「ホームステイで見たニュジーランド」で考えたこと

中島 守

(団長・大阪キリスト教短大教授・国際交流室長、大阪住吉ロータリークラブ会員)

はじめに

 ニュジーランド(以下NZと略記)は近年(と言ってもこの1、2年下火となりつつあるようですが)若者達の間で英語の短期(1ヶ月〜1年位)留学先として、あるいは新婚旅行先として大変人気があるようです。そもそも私たち日本人のNZに対するイメージとはどのようなものなのでしょう。

 筆者にとってのNZのイメージは、お恥ずかしい次第ですが、NZからの同級生を親友に持ちながら、「大英帝国の優等生、キリスト教文化の国、女性を大事にする国、人の良い白人国家、最近行政改革で成功した国」というようなお粗末なものでした。そんな訳でNZを訪問することは筆者にとっては初めてでしたので、大きな期待を持って参りました。

 まず私たちが訪ねた所を数字で示しておきましょう。

1.17ヶ所のロータリークラブ(以下RCと略記)、そして発表と親睦

2.15の工場や事業体

3.13の学校(小学校から大学まで)や教育施設(保育所や幼稚園など)

4.10の大、中、小の農場や牧場

5.7行政官庁(1県庁と6市[町村]役所)

6.そして幾つかの有名な観光地

7. それぞれの団員が14軒のロータリアンの家庭で1泊から4泊させてもらいました。

 その中で多くの事を学びました。そして先入観が変えられ、また喧伝せられている行政改革についても両面があることを知りました。研修途上入手したある本には、次のように書いてありました。

 「どうして、あのNZ−−小さな、地理的にも南太平洋の離れ小島の一つにしか過ぎない、人口わずか340万人の−−国が、世界の関心を引くのか。NZはかつては最初に女性に参政権を与えた国、福祉国家の発祥の地、”清浄な、緑の、非核国”として知られてきた。今日、それは”NZの実験”として知られるようになったことで不評を買いつつある。」(注1)

 しかし、本報告書の目的は資料による「論文」でない(それなら上記一冊を翻訳すれば済むことですが)ことは十分承知しています。そこで筆者としては表題のように「ホームステイで見たニュジーランド」を軸にしつつ、その中で考えさせられた事共を、資料の引用も交えつつ書いてみたいと思います。しかし、そこには幾つかの制限事項があることを初めに明記しておかねばなりません。

1.6週間は一観光客としてはむしろ長い滞在でしょうが、急激な変化を遂げつつある国の状況を理解することなど、一外国人にはほとんど不可能です。

2. 特に政治・経済・行政などには門外漢の筆者には、その方面からの論評は不適格です。それは他の団員の方々にお任せします。

3. お出会いした方々がRCの方々か、その紹介による方々であったためか、大体において社会的にも経済家的にも(NZは「社会階層の存在しない国」と言われてはいますが)中の上以上の方々であったように思います。そのためお聞きした意見もそのように受け取る必要があるでしょう。

4、この報告書は決して体系的なものではなく、むしろ「見聞録」です。それを紹介された資料によって裏付けをしながら、筆者の勝手な解釈を加えたエッセイと御理解願いたいと思います。

 ところで、NZのことをマオリ(原住民)語で「エテロア(Aotearoa)」と言いますが、案内書によると「南島の山々の中腹に”長くたなびく白い雲”」という意味から生まれた言葉だそうです。(注2) 事実、訪れた南島の美しい山々の中腹に白く長くたなびく薄い綿のような雲は不思議な景観でした。

幾つかの事実

 NZのここ数年の統計類を網羅することは不可能ですが、関連のある幾つかの点について先ず「事実」を挙げておきおきたいと思います。

1. 人口

 最新の調査によると、1993年に352万5千人であったのが1996年3月の調査では366万364人で、3.3%の増加であったと報告されています。(注3)  

 さらに、その75%が北島に住んでおり、北島への移住が顕著であり、特にオークランドは12.5%の増加を示しています。この都市集中の傾向は南島でも同様で、クライストチャーチでは7.2%、マールボロやネルソン周辺は9%の増加。その分の人口減少は南島の特に南部地方に集中していると報じています。北島より大きい南島が全人口の25%、約90万人強の人口しか居ないというのは、実際に旅行して見ての実感でした。とにかく人が居ないのです。見るのは羊ばかり。人を見るとホッとしたものです。

 NZと同じくらいの国土を持つイギリスが5千8百万人、日本が約1億2千5百万人であるのに比べると、比較にならないほど少ない人口です。人的資源の重要さを痛感した旅行でした。

 他の資料によると、NZも徐々に人口が増加しており、2031年には450万人になるであろうとありました。(注4) 悲壮な希望が込められたような文章のように思えました。

 NZは思ったより多人種の国です。ちなみに人種別の割合を見ますと、

ヨーロッパ系     

マオリ(原住民)   

太平洋ポリネシア系  

中国系        

インド系       

その他       

となっています。(注5)

2. 労働時間

 NZでは「完全雇用(フルタイム)」とは週30時間(かそれ以上)を言います。行政改革の結果64才まで働くようになりましたので労働人口が増加しました。15才から19才までは労働人口に入りますが、ほとんどが学生ですので雇用されている者は少数です。そこで全労働人口は男性の74%、女性の56%、全体ですると64%ということです。

 行政改革以降、人々は以前以上に多時間働くようになりました。1990年6月の調査では労働者の平均労働時間は1821時間でしたが、1995年6月の時点では1848時間に増えたと報じています。

 失業率はどうかというと、「日本と米国に次いでOECD諸国中最も低い率、6.3%であり、オーストラリアの8.2%、英国の8.7%に比するまでもない」と誇っています。(注6)

3. 平均寿命

 近年の平均寿命は、男性73.4才、女性79.1才で、OECD諸国中16番目だそうです。ちなみにその文章には最長国として日本(男性76.3才、女性83.5才)が挙げられていました。(注7)

4. 家庭

 近年の社会的変化に伴い、たとえ85%が家庭という単位の中で生活しているとはいえ、多様な家庭が生まれつつあるようです。前回の調査では、いわゆる父親が稼ぎ手で母親は家庭にいるという伝統的な家庭は13.5%でしたが、そのような形態は急速に変化しつつあるようです。正式の結婚によらない、いわゆる「同棲家庭」が1981年から1991年の10年間に58%も増えたといいます。また片親の家庭も1976年いは9%であったものが1991年には17%に増加しており、両親の居る家庭という概念は希薄になりつつあります。現在3分の2が何らかの形で二親を持っていますが、20年後には50%を割り込むであろうと報告書は書いています。(注8)

 また、次のような報告もあります。「今日子供の4分の1が片親であり、マオリの家庭ではその率は3分の1になる。どうしてこのようなことが起こるのであろうか。それは二親の家庭の収入が約4万5千ドルなのに比して、片親の家庭では収入が1万6千ドルより少ないからである。」(注9)

5. 福祉による被援助家庭

 1995年に救世軍の25の「食料銀行」が行った調査によると、援助を受けた54%が女性であり、その内訳の一部はマオリ人が46%、太平洋諸島人が13%で、全体の66%が子供のある家庭とのことです。しかもほとんど4分の3にあたる65%が片親の家庭であったと報じています。(注10)

6. 宗教

 NZのどこに行っても目につくのは大きな立派なキリスト教会の会堂でした。中には百年以上も経つような古い伝統的なゴシック建築の会堂もありました。それは1850年代前後にイギリス、スコットランド、ウエールス、アイルランドなどから新天地を求めて移住してきたクリスチャン達が建てたものです。しかし今日のNZを見る限りでは、他のヨーロッパ諸国と何ら変わりのない思いがしました。ちなみに報告書はほんの半頁を割くだけで宗教について次のように書いています。「教会への興味と参与は史上最低で人口の20%に満たず、NZは今や世界でも最も世俗的社会である」と。(注11) しかし筆者には20%というのも高すぎる評価に思えました。事実ホストの方々や街で出会った人々に「日曜日に教会に行く人は人口の何%と思いますか」との問いに、ほとんどの人達の答えは4%から7%の間でした。ホストの人達との会話の中で宗教の話しが出ると、筆者は必ずNZの状況について聞きました。答えは「20年位前までは多くの人が教会に行っていたのだが、、」というものでした。

ニュージーランダー(キーウイー)達のジレンマ

 とにかく、14軒ものロータリアンのお家に泊めた頂いたのですから、そのご家族、時には友人も招いて下さっての楽しい夕べを幾晩も持つことが出来、数10人の方々とお話しすることが出来たのは何よりの収穫でした。ただ筆者が団員の中で最年長であったためか泊めていただいたご家庭も、すでに子供たちは都会に出てしまっているご夫妻だけの家庭とか、2、3を除いてご年配のご家庭が多かったようです。それだけに、そのご意見も穏健で、批判的というより大局から政治国家を見ていらっしゃる、大変有意義な討論であったと感謝しています。また、さすがRCだけあって普通では出会っていただけないようなVIPの方々ともお話しをすることが出来たことは大きな特権でした。それらの中から幾つかを紹介させて頂きましょう。

1. 「オーストラリア? とんでもない!」

 ティマルー市での筆者のホストはチャルマー長老教会(ですからスコットランド系)の牧師さんでした。名前をピーター・ウイッシュハート(50代後半、夫人はジャネット、子供はエリザベス、15才)といいます。家族でいろいろの話しをしている中で、行政改革後の政府の政策について、特に国有資産を外国企業に売却していることから、もしかするといつの日か、NZはどこかの国の属州になるのではないか、という物騒な話しになりました。半分は冗談でしょうけど、米国か、「いや最も可能性のあるのはオーストラリアでは」と筆者が言うと、血相を変えて「オー、ネバー! オーストラリアに併合される位なら家族を連れてどこかの国に移住する」と言われたのには少々驚きました。

 そう言えばNZ滞在数日目の一夕、オーストラリア・チームと地元オタゴ・チームとのラグビーの試合の加熱振りは、キーウイー達の心底にあるライバル意識を見た思いがしたのを思い出しました。そしてこの意識はその後の旅行を通じて幾度も経験することになりました。彼等の思いの底には、自分達は英国の各地から新天地を求めて自ら移住してきた開拓者であり、島流しされたオーストラリア人とは全く違うという自負があるようです。その半面、近年は経済的にはその大部分をオーストラリアに負っているという引け目があり、大きなジレンマを抱えているように見受けました。

2. 余暇か、労働か

 NZでは多くの新しい英語の単語を覚えましたが、その一つに「スモーコー」というのがあります。"Let's take (have) a smokou." という風に使います。「一休みしてタバコをすいましょう」位の意味です。そう言えば日本語にも「一服」という語がありますから、ちょうど意味は同じです。

 キーウイー達の一日を見ていると、朝食、朝のティー(スモーコー)、昼食、午後のティー(スモーコー)、夕食そして寝る前のティーという具合に、2時間おきに食べているといった感じでした。我々もそれを多いに楽しんだのですが、彼等が”細くない”はずです。

 ある午前、日本人社長のいる住友系の SUMMIT WOOL SPINNERS CO. をお訪ねして、長尾孝彦社長とお話ししたとき、長尾氏は「彼等は一度に2時間しか働けない文化なんですよ」とおっしゃいました。これはなかなかうがった洞察だと思いました。

 もともと西欧の文化は「余暇」を肯定する、あるいはそこから思想を広げていく文化だと思います。それに比して日本は余暇を否定する、あるいは罪悪視する文化だと思います。NZで、「日本人は働きすぎだ」「何のためにそんなに働くのか」「よほど長いヴァケーションでもあるのか」というような質問を何度も受けました。その度に返答に困ったものです。ホスト達(ロータリアン達ですが)のほとんど全員が、毎年4、5週間の海外旅行をしており、部屋には各国の土産が並んでいました。ほとんどがオーストラリアか英国、ヨーロッパで、さすが北の日本に行ったという人達は少数でしたが。彼等の言うのには「お金は必要なだけ作ればいい」「子供は子供、彼等に財産を残す必要はない」「余暇を楽しむために働くのだ」と。

 最初に訪問した牧場は、モスギールRC会長マイク・ロウラー氏の所でした。RC会員の3台の4駆車で、彼の所有するという牧草地の丘を幾つも超えて、1時間もあろうかという奥の丘の谷間の中に水源池がありました。ダニーデン市(人口11万人)の水源です。そしてこの水源から市までの約7キロの流域の両岸は全て彼の所有だそうです。一通り案内してくれた後、ロウラー氏は「私が引退するときにはこの水源はその両岸の土地と共にダニーデン市に寄付する」と語りました。その時筆者はなぜだか胸の奥から込み上げてくるものを感じました。それは彼の人柄と共に、一つの人生観を見る思いでした。しかしこのようないき方をすることのできる世代がいつまで続くでしょうか。

3. 人間か、自然か

 NZ、それも南島の南部は本当に美しい所が無数にある、素晴しい地方です。しかし人口密度は全国で最過疎、とにかく名古屋から西の本州全体位の地域に約30万人位しか人が居ないのですから。「この地方には人間が居なくて、羊ばかりですね」と言うと、彼等は笑って「だから自然が美しい。人間はこれ以上いらない」と言っていましたが、ここにも彼等のジレンマを見る思いがしました。

 アレクランドラでセントラル・オタゴ(人口約4千7百人)市役所を訪問したときのこと、一応の紹介と応対が終わった後、市の行政最高責任者(日本で言えば市長のような、しかし官僚。ロータリアン)その他数人とお話しをする機会が与えられました。(表敬訪問では大体このような応対でしたが。)

 筆者はこの研修旅行を通して、一貫して最後には必ず二つの質問をしてきました。それは「あなた(あるいは貴職)にとっての最大の課題は何ですか」と「行政改革の方向性についてどう思われますか」というものでした。

以下は彼の話しの要約です。

 彼によると、「この国における最大の課題、少なくともこの南部においては過疎対策と雇用促進である。

1)人口流出が生み出す過疎化を止める方策を模索している。南島全体では80万人位しかいないのに加えて、若者達はとクライストチャーチなどの都会に集中する傾向にある。

 若者たちは都会へ出て帰ってこない、と老人たちは嘆いている。そのことは大農場主たちにとって後継者がいないことであり、手が足りないことを意味する。人手を得るには人を雇うしかない。それは今まで以上の経済的負担を負うことであり、大変な困難となっている。かつては8百頭の羊で生活できたのに、現在では2千頭でも困難。増やすためには土地を増やさねばならず、それは経済的に負担が大きい。さらにその手間が不足している。

 政府の経済政策は、まず農家への援助打ち切りであった。そのことは特に小農家にとっては非常な困難であり、多くの農家が農業を離れる結果となった。経済改革以前にすでに生活を確立していた農家は、その貯金で今も生きていけるが、今後の見通しについては全く不明であり、不安である。

2)南部の田舎では雇用の機会はほとんどない。企業が存在しないのだから当然であろう。雇用を増やすための施策がない。そのことが若者を都会に取られる原因であることは良く知っているが、政府が地方の行政から一切手を引いてしまった今、地方の行政はまだ独立し切っていないとうのが実情。地方分権という点においては確かに一歩先んじているように見えるが、具体的に何も機能していない。経済的に国家の援助が必要なものもあるのに、、、。

3)行政改革の方向性については、おおむね良好である。いろいろ微調整を必要とするが、いずれやらなければならなかったことである。」

 美しい大自然の故郷を離れて、都会にあこがれる若者達の姿はどこでも同じようです。自然の魅力だけでは過疎化に勝てないのです。聞いていて日本の地方行政のジレンマに似ている所が多くあるのを感じました。それでも最高職にある官僚の行政マンが、良く本音を語ってくれたと思います。しかし改革によって切り捨てられた下層の人達のことについては何も聞くことは出来ませんでした。

4. 全体か、個人か

 ゴアにおける筆者のホストは聖公会(HOLY TRINITY ANGLICAN CHURCH)の司祭であるアレック・クラーク氏の家でした。奥さんのジャンも司祭の資格を持ち一教区の責任を持っているという、30台後半(子供はリチャード、13才、とスティーブ、10歳)の活動的な、筆者が泊めていただいたお家では数少ない若い家庭でした。それだけに、色々な事柄について活発な意見を聞くことが出来たのは幸いでした。

 議論は多方面にわたりましが、行政改革が社会と教会に与えた影響について話してくれました。

彼等の意見を要約してみますと、

1)行政改革の一つの目玉であった「自由時間就業」の結果、週末がなくなって、日曜日ですら自由に多用に用いられるようになった。そのため、あらゆるボランティア活動が困難になりつつある。教会のあらゆる社会的活動が困難になっており、ロータリーの諸奉仕活動においても然りである。

2)政府があらゆる保証をしなくなったため、個人が自己保証を確保する必要ができた。そのため他人への配慮が失われつつある。かつては良く寄付をしていた人達もそれができなくなっている。

3)政府の政策の根底にあるのは「自分のことは自分で」という哲学であるが、必要のある人達に対しての福祉政策が全く失われつつある。「持てるものはいよいよ持つ」結果になっている。現在の国家を動かしているのは少数の富豪たちであるため、彼等には有利に働く政策である。

4)政府は利益優先の民間企業 (Privatalization)の形態を取っている。そして負債を切り捨てるために、国家の資産をつぎつぎに売り払ってしまった。多くの人達は国家の将来について不安を抱いている。

5)キリスト教会では「社会活動担当者」を置いて、事例を調査し、国家への提案を纏めて提出したが、政府は「貧者」の存在をすら認めようとしない。そのため対話さえ不可能となっている。その報告書は以下より得られる。

ANGLICAN-METHODIST FAMILY CARE CENTER, DUNEDIN

((DIRECTOR: CATHERINE GOODYEAR)

OFFICE: 477-0801, FAX: 477-0888

6)政府が取っている方向は完全に間違っている。その哲学が間違っており、それは伝統的にNZが取ってきたキリスト教的な方向ではない。「貧しきものへの配慮」のない政策はいずれ崩壊する。このときに当たってキリスト教会は彼等の味方であることを宣言・実行することが教会の使命である。」

 筆者にとって最も興味を引かれたのは、彼等がこの旅行を通して出会った人達の中で、明確に行政改革の方向性に"NO!" と発言した数少ない人達であったということです。(もう一人はオマルーでのホスト・ファミリー、ラッド夫妻でした。どちらもやはり30代後半の二人で、夫人のアリソンは地方紙『オマルー・メイル』のチーフ・レポーターで進歩的な意見の持ち主でした。)

 Kelsey も前掲書の中で同様のことを指摘しています。「改革は(経済的)下部構造の変化というより、秩序の変革である。、、、貧者が切り捨てられ富者が大手を振っている、、、。」(注12) 「人々はより多くの時間働くようになっている。、、、それでも年間の生産性は1995/6年度において1.6%落ち込んでいる。」(注13)

 NZが実施した行政改革を要約すると、公営事業の民間企業化(競争原理)・個人の生活は個人の責任で・地方分権の徹底・サービス業は最小限度に・教育の独立採算化・ボランティア事業はキリスト教会とボランティア団体で、というようなもののようです。確かにキリスト教精神の中には個人の責任もあり、現代の民主主義、資本主義を生み出したのも西欧キリスト教の世界でした。しかし公共精神と貧者救済も同様に聖書の精神の中心を成しています。ところが最近の西欧世界を見る限りでは、すべてが経済的原理によってのみ廻っており、もはや西欧世界をキリスト教の国々と見る人は誰も居ないのが現状です。そしてNZも例外ではないことを痛感させられる旅でした。

 全体か、個人か。要はバランスの問題です。ここにも大きなジレンマがあるように見受けられました。。

 考えて見ると、NZが抱えているジレンマは実は今日の世界が直面しているジレンマそのものではないでしょうか。日本も例外ではありません。これを克服する道はどこにあるのでしょうか。

終わりに

 NZと日本とを比較することは、その人口のあまりもの違い(約30分の1)を考えると、今直ちに模倣することの出来るような事柄はあまり無いように思われます。しかし、その根底にある思想の出発点が違うにも関わらず、どちらも同じ様な問題に直面しているというのは「現代」という時代の巨大な流れの由でしょうか。しかし筆者の心に深く印象付けられた一つの言葉があります。それは最初のホストであったモスギールのスチュアート・ボッティング氏の「多くの苦痛と苦悩を乗り越えて、最終的には良い方向に向かうであろう」という一言です。お話しをした多くのロータリアン達からも、その後幾度となく同じ様な内容の表現を聞きました。この楽観主義こそ彼等の底力であると思います。「ケ・セラ・セラ」の楽観主義ではなく、自分もその一翼を担うという決意の伴った楽観主義こそ大切なのだと思いました。これから10年後、20年後のNZが楽しみです。

 最後に、この交換研修を可能にし、参加の機会を与えて下さった、2660地区の中川ガバナー、ロータリー財団の山中理事長、GSE委員会の橿村委員長、松岡副委員長はじめ委員の諸氏に紙上を借りて感謝を申し上げたいと思います。また、6週間という長期に亘って、このふつつかな団長を支え助けて下さった4名の団員の諸氏に、心からの御礼を申し上げます。諸氏のそれぞれのすばらしい人柄とユーモアとが、どんなに大きな励ましとなったことか言葉もありません。ありがとうございました。

 NZの9980地区大会でのご挨拶でも申し上げたことですが、NZのロータリーの皆様、本当にありがとうございました。ちなみに、その大会での挨拶の全文は他の団員の挨拶と共にこの報告書末尾に掲載しています。

(注)

1.Jane Kelsey, The New Zealand Experiment: A World Model for Structural Adjustment?, Auckland University Press, Bridget Williams Books, NZ, 1997,

p. 1よりの筆者の部分訳。本書は、今回の研修途上ロックスボーでお出会いしたロータリアンのお一人ジョン・パー氏(オタゴ大学引退教授で眼科学の権威)から紹介された本で、教授の言葉を借りれば「1984年以来のNZの行政改革について率直に批判的に書かれた最良の本」とのこと。資料的に見る限り筆者が6週間にわたる研修で入手し得た資料の中の最良のものであると思う。本書については、図書紹介誌Listener (Feb. 3, 1996), その他に良書として書評が掲載されている。

2.Pope, Diana and Jeremy, South Island; Mobil New Zealand Travel Guide, 7th edition, Reed Books: Auckland, NZ, 1995. p. 9.

3.Brooks, Norman, "Trends in the Nation," in Bruce Patrick, ed., New Vision, Vol.2, Auckland: Vision, NZ, 1997. p. 35.

4.Department of Statistics, Facts New Zealand, Daphne Brasell Associates, Press: Wellington, 1992. p.22.

5.前掲書、24頁

6.前掲書、103-106頁

7.前掲書、69頁

8.前掲書、91頁

9.New Zealand Council of Christian Social services, Poverty in the New Zealand, NZCCSS: wellington, 1996. p. 4.

10.Brooks, 前掲書、83頁

11.Department of Statistics, 前掲書、30頁

12.Kelsey, 前掲書、323頁

13.前掲書、377頁

以上