ポール・ローバックの報告

「キミは日本訪問を考えたことがありますか?」

この簡単な質問が、一生の体験につながりました。私は日本へ行くことは考えたことはないが、もし機会がやってくるなら、喜んで行くと答え、そうなりました。

一人のロータリアンと短い会話を交わした後、私は6270地区が日本の大阪の第2660地区と行う研究交換プログラムへの応募用紙に記入をしました。インタビューが2回あり、私はこのプログラムに加えられ、プラニングが始まりました。

プラニングの3ヶ月間は、作業は大変でしたが、また大変楽しいものでした。出発前にチームとしてのミーティングは9回あり、日本語のレッスンが5時間、本も3冊読みました。聴衆の前でプレゼンテーションを練習する機会も一度ありました。チームのミーティングには、ロータリーについてのレッスン、ホスト家庭へのお土産に何を買うべきかの検討、プレゼンテーションの準備が含まれていました。最も重要なことは、これらのミーティングでお互いを知り合い、日本の体験をさらに楽しくする友情を育んだことです。

準備の3ヶ月間が、ボーっと過ぎ、知らない間に大阪行きの飛行機に搭乗していました。15時間の飛行の後、大地を再び踏んで嬉しく思いました。空港内を歩いて行くと、サイン類がすべて英語で書かれているのを見て驚き、喜びました。旅行鞄を回収して税関を通り、空港の待合い場所に入りました。少なくとも12人の熱狂的なロータリアンが、私たちを直ちに出迎えてくれました。

それから、私たちの日本訪問でまもなく毎回共通になる儀式を経験しました。みんなが、お互いに挨拶して、手を握り、お辞儀して名刺を交換しました。これにセレモニーのような写真撮影が少なくとも3台のカメラで続きました。このような儀式は、まもなく私たちの日本生活の一部となりました。

大阪の第一印象

感覚が渦負荷になりました!私はニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスに行ったことがありますが、それらは大阪体験の準備にはなりませんでした。大阪の街の光景はそびえ立つ建物、すべての形すべての色のネオンサイン、どこにでもある自転車、すべての道路に詰まっている自動車、すべての方向に行き交う何千もの人たちから成り立っています。

ダウンタウン地域は格子状にデザインされていますが、その近辺の多くは道路が非常に狭く、2、3ブロックも真っ直ぐに進めません。日本の自動車には殆どにカーナビがついています。さもないと誰もが道を見つけることができないでしょう。

第一週では、大阪の騒がしさに慣れるのにしばらくかかりました。日が経つにつれ大阪に慣れ、自分自身で快適に街を歩き回れるようになりました。大阪の犯罪発生率は驚くほど低いので、自分で動きまわっていて心配したことはありませんでした。第三週までに、自分自身で地下鉄に乗ることは昔からの習慣のように思えました。大阪では、地下鉄の車両がどんなに混んでいるように見えても、さらに人が乗れる余地がありました。

ホスト家庭

ホスト家庭と過ごした機会は、ユニークな経験で、GSEプログラムの素晴らしさを高めました。毎日曜日の午後、異なったホスト家庭がホテル・ニューオータニで私をピックアップしてくれました。最初は、日本人の家庭に滞在することは困難ではないかと思っていました。日曜日の朝、いつも新しいホスト家庭はどんなだろうと悩むことにならないか。彼らは英語を話すのか?私が持ってきたプレゼントは気に入ってもらえるのか?彼らは私を好いてくれるだろうか?このような心配は、ホスト家庭に会うとスグに消え去りました。どのホスト家庭も、私を大いに歓迎し適切な便宜を計らってくれました。

家族生活は、素晴らしい文化体験を豊かに与えてくれました。この体験には日本伝統の食べ物、いろんなタイプのレストランで外食する経験、日本伝統の入浴、カラオケ、日本の伝統的な寝室で眠ること、ショッピング、テレビで阪神タイガース(大阪の職業野球チーム)を観戦が含まれます。どの家庭も、私が一生大切にすることになるユニークな体験を与えてくれました。

それぞれのホスト家庭に対し私が抱く感謝の念を言葉だけで表現できません。この人たちが居なければ、大阪での体験はこれほどまでに意味ある、また実り多いものにならなかったでしょう。

職業研修での体験

日本でどのような職業研修が得られるか、少し心配していました。都市計画プランナーとして、日本に私と同種の職業があるかどうか分かりませんでした。私はロータリアンたちに、自分に関心のあるテーマを幅広く伝えました。これには土地使用計画、経済発展、都市再開発、観光促進が含まれていました。結果として職業研修はどれもユニークで、私の職業に関連した豊かな情報を与えてくれました。

大阪にいる間に、いくつかの異なった都市計画部門を訪問する機会がありました。そのそれぞれが、彼らの都市について現在の土地使用計画や再開発の努力について示してくれました。これらの再開発計画の案内ツアーが行われ、彼らがしていることを直接見る機会が与えられました。何人かの市長、また東大阪商工会議所のメンバーにも会いました。

職業研修でもっとも収穫の多かったのは、大阪での主な新開発をみる機会を得たことでした。これには関西国際空港近くの臨空タウンと、USJのホームタウンであるユニバーサルシティが含まれます。それぞれが、私がウイスコンシンで行う同僚へのレポートに優れたケーススタディとなりました。

文化的な体験

日本の春は、お祭りのシーズンです。町全体が桜の花で活気づきます。この短い期間に、家族は桜の花の下へピクニックにでかけ、誰もが食べ、サケを飲みます。

ホスト家庭での滞在に加え、いくつかの異なった神社やお寺を訪問し、悪運を払う神道のセレモニーにも参加しました。地下鉄に乗るのはいつも楽しいことでした。いろんな人たちが、異なったいろんなスタイルの服を着ているのを観察する機会が有ったからです。
最も楽しかった経験のいくつかは、大阪を離れ、他の都市へ出掛けたことです。これらの都市には奈良、京都、広島が含まれます。奈良はサクラ、馴れた鹿、世界最大の仏陀を見る機会を与えてくれました。京都ではいくつかの異なった寺や神社を見ました。京都ではパチンコ(ピンボールとスロットマシーンの合いの子を想像してください)をする機会がありました。広島は一生の体験でした。私は大阪を訪問するみんなに、広島へ行って原爆ドームと平和記念資料館を見ることを勧めます。

好きな経験は、相撲見物でした。驚いたことに、これは非常に珍しい機会で、多くの日本人は私に相撲を実際に見たことがないと話してくれました。

永遠の印象

アメリカへ帰って以来、日本での経験は何がベストかと数回質問されました。私は、その度に、人たちだ!と答えています。日本で会った素晴らしい人たちのお陰で、有名人になるとどんな気がするものか、分かりました。全ての行動がファーストクラスで、多くの日本人が経験したこともない「舞台裏」ツアーでした。私はいつも随員に囲まれて旅行し、振り向く度に写真を撮られました。日本にいる間、重要人物になった気が本当にしました。

別の共通した質問は、日本体験で一番好きでなかったことは何か、というものでした。食べ物、と言うべきなのでしょうか。私は魚が好きですが、日本人は魚に恋しています。彼らは魚を朝食、ランチ、夕食に食べます。彼らは海で獲れるものは何でも食べると嬉しそうに語ります。鮭、ウナギ、蛸、蟹、ロブスター、雲丹、水から引き揚げられるもの全て、です。魚のあるものは呑み込みにくかったですが、日本にいる間、飢えたことは絶対にありませんでした。

助言

将来のGSEチームは、出発前にできる限りミーティングを計画すること。お互い気楽になれば旅行がさらに楽しくなるし、プレゼンテーションもさらに面白くできます。

出発前に可能な限り、異国の言葉と文化について学ぶこと。単純な冗談は、異国滞在中に新しい友をつくるのに大いに効果があります。

心を開いて、新しいことを試みること。しかし、何かを好きでない、あるいは心地よくないと感じるとき、怖れずにいうこと。こうすれば体験がさらに楽しくなります。

流れに任せること。どんなに計画しても、つねに変更はあるものです。

ホストクラブは、スケジュールのない時間を増やしたプランを。時には私たちの自由時間にまで、活動が計画されていました。

スポンサー地区に帰ったとき、GSEの計画委員会はGSEチームにコンタクトを取り、やってくるチームに対する準備のために情報を仕入れること。

有り難うございました。

経験を成功させるために、本当に多くの人の助けを得ました。全ての人をリストアップすることは不可能ですが、とくに次の方々御礼申し上げます。

一生の機会を与えて下さった、ロータリー第6270地区、2660地区に。

「キミは日本訪問を考えたことがありますか?」と訊ねてくれた、リチャード・ネルソン。

スポンサーしてくれたポート・ワシントンRC。

この素晴らしい機会を利用するための時間をくれた、オゾーキー郡とウイスコンシン・エクステンション大学。

家庭と家族へ受け入れてくれたホスト家庭。

素晴らしい職業研修をしていただいた全ての人。

出発前に日本語のレッスンをしてくれた、ジュンコ・スズキ。

留守中、お世話をかけたママとパパ。

デイヴィッド、エミリー、エリンそしてエリックに。旅行を楽しいものにしてくれたことに対して。あなたがた全員がいない旅行なんて、想像できません。Aチームに、ちょっかいは無用です!