(フイルム製造工場技術者)
4月23日、RI第7690地区GSEチームは、日本の大阪のRI第2660地区のホストのみなさんと過ごした、大変実り多い、かつ有意義な滞在を終えて、アメリカに帰国しました。大阪から飛行機を乗り継ぎ、シカゴに降り立つと、ロータリアンに全く会わないのが不思議な気持ちがしたくらいです。何と特別な、そして本当に魅惑的な旅行は終わってしまったのだと、再び現実に引き戻されてしまいました。
日本における私の体験は、今後の私の人生に一種の衝撃を与えることでしょう。日本の現代社会に受け入れられて、その中で生活し、また日本の古い文化を目の当たりにして理解したことは、一生忘れ得ない経験です。私のGSE体験とは、このようなものだったと思います。
私はGSEの本当の目的、即ち、多くのロータリアンやホスト家庭との国際的な相互理解を、エンジョイしました。私たちのチームが大変幸運だったのは、1991年にノースカロライナを訪問した第2660地区のGSEチームのメンバーに会うことができ、彼らと友達になれたことです。昨年彼らがノースカロライナに来たときお手伝いできなかったのは残念です。その当時、第7690地区のGSEチームはまだ選抜されていませんでしたから仕方ありません。シゲオ、ミレ、ケイゾー、ヨーヨー、ケイイチ、テツは、大阪で私たちが本当に歓迎されていると、感じさせてくれました。
日本のカルチャーを直接見聞きし、体験できたことは、この滞在の大きな恩恵です。私の日本滞在ほ2度目です。前回は1988年に仕事で小田原を訪問しました。私はどちらの日本滞在も楽しみましたが、GSEの体験の方が、ずっと学ぶことが多かったのは明かです。アメリカ人にとって日本のカルチャーとライフスタイルを理解することは困難ですが、その原因は、それらに関しての入手可能な情報がアメリカ国内では、あまりにも少ないことだと思います。日本人は2000年にわたる歴史と親しんで暮らしています。彼らの社会は先進のテクノロジーに満ち、現代的な都市生活をおくっていますが、同時に、堂々とした歴史的建造物を保存し、過去の豊かな文化を絶えず思い出しています。
日本の人たちは、性質的には概して丁重、かつ静かで、私はそれを大変チャーミングに感じました。彼らの社会は極めて過密ですが(大阪府の人口は700万人以上)彼らの日常生活は調和に満ちています。最も混雑している地域でも、争いごとは全く見かけませんでした。殆どの人たちは、学校や職場に電車や地下鉄で通っています。私は電車に乗る機会に恵まれる度に、楽しんで人を観察しました。きちんとした制服を着ている人、ビジネス・スーツを着込んでいる人、さまざまですが、マナーは申し分ありません。大阪は大変大きな都会ですが、それにも拘らず、安全に感じました。アメリカのこの規模の都会では、これに比肩する所はありません。
日本の若い人たちが、西洋人に憧れを持っている様子には驚きました。彼らは、我々の側によってきて、英語で話しかけ、挨拶し、ようこそ日本へと言ってくれました。私たちがお会いしたロータリアン全てから示していただいた、圧倒的なフェローシップに、若者たちの歓迎が華をそえてくれました。
春に日本を訪問したのは幸運でした。春は日本の人々にとって大変に特別な季節であることを学びました。桜の花が咲き誇るのは素晴らしい光景でした。桜が満開になる時期には、会社は休日を与え、何千もの人が花見に出かけます。そしてその満開は2、3日しか続きません。日本人にとって「サクラ」がとても大切な理由はここにあると想像しました。その自然美は生き生きしているのに、花の命はとても短いのです。
ロータリーのホストのみなさんは、多くの興味深い遠出を計画して下さって、私たちはそれを大いに楽しみました。日程には、伝統的な日本文化と現代的な都会のアトラクション(魅力)がブレンドされていました。観光旅行は、京都、奈良(2つとも日本の古い首都)広島の原爆投下跡、そして大阪のいろんな場所でした。私たちは多くの寺院や神社、史跡、刀鍛冶そして大阪城を訪れました。日本の過去は、明らかに大変良く保存され、今日の都会的な日本の中に見ることができます。私たちは1990年の花博跡地の公園での植樹に招かれました。日本の人は樹木や花が大好きで、こは特別のイべントでした。私たちはノースカロライナの州の花である、ハナミズキを6本植えました。驚いたことに、私たちの名前を永久的に刻んだプレートもその場で除幕されました。
私は、お茶会や日本の生け花の会に数回出席できて幸運でした。これらの特別の伝統は、日本で大変人気があり、日本女性がお客の前でこれらの儀式を披露するまでに1年以上レッスンを受けるのが普通です。2、3の女性が普段着としても和服を着ておられるのを見たのを興味深く思いました。日常生活の中で、日本文化を思い出させる別の例です。 私たちの日程は、注意深く計画され、現代の重要なテーマを含んでいました。大阪浄水場、森の宮ゴミ焼却場、関西電力の原子力発電所、テレビとラジオの放送局、近畿車両はその一部です。これらの産業は日本人の現代生活に重要な役割を果たしています。またダイハッ自動車工場、パナソニックのテレビ工場、コニカの現像所、特殊スプリングの製造工場、ハイテクセラミック製造工場、イマダ家具工場、アサヒビール醸造所など製造設備を見学する機会にも恵まれました。
日本での私の記憶に最も残るものの一つは、5つの素晴らしいホームステイです。どの家庭も、そして全ての家庭が、家と心を私に開いて下さいました。私の溝在は3日から6日の幅があり、また家族と過ごす時間には限りがありましたが、どの家庭での体験も特別かつユニークものでした。私は、ホスト家庭と個別に長い会話を交わすことが出来ました。その話題は、日米のご馳走談義から、アメリカ大統領選挙キャンペーンに及びました。GSEのこの重要な特徴のおかげで、ホストとお友達になることができました。このかたがたと、今後も連絡を続けるつもりです。多くのロータリアンとの昼間のみのお付き合いでは、このようなタイプの友情は生まれなかったでしょう。「日本的な生活」は大変快適でした。どの家庭でも伝統的な日本間に泊まりました。これらの部屋の床は畳(藁)マットで、壁には日本の伝統的な掛け軸が掛けてあり、また時には神棚がありました。私は布団で寝ましたが、これは日中は押入の中に入れてあり、夜は快適なベッドになるのです。日本式の浴場にも2度誘われました。浴場は、男女に分かれ、リラックスするいろんな湯船、サウナ、渦のプールがあります。滞在中、 ゴルフは3回楽しみました。ゴルフコースは、大変美し〈、日本人がなぜ、このスポーツが大好きなのか、すぐわかりました。不幸なことにプレー費が高く(ワンラウンド200ドル以上)、合理的な費用でアメニティを楽しめるアメリカ人はなんと幸せか、認識させられました。アメリカの中産階級が当然のように思っているものが、日本の中産階級の手に届きません。大阪でマイホームを持つことはノースカロライナに比べて極めて高くつきます。(コストは約10倍!)自動車の運転コストや購入コストも、大変高価です。高価格のもう一つの例は赤身の肉です。これは、アメリカの約2、3倍です。
日本の家庭生活は(驚くほど!)アメリカと似ています。私のホストのみなさんは、家族を大切にし、タ食をともにし、個人の目標達成を祝い、地方の、日本の、そして世界のニュースについて一緒に議論します。私のホスト家庭の一つは、カソリックで、定例のミサに参列していました。私もまたカソリック教徒で、大阪でカソリックの儀式に遭遇したのは驚きでした(信者の数はパーセントにして少ないのですが)。カソリックの学校は、小学枚レベルからカレッジまで、よく見かけるようになりつつあります。これらの学校に通う子供達は必ずしもカソリック教徒に限りませんが、学校の宗教学級でキリスト教について学びます。成人になると、伝統的な日本の宗教(仏教もしくは神道)にとどまるか、クリスチャンになるか、決定するのです。
日本からの出発は、それまでの5週間に経験した大きな活動のすべてに負けず劣らず記憶に残る出来事でした。大変多くのロータリアンが見送りにいらっしゃり、私たちの帰国の無事と、将来の幸せを祈って下さいました。これらの人の中には、もう、おそらくお会いする機会のない方がいらっしやることは分かっていますが、その一人一人は私の人生にインパクトを与え続けることでしょう。この旅行を通じて、私は日本と日本人について学んだばかりでなく、私自身についても多くのことを学びました。それは、人生に対する私の態度や展望、思考方法などです。私の使命は、日本における私の体験を他の人に伝えることです。アメリカと日本の健全な関係は世界の調和に欠くことができません。アメリカ人と日本人、特に指導的立場にある(単に攻治上ばかりでなく、ビジネスや‡支術でも)人たちは、お互いについてもっと知識を持つよう努力するべきです。私は、日本との相互理解について自分の友達や同僚を教育することに寄与するため、できることは何でもする積もりでいます。