大阪府環境農林水産部環境管理課
(大阪北RC推薦)
今回私は、大阪北RCのご推薦をいただき、第2660地区からGSEチームの一員として、約1ヶ月間、カナダ・オンタリオ州の第7080地区を訪問して参りました。GSEプログラムに参加することは、社会人としての見識を広める大変素晴らしい機会でした。あらためて、大阪北RC、及び第2660地区の皆様方には心からお礼申し上げます。
私は、現在、大阪府の環境管理課という部署で、大阪府域における環境をマネジメントするという仕事をしています。カナダという国、特にオンタリオ州は五大湖のほとりに位置し、産業発展とともに、これに伴う公害問題の解決にも力を注いできた土地柄であり、今回、このGSEプログラムを通じて、当地の環境技術、環境政策の面で多くの興味深い取組を見ることができました。ここでは、今回のGSEプログラムを通じて見た、カナダ・オンタリオ州の印象と、カナダの環境問題の現状と取組について、まとめてみたいと思います。
今回のGSEチームは、八尾RCの加藤さんを団長に、大阪市職員の樋口さん、歯科衛生士の鹿島さん、大学講師でピアニストの余田さん、そして私の5名のメンバーで構成されていましたが、昨年末来、会合を重ねて、よいチームワークを作り上げることに心を砕き、また、この機会に大阪というものを十分にPRできるように、資料収集やプレゼンテーションの用意など、互いに協力しあって準備をしました。
また、3月から4月にかけては、第7080地区のGSEチームが来日しましたので、この機会にも交流を深め、当地の様子などを聞き、準備に役立てるとともに、双方のチームの間に大変良好な友好関係を作り上げることもできました。彼らの帰国の際には、カナダでの再会を約束し、Kathi
Smith団長はじめ団員のみなさんが、我々の訪問を暖かく迎えてくださり、私たちの滞在中、皆多忙にも関わらず、何度も会いに来て下さいました。
連休明けの5月7日、松岡GSE委員長様はじめ、多くの方々のお見送りをいただき、関西国際空港を出発して、アメリカのデトロイト経由でカナダ・トロント空港には、時差の関係で同じ5月7日の夕方に到着しました。トロント国際空港では、第7080地区のRalph
Adamsガバナーをはじめ、GSE委員長のNorma Gambleさん、コーディネーターのNorman
Vreugeさんなど、たくさんの方々に、暖かく迎えていただきました。
この時、ガバナー直々に、「君がShuだね。ようこそカナダへ」と声をかけていただき、一人一人の名前と顔、職業まで記憶されていたのには感激しました。さらに、荷物を運ぶ際には、「着いたばかりでカナダの硬貨を持っていないだろう。ポーターへのチップに使いなさい」と、1ドル硬貨(ルニー)2枚を貸して下さったのでした。日本にチップを払う習慣がないこともご存じの上だったのではないでしょうか、さりげない出来事の中に、ガバナーの細やかな心遣いと博識、気さくな人柄を感じ、カナダにいる間はこのガバナーの大いなる保護のもとにいられるという安心感は、旅のはじめに付き物の小さな不安感さえも全て消し去って、このプログラムに対する期待感は高まるばかりでした。
さらにガバナーには、私たちの滞在期間中、ことある毎にお顔を見せられ、常に私たちの状況に気を配っていただき、安全で快適な旅を続けることができるよう、ご配慮いただきました。また、GSE委員やホストファミリーの方々をはじめ、このプログラムに関わった全ての人たちが、大変親切に、私たちの研修内容のスケジュールやコンディションに気を使っていただき、非常によくオーガナイズされた、有意義なプログラムを、メンバー全員が健康のうちに送ることができました。
今回のプログラムでは、主に4つの都市を訪問し、各地の歴史・文化にゆかりの深い場所や各メンバーの職業に関連した施設などを見学するとともに、多くのRCの例会や会合に出席し、また、チャリティーウォークやRC主催のマラソン大会などのイベントに参加するなど、団員一同、現地の人々との交流に努めてきました。特に、出席した例会のうち5つのRCでは、私たちにプレゼンテーションの時間を与えていただき、大阪や日本の歴史、文化、芸術や地域の特色などを紹介してきました。そのために私は日本からラップトップコンピュータを持参して、これを使った映像や、大阪の紹介ビデオのダイジェスト版などを交えながら、団員各自がテーマ毎に、もちろん英語でプレゼンテーションを行いました。
私たちのつたない英語で、どの程度理解してもらえるか、はじめは不安もありましたが、「大阪府は人口の割に土地が狭く、人口密度はオンタリオ州の440倍」といった話をしては笑いを誘い、大阪とともにトロントも名乗りを上げている2008年のオリンピックについては、「他にも候補は多いけれども、大阪かトロントかどちらかで開催されるでしょう」といった話をしては拍手を浴び、思いのほか大きな反響をいただき、また、ピアノが用意された会場では、余田団員のピアノ伴奏に合わせて日本の歌を歌ったりして、私たちの文化について大いにアピールし、当地のロータリアンにも十分楽しんでもらえたのではないかと思っています。
誰でもカナダに対して持っている印象とは思いますが、広い国土と豊かな自然、これについては、ほとんど日本を出たことのない私にとっては、はるかに想像を超えるものでした。面積で比較すると、カナダ全体では日本の約26倍、オンタリオ州でも日本の約3倍の面積があり、大阪府の約560倍ということになります。
一方、人口については、カナダ全体で約3,000万人、オンタリオ州では約1,100万人なので、人口880万人の大阪府の人口密度はオンタリオ州の約440倍ということになります。
実際に現地を訪れてみると、今回私たちが訪問した地域は、カナダ有数の大都市トロントの近郊で、まだ人はたくさん住んでいる地域なのですが、それでも大阪と比べると土地が広く、結果、都市計画や住宅事情、道路事情など、様々なところで違いを見ることができました。
また、五大湖にしても、日本でいう湖というものとはスケールが違い、向かいの陸地はまるで見えず、あたかも海のごとく見え、私は、湖畔に降り立ち、その水を味わってみて、やっとそれが湖であるということを納得したほどでした。
私たちが訪問した5月は気候は大変過ごしやすく、晴天の日中は30℃を超え、持っていった衣類はやや多過ぎた感がありましたが、一度天候が崩れると日中でも10℃以下に下がってしまいました。また、冬は−20℃まで下がってしまうこともしばしばだそうですが、それでもオタワやモントリオールなどと比べると降雪は少なく、五大湖のおかげで幾分気候が穏やかなのだろうという話でした。
初めて訪れたはずなのに、どこか懐かしい風景に思われたのは、それが誰の胸にも包容感と安心感を与えるものだからなのか、あるいは私の好きな北海道と少し似ているからでしょうか。でも、やはりそのスケールはあくまで桁外れに大きかったのでした。
カナダは移民の国と言われるように、もちろん先住民族はいるものの、約200年前からヨーロッパ各地からの移住が始まり、国としての体裁を成していったというこです。トロントは昔の名前をヨークいい、また、キッチナーはドイツからの移民が多く、昔の名前をベルリンといったそうです。このように、移住してきた人たちが、ふるさとを懐かしんで付けた街の名前というものが、今でも多く残っており、ロンドンなどというのもありました。
また、今回の研修旅行の中で、私にとって最も印象深かったことの一つに、「メノナイト」と呼ばれる人たちとの出会いがありました。メノナイトは、宗教上の理由から、彼らがヨーロッパから移住してきた19世紀の頃の生活様式をかたくなに守り続けている人々のことで、主にウォータールー市の郊外に住み、電気、ガス、水道などのライフラインを利用せず、質素な農耕生活を営み、また、移動には自動車ではなく馬車を使うというような生活を送っています。私自身、自動車道の脇を馬車が走っていく様を何回も見ましたが、観光用以外の馬車を見たのは初めての経験で、始めは物珍しさが先に立ちましたが、しばらくすると、牧歌的な風景とも相まって、全く自然で平和的な印象へと変わっていきました。
現地の人たちも、その質素な暮らしぶりと勤勉さ、互いに協力してたった1日で大きな納屋を建ててしまう(名物
Barn Raising!)ような結束の堅さに対しては、尊敬の念すら抱いているようでした。
カナダの人たち自身がよく言うことですが、カナダは、日本やヨーロッパの国々のような長い歴史は持っていない、とても若い国なのだと。しかし、日本にしても、今や日常生活の中で日本の長い歴史を反映したものがどれだけ残っているでしょうか。メノナイトの暮らしぶりを見ながら、カナダという国は若いながらも、なかなかに懐の深い国なのだという思いがしました。
カナダの人々の気質は、あくまで寛容、友好的、鷹揚かつ知性的で、異なる文化、生活様式を重んじ、容認しようという意識にあふれているように感じました。異なった国々からの移民、先住民族やイヌイット、さらにはメノナイトのような宗教的背景を持った人々など、多種多様の人種、民族が融合し、互いに尊敬と譲り合いの意識を持って生活し、社会を作り上げているということは、大変素晴らしいことであると、思わずにはいられません。
このことは、男女間の公平さ(最近はジェンダー問題というそうですが)、身体障害者のノーマライゼーションにおいても同様であると言え、人種、宗教、職業、性別、年齢、身体のハンディキャップに関して差別のない社会を作ろうと意欲を持っている、というよりもそれが当たり前であるという共通意識があるようでした。
東洋の小さな国からの訪問者である私たちに対しても、とても親切に対応して下さるだけでなく、日本のこと、大阪のことに大変興味を示され、例えば日本は今景気が悪いらしいが、実際のところどうなのか、バブル経済が破綻したのはなぜだったのか、阪神大震災の時は大変だったようだがその後はどうか、といったことから、日本の食事では寿司が有名だが、普段の食事はどんなものか、などなど、想像以上に親日的で日本のこともよく知られており、また、もっとよく知りたいと、盛んに話しかけられました。
また、滞在中に日本の出来事がカナダの新聞に出ていると教えてくれたり(正直言って、カナダにいる間、日本が恋しいと思ったことは一度もありませんでしたが)、彼らが常に日本のことに関心を持っているという姿勢を示してくれたことは、私たちに安心感と研修旅行における前向きな姿勢を持たせてくれるのに、大きな助けとなりました。カナダで出会った全ての人たちには、本当に感謝しています。
職業研修では、行政機関や、五大湖の水質汚濁の調査を行い、その解決に貢献してきた国立研究所、さらには環境問題を抱える現場としてトロント国際空港や廃棄物の処分場を視察する機会を設けていただき、また、研修以外でも、折に触れ、ホストファミリーその他のロータリアンから日常生活の上での環境問題にまつわる示唆に富んだ話を聞くこともできました。
トロント国際空港は、現在4本の滑走路を持ち、さらに2本が造成中であるという大きな空港であるにも関わらず、環境マネジメントの国際規格であるISO14001を認証取得して環境対策に取り組んでいること、また、急速に市街地化が進むトロントの近郊都市においても、計画的に自然のままの原生林を残し、動植物を保全する努力がされ、また、人間が自然とともに生活している様子など、新鮮な驚きを伴う発見がありました。
私がホームステーした家の庭先には、多くの鳥、リス、アライグマなどの小動物がやってきました。これはカナダといっても大自然に囲まれた地域でのことではなく、200万都市トロントの近隣でのことです。宅地開発や道路建設など様々な開発事業をする上で、動植物の生息区域を慎重に調査して保全し、人間と自然が共生する環境を作るよう、できる限りの配慮と努力がなされている結果といえるでしょう。
日常生活の上での環境問題の一つとして、ごみ処理の問題に注目してみました。日本では、近年、一般家庭から排出されるごみの9割以上が焼却処理されており、これに伴うダイオキシン発生が深刻な問題となっています。
一方、カナダでは、ほとんど焼却処理は行わず、主として埋め立て処分がされていました。市街地の郊外には、よく小山のような埋立地が見られ、行政機関が運営して、有害物質のチェックなど管理を徹底し、また、毎日多くの見学者を受け入れて、地元住民とのコミュニケーションを図り、廃棄物問題を家庭から地域の問題として、行政と住民が一緒に考えていこうとする様子がうかがえました。その結果、住民の間でもごみ問題への理解が深まり、リサイクルやごみの減量化への取組が活発で、その結果ごみの収集は1週間にたった1回で十分ということになっています。
日本では、地元住民の反対により、なかなか処分場の立地が難しいということがあります。これは、ごみ処理の問題に限りませんが、行政施策の透明性を高め、行政と府民とのよりよいコミュニケーションが求められている今、その理想の形の一つを、カナダのごみ処理対策に見たような気がします。
また、これらの処分場では、発生するメタンガスを回収して都市ガスと一緒に燃料として燃やしたり、埋め立てが一杯になり、埋立地としての役割を終えた後は、その傾斜を活かしてゴルフ場やスキー場にしてしまうといった話も聞きました。我々が訪れた地域は、確かに起伏の少ない地形ではありましたが、ごみ処理場の跡地をゴルフ場やスキー場として活用するという発想には、カナダの人たちの合理的で柔軟なものの考え方が反映されているようで興味深く感じました。
彼らに日本のごみ処理事情について質問され、日本ではほとんど焼却処分するということを説明すると、では、その熱を利用して発電するのかと、決まって聞かれました。必ずしもそうではない、日本中にある1,000程の焼却施設の中で発電設備を持っているのは5分の1弱(大阪府内では3分の1強)しかないと答えますと、一様に、何ともったいないという顔をされました。
日本は土地が狭い、一方カナダは土地の問題を気にしなくて良い、だから埋め立て処分ができるのだ、という意見もあるかも知ませんが、カナダは広大な国土と自然、資源を持つにも関わらず、非常にそれらを大切に使い、決して環境を浪費しないという考え方が徹底されていることを、そこかしこに感じ取ることができました。
私も、この機会に吸収した環境対策の数々、カナダの人々とふれあって学んだ経験を、微力ながら、大阪府域の環境を保全し、府民のみなさんの生活と健康を守るという、私の仕事に生かしていきたいと思います。
今回のプログラムで私が乗り越えなければならないことの一つが、英語でのコミュニケーションでした。他のメンバーが英会話スクールに通うなど、語学力を磨いている一方、私はどこかに「何とかなるだろう」という気持ちがあったのかも知れません。さしたる準備もしなかったことを、大いに後悔することになりました。もし私が言葉の壁を越えて、何かを持ち帰ることができているならば、これは全てホストファミリーをはじめ、カナダの人々の親切のおかげと言わなければならないでしょう。とにかく解りやすく話し、こちらのつたない英語も理解しようと努めてくださいました。
ただ、彼らの英語の中に、現地特有の言い回しがあるのも確かでした。例えばメノナイトの住む地域に案内してくれた方が、しきりに「彼らはハイドロを使わない、ハイドロのラインがない」という様なことを説明してくれるのですが、この「ハイドロ」という言葉の意味が始めは分からず、ハイドロというのは通常、水に関連した言葉に使われることが多いので、私はてっきり水道のことかと思っていました。ところがこれは誤りで、カナダで言うハイドロとは電気、電力のことで、その大半を水力発電に頼っていたことから来る言葉なのでした。おそらく、英語圏でも他の国では通じないのではないかと思いますが、カナダの人たちは皆、ハイドロと言っていました。(カナダではナイアガラの滝の落差を利用した水力発電に始まって、伝統的に水力発電が盛んで、総発電量の60%以上を水力発電が占め、世界1の水力発電量を誇っているということです。)
事前に英語を学ぶ必要があるのはもちろんですが、訪問先でも柔軟に吸収していく姿勢が重要だということが解りました。
また、言葉だけでなく、例えば、貨幣や長さなど生活の中で用いている単位も日本とは違う場合があるので、ややとまどうこともありました。特に、温度については、華氏と摂氏の両方が使われており、華氏で言われると換算のしようがないので私には理解不能でしたが、聞き直すと親切に教えて下さいました。
海外でコミュニケーションを取る上で、重要なことの一つにニックネームがあります。名前を覚えてもらうことはコミュニケーションの基本ですが、私の「しゅういち」という名前は外国人には発音しにくいことをこれまでの経験上解っていたので、自分から「Shu」と呼んでくれるように自己紹介しました。効果はバッチリでしたが、発音が「Shoe」と同じでイメージが良くないと、ある時、キッチナー・コネストーガRCの会長さんが「Shui」で行こうと言い始め、折しも、映画「STAR
WARS」の新作が話題になっていたこともあり(そういう登場人物がいると後で知ったのですが)、すっかり「Shui」が定着してしまいました。
(1)キッチナー・ウォータールー
はじめに訪れたキッチナーとウォータールーは、実際は隣り合う別の市なのですが、あたかも一つの街のように風景は解け合っており、行政面でも仲がよいので、いつか合併するのではないかという人もいました。
キッチナー市内には100年以上前の建物が数多く保存されており、古都の風情をたたえていました。また、以前はビールやウイスキーの産地として栄えたところで、10月には「オクト・フェスタ」が催され、夜通しビールを飲んで楽しむのだそうです。BrickのできたてのWaterloo
Darkの味は忘れられません。
また、ウォータールーには、カナダにおける学術の中枢として誉れ高いウォータールー大学があります。非常に美しいキャンパスを持つこの大学は、理工学の分野ではカナダでも有数のレベルで、近年は特にコンピューターサイエンスにおいて優秀な成果を挙げているということでした。
カナダで最初に訪れたこの街で、1か月にもわたるGSEプログラムに向けて最高のスタートを切ることができたのは、私のホームステーを引き受けて下さったYonke夫妻はじめ、この街のみなさんの暖かい心遣いのおかげでした。
(2)ミサソウガ
トロントに隣接するミサソウガ市は、トロントのベッドタウンとして急速に発展し、近年は年間30%近い増加率で人口が増えているそうです。
ここでは、通勤の足として使われている「GO(Government of Ontario)トレイン」のシステムに興味を持ちました。GOトレインの各駅にはそれぞれ1000台分もの無料駐車場が用意されており、自宅から乗ってきた車を駅に置いて、列車でトロントなどへ通勤し、衛星都市とトロント間の交通渋滞緩和に役立てようというもので、毎日駐車場は満杯になるほど有効に活用されていました。このようなシステムは「パーク&ライド」として知られていますが、日本ではあまりうまくいっているという話は聞きません。駐車場が無料というのが成功の秘訣なのでしょうか。
このように、急速に発展する都市としての問題と解決方策の中には、大阪でも見習うべき点が多々あるように思います。1週間の間、腰を落ち着けてじっくりとこの街を見ることができたのは、ホスト家庭のCoates夫妻が「自分の家と同じように」くつろぐことのできるよう、配慮していただいたおかげでした。
(3)オックスフォード・カウンティ
オックスフォード・カウンティは、7080地区でも西部に位置する郡で、私たちはウッドストック市を拠点にして、カウンティ内の各市を訪問しました。
トロントとアメリカ合衆国のデトロイトを結ぶ高速道路のちょうど中間地点にあるこの地域では、多くの農場や牧場を訪問し、カナダという国が工業やテクノロジーだけでなく、農業、酪農の分野でも一流のノウハウを持っており、非常にバランスのとれた産業を作り上げているということを学びました。ここのJakeman'sメイプルシロップ農場でいただいたシロップにすっかり魅せられた私は、以後、朝食の度にメイプルシロップを求めるようになりました。
また、カウンティ内の5つのRC合同で開催されたジョイントミーティングはガバナーも出席された素晴らしいもので、私たちにも最高のプレゼンテーションの舞台を用意していただきました。この週はハードスケジュールで、深夜に帰宅することもしばしばでしたが、ホスト家庭のFrancescaとBobはいつも起きていて迎えてくださいました。ただ、1度も一緒に夕食をとりながらゆっくりと話ができなかったのが残念です。
(4)バーリントン
オンタリオ湖に面したバーリントン市は、トロントや工業地帯であるハミルトン市に近いという利便性の良い街で、また、カナダ最大の観光地ナイアガラ滝にも近い、街並みと湖畔の風景がとても美しい街でした。
ナイアガラ滝では人知を超えた自然の力の凄さを体感し、「O Canada! Our home
and native land・・・God keep our land glorious and free」と国歌に歌い上げられているように、自然と国土をこよなく愛するカナダ国民の心の奥底に流れるものを少し理解できたような気がしました。
ホストを引き受けてくださったRamsay夫妻はともに公務員で、行政や政治の制度などについていろいろ教えていただきましたが、仕事を休んでまで、私の面倒を見ていただき、大変なご苦労をおかけしました。
また、この街は、私たちのカナダ滞在最後の街で、湖畔の見晴らしのよいゴルフクラブのクラブハウスで開いていただいた私たちの帰国送別会には、各地のホストファミリーや関係者が集まっていただき、生涯忘れられない思い出となりました。
(1)行政体系
日本と違うことは、市町村と都道府県にあたる州との間に「Region」または「County」というレベルがあること。市もRegionに組み込まれていて、日本でいう「郡」と違うところは、ちゃんと庁舎があり、課税し、条例を制定し、施策を行うことで、私が見た中では、ごみの埋立地がRegionによって運営されていた。
各市には日本の議会にあたる「カウンセラー」がおり、定期的に会合を開く。日本と違うところは、カウンセラーは非常勤であること、月に何回というようにコンスタントに開かれること、一般市民の発言が許されていること、市長がメンバーの一人として加わることで、中規模の都市でも10人程度で多すぎることはない。
(2)選挙
私たちの滞在中に、オンタリオ州議会議員の選挙があった。日本のように候補者の派手な看板が立つこともなく、騒々しく選挙カーが走り回ることもない、静かな選挙風景ではあったが、投票後にテレビがこぞって選挙速報を放送することは同じであった。
日本と最も違うことは、選挙が平日に行われることだ。「日本では日曜に投票がある」というと、逆に大変驚かれてしまった。カナダでは選挙も含めて平日には「社会」参加し、休日は自分と家族のためにあり、日本では平日は「会社」へ行く日で、選挙は休日に自分の時間を削って、ということか。
また、投票はマークシート方式で、マークする「×」印は選挙のシンボルマークになっている。ある市では、OCR紙を投票に用い、電算処理によりたちどころに結果がわかるシステムを採用しているという話も聞いた。
(3)カナダの住宅事情
総じて日本のものより広く(建物、庭とも)、一戸建てが多いが、トロントやミサソウガではコンドミニアム(日本でいうマンション)もいくつか見られた。変わったところでは一戸建てとコンドの中間的なタウンハウスという、長屋のようにつながった家があり、地下から2、3階を縦に区切って1家庭が住むようなものがあった。これでも日本の平均的な家よりも広い。庭には必ずバーベキューセットが備えてあり、来客の折りにはこれでもてなす。
一戸建て、タウンハウスには、例外なく地下室があり、給湯や暖房の設備が備えられている。厳しい冬をしのぐための知恵なのか。また、各家には必ずバス、トイレが2〜3つもあるのには驚いた。
日本の家と大きく違うことに、カナダの家には塀や生け垣がない。そのため、死角がなく車の運転には安全なのだが、防犯の面ではどうなのだろうか。一方、家の中でも必ず靴は履きっぱなしだと思っていたのだが、玄関で靴を脱いで、スリッパに履き替える家も少なからずあった。
(4)ライフスタイル
日本人はよく働く、と言われるが、カナダの人たちも負けずによく働く。朝は7時頃から仕事を始め、残業しなければ午後4時頃まで働く。祝日を月曜に移動して3連休にする「ハッピーマンデー」が既に採用されていた。また、夏には長いバカンスをとるのが通例なのは、うらやましい限りである。
夏の間はサマータイムが使われていて緯度も高いため、夜は9時を回っても十分明るく、仕事を終えてからゴルフを1ラウンド回る、といった過ごし方もできる。(プレーフィーも20〜30ドルと安い)
仕事は仕事できっちりとやり、遊ぶときは遊ぶ。家族を大切にし、メリハリの利いたライフスタイルを信条としているようだ。
(5)食事
我々の食事が西洋化されているためか、私には全く違和感はなく、出された料理はほどんど全て平らげてしまった。かなり量が多かったにも関わらず・・・。この点では、カナダから日本に来たチームの方が大変だっただろう。
これがカナダの料理、というものは特にはないようだが、肉、魚、野菜、果物、どれも新鮮で、味付けも全くしつこくなく、大味でもない。正直とても美味しくて、カナダにいる間、日本の料理が恋しいと思ったことは一度もなかった。料理に詳しいわけではないが、フランス料理の繊細さとイギリス料理の素朴さ、それにアメリカ料理(そんなものがあるのか知らないが)の豪快さが一体となり、それに各家庭の伝統の味付けが加わる、といった感じか。
ご好意により、日本レストランでごちそうになったことがあったが、なかなか本格的な日本料理であった。意外なことに、日本食はヘルシーであると、現地でも人気があり、寿司や刺身を平気で食べ、箸を上手に使いこなす人も珍しくなかった。
(6)スポーツ
アイスホッケーが盛ん。この地域からは今年惜しまれながら引退したカナダの国民的英雄Wayne
Gretzkyが出たこともあり、子供の頃からプレーできるよう、あちこちにホッケーリンクがある。私たちの訪問した時期は北米ホッケーリーグ(NHL)の決勝トーナメントが行われており、カナダからNHLに参加しているトロント・メイプルリーフスが今年はベスト4まで残っていて、1日おきに行われる試合の放送には、大人も子供もテレビにかじりついていた。
また、野球ではトロント・ブルージェイズがメジャーリーグ(MLB)に参加しており、90年代はじめに2年連続ワールドチャンピオンに輝いたことを現地の人々は誇りにしている。完成時は世界唯一の開閉式ドーム球場であった、造形美あふれるスカイドームを本拠地にしている。日本のように鐘や太鼓、ラッパを鳴らす私設応援団などはなく、静かに観戦できる。球場に流れる音楽を合図に「Charge!」と叫ぶなど、球場全体が一体となった応援が特徴。
ウォータールーで新聞を見て知ったのだが、水泳の千葉すず選手がアトランタ五輪後のブランクからの復活をかけて、現地でトレーニングしていた。その後、日本新記録を連発して見事カムバックを果たした千葉選手が、今後どれだけ現役を続けるかわからないが、彼女の活躍を見るたびに私はカナダのことを思い出すだろう。
(7)交通事情
自動車が主な移動手段である。高速道路網は非常によく整備されている。車は右側通行で、信号に関わらず一旦停止後いつでも右折できる。視認性を高めるため、昼間でもほとんどの車がヘッドライトを点灯している。
高速道路は原則無料だが、一部は有料で、入り口で車のナンバープレートを撮影し、後で請求書が郵送されてくるといった、日本でやっと研究が始まったばかりのシステムが実用化されていると聞いて驚いた。
ケンブリッジにはT社の現地工場があった。日本車も多いが、最近はビッグ3も良いコンパクトカーを作っているようだ。
車の運転は日本、特に大阪と比べると紳士的で、無理な割り込みや違法駐車などはしない。また、一時停止は絶対に守る。スピードそのものはかなり出すこともあるが、歩行者がいそうな市街地では確実に徐行する、メリハリのある運転には大変好感が持てる。
ナンバープレートには、アルファベットでも数字でも、好きなものを選べるとのこと。自分と恋人の名前を、などというのもあった。
ガソリンは1リットル0.6カナダドル程度(約50円)と安価で、ディーゼル乗用車は皆無。冬はかなりの降雪があるそうなので、さぞや4WD車が多いものと思っていたのだが、そうでもなかった。みんな2駆で十分な程の運転技術を持っているのか。いつか冬に訪れてこの疑問を解いてみたい。
(8)治安
すこぶる良い。夜間一人で出歩いたことはなかったにしろ、危険を感じたり、その他嫌な思いをしたことは一度たりともなかった。それも、大勢の警官を動員して危険を抑制するようなやり方でなく、老若男女を問わず一人一人が極めてジェントルで、当局も国民を信頼しているのか、警官の姿を見たのはほんの数回だったように思う。
恥を恐れずに言ってしまうと、私は、この旅の全ての記録を記した日記を、ナイアガラ滝近くのレストランに置き忘れてしまったことがあった。半ばあきらめ、絶望的な気持ちだったのだが、多くの親切な人たちの手を経て、私のもとに返ってきた。結果として、この出来事は、私にとってカナダの人々への信頼と感謝の念を一層深めることになったのだった。
(9)情報・通信
オンタリオ州では、コンピュータのハード、ソフトが主要な産業であることから、一般家庭にもパソコンが普及し、ほとんど一家に1台はある。Eメールアドレスも持っている。パソコンを使った私たちのプレゼンテーションにも完璧に対応していただいた。
一度、既に定年退職された方と野球の話をしていて、「うちの地元には阪神タイガースという球団があり、例年最下位なのだが今年は2位と頑張っている(5月時点)。カナダに来てから日本のニュースを聞かないので今はわからないが」と言うと、「そんなのインターネットですぐわかるじゃないか」と、あっさり言われてしまった。高齢者に至るまでコンピュータ通信網が普及していることを示すエピソードである。
余談になるが、携帯電話を持ち歩くティーンエイジャーには一人も会わなかった。
(10)チームワーク
1か月にも及ぶGSEプログラムをやり遂げるためには、GSEチーム内のチームワークが不可欠だ。幸い私たちは加藤団長を中心に堅い結束を誇り、助け合って全てのプログラムから少しでも多くを学ぼうと努力した。
GSEのようなインパンクトの強い体験の中で、互いの良い面もそうでない面も知り尽くしたメンバー5人は、それ自体が、かけがえのない財産である。帰国後しばらくは、毎日翌日の集合時間と場所、服装とスケジュールをチーム内で確認しなくてよいことに、空虚感を覚えた。
カナダの地を離れることは、私にはとても耐え難いことでした。ホストファミリー、親切な人々、住みやすく美しい街々、・・・。全て広く大きく、優しく私を包んでくれました。許されることならば、いつまでもそこにとどまりたいと思ったのは、私だけではなかったでしょう。全てが夢のような体験でした。しかし、日本に帰国後、カナダから送られてくるたくさんのメールは、それが夢ではなく現実で、私たちが確かに、カナダに足跡を残してきたのだということを物語っています。その誇りは、今後の人生を生きていく上で、大きな力となることでしょう。
GSEは異国の文化や歴史、社会を知るだけでなく、それによってまた日本について再発見する機会を与えてくれるものでもあります。そして国際的な共通理解と平和に貢献するすばらしいプログラムです。最後に、この貴重な経験を私に与えて下さいました皆様に、改めてお礼申し上げます。