レナ・ウィルナー

(芸術家)

 私を、このGSE奨学生に応募するよう勧めてくれたのは、カールスハムRCの会長でした。彼は、私と私の仕事について良く知っていて、日本訪問は芸術家にとって為になるだろうと考えたのです。チームの一員に選ばれたことは大変なストレスになりました。私は多くの人の面前で自分について話すことに慣れていません。私は通常、自分の「オーディエンス」に作品を通じて間接的に会っています。GSEのように人々と直接コンタクトを持つことは私を恐れさせ、ナーバスにさせました。今年のチームに選抜されるまで、誰も私に注目した人はなかったことは明らかです。

 チームのメンバーは、お互いに遠く離れて暮らしているので、大阪へ向けて立つ前に長い、お金のかかる旅行が7回も必要だったのだと思います。準備の段階では、多くの時間をプレゼンテーション・プログラムの作成とリハーサルに割きました。このプログラムには30分使えると聞いていました。私たちはこの半時間を、私たちの職業や関心事に基づいて、スウェーデンにつての広範な情報で満たしました。私たちは多くのスライドの使用とシンプルな言葉を用いるよう心がけました。英語はホストの国では広く使用されてはいないことを知っていたからです。春も遅くになって、自由になる時間は15分であることが分かりました。通訳が必要だからです。テキストをカットし、スライドを仕分け直し、なおかつ興味のある情報を提供することは困難でした。この意味ではスライドプロジェクターにも問題があったと指摘せねばなりません。私たちは、大阪滞在中スライドプロジェクターを借りたいと数回意志表示しましたが、かなえられませんでした。プロジェクターは毎回異なり、質もまちまちでした。高画質のスライドを選び、プレゼンテーションすることにエネルギーを割いていたので――作品 をお見せするために――いらいらしましたが、これは容易に避けることができた問題だと思います。

 準備段階のミーティングには時折、日本に長く暮らしたことのあるゲストを招きました。私たちは、どのように振る舞うべきか、西洋風の不注意の最悪のケースを避けるよう教わりました。私自身の準備は、日本について良く読むこと、小説から旅行ガイドブック、そしてもちろん、アートの本でした。

 出発の数週間前に日程の本をもらいました。立派なスケジュールを、増大する興奮をもって読みました。

 日本では、環境順応のために2日半があてられ、大阪城公園に近いホテルニューオータニが予約されていました。このホテルには週末、土曜から日曜にかけて毎週滞在しました。一週間の考えや体験を一新し、新しいホストファミリーへの移動と、次週のイベントの心の準備をできるため、ホテル滞在は、とても快適でした。

 共通の訪問では、水族館の海遊館、奈良訪問、万博跡地の民族学博物館と日本庭園がハイライトでした。専門の通訳がいないこともあって、いくつかの訪問では、フラストレーションが残りました。展示の一部しか分からない場合、技術的な施設に興味を持ち続けることは私にはできませんでした。不幸にも、この心配は、自分の職業研修でも同様でした。私の訪問は、画家、陶芸家、舞踊家などでした。専門的なレベルでのディスカッションには通訳が必要です。芸術の分野で働いている必要はありませんが、語彙を持っている通訳です。この問題をGSE委員会の委員さんと話し合いましたが、私たちのすべてに通訳を用意するのは、お金がかかり過ぎるとの考えでした。そこで提案です。回数は少なくなっても実りのある訪問がよいと思います。

 言葉の問題はいつもつきまとい、ホスト家庭でも同様でした。共通の言葉での会話は殆ど不可能で、とても残念でした。もちろん、心と心でコンタクトに成功した時はありました。しかし、私は、日本の家庭に滞在するという希な機会を活用して多くの質問をしたかったし、そのテーマは多くあったのです。

 第一週の家庭での生活は集中的でした。私はホスト家庭の友人や親戚を招いての夕食に招待されました。カラオケバー、歌舞伎のリハーサルに行きました。着物の着付けをし、食料品の買い物について行き、食事の用意のお手伝いもしました。総仕上げとして、ホスト家庭のお母さんが、京都へ歌舞伎を見に連れていって下さいました。ファンタスティックな経験でした。4時間があっと言う間に過ぎました。

 このご家庭がホストファミリーをなさったのは初めてだとのことでした。私のためにこの週を思い出に残るよう一生懸命にして頂きました。その後の週は、週ごとに夕べの活動は少なくなり、一人で過ごすことが多くなりました。私に対する関心が低いのかとも思いましたが、もちろん言葉が通じないのが原因だったのでしょう。

 職業研修日は、私にとって、もちろん重要でした。日本のアーチストの置かれている立場は?展覧会は開けるのか?公共の場の装飾は?日本のアートシーンではいま何が起こっているのか?トレンドは?アイデアは?伝統的なスタイルと現代的なテクニックの関係は?私の質問に答えてもらえる機会は、先に述べた通訳問題のために減少しました。もちろん、現役で活躍なさっている巨匠にお会いでき、これは大変な名誉なことで、感謝しています。若い専門的なアーチストにも会って、現代日本の文化活動についてアイデアを得られたら、さらに嬉しかっただろうと思います。

 多くの会社、オフィス、諸施設を訪問しました。アート作品がしばしば、ひしめき合っているスウェーデンの職場と対照的に、壁の絵が少ないことに驚きました。スウェーデンでは、文化が生活の一部であり、社会的な生活の重要な部分であるという考えが浸透しています。活発な文化生活が他の社会的進歩に貢献するのです。この進歩には、芸術家のアイデア、コメント、ビジョンが重要な働きをしています。

 私の職業研修日で大変有り難かったのは、武田さんご夫妻にお会いできたことでした。彼は、ある日、一日を費やして、伝統的な日本舞踊の要素を私に教えようと試みてくれました。脚の痛み、笑いすぎによる筋肉の痛みは別にして、この熱心で快活で寛大な芸術家は、私の心に大きく温かい思い出を残してくれました。もう一人、強い印象を受けた人があります。大福寺のアメリカ人僧侶、スーザン・ノーベルです。彼女は早口で、集中して、熱心な目で、自分の生活、お寺での彼女のプラン、日本にいて女性でかつ外国人であることの経験などを語ってくれました。このような珍しい職業に就いている、力強く自立している女性に会うことは、極めて楽しいことでした。彼女はお寺の庭を整えるのに人手を要していました。私はお手伝いをしたい誘惑に駆られました。

 多くの人は、スケジュールを追って右往左往しているから、5週間のあいだにきっと私が痩せるよ、と言ってくれました。私もそうなると思いました。しかし、オー、ノーです!食事がおいしくて!

 数年前、私は日本料理のコースを体験しました。しかし、それを正しい場所で、正しい雰囲気の元で、正しい素材と器でいただくのは、まさにファンタスティックでした!美しくて、美味しくて、長時間の晩餐に何回も参加させて頂きました。日本は、このような形で私の思い出に残ると思います。快活な人たちが、美しくしつらえられたテーブルを囲んで集い、それには絶えず創造的な料理が完璧な色、形、味の構成で供されるのです。

 日本の社会をいろんな側から体験する機会をアレンジして下さったみなさますべてに対し、心から感謝致します。