米国アーカンソー州の医療を見開して
庄村裕三
(門真RC推薦、関西医科大学付属病院胸部外科助手)
今回のGSE研修メンバーの一員として、特に医療分野の施設訪間を目的としてプログラムに参加しました。米国は、先端医療技術においては世界一のレベルを誇り、遺伝子治療、臓器移植等まだ日本では開始されていない治療分野においても既に数々の実績を重ねている世界の医療技術のリーダーシップの立場にあることは異論のないところです。他方、終末期医療を始めとする医療体制に関しても我が国とは異なる一面を持ち、在宅終末期医療の実状は将来高齢化社会が深刻となりつつある我が国にとって学ぶべき点の多い国であると考えられます。今回の訪問の目的は主に後者の米国における医療体制の現状を視察することであり、特に日本でも変わりつつある終末期医療についての現状を訪問を通じて体験することでありました。以下、滞在を通じで訪問した施設の印象を中心に述べます。
米国アーカンソー州(以下AKSと略す)は米国南部に位置し今回我々はその東北部を中心とした地域に滞在し施設訪問を行いました。
州内は人口5〜20万人程度のCountyと呼ばれる行政単位に分別されていて、医療設備に関しては、各々Countyに1ケ以上のCounty Hospitalと呼ばれる地域病院が存在します。一般診療及び小中規模の手術はここで行われており、地域における医療の中核的な役割を果しています。一方、これらの施設で対応できない救急疾患の重症例や、大規模な手術症例では、これらの病院を経由して州都リトルロックにある大規模病院に搬送される体制となっています。地域病院の設備は、County毎に大きく異なり病床数では50〜400床程度の規模のものまであり、大規模地域病院では心臓バイパス手術を行っている施設もありました。一方、州都リトルロックにはこれらの地域病院のほか、州下の地域病院から紹介されてくる重傷症例を治療する大規模病院が存在します。今回の滞在で訪問した大規模病院は、Baptist Hospital、Methosist Hospitalの私立病院及び、アーカンソー州立大学付属病院の3ケ所の施設でした。いずれの病院も病床数は、1000床程度と思われ、地域病院の紹介患者の治療の他、高度先進医療への取り組み等を行っており、その内容は、日本の都市部における大病院と大きく差異のない印象を受けました。
地域病院、大規模病院の訪問を通じて共通した印象かひとつありました。それはどちらの病院においても空床が目立つという点でした。最初は、人口あたりの病院施設が、多いためと考えていましたが、実際に概算してみるとむしろ日本の場合よりも病院数は少なく、それでは何が原因で入院患者が少ないかと調べてみると、日本の場合と極だった違いがあることに気が付きました。平均入院日数が極めて短いという点です。同じ治療をした場合の入院日数は日本の半分以下と思われ、例えば肺の手術を例にとると、日本では、術後の平均入院日数は2〜3週問ですが、ここでは、4〜5日であるという状況です。従って入院患者さんの回転が早く、満床とはなりにくいわけです。この理由は言うまでもなく米国での高額な医療費にあります。多くの場合治療費の負担は患者自身のPrivate insuranceによりまかなわれますが、この支払基準はかなり厳しい様であり、特に、入院治療に関しては、前述の例の如く、かなり制約が加えられているとの事です。最近では、入院患者を対象として保険会社からの視察員が直接病棟に出向き、カルテを監査して医療内容の削滅について医師と直接交渉する場合まで出てきているようであり、少なくとも今回の訪問を通じて見聞した範囲では、患者、医療従事者双方からこれらの保険制度に対する不満は強いような印象を受けました。
今回の職業研修の主な目的のひとつは、米国における終末期医療の現状を視察することにありました。今回の訪問では、ホスピスの見学及び2回にわたる在宅終末期医療の現状を体験することができました。この訪問の前の私の印象では米国における終末期医療の主体は、ホスピスを始めとした専門的施設で行われており在宅終末期医療はそれをサボートするシステムであると考えていましたが、実際に見学しての感想は、結論から先に言えばその逆で、終末期医療の殆どは、在宅で行われているという事実でした。各County毎にホスピスとして建物は存在しますが、実際に病床を備えて患者受け入れ休制の整っている場合は少なく、むしろそれらは地域における在宅医療スタッフのための情報統括センターとしての意味合いが強いように思えました。実際の患者看護は、殆どの場合在宅で行われ、患者さんの状態報告や、医師への申し送り事項をホスピスを通じて行うといった診療情報の中継所としての機能が与えられているようです。聞くところによれば、米国における終末期医療の現場が、ホスピスを始めとする専門的施設から在宅へと移行してきたのはこの数年間に普及してきたとのことであります。 患者さん自身にとってみれば、在宅医療のもたらす恩恵は大きいと思われる反面、単にそれだけの理由で急速にこれらが浸透してきたとは考えにくい一面があり、少なからず先述している高額な医療費がこの傾向に拍車をかけている様にも感じ取れました。さて実際に訪問看護婦による在宅医療の現場に入ってみるとまず驚かされたのは、看護スタッフの診療水準の高さでありました。米国では、訪問看護婦の資格取得のためには、通常の看護婦資格の取得後、在宅医療の専門トレーニングを修了する必要があるとのことでしたが、その看護内容を見てみると単に血圧測定や、服薬量のチェックにとどまらず、治療内容の説明や家族への病状の説明など、医師によって行われる業務の一部までもカバーしうる内容でした。これは、日本における在宅医療の実践を考える上で重要なポイントと思われ、医師のみならず看護スタッフの知識、技術の専門化は、見習うべき点が多いと考えられました。在宅医療を選択する患者さんは米国では多くの場合、自分自身で病名、予後についての説明を医師から受けている様です。それらを承知の上で自分自身で治療の方針を選択し、一部の人は、このように在宅医療の道を選ぶ のであり、この意味では、治療内容に関しての医療サイドへの不満は少ない様です。日本の場合に時折みられるような病状、治療に関するインフォームドコンセントの不足に起因するトラブルは、ここでは少ないと思われ、これが在宅医療を可能にしている一因になっているとも考えられました。日本の場合では、特に悪性疾患の終末期において患者さん自身に病名、予後の告知をすることはまだ普及しておらず、在宅終末期医療の実践がインフォームドコンセントの上に成り立っている事を考え合わせると、このシステムが、日本に普及するには、患者さん自身の意識の変革を含めた医療に関する意識の変化が必要であると感じられました。
この研修を通じて得た体験は、単に医療分野の見聞を広めたことにとどまらず、一般施設の訪問や、何よりも地域の人々との交流を通じて得た、米国での生活体験が、重要な位置を占めている事は、言うまでもありません。そして私達メンバーの使命は、この体験を帰国後に周囲の人々に広く知らせる事であり、この研修の真の成果は、これから自分自身の活動により評価されるものだと感じています。1ケ月の期問は振り返ってみると米国の習慣、風土を熟知するには、余りにも短い期間ではありましたが、少なくともこの訪問を契機に得た見聞のひとつでも紹介することができれば、幸いに思います。