国際色豊かな社会――カナダで過ごした4週間

樋口純子

大阪市環境保健局環境部自動車公害対策課職員
(大阪中央RC推薦)

はじめに

 この度、中央ロータリークラブの御推薦により7080地区に派遣していただき、ありがとうございました。この話をいただいときは、ロータリークラブって?GSEって?という状態でした。しかし、加藤団長からそのことについて何度もお聞きするにつれ、すごいプログラムだということがわかってきました。そして、そんなすごいプログラムに参加させていただけるとは、なんて光栄なことだろうと思うと同時に責任の重さを感じました。しかし、実際に現地に行ってみると確かに責任という意味では変わりはありませんでしたが、皆さんがとても気さくで温かく、昨日まで名前も顔も知らなかった私達をまるで家族や友人を迎えるようにしてくださったことがとてもうれしく、また1ヶ月という滞在を充実したものにしたのではないかと思いました。それもきっと、ロータリー精神の賜物であり、国を越え、世代を越えて結びついているその結束力の賜物であると思いました。そして、この素晴らしいGSEプログラムにより、たくさんの方々とお会いすることができ、そして皆さんの惜しみない奉仕の精神に触れることができたことはこれからの私の人生に大きな影響を与えるものと思います。
 GSEプログラムの素晴らしさを体験させていただくにあたり御尽力いただいたすべての方々に感謝します。本当にどうもありがとうございました。この感動をこの場をお借りして少しでもお伝えできれば幸いです。

7080地区の印象

気候
 今回訪れた第7080地区は、札幌よりも北に位置しているため、きっと寒いだろうと思い、冬服に使い捨てカイロを山ほど持っていきました。しかし、初めの2週間は、日本と同じくらいの気候が続きました。3週目にはいると、ものすごく暑くなり、日中は、30度を超すほどで、半袖と短パンを持ってくればよかったと後悔したほどでした。また、日差しがものすごく強く、肌に刺さって痛いほどで帰国当初は本当にカナダに行って来たのかと疑われるほど、日に焼けて黒くなっていました。また、日も長く、21時位まで明るいため、ついつい夜更かしをしてしまいました。
 今年は、少し異常気象で、雨が少ないと言っていましたが、その通りで、私たちが滞在していた1ヶ月の間に、6日くらいしか降らなかったように思います。しかし、いったん天気が崩れると冬のように寒くなり、このときばかりは、カイロを持ってきて良かったと思いました。

カナダ人の国民性
 今回、1週間毎に違う地域に移動してそれぞれの地域と交流を深めたのですが、4地域ともにそれぞれ特徴があり、例えば、私達が1週目に滞在したキッチュナーは、ドイツ系の移民が多く(人口21万人の半分以上)、もともと、ベルリンと呼ばれていたほどであったこと、また2週目に滞在したミソソウガは、その昔インディアンが多く住んでおり、その地名もインディアン語からきているとのことや中国人が多く住んでいることなどです。
 このようにカナダでは多くの移民を受け入れており(最近では、コソボからの難民も受け入れていたそうです。)、それにより、国際色豊かな国ができあがっていることがわかりました。そしていろいろな国のいろいろな人種と共存し、多国籍国家であるカナダという国をつくっているのは、他の文化を容易に受け入れることができる広い心を持った人々で構成されている国であるからであろうと思われ、余田団員がカナダの学校を訪問した際、日本人が行っても構えたり、必要以上に興味を示したりすることなく自然に受け入れてくれている感じがして、心地よかったと言っていたことを思い出し、いろいろな文化を持った人々と小さいころから接することにより相手の文化や習慣を受け入れることができる広い心が育つのだろうと思いました。
 よく、カナダの料理は?カナダの民族衣装や民族音楽って?と聞かれ、私自身一体どんなものだろうと興味があったのですが、実際には、どれもカナダ独自のものはなく、それぞれの人が自国の文化を持ちよってできたものがカナダの文化になっているという感じでした。

ロータリーの例会に出席して

 この滞在中、私たちは5回プレゼンテーションを行ないました。プレゼンテーションは30分という時間をいただいて、日本そして大阪を紹介し、さらには、私達自身を紹介する貴重な時間でした。
 プレゼンテーションを行なうにあたり、それぞれ、日本の気候、国土、経済等を紹介する人、歴史、文化、スポーツ、芸能等、担当を決め、原稿を作り、それに合った写真や資料をパソコンに取り込んで準備しました。実際のプレゼンテーションには、パワーポイントを使い、さらに大阪の紹介ビデオを上映するなど視覚に訴える方法を取ったため、受け入れられやすかったのか、真剣に聞いていただくことができました。オンタリオ州と大阪の大きさを比較した時やトロントと同じくオリンピックに立候補していることを紹介した時などは笑いを誘い、また、余田団員がピアニストであったため、ピアノがあるところでは日本の歌(さくら、ふるさと)を歌ったのですが、これも大好評でした。
いくつかプレゼンテーションなしの例会にも出席させていただいたのですが、例会で行政の担当者を呼んで市政について意見を述べたりしているところもあり、ロータリーの活動の広さを垣間見ることが出ました。その他、私達のために昼食会や歓迎会などを開いていただき、たくさんのロータリアンとお会いすることができ、とても楽しいひとときを過ごすことができました。ただ、もっと英語が話せたら、もっといろいろな話ができただろうと思うと残念であり、もっと勉強しておけばよかったと後悔ばかりでした。
 また、それぞれのクラブでプログラムの立て方や、例会には特徴があり、例えば、キッチュナーコネストーガロータリークラブでは、このクラブの会長であるポール・グレスパンがメンバーのゴルフクラブで、週の初めにゴルフをさせていただいたのですが、週末の例会では、その結果を表彰したり、ホストファーザーにそれぞれステイした私たちの感想を語らせるなど、1週間を通して、私達を泣かせる計画を立てていたのではないかというくらい、心憎いプログラムでした。そして、このクラブメンバーの結束力の賜物だと思われますが、私たちは、その計画にまんまとはめられてしまいました。

ホームステイについて

 私達は、5月7日に日本を出発してカナダでの滞在を終えるまで、それぞれの家に分かれホームステイをしました。生まれてはじめて、他人の家で1ヶ月も過ごすことに不安を感じていた私にホストはとても温かく接してくれ、その不安はどこかに行ってしまいました。
 私は、それぞれ1週間ずつ4家庭に滞在したのですが、葬儀屋さん、医者、造園業、そして、‘70に大阪で開催された万博の際に使用されたカナダの国旗等のデザインを考案したチームの責任者であった人など多彩な職業や経歴を持った方々でしたが、どの家庭でも自分の家にいるように何でも好きなように使ってくれればいいと言ってくれ、何か困った時はあらゆる手段を講じて解決してくれました。さらに、私が環境行政に携わっていることをすでに知っていて、環境問題についての新聞記事をくれたり、職業研修で行けなかったところに連れていってくれ、少しでも多くの知識を持って帰れるよう最大限の労力を私のために払ってくれました。
 どの家庭に滞在した時も日本から持っていったお土産は好評で、日本とカナダの文化の違いについての話や日本語の勉強会になりました。また、家庭の中からカナダの生活を垣間見るいい機会となりました。例えば、カナダの葬儀の方法についてですが、土葬が60%、火葬が40%で、日本みたいに黒白のストライプの幕を張るなどの特別なことはしないで、家で寝ているような環境を作っており、葬儀場所はまるでモデルルームのような華やかさがありました。棺桶には、鉄や銅製もありますが、オーク材のものが人気で、レンタルの棺桶もあるというのには驚きました。また、ゴミの出し方についても話を聞くことができ、紙、缶、ビン、ペットボトル、家庭用の生ゴミ、剪定した枝や葉については専用の箱や袋があるのでそこに捨て、それ以外はビニール袋に入れていました。どれもきちんと分別されており、これも環境教育がきちんとなされているからであろうと思われました。その他、医療保険の話や、ドナーカード、パークアンドライド、自動車の排気ガス検査の話などいろいろな話をすることができました。ただ、知らない単語がたくさん出てくるので、筆談の上、さらに辞書と格闘しながら の話だったのに、ホストが根気よく私の話を聞いてくれることがうれしくそして、とてもありがたかったです。
 ホストと過ごした時間は、それぞれ1週間と短いものでしたが、その時間は、とても貴重でかけがえの無いものとなり、まるで、4つの家族ができたよう気がしました。しかし、スケジュールの詰まっているところでは、ホストファミリーと食事をしたり、話をする時間があまり持てなかったのは残念でした。そんな中でも、ホストファミリーの常に私たちの健康を気遣い、また、どんなに夜遅くても寝ないで待っていてくれるボランティア精神の旺盛さに感謝せずにはいられませんでした。

職業研修について

 私が、環境行政(交通手段により発生する騒音・振動に係る仕事)に携わっていることから、カナダにおける環境行政を学ぶ機会を与えていただき、ウォータールー地区のゴミ処理場や上水場、カナダ最大の空港のピアソン国際空港、ウォーターウェイ(水質に関する調査研究をしている政府の研究機関)など、普通なら会って話を聞く機会などめったにないだろうと思われるそれぞれの担当の方とお会いし、話しをお聞きすることができました。

騒音振動対策について
 私が担当している自動車の騒音・振動については、道幅が広いこと、道路から民家まである程度の距離があることなどからあまり問題になっていないことが分かりました。しかし、日本と違い高速道路も平面道路であるため交通量の多いところでは煉瓦でできた壁が建てられており、防音壁となっていました。
 騒音問題で、深刻なのは航空機騒音で、4本の滑走路を持つカナダ国内最大のピアソン国際空港では、騒音の苦情件数が7600件(1998年)あったとのことでした(1997年の12月に新滑走路ができたことに伴い苦情件数が激増)。しかし、さらに滑走路を2本増やす計画があり、そのための騒音対策として、滑走路の使用時間に制限を設けることや民家の少ない方向へ飛び立つようにするなどの対策を検討しているとのことで、日本で取られているような個別の住居に対する防音工事などの対策は全く考えられていないとのことでした。なお、このピアソン国際空港は、今年の4月にISO14001を取得しており、環境への配慮の関心の高さをうかがうことができました。

自動車公害について
 今回訪れた7080地区はトロント近郊ということもあり、電車の整備があまり進んでいないカナダでは、車で通勤する人が多く、通勤ラッシュ時の大渋滞が問題となっているとのことでした。しかし、この渋滞を解消するためにパークアンドライドが進められ、そのため駅前には広大な駐車スペースが確保されており、最寄りの駅まで車で行き、駅前の駐車場に車を停め、そこから電車通勤をする人も増えているとのことでした。また、自動車の排気ガスも大きな問題で、排気ガスの検査は2年に1度受けることが義務付けられ、ガソリンスタンドやディーラーでも受けることができるようになっており、日本と違いシャーシダイナモの設備が整っているため、窒素酸化物まで検査することができるとのことでした。さらにオンタリオ州で登録されている車がすぐに検索できるよう州政府とコンピューターが繋がっており、検査結果も瞬時に送られるので、その場で即廃車ということもありえるとのことでした。実際に検査しているところも見せていただいたのですが、その車の検査結果が出るまで、ちょっとどきどきしました。

ゴミ問題について
 各家庭での分別はきちんとされていましたが、実際ゴミ処理場に行ってみると、例えば紙ゴミを一ヶ所に集め、作業員が手作業で、新聞や雑誌、カードボード等、その他の3種類に分別し、それを業者に売却して利益を得ているとのことでした。さらに、缶やびんについても分別し売却しているそうです。また、家庭で出た生ゴミや、剪定した枝や葉は、しばらく寝かせて堆肥を作り、希望者に分けており、ゴミ処分場の一角に堆肥を作るためのスペースが取られていました。その他のゴミは埋め立てられるため、ゴミの山ができるのですが、その中で、発生するメタンガスを使い発電し、処理施設の空調や照明に使用しているとのことでした。さらには、その埋め立てたゴミの山をゴルフ場やスキー場にする計画もあり、カナダにおける環境行政のあり方を垣間見たような気がしました。カナダのように土地の広いところでも、処分場問題は深刻で、人口の増加に伴い発生量の増えるゴミ対策として、処理の有料化を進めているところもありました。

その他の環境問題について
その他の環境問題としては、オンタリオ湖の水質汚濁やアメリカから国境を越えてくる大気汚染の問題があるとのことでした。また、人口が30%以上増加した地域もあり、それに伴う宅地開発のための自然破壊も懸念され、土地開発にかかり都市計画の担当者が、できるだけ緑を残すよう指導しているとのことでした。

一般研修について

 どのクラブもそうですが、そのクラブがある地域の産業や名所などを紹介していただいたのですが、その地域の特色を私たちに知って欲しいという熱意と同時に、自分たちの住んでいる地域が1番だという自信を感じることができました。そのためか、私たちがプログラムやその地域の感想や、日本との比較などを言うとすごく真剣に聞いてくれました。その中で、各地域で印象に残ったものを紹介します。

1週目(キッチュナーコネストーガロータリークラブ)
 メノナイトの村を訪れたことです。メノナイトは、アーミッシュと同じスイスに起源を持つ再洗礼派の一派で、アメリカのペンシルバニア経由で19世紀初頭にこの地域に移住してきており、教義上の理由から19世紀当時の質素な生活を守り、電気を使わず、交通手段としても馬車を利用しているとのこと。服装は、女性は、ボンネットに長いドレス、男性は、黒い服に髭というスタイルで、パンやジャム、ソーセージに野菜、皮製品やキルトを作り、それを売って生計を立てているとのことでした。
 私たちは、そのメノナイトの村のソーセージを作っている施設を訪れ、そして、そこでエミューのソーセージを試食させていただきました。すこし、酸味が強かったのですがとてもおいしかったです。また、現地の人でも余り見たことがないというバーンレイジングを見ることができました。バーンレイジングは、牧草などを保管するために使う納屋を建てることなのですが、メノナイトの男性が150人位集まって、1日掛かりで、建てるのだそうです。その間、女性は、食事の用意をし、子供たちは大人の邪魔にならないように、一ヶ所に集まって遊んでいるそうなのですが、今時、日本では、珍しい村中総出の作業が、ここで見られるとは思っていなかったので、この村の結束力を感じる事ができ、暮らしは、質素かも知れないけれど、とても心豊かな暮らしをしているのだろうと想像されました。

2週目(ミソソウガ デキシ ロータリークラブ)
ミソソウガには、その昔インディアンが多く住んでいたためか、近くにはインディアンビレッジがあり、そこでは、当時インディアンがどのように暮らしていたかを再現した、インディアンの家や、使っていた道具などが置いてあり、その当時を偲ぶことができました。また、この地域にあるマックマイケル美術館では、インディアンが作った様々な工芸品が展示されており、その完成度の高さに驚かされました。また、ここは、トロントのベッドタウンとして位置づけされており、かなり新興住宅街が出来上がっていました。あわせて、企業誘致も積極的で、自動車メーカーやハイテク関連企業が進出してきており、そのおかげで市の税収が潤っているとのことでした。ただ、唯一背の高い建物である市庁舎から見るその景色は、放射線状に新興住宅が立ち並んでいて(それでも日本に比べれば、緑は多いけれど)、少し残念な気がしました。

3週目(オックスフォードカウンティ ロータリークラブ)
 この地域は、カントリーサイドという感じで、農場や牧場をたくさん見せていただきました。しかし、ただの牧場ではなく、種付け用のブタや牛、馬を飼育し、その種を世界中に販売しているとのことで、北海道から買い付けに来たこともあったといっていました。さらには、メイプルシロップ農場やチョコレート工場、その他、日本で言う特別養護老人ホームのようなところも見せていただきました。
 その中で、一番印象に残っているところは、インガソールペーパーボックスカンパニーというところで、そこは、薬やお菓子の箱を作っている会社なのですが、その会社の社長と娘であるマネージャーの2人がとても環境に気をつかっており、原材料の98%に再生紙を利用したり、水性塗料を用いて製品を作っているということでした。また、製品を作る際に出る紙ゴミを集め、回収業社に渡すことにより、再生紙の購入費用を押さえているとのことでした。紙ゴミを集める際に、この会社では、床下にベルトコンベアーをひいて、そこに落とせば、自動的にリサイクルボックスに流れる仕組みになっていて、とても合理的で有益な仕組みだと思いました。
 3週目は、1日毎に違うクラブがホストを務めてくれたため、その1日を目一杯楽しんでもらおうと、かなり密にスケジュールが立てられており、朝は7時には家を出て、帰宅は23時という超ハードスケジュールでありましたが、変化に富んでいてよかったです。

4週目(バーリントン セントラル ロータリークラブ)
 最後の週ということもあってか、かなりゆったりしたスケジュールになっており、ナイアガラの滝を見学し、カナダの大自然に触れることできました。また、週末に開催されたチャリティマラソンをロータリークラブが主催していたことから、マラソン選手に水を渡したり、水を掛けたりすることができました。お水ひとつ渡すにしても走っている人の邪魔にならないように渡さなければならないと聞き、緊張しましたが、うまく渡すことができてよかったです。
 そして最後に大きな送別会を催し、ホストファミリーやカナダチームを呼んでいただいたので、再会の感動を味わうことができました。そして、私達それぞれが7080地区に滞在した感想を述べた(この地を去ることを考えるとなかなか原稿を読むことができませんでした)後、日本の歌(さくら、ふるさとなど)を披露しました。しかし、もうこの頃には、私の心の中ではふるさとは日本ではなく、7080地区であり、今まで過ごしてきたホスト家庭となっていました。

私達って有名人!?

一般研修の間に2回も新聞記者が取材に来て、2回も新聞に載ってしまいました。新聞は、ローカル誌ではありましたが、顔も名前も売れていない私達のために取材にきてくれるなんて、これもロータリーの力の凄さを思い知らされるとともに、7080地区を訪れたいい記念になり、うれしく思いました。

レジャーについて

 トロントに近いことから、世界一高いCNタワーに上ったり、世界初の開閉式ドーム球場であるスカイドームを観光したうえ、野球の試合も見せていただき、さらにオンタリオ湖でのクルージングを楽しませていただいたり、バーベキューパーティー(必ず男性がお肉を焼いてくれました。)を開いていただくなど、カナダ人の週末の過ごし方も体験することができました。
 また、数回ゴルフをする機会を与えていただいたのですが、日本でいうような高級なイメージはなく、子ども同士でゴルフバック片手にプレーしているのを見て、なんて羨ましい環境だろうと思いました。しかし、キャディさんもいないし、カートも有料であると聞き、日本で、ゴルフのプレイフィーが高いのは、過剰なサービスがその一因だろうと思いました。
 さらには、週末に2泊3日でカナダチームと10人で、コテージに泊りに行く機会を与えていただきました。そこでは、NO スケジュールのため、ただ1日ボーっと過ごすのもよし、いろいろおしゃべりをしたり、今までやり残していた日記を書いてもよしと何でもありの3日間でした。この3日間のおかげで、リラックスとリフレッシュができ、さらにカナダチームとの親睦を深めるなど、すごくいい時間を過ごすことができました。また、アライグマ、はちどり、りす、カナダ雁など、いろいろな野生動物に会うことができ、さらにビーバーも見ることができました。日本では、動物園でしか見ることができないような動物を庭や道端で見ることができ、自然の豊かさを感じることができました。

アドバイス

 これからGSEとして行かれる方へ私の失敗談を交えてお話したいと思います。

荷物について
 できるだけ軽くしてください。私は、着替えをたくさん持っていったことと、資料を入れすぎたため、行きの荷物だけで、70キロを越えてしまい空港で荷物を預ける際に警告音を鳴らしてしまいました。(重過ぎマークはつけられましたがなんとか追加料金なしで乗せてもらうことができました。)しかし、帰りの便では、国内線であったためか(トロントからデトロイトに飛んだため)、荷物チェックが厳しく荷物の詰め替えをさせられました。帰りには、お土産や資料が増えるので、着替えも資料も最小限にとどめることをお勧めします。

スケジュールの確認について
 私は、これで大失敗をしてしまいましたので、皆さんも気をつけてください。前日までに、必ず、いつどこへどんな服装で行くのか、誰が迎えに来るのか(フルネームで確認することをお勧めします。)を確認してください。心配な方は、聞くだけでなく、紙に書いて確認するといいと思います。私の場合、名字と名前が同じ人がいて、片方の人にピックアップしてもらったのですが、本当は、もう片方の人が迎えに来る予定になっていたらしく、迎えに行ったら誰もいないので、どこに行ったかということで、大騒ぎになるところだったそうです。その他にも、服装を間違えたり(フォーマルなのにカジュアルな格好をして出かけようとして、慌てて着替えたりしたこともありました。)、何しに行くのか分かってなくて、準備してなかったりといろいろありました。幸いにも大きな失敗には、繋がらなかったのですが、皆さんにご心配をおかけしてしまったことは深く反省しております。これから行かれる方は、こんなことのないよう十分気をつけてください。

コミュニケーションについて
 ホストファミリーに限らず、皆さん日本にそして私達にとても興味を持ってくださっています。できるだけ、日本や自分のことを紹介できる材料を持っていくことをお勧めします。英語で日本を紹介している本は役に立ちました。また、その本を欲しいという人がいたので、お土産としてもいいと思います。また、私は、自分や家族の写真をあまり持っていかなかったのですが、話しをするきっかけをつくるためにも、たくさん用意するといいと思います。特に、日本の慣習に関係のあるもの、着物姿やお寺での写真等がいいと思います。

お土産について
 私達は、すし屋さんの漢字がたくさん書いてある湯飲みや、箸、扇子、うちわ、和装小物、けん玉、日本手拭い、お茶の立て方の本などいろいろなものを持って行きました。中でも、持ち運び便利で、人気があったのは、折り紙そして、大阪を紹介したカラーのパンフレットそして、ピンバッジでした。また、日本のアニメも人気で、ポケモンやセーラームーンはカナダでも大人気だそうですので、小さい子がいるホスト家庭にはキャラクターグッズもいいかもしれません。

その他
フィルムやカメラの電池等は高いので、多めに持っていくことをお勧めします。また、電化製品は、必ず行く前にチェックすることをお勧めします。(修理できないばかりか、製品によっては、チェックもしてもらえないこともあります。)
 日記や簡単なレポートを毎日書くことをお勧めします。後の報告書を書く時に大変役立ちます。

最後に

 以上で簡単でありますが、7080地区に滞在した報告書とさせていただきたいと思います。ロータリークラブの偉大さやGSEプログラムの素晴らしさを体験することができ、本当に光栄でした。この嬉しさをこの紙面では、十分にお伝えしきれなかったかも知れませんが、この素晴らしいプログラムが永遠に続き、より多くの人たちが体験できることを願っています。そして、カナダ滞在中に築いた友好関係をいつまでも続けることができるようにしたいと思います。
 このプログラムの実行にあたり、また、このプログラムに参加させていただくにあたり御尽力いただいたすべての方々に、そして、いろいろご支援をいただいたGSE委員長の松岡様に、さらには、1ヶ月の滞在中ご迷惑をかけ続けたにもかかわらず温かく支えてくださった加藤団長、余田団員、中島団員、鹿島団員に心よりお礼申し上げます。


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