南十字星のきらめく国・ニュージーランド〜大自然と愛に触れて〜

菅井 朗夫

(守口市役所総務部契約課、守口ロータリー派遣)

 ニュージーランドでのホームステイ、それは私のこれまでの人生観を顧みる貴重な体験となるものでした。現地の家庭に入り、真のニュージーランドの人々の生活習慣を肌で感じ、観光旅行では味わえない体験をさせていただきました。今、私は日本の夜空に浮かぶ北斗七星を見つめながら、ニュージーランドの素晴らしい南十字星を見たあの夜に戻った錯覚に戸惑いながら、ワープロに向かっています。

Mosgiel

 期待と少々の不安を抱きながら、5月9日に最初のホームステイ先であるモスギールという人口1万人程度の静かな佇まいの美しい町に入りました。こちらのホストファミリーはKEES(74才)・COE(72才)の2人住まいの御夫婦で、リタイアされていてゆっくりと人生を楽しんでおられるように見受けられました。本当に仲が良く、お互い労り合いながら生きている姿を見ていますと羨ましくさえ思えます。「私たち夫婦もああいう風になれたらなー・・・」なんてー人、妻の顔を思い浮かべながら思ったりしました。

 御夫妻はオランダからの移民で、戦争中はオランダにいてドイツ軍の進入にあい大変だったと言う話も伺いました。特にKEESは終戦前後インドネシアに出兵されていたとのことです。彼は日本軍の遺品である日本国旗を持っていました。なんでも戦友に貰ったそうです。自分が持っていても仕方がないので、所有者の関係者が分かれば渡して欲しい、分からなければ戦争記念館等に寄付して欲しいとのことであったので、それを持ち帰りました。戦争を知らない世代である私には、今の日本の平和は、あたりまえであるかのように暮らしていましたが、改めて御夫妻の話を伺いますと、益々私は、平和の有り難みをかみしめなければいけないなーと思いました。また、二度と戦争を起こさないように努めるのが私たち世代の役目であると痛感しました。

 この日の夜、私たちはラグビーを見に行きました。ラグビーを見るのが初めての私は本当に興奮しました。ご承知のようにニュージーランドはラグビーが最も盛んな国です。本場のゲームを生で見て、試合前のセレモニー、それに応援の歓声等さすがに凄いなぁと感心したものです。この国を語るにはラグビー抜きでは語れません。至る所に芝生のラグビーグラウンドがあり、またお店にはラグビージャージが溢れています。メンバーの一人であるYOSI(蜷川)はラガーマンであることから、ニュージーランドで一番の人気者でした。試合は残念にも地元チームが負けてしまいましたが、観客は本当にゲームを楽しみ満足した様子でした。この点は日本のプロ野球観戦と少し違うように感じました。試合が終って帰ってみるとKEESが先ほど見たラグビーをビデオに取ってくれていて、そのテープを私にプレゼントしてくれました。本当に親切で優しいなーと改めて感心したものです。

Milton RC例会

 5月12日午後、私たちはニュージーランドで最初のRC例会に出席するため車で1時間ほど南へ下がったミルトンへ向かいました。この町は人口2千人程の小さな町です。例会は、日本と違い午後6時30分から始まり、30分ほどスタンディングでビールなどを飲み、会話を楽しんだあと、各自がバイキング形式の食事を勝手気ままに食べて、食事が終わってからミーティングが始まります。特に興味深かかったのはサージャントです。これは小銭を寄付するためのセレモニーで、司会者が各々のメンバーの1週間の出来事を把握していて、例えば、ゴルフのスコアーが今週一番良かった人とか、今週子犬が生まれた人とかの名前を呼び上げて小銭を寄付させるやりとりが、非常に絶妙でおもしろかったです。日本の例会に2回ほど出席させていただいたことがありますが、その違いに少し戸惑いました。この方式は私たちが出席した全ての例会に共通していました。ここで初めて英語のプレゼンテーションを恐る恐るしました、何とか無事に出来たように思います。

 例会の終わりのバナー交換の時、日本から持ってきた色紙にひらがなで「ありがとう」と書き、皆のサインを添えてプレジデントにプレゼントしました。これが大変好評で、以後の例会には欠かせないセレモニーになりました。

 4日間の短いモスギールでの滞在でしたが、御夫妻には本当にお世話になりました。英語の苦手な私に親切に英語を教えて下さったこと、下着まで洗濯していただいたこと、枚挙にいとまがありません。またダニーデンのコンファレンスに、わざわざ私たちのプレゼンテーションを聞くために来ていただいたことを今でも感謝しております。

 私がお世話になった、全てのホストファミリーをここで紹介したいのですが紙面の都合もありますので、3泊以上ホームステイした所を中心に述べたいと思います。

Timaru

 オマルーで2泊、ワイマテで1泊した後、5月16日にティマルーへ入りました。こちらのホストファミリーは、男(DAVID)一人所帯で、現在奥さんが病気のため病院に入院中とのことです。彼は既にリタイアしており、年齢は65歳前後と思われます。奥さんが入院中と聞いて、少しビックリしましたが、彼に食事の用意、又洗濯までもしていただき本当に恐縮しました。ここでは5泊お世話になったのですが、何一つ不自由しませんでした。DAVIDはティマルー南RCのプレジデントであることからRC関係の仕事が忙しく、そのため17日早朝から彼はダニーデン(コンファレンスの主催地)へ向かい、RCの仕事を済ました後、夜ここに戻ってこられました。この日の朝食は彼の友達の所で頂きました。

 ここでニュージーランドの朝食についてリポートしてみたいと思います。たくさんの家庭で朝食を頂きましたけれど、必ず出てくる物はシリアル(コーンフレイク)です。それも何種類(一般的には3〜5種類)もの中から自分の好みに合う物をボールに取り、その中に果物(アプリコット・アップル・ピーチ等)を入れ、最後にミルクを注ぎます。私には初めての経験でしたが、これが結構おいしいんです。皆さんも試してみて下さい。また、その中にバターとかジャム、ヨーグルトを入れて食べている人もいました。通常は、これにジュースかコーヒ、ティーで終わりみたいです。お客様等が滞在されますと、この他にトーストそれにハムエッグ、ベーコンエッグ等が加わるそうです。

 朝食を食べ終わると、この国の最高の観光スポットであるマウントクックに向かいました。快晴の空に、雪を抱いたあの壮大な姿は、今でも目に焼き付いています。この日の夜はDAVIDと一緒にメキシカンレストランに行きTボーンステーキをご馳走になりました。夜の例会以外では初めての外食だったので、何か久しぶりにリラックス出来ました。家に戻ると彼は、奥さんの居る病院へ顔を出して来ると言って出かけました。毎日1回は必ず顔を見せるそうです。病名はstroke(たぶん脳卒中)です。いつも笑顔を絶やさずに人に接している彼を見ていますと、凄いなぁと感心させられます、奥さんがあんなに大変なのに・・・・。

Timaru District Council

 5月20日の午後、私たちは職業研修のためティマルーの役所を訪れ、市長・市幹部の方々と議場で種々意見交換を行いました。何分にも行政の専門英語に精通していない私は自分の聞きたいこと、また、むこうの言っていることの意味の理解が半分くらいしか分からなかったことが、本当に情けなかったのを今でも残念に思い、遅蒔きながら行政英語の勉強をしている今日この頃です。

 その後、市長さんの案内で市で一番古い建物を見学に行きました。なんとそこは今、ビヤホールになっていて結構はやっているそうです。面白かったのはトイレで、その日の新聞が飾ってあって読めるようになっていました。日本で新聞が飾ってあるトイレを私は見たことがありません。ここでトイレについて日本との違いを・・・当然のことながら男性トイレに限ってですけれど。便器がステンレスで出来ています、それも日本のように一つ一つに分かれていません。昔、駅や公園にあった壁に向かってする方式で、それが全てステンレス仕上げに成っていて清潔で臭いも全くしません。いろんな所でトイレに行きましたけれど、ホーロー便器に出会ったのは1回だけでした。何故だか分かりませんが、少なくとも私たちが訪れた所では男子トイレはステンレスで出来ていました。その理由を知ってる人がおられましたら教えて下さい。

 5月21日、DAVIDと離れる日が来ました。コンファレンスでの再会を誓いティマルーを後にしました。

Winton

 ワナカで1泊、クイーンズタウンで4泊(ホームステイ2泊・ホリデーハウス2泊)、アレクサンドラで2泊、ロックスボーで1泊、ゴアで2泊した後、5月31日にウイントンに入りました。こちらのホストファミリーはJOHNとGRETCHENの二人住まいで、JOHNは自分の所有している牧場の経営とインバカーゴにある会計事務所で会計士として働いています。GRETCHENはガーデンプランナーとして自宅に事務所を構えて仕事をしています。私がお世話になつた3日間は休日(6月2日・月曜日は女王誕生日で祝日)のため、彼らの次女夫婦も休日をここで過ごすため、この日の午後ダニーデンからやってきました。この点は、日本とよく似ているなぁと感じました。私も、若い頃はよく休日に家内の実家に行ったものです。こちらの家族は、みんな読書好きで、夜はテレビなど見ずリビングで本を読んで過ごしています。その光景を初めて見たときは、何か不思議な感じがしたものです。たぶん日本では殆どの家庭が夕食後はテレビを見て過ごしていると思います。そのため、私も一緒に英語の本を辞書を片手に読んでいました。このころになると、こちらの英語にも慣れてRC例会 でのプレゼンテーションも余裕をもって出来るようになりました。この3日間は、RCの行事もなくリラックスしました。

 この時期のニュージーランドは、朝晩が非常に冷えます。電気毛布なしで寝たのは研修期間中1回だけです。その時は寒くてあまり眠れませんでした。驚いたことにホテルのベッドにも電気毛布の用意がありました。ただ、日中は汗ばむ日もあったりして、全体的には過ごしやすい日が多かったように思います。

 ここでの最後の夜、私たちはポットラックティー(料理持ち寄り夕食パーティ)に招待されました。こちらではよく行うパーティだそうです。日本ではあまりなじみがないようですが、日本に帰ったら絶対ポットラックティーを、気の合う仲間としよう思いました。ちなみにまだしていませんけれど・・・

 JOHNとGRETCHENに最後の別れの挨拶をした後(こちらでは、別れるのが辛い人と別れる時、女の人の方から抱き合って頬にキスするのが習慣らしいです。私の場合、もちろん頬にキスでした。)、残り少なくなった行程に、若干の寂しさを覚えながら次の目的地へ向かいました。

Dunedin

 インバカーゴで2泊、バルクルッサで1泊した後、6月6日に最終地であるダニーデンに到着しました。ここで、2日間クオリティー・ホテルに滞在させて頂だき、6月7日無事にコンファレンス(9980地区大会)でのプレゼンテーションを終えました。この日は今までにお世話になつた人達が、おおぜい見えられ、本当に懐かしく楽しく会話を弾ませたものです。バンケット(晩餐会)の素晴らしい想い出は、一生忘れないでしょう。

 6月8日に最後のホームステイ先であるDONとALLISONの家に向かいました。DONは建築設計技師で、それゆえ彼らの家はオシャレで近代的な佇まいの建物です。高台にあることから、私の部屋からは、海の入り江を挟みダニーデンの町並みが綺麗に見渡せます。夜ともなると夜景の素晴らしさに言葉を失いそうでした。

6月10日、明日には、ここを立ちクライストチャーチに向かわなければなりません。本当に今日が最後です。朝、ALLISONにスパイツビールの工場まで送ってもらい、工場見学しようとした時、DONがやってき見学を早めに切り上げ、アワビを取りに行かないかと誘いました。私たち(蜷川・河村)は、ほんとに取れるのかなと思いつつ、ワリントンビーチへ車を走らせました。美しい砂浜のつづくビーチで、夏にはさぞ賑わいを見せるだろうなぁと思いながら、岩場の方へ向かいました。DONがウエットスーツを着て海に入り、アワビを取り始めると非常に沢山取れるではありませんか。日本のアワビとは少し違いますが、味はよく似ています。こちらではPauaと呼んでいて、この貝で作られた装飾品が、お土産として人気があります。沢山取れた中から、DONが約15cm以下のアワビをリリースしていました。私はもったいないなぁと(12cm〜13cmはある)思いながらじっと見ていました。彼らの資源保護に対する考え方を、ここで見たような気がしました。午後からは、オタゴ半島の観光に全員で出かけ、途中景色のいい丘でSmokoを取りました。

 Smoko心地よい響きです。この言葉はスラングで、日本語で「いっぷく」に相当する休憩のことです。こちらの会社では、午前10時頃と午後3時頃にSmokoを取るのが慣習になっているみたいです。その理由は、人間は2時間以上集中力が続かないと言うことを子供の頃から教えられているからだそうです。ケーキ、サンドイッチ等、とても豪華な副食付のコーヒブレイクです。日本にこんな慣習があれば肥えて仕方がないと思います。ただ、こちらの朝食・昼食は少し軽めで、これでバランスがとれているのかなと思ったりしました。

 6月11日、私たちはガバナー夫妻をはじめ皆さんの厚い見送りを受け、午前9時50分発の飛行機でダニーデンを飛び立ちました。

 ニュージーランドの大自然で過ごした5週間、今でも鮮明に覚えています。

 一人ひとりの環境問題に対する意識の高さから、保たれている美しく豊かな自然、自分達の生活環境を守るため行っている様々な工夫。私たちが学ばなければならないことが、たくさんあるように思います。いつの日かこの地を訪れた時、私が過ごした、あの時のままで大自然は迎えてくれるでしょう。あの時のままで・・

 おおぜいの人々の愛に囲まれ、とどこおりなく過ごさせて頂いたことに感謝すると共に、ホストファミリーの方々に改めてお礼を申し上げたい気持ちでいっぱいです。また、このような素晴らしい体験の機会を与えて頂きました、GSE委員会の皆様方に、厚くお礼申し上げます。

 ありがとうございました。