(商業用不動産ブローカー)
第7690地区ノースカロライナのチーム、私と5人の他のメンバーは、日本でなんと素晴らしい体験をしたことでしょう。日本を旅行し、そこで勉強する機会を与えられたことは、貴重な体験として思い出し、一生、宝物のように扱って行きます。世界中でも選ばれた数人だけが、国際ロータリーの援助により私たちが体験したのと同じ深さのレベルで、他国の文化、友情、そして最も大切な理解を、交換することができるのです。
私たち6人のノースカロライナのメンバーは、それについての知識はあまりないが、とても研究したいと思っている国への5週間の旅に乗りだしました。アメリカのジョージア州アトランタから大阪までの30時間の飛行に耐えながら、私の心は不安でいっぱいでした。いつもと違った行動をとるべきか。私たちをどう扱ってくれるのか。日本政府とアメリカ政府が経済関係でもめている時に、日本人は私たちのことをどう思うだろうか。お分かりと思いますが、この異国に到着したとき何が待ち受けているのか、私たちには定かではありませんでした。
バッグを集め、入国管理チェックを通過すると、一群の人たちが空港入口に集まっているのに気付きました。照明、カメラ、花、旗が見られました。近づくにつれ、それは日本のロータリーが私たちを出迎えてくれているのだと分かりました。ほとんどの人が英語を話し、お互いに意思を通じることができました。このレセプションは本当に温かく熱狂的だったので、もうずっと長い間友達であったような気がしました。GSEの報告書を読んで写真を見ていましたから、ノースカロライナを訪問したGSEチーム団員(ミレ、ヨシタカ、ケイイチ、シゲオ、ケイゾウ)が歓迎にきていることが分かりました。
彼らが空港にきてくれたことに感謝します。我々は一つのファミリーなんだなと感じました。彼らは異国を訪問するという経験を私たちと共通に持っているからです。彼らがノースカロライナにやってきた時、お役に立てていたらなぁ、と思いました。
出発に際し、日本の食べ物が、私たちが慣れているものと違うことは知っていました。日本食が、紅花や京都ステーキハウスでアメリカ人が食べるものに似ていると、どうか信じないでください。日本人の好物ほ刺身(生のシーフード)と寿司(生のシーフードと少し酢で味付けした米飯)なのです。結局、最後的にはこれらの日本食に慣れることができましたが、個人的には、牛肉、野菜、豆腐の料理である、すき焼き、しやぶしやぶの方を選びます。日本の牛肉はアメリカのものよりずっとおいしい。日本の牛肉は「霜降り」つまり脂肪が多いのです。鰻、タコを食べることは日本では稀ではありません。日本の典型的な食事は、生もしくは焼いた魚のメインディッシュ、それに米飯、味噌汁と漬け物です。労働者に人気のある経済的な食事は、「弁当」つまり箱入りランチで、食べ物が、携帯に便利な箱に詰められています。昼食を持参していないか、あるいは忙しくてデスクを離れられない人は、電話で食事を注文することができます。これは「出前」と呼ばれ、日本ではよくみる光景です。マクドナルドもよく見かけるようになってきました。西洋風のファストフードも日本人は楽しみ始めています 。全体として日本人は健康的なライフスタイルに通じる、低脂肪、低コレステロールの食事が好きなようです。
大変人気のある娯楽の形態は、カラオケです。バックミュージックとしてテープが演奏されますが、歌詞はありません。音楽に合わせ、人々がマイクをつかって歌詞を歌います。カラオケバーはどこにでもあり、老いも若きも利用しています。この時間つぶしは、家庭でも楽しまれています。私のような下手な歌い手も聴衆に許されます。上手な人には拍手があります。プライベートなカラオケ教室もあり、練習ができます。私は、いつも第4番目のホスト、郡悦清(こおりよしきよ)が、晩餐会で「彼女が山からやってくる」と、恵一のバイオリン伴奏で歌ってくれたのを思い出します。郡さんは、ウエストヴァージニア出身の私の婚約者を称えて歌ったのです。ウエストヴァージニアは山の美しさで有名です。私はこの思い出をいつまでも大切にするでしょう。
禅仏教、神道、プロテスタントが日本の主たる宗教です。八尾市に滞在中、幸運にもプロテスタント教会の日曜礼拝に列席できました。アメリカのカリフォルニアからのゲスト牧師が、説教壇に共に上っていました。アメリカの牧師が説教し、日本の牧師が通訳していました。会衆は熱心に聞き入っていました。彼らがこの説教を楽しんだのは明かです。この礼拝の終わりにはスタンディング・オベイションがありましたから。日本のブロテスタント教会は、信仰においても、建築においても、アメリカのプロテスタントと似ています。
禅仏教は、仏教の救いの理想的な状態を得るために、瞑想を用いています。瞑想は肉体的精神的欲望を超越するために用いられるのです。それは「言葉のないコミュニケーション、文字を使わない表現」と言われてきました。さらに言えば「真理は言葉や知識では表現できず、経験によって体得される」のです。私たちは神峰山寺を訪問し座禅とお茶会に参加しました。
神道は、日本固有の宗教と考えられていますが、教祖や教典は有りません。個人の自然崇拝の一形態です。歴史的にみると、無数の神様がいます。多くの日本人は赤ちゃんが生まれると神社へ行き、結婚式も神式でします。今日の神道に関しての私の理解は、それが、特定の神を持たない大多数の日本人の日常生活においての、都合の良い伝統以上の何ものでもない、ということです。
大阪とその周辺の人口は密で、土地の利用が限られているため、日本の公共施設は効率的にならざるを得ません。私たちは、大阪市水道局と関西電力(高浜原子力発電所を訪問しました。水はノースカロライナと同じように化学薬品処理されていましたが、その量は大変なものでした。原子力は日本で最もポピュラーな発電形態です。反対にアメリカでは、原子力は物議をかもすものと考えられています。原子力発電所見学は最も興味の深いものでした。発電所のオペレーターは、原子力発電こそ日本で最も信頼でき、安全で効率的なエネルギーの利用形態だと自信を持っていました。どんな原子力反応と同じように放射性物質(廃棄物)が最後に残ります。たまたま、私たちの滞在中に放射性廃棄物のコンテナーを積んだ船が英国から日本に帰ってきました。英国はその物質を公表されていない期間(おそらく2、3年)、貯蔵することに同意したのです。日本はアメリカ同様、このような汚染物質を安全に貯蔵し、地球社会への有害な影響を極小にするよう、絶えず調査を続けています。
私は、日本滞在を、楽しく、冒険と啓示とに満ちたものとして、ある種の感情とともに常に思い出すことでしょう。私は、日本の人たちが、心と家庭とを、6人のノースカロライナからのアメリカ人に開放してくれた様子を決して忘れないでしょう。
日本のロータリアンは6本のダグウッド(ノースカロライナの州花)に、団員それぞれの名前を刻んだ大理石の銘板を添えて、最近完成したばかりの花博跡地公園に植樹してくれました。その時、私はこう悟りました。私は、この素晴らしい国へ白分の子供を連れて帰ってくると。私は、自分の子供を、この人たちと、この場所に紹介したい、彼らの世代も日本人をよりよく理解できるようにしたい、この美しい6本のダグウッドが表しているものを見せてやりたいのです。さらに、終わりに際して、かの悪名高いアインスタイン教授の言葉を引用したいと思います。彼の書いたこの手紙こそ、日本とアメリカのロータリーの交流の意図に適合していると感じています。
「この挨拶を、あなたがた日本の学校生徒に送るに際して、私にはそうする特別の権利があると思います。なぜなら、私自身、あなたがたの美しい国を訪問し、その町や家、山や森を見、美しい国を愛することを学んだ日本の少年たちに会ったことがあるからです。日本の子供たちの描いた絵をいっぱいに載せた大きな厚い本がいつも私のテーブルの上にあります。もし、あなたが、この遠方からの私の挨拶メッセージを手にしたのなら、我々が、国籍を異にする人たちの間に友情と理解の交際をもたらした、歴史上最初の世代であることを思い出してください。前の時代では、国々は相互の無知、憎しみ、恐れの故に命を奪いあったのです。友愛理解の精神が、国々の間に広がりますように。このことを胸に抱いて、私、一老人は遙か彼方から、あなたがた日本の学校生徒に挨拶を送り、あなたがたの世代がいつか、私たちの世代を恥入らせるように希望します」
アルバート・アインスタインは1922年に日本を訪問した。(「アルバート・アインスタインのアイデアと意見」より引用)