女王の為に曲を書き、それを披露する時に弾かれたピアノだったそうです。私はこの時ほど「ピアノが弾ける自分でよかった」と思った事はありません。こんなに素晴らしい体験と思い出をさせて頂いたEelco Elzinggさんに御礼申し上げます。

Palace her looの正面

ホストファミリー

6軒のホストファミリーの方々に本当にに感謝申し上げます。お仕事や用事を全て後回しにして移動日の見送り、出迎え、研修中に聞けなかった事について詳しく教えて下さったり、食事の用意と身の回りの事まで、どんなに朝が早いプログラムでも私達と行動を共にして下さいました。そして特に全てのホストファミリーのご自宅にピアノがあり、毎日のようにピアノを練習させて頂いたりご家族の方々と歌を歌ったり、演奏会を企画してくださったことなど、生涯忘れる事は出来ません。沢山の感謝の気持ちや出来事などを書きたいのですが、その中で最も印象深かった事を書かせて頂きます。

・Ron&Padgie(Neede RC)略称以下 Dad&Mom

オランダに来て初めてのホストファミリーと言う事で「打ち解けることができるだろうか・・・」緊張と不安で一杯の私を温かく迎えてくださりました。3日目研修中に体調を崩し熱を出した私をDadもMomも本当に一生懸命に看病してくださったおかげで長引くことなく次の朝には回復しました。

Dadは主にシャツを製造している会社のオーナーで、警察官の制服のシャツもDadの会社が作っています。Dadはとても優しく時には英語の得意でない私に「話すことを怖がってはいけない!」とアドバイスしてくださったり、ジョークを言って笑わせてくれたり、朝食で食べるチーズを私が初めてカットする時に「僕がやってあげよう!」「自分で出来るよ!」「駄 目だよ!」「大丈夫」「駄目駄目!!ユカはピアノを弾くんだから指を怪我しちゃいけない、それに僕の娘だから・・・」「・・・」嬉しかったです。

Momはいつも「洗濯物はないの?」「困った事があれば何でも私に言ってね」と私に言ってくれました。Momのご兄弟が東京に住んでいるそうで日本のことをよくご存知で「いつもご飯を食べているでしょう?」「うん!」「私もご飯をよく食べるから欲しい時は言うのよ」「ありがとう!」「今夜は日本食レストランに行くわよ!」「そうなの?」「私達も子供たちも大好きなのよ!」。

Momは歌手なので私がピアノを弾きMomはそれにあわせて歌を歌ってくれました。その時一緒に演奏したキャロル・キングの曲は今でも良い思い出です。

Needeでの研修の最終日には、涙が止まらず子供のように泣いたのを思い出します。たった5日間だったけど沢山の思い出と体験をさせていただきました。Ron夫妻は私が別 の場所へ移動しても手紙を下さったりメールを下さったりと本当に良くして頂きました。本当にありがとうございました。

Ron&Padgie夫妻とFarewell partyにて

・Anton&Rita Schaars(Doetinchem RC)

2番目のホストファミリーのDadとMomもとても優しい方でゆっくりと話し掛けてくれたり、私のピアノをよく聞いて下さいました。Dadはお医者様で2年前に退職されたそうです。特にDadは「さくらさくら」が気に入ってくれたようでご自身で口笛で吹かれたり歌われたりしておられました。サイクリングをしたり、お買い物に行ったり。朝食はリンゴ1つと決まっているDadが、私と一緒に朝食を最初で最後に食べてくれた事、嬉しかったです。

Momはコンピューター学校に週1回通っているようで、持っていっていたノートパソコンを見ながら色んな話をしました。Momはピアノもとてもお上手で、私にピアノを弾いて聞かせてくれました。ありがとうございます。

・Bram&Willeke Admiraal(Harderwijk RC)

3番目のホストファミリーのBramはKLMの現役パイロット、Willekeは元美術の先生。日本に何度も行った事のあるご夫婦は、とても気さくで日本の文化や風習についてもよく知っておられ、オランダと日本の違い(食べ物や風習の事など)を色々話した事はとても興味深かったです。忘れられないのが、ベジタリアンのご夫婦が私達の為に夕食にステーキを買ってきてくれた事。感謝の思いで一杯です。

・Wim&Hannie van Lindonk(Bennekom RC)

4番目のホストファミリーは閑静な住宅に住んでおられ、毎日お庭で鳥の会話を聞きながらお食事を共にして頂きました。初めてこのRCの方々にお会いした時「どの方が私のホストかな?」と探す私を見てDadとMomは「私達よ!」と逆に私を見つけてくださり、Momはそっと私の手を握り笑顔で「宜しくね!」と、それからお出迎えパーティーの間ずっと私の手を引いて歩いてくれました。とても嬉しかったです。ホストとのFree Dayにはクラッシック・コンサート、Jazzライブに連れて行っていただきました。お見送りの日には私の大好きな「すずらん」の花をお庭から持ってきて頂きプレゼントしてくれました。本当に嬉しかったです。

朝食の風景 Wim&Hannie夫妻

・Ank&Ben Hasselbach-van Gastel(Arnhem RC)

5番目のホストファミリーのMomがロータリアンで私のプログラムについてとてもご配慮くださいました。私がカリヨンに興味を持っているとロータリアンの方からの情報を受け、カリヨンコンサートに行ける様に手配して下さり本当に感謝いたします。Dadが料理してくれたインドネシア料理は絶品でした。そして3人でしたチョコレート・ケーキ作り、とても楽しかったです。 ありがとうございました。

・Philip&Ans Frank-van Essen(Apeldoorn RC)

最後のホストファミリー宅に着いた時、お家とお庭の広さに声が出ませんでした。Dadは薬剤師さんで、ご自身で薬局を経営されておられ、過去に喘息ぎみだった私に呼吸法を丁寧に教えてくださいました。Momはセラピスト。現在でも心理学の勉強をされておられます。とても活動的で気さくな方でオランダ文化、狂牛病の事、患者の事など色んな事を教えて下さいました。 どうもありがとうございました。

終わりに

オランダ研修での約5週間、本当に沢山の事を学ばして頂き感謝の思いで一杯です。私はこの研修を終え、言葉が通 じなくても音を奏でるだけで気持が伝わったり、更に深くコミュニケーションがとれたり、「本当に音楽をやっていて良かった、ピアノを弾ける自分で良かった」とつくづく感じました。そして、ピアノを演奏できる自分になれたのも母校の山田先生、母や家族、その他の方々のご指導とご協力のお陰だと思うと感謝しても感謝しきれません。オランダで学んだ事、音楽は世界語であると感じた事、その感動と思いを今後の職場の中で、また多くの方に伝えて行きたいと思っています。 最後に1560地区ロータリークラブの皆様、2660地区GSE野村委員長、委員会の皆様を始め、ロータリアンの方々、ご推薦くださった大阪住吉ロータリークラブの方々、また影でこのプログラムをくださった全ての方々に改めて深く感謝いたします。 ありがとうございました。