(ロータリアン、ワイタキ女子高校教師)
1996年3月、インバーカーギルでの地区大会のランチタイムに、ロン・デイビス(コロラドへ派遣のGSE団長)と会話して、1997年に大阪へ行くGSE団長に応募する決心をした。日本を訪問したことが以前に2回あり、ダニーデンにおける8月の選考では有利に働いた。日本の文化に親しんでいたので、チームがどのように迎えられるか、日本人のホスピタリティについて知っていたからである。団員の最終選考は11月にダニーデンで行われ、応募者の質の高さに感銘を受けた。最終的に選ばれた5名には満足した。彼らは、ピーター・ハリス、カレン・キース、リネア・ライアン、ナイジェル・ユーディそして補欠のサマンサ・ヨークであった。
チームの選抜と3月中旬の出発との間は、ある意味では長かったが、その間にクリスマスがあり、私自身12月中と1月半ばまでの8週間は動くことができず、十分な準備はできなかった。しかし、チーム選抜の翌朝、ピーター・ジャクソンの家で、GSE委員会の他のメンバーや地区ガバナーのピーター・ヘインズ夫妻に全員が会い、前日の選考会場におけるよりもリラックスした雰囲気で、お互いが知り合いになれた。
11月に再びダニーデンに集まり、ピーター・ジャクソンの家で土曜の夜を過ごして、お互いの知識や能力を知る良い機会を得た。このミーティングでは、日本での例会のプレゼンテーションをどのような形でするかについての議論に多くの時間を割き、またユニフォームについても検討を始めた。
このようにして1月中旬になり、後で加わることになるサマンサを除いた全員がテルフォードのナイジェル宅に集まった。プレゼンテーションは進歩を見せ、ホスト家庭に持参するギフトについても議論した。ユニフォームについては、紆余曲折したが、3月16日には、全員がとても恰好良く見えるものができあがった。
その次のミーティングは、2月中旬、オマルーで行われた。サマンサはこのミーティングには参加しなかったが、ウイントンRC寄贈のシープスキンを、2660地区のガバナー、GSE委員長と副委員長用に届けてくれていた。このミーティングでは、主としてホスト家庭へのギフトや訪問ロータリークラブへのギフトの最終決定にいたる議論をした。ピーター・ハリスは、この地域でのコネを活かして、趣味あふれる木製のペンと箱のセットを調達してくれた。我々のスピーチ、ハカ(マオリのウォークライ)そしてスライドは、このミーティングでほぼ最終版となり、2月26日ワイタキRCの例会で披露された。
スピーチは、ナイジェルが音頭をとるハカで始まり(これは日本でうけた)次いで団員の一人一人に引き継がれた。私は、ニュージーランドへの移民の背景と教育について述べ、カレンはニュージーランドの観光スポットを紹介、リネアはNZの貿易における農業の重要性について、ピーターは過去10年のNZ経済と改革について、ナイジェルはニュージーランド人のレジャー活動とスポーツについて語った。
我々のプレゼンテーションに割り当てられた時間は非常にタイトなもので、しかも日本語への通訳を必要とした。そこで日本に着いてからスピーチを短縮する必要のあることが判明した。
ワイタキRCでのプレゼンテーションが終わった後、ピーター・ハリスが妻のリズの病状が勝れないのでチームを抜けねばならないと告げた。チームの雰囲気はすさみ、ピーターを気の毒に思ったが、サウスランドに補欠がいることは知っていた。そのようにしてサマンサ・ヨークが出発の2週間前にチームに加わった。
ピーター・ジャクソンは、旅行の手はずを整えてくれていて、私はこのことに感謝したい。このようにして、よく組織されたチームがダニーデン空港を3月16日の日曜日に、クライストチャーチ経由で東京へと旅立った。
東京
殆どのGSEチームは旅行の最後に休息やリラックスする日を設けるものだが、言葉の問題があるので、旅行の初期に東京で4日間、ベルリッツの語学学校で研修することにした。語学研修が始まる前に、東京ディズニーランドで1日を過ごしたが、チームの全員がお互いを知り合うのに良い方法だった。3分間乗るのに80分間、列をつくって待つことはチームをまとめるのに役立った。語学学校は時には辛かったが、面白くもあった。自分自身のことや、試練となるいろんなシチュエイションに自分がどう対応できるかについて、多くのことを知ったと思う。
授業が毎日午後5時に終わると、我々は地下鉄に走り降りて、夜の東京見物に出掛けた。食べ物を注文したり、道を訊ねたりして、憶えたての言葉を使ってみた。
3月22日に大阪へ向けて出発した。11個の荷物を持ち、タクシー2台に分乗し、それから3台のエレベーター、2つの階段を経て、羽田空港行きのモノレールに乗った。関西国際空港(大阪)には橿村GSE委員長、松岡副委員長、中島団長(ジョージ)その他2660地区のGSE委員が出迎えて頂いた。到着時に示された歓迎ぶりとホスピタリティは、次の5週間ずっと継続し、素晴らしいものだった。
我々の毎日のプログラムとともに各週のホスト家庭の名前を載せた受入小冊子を携行してニュージーランドを出発した。この冊子は極めて役に立った。5週間の滞在中、絶えず参照したものである。我々のための日程は立派なものだった。プログラムが良く考えられたものであるのは明らかだった。2660地区はエリアとしてはコンパクトであるが、ロータリークラブが多くあり、毎週、数クラブが責任を持ってホストを勤めてくれた。
我々は13のクラブ例会に出席し、一つを除いて全ての例会でフルプレゼンテーションを行った。これらの例会はすべて昼食時に開かれ、我々は大急ぎで食事することを学び、30分の時間枠を通訳付きで行うため、プレゼンテーションを短縮する必要があった。これらのクラブが、通訳を準備していたのは有り難かった。また多数のロータリアンが英語で我々に話しかけてくれた。
大阪のロータリアンは我々のために時間を惜しみなく割いてくれた。どの見学にもエスコートがあった。日中は忙しかったが、夜はホスト家庭と自由に過ごした。私にとってこれは、ホストとの会話を通じて日本の言葉と文化についての知識を増やし、ニュージーランドについて語る、よい機会となった。
研修プログラムはいろんな活動がミックスされ、訪問先もバラエティがあった。三洋電機、パナソニック中央研究所、新大阪駅と操車場(毎日16輌連結の新幹線列車が大阪東京間に250本も走っている!)、お寺、神社、世界貿易センター、海遊館、大阪市役所と市長訪問(実際は助役、松岡注)サントリーのビール工場と山崎蒸留所、奈良、京都、広島、大阪ドーム、梅田スカイビルディング、大阪城、花博記念公園と記念植樹。
私には、全部で4日半の職業研修があり、他の団員も同様だった。私の最初の職業研修は、実は法隆寺カントリークラブでの八尾東RC会員とのゴルフだった。なんと素晴らしい日だったことだろう(しかも私はブービーメーカーではなかったのだ!)。
チーム内に2人の教員がいて、第2660地区の人達は手配が楽になったようだった。摂津の薫英高校を訪問したが、この学校はワイタキ女子高校と交換プログラムを持ち、セントラルサウスランド短大とも交換を行っている。この学校のスタッフや生徒と再会し友情を深める機会が得られた。此花学院(ワイタキ男子校と同様のつながりがある)で1日を過ごした。この学校のスタッフは日本の教育システムについて信じられないほどの知識を与えてくれた。
私はまた、障害を持つ人の学校を2カ所と障害者訓練のための教員を養成する大学を訪問した。ニュージーランドが、このような施設を閉鎖しつつある時に、日本が施設をオープンするための土地を手当し、社会生活のために障害者をリハビリしていることは注目される。
チームの他のメンバーの職業研修は全く別に行われた。カレンはいろんなタイプの鍼灸治療所を訪問し、彼女自身、治療を経験することもできた。リネアは生協の販売所を訪問し、また農協とのコンタクトで北海道で数日を過ごし、日本の酪農産業を直接体験することができた。ナイジェルは農業訓練の研修と言う点では物足りなかったが、訪問先の会社でいろいろな経営手法を学んだ。彼はまた、ゴルフの腕を上げる機会も多かったと私は理解している!
我々は、一人5つのホスト家庭を持ち、一つの家庭に1週間滞在した。このことは日本の家庭生活を経験し、日本の本当の食事を楽しむ良い機会となった。我々のホストはみんな大歓迎してくれ、ホスピタリティに満ちていた。家族の一員のように扱われるのは嬉しかった。ホストたちが毎日の集合場所への送り迎えに時間をさいてくれたことにも感謝したい。にもかかわらず、我々は、自分自身で地下鉄や電車に乗り、地元の人間のようにラッシュアワーを乗り切る機会を求めては楽しんだ。毎週、土曜の夜は大阪城の近くのホテルニューオータニで過ごした。これは嬉しい、またリラックスする中休みとなった。故郷からの手紙を受け取ったり、お互いに情報交換したり、本当にしたいことができた。チームのあるものにとっては、それは睡眠であり、他のものは梅田や心斎橋での買い物でストレスを解消した。
私の持参したギフトは喜んでもらえた。5つのホスト家庭があることがわかっていたので、どの家庭にも同じギフトをニュージーランドで準備することができた。アンドレ・アスペの「ニュージーランドの絶景パノラマ」と言う本、巣入りの蜂蜜、ピーター・ハリスの石鹸製造キット(ゴンドワナ・クリエイティブ社)、木製のキイウイのファミリー、箱入りチョコレート、クッキータイムビスケットだった。キー・リング、ハンカチ、石鹸、ペンなども用意して、毎日の案内者へのギフトとした。
ハイライト
ハイライトとは何だろう。よく聞かれるが答えるのは難しい質問だ。広島は、つねにはっとさせられる場所で、その事実に触れることは強いインパクトがある。新幹線に乗っての旅行、大阪ドーム(そこでは近鉄バファローズとダイエーホークスの試合を特別室から見た)、京都の豪奢な金閣寺、咲き誇る桜にかこまれた大阪城の美しさ、これらはすべて記憶に残る訪問場所だった。しかし、重要かつ最大の感銘は、人々とそのホスピタリティ、そして家庭生活共有の経験がもたらしてくれた。色々な話題、今の日本の経済問題などについて語りあい、私がいま訪問している国について学ぶ良い機会となった。
このGSEのコンセプトについて述べるなら、素晴らしい体験と驚くべきプログラムというのがおそらく正しい言葉だろう。ロータリー財団のお陰で、一人のロータリアンと他の社会人にこのような機会が提供された。
この交換の成功にGSEチームの各メンバーが献身し貢献したことを述べておきたい。ラッシュアワーの群衆や言語の障壁に立ち向かい、プランの変更を切り抜け、チーム結成のその時から、私とお互いをサポートしてくれた。
職業的には、他国の教育システムを視察でき、またニュージーランドの私の学校とのコンタクトを強めることもできた。この交換は、特にパブリック・スピーチついての私の自信を深め、やればできると強く感じさせてくれた。
これは、最もやりがいのある経験であり、このプログラムの一翼に参加できたことを、誇りかつ光栄に思う。