GSE報告書
カナダチームがホームステイで見た日本


Final Reports of GSE team from District 7080


1999.10.1.


日本語訳:松岡茂雄(2660地区GSE委員長)


キャシー・スミス(チームリーダー/キッチュナーRC会員)

リサ・アライ(オークヴィルノースRC推薦)

デニス・フラミング(ケンブリッジ・サンライズRC推薦)

ヴァネッサ・カトー(オークヴィルRC推薦)

アキラ・ピープルズ(ミシソーガRC推薦)








キャシー・スミス
(チームリーダー/キッチュナーRC
員)


Final Reports of GSE team from District 7080


1999.10.1.


思い出

ロータリーの究極の目的は、世界理解と平和を達成することです。世界のいろんな地域から他の地域へ人を派遣し、他国の文化を経験させ、人々にレッテルを貼ることなく個人としての知り合わせることほど、この目標を達成する良い方法を、私は思いつきません。
チームと私が、素晴らしい冒険の準備をしているとき、多くの友や同僚、そして見知らぬ人から、「日本人」について多くのことを聞かされました。日本に行ったら何があるかという一般論は、「日本人」というレッテルについて述べたもので、私たちが知り合いになり、友となった個々の人間のことではありませんでした。レッテルに基づいて人間の行動を予測する、これらの意味ありげなアドバイスは、文化や経験を共にし、究極の友情を育てた個人個人の相互作用を説明できるものではありません。
類似点を見つけるより、差異を見いだすことのほうが、ずっとたやすいことはよくあることです。他国を訪問して帰国すると、人はその国、習慣、人々が如何に自分たちの日常と違っているかを、早のみこみで話します。「ザ・日本人」についてのコメントは観察した差異に集中しています。如何に我々は似ているかというコメントを決して聞いたことがありません。類似点を求めるためには、自分自身の行動を吟味し、心と頭を開くことが要求されます。
一ヶ月間の、2660地区滞在を通じて、私たちは親切で、同情心があり、与える心を持つ人たちに会いました。ロータリアンであるとないとに拘わらず、私たちのチームは、どこへ行っても尊敬と親切さをもって歓待されました。見知らぬ人たちから、そのように心を開いて歓迎されることは、圧倒される思いでした。日本で滞在した一ヶ月で学んだ、最も強力なレッスンは、私が日本でしてもらったように、他人を一生懸命にもてなすべく努力するということです。
最も深遠な経験は、広島訪問でした。日本に向け出発する以前から、広島は信じがたいほどのインパクトを私に与えるだろうと分かっていました。しかし、それがどの程度のインパクトかは考えていませんでした。私たちが大阪にいる間中、英語のテレビ放送は、コソボで勃発した戦争のことを毎日のように伝えていました。西洋世界と私たちを結ぶ唯一のコネクションは戦争だったのです。広島は、世界平和に献身的でした。そこでは非難のためにではなく、希望のために、世界中の人が「ノー・モア・ヒロシマ」の呼びかけに参加することを求めていました。
GSEは世界理解と平和の目標に向けて、もう一つのステップを踏み出すものです。GSEの体験の中にこの訪問があるのは適切です。レッテルを貼られた人に会うのでなく、人に人として会うことは、理解を創り出すことに貢献します。この世界で現在行われている戦争は、レッテルの戦争であり、個人の戦争ではありません。レッテルなしで二人の個人が会えば、何故二つのグループが戦っているのか理解が困難なことは、過去何回にも亘って証明されていることです。レッテルをはがすと、私たちはみな同じであることが分かります。家族があり、喜び悲しみを経験し、フラストレーションを持ち、幸福感を経験しています。私たちを分かつ唯一のものは、文化、宗教、そして住んでいる場所に過ぎません。
広島訪問は、GSEとその他のロータリー財団のプログラムが何故大切なのか、その理由を私にはっきりと分からせてくれました。私たちの交換にこの重要な訪問を含めて下さったことに対し、第2660地区に感謝します。また国際ロータリーにはこのような、人生を変える経験を許して下さったことに感謝する次第です。






第2660ホスト地区

2660地区について述べて、これで十分ということはありません。私たちのチームが体験したものより、良くオーガナイズされた交換があろうとは想像できません。カナダからの出発の前に詳細な日程が送られてきました。大阪に着くと、時間や内容の変更を細大漏らさず記した最新の日程が配られました。これはワンダフルでした。この日程表のおかげで地に足が着いた気になりました。詳細をこんなに知らせていただいて感謝します。
職業研修訪問は、よく考え、よく計画されていました。私たちのメンバー一人一人に対して、それぞれの訪問がケアされ配慮されていることは明らかでした。どの訪問も、チーム員の関心や職業にマッチしていました。
ホテル・ニューオータニで、週末滞在できたことは私たちのチームにとって、素晴らしい贈り物でした。ありがとうございます。このホテル滞在は、プレゼンテーションの企画やギフトの配分を考える機会を与え、故郷へ電話したり電子メールを送ったり、そしてただ、ゆっくりくつろぐ時間を与えてくれました。この親切さ、寛大さに感謝します。
ロータリークラブ訪問は、特に際だっていました。王様のようなもてなしでした。どのクラブでも私たちの訪問に注目し、尊敬を払ってくれました。それぞれのクラブの親切さ、寛大さを有り難く思いました。
第2660地区のGSE委員会は、私たちの交換の計画と実行に例外とも言える仕事をしていただきました。関西国際空港での温かい出迎えから、歓迎パーティ、職業研修、文化研修、会社訪問、サヨナラパーティに至るまで、すべて信じがたいものでした。ホスト家庭を見つけるのはどんなに大変だったことでしょう。私たちのチームのメンバー一人一人が、一週間単位で、一家庭に滞在できたことを有り難く思います。(デニスは例外で、彼は楊井さんの家庭に3週間滞在しました)
計画立案は委員会の仕事だと知っていますが、GSEの委員長の松岡さんには、特別の謝意を述べなければ、怠慢になるでしょう。松岡さんは多くのクラブで私たちがパワーポイントを用いてプレゼンテーションできるように計らってくれました。彼は私物のプロジェクターを私たちに貸してくれ、オーバーヘッドプロジェクターを使わずパソコンでプレゼンができました。彼は第1週の間ずっと、それから第3週、第4週の間の多くの日に行動を共にしてくれました。仕事を離れ、こんなにも時間をとって同行してくれたことに圧倒されました。GSE委員会のみなさんすべてに感謝致します。特に松岡さんに。(私たちは、愛情を込めて彼に「ガジェットさん」というあだ名を付けました)
2660地区は、ロータリーの4つのテストにあるように、私たちを扱い、「ロータリーの夢を追い続ける」ことを助けてくれました。第2660地区はロータリーの目標である世界理解と平和の達成にGSEが重要であることを、本当によく理解しています。




ロータリーについて学んだこと

2660地区のロータリアンは、ロータリー会員であることを名誉と考えています。私は、ロータリーでこんなに多くの慶祝を経験したことはありません。私たちの地区では、発足の援助を得た子クラブが、毎年親クラブ元に集うイベントがありますが、それ以外には慶祝はありません。2660地区では慶祝のイベントが、礼儀正しく行われていることに感銘をうけました。私たちの地区も、この伝統をスタートさせることを希望します。
日本に着くまで、ロータリーソングの存在を知りませんでした。日本では殆どどのクラブで、ロータリーソングを歌っています。それは素晴らしい体験でした。我々のためにロータリーソングが英語で歌われるのを聞くと感動しました。私のお気に入りのロータリーソングは歓迎会とサヨナラパーティで歌われたもので、参加者はみんなで手をつないで大きな輪をつくって歌う、それは楽しいイベントでした。(訳注:「手に手つないで」のこと)
新しいクラブが地区に加わるとき、喜びをもって歓迎されるのに感動しました。2660地区のロータリアンは、新しいクラブのスタートが、より多くの個人がロータリーへ参加し、奉仕を分かち合えることを大変喜んでいるようでした。
2004年のロータリーの国際大会は、これまで最良の大会の一つとなることは、疑いないと思います。2660地区がしているようにロータリーの理想を追求する地区があれば、それは世界におけるロータリー活動の素晴らしいサンプルとなることでしょう。






ホスト家庭

私の4つのホスト家庭は、例外的な人たちでした。本当に懐かしく思います。それぞれの家庭が、日本の家庭生活と日本料理を経験するよい機会を私に与えてくれました。
私の最初のホストは、GSE委員長でした。彼は、私の「食事スケジュール」をつくって、私がいろんな食事を経験できるように計らってくれました。毎週、私が朝食と夕食に食べたものが記録されました。その記録の中には私が好んだ食べ物、嫌いだった食べ物についてのコメントが付いていました。毎週末、私のホストが交代するとき、その記録は次のホスト家庭にファクスされました。(その記録の存在を知ってから)この食事スケジュールは、ホスト家庭と私をよくうち解けさせるきっかけとなりました。
私は、忘れ得ない親切を経験する機会を得ました。これからも、それぞれのホスト家庭と連絡を保ち、日本もしくはカナダで何回もお会いしたいと思います。
丸々一週間も、まったく知らない人を家に迎え入れることが、日常の生活にどんなに支障をきたすに違いないか、私は知っています。それに加えて、それぞれのホスト家庭は、私を毎日、集合場所へ連れて行き、一日の終わりにはまた迎えにきてくれました。
これは、私のホストの働く時間が短くなったことを意味します。しかし、4つのホスト家庭、松岡家、江原家、四宮家、須田家は私を家族の一員のように感じさせてくれました。彼らに不便をかけているかのようなそぶりはまったくありませんでした。私には、いま、4つ
の新しい家族ができたように思います。
私たちのチームをこんなにも温かく迎え入れ、私たちの滞在を思い出深いものにするため、自分たちのスケジュールを調整して下さった、それぞれのホスト家庭に感謝します。あなたがたの、寛大さと親切は圧倒的でした。






忘れ得ない、いくつかの瞬間

ある日、地下鉄に乗っていると、あまり遠くない席に、少さい女の子と彼女のお祖父さんがいるのに気づきました。その小さい女の子は、私を恥ずかしそうに見つめていました。そのとき地下鉄にのっている外人は、私一人だったのです。私が微笑んで、コンニチワというと、彼女はお祖父さんのシャツに顔を隠しました。お祖父さんは体を傾けて、彼女に何言か日本語でささやきました。彼女はゆっくりと顔をむけて「ハロー」と言って、また顔を隠しました。私はカナダ国旗のピンを取り出し、それを彼女のお祖父さんに渡しました。彼がそのピンを彼女の胸につけると、彼女は振り向いて「サンキュー」と英語で言いました。
別のある日、私はホスト家庭と一緒に、大変混み合った電車に乗っていました。一つの駅で、中東からの人が二人乗り込んできました。一人は混んだ車内を見まわし、私に目を止め、わけ知りげに微笑みました。三人の外国人がお互いを即座に認識した瞬間でした。
日本での最初の土曜日、二人のチーム員と私は、ホテルの中を探検して歩いていました。ホテルニューオータニは、結婚式場としても大変人気があります。結婚パーティで写真を撮っているのを見て、私も写真を撮影したいと思いました。結婚式のゲストの中に一人の外人がいて、彼女はオンタリオから来ていることが判明しました。実のところ、彼女は、花嫁の実家に15年前、青少年交換学生としてお世話になっていたのでした。
私たちがカナダのオンタリオから来ていることが分かると、彼女は花嫁の家族にそのことを告げ、私たちも結婚の記念写真に収まりました。それは私のカメラだけでなく、プロの写真家のカメラでも撮影されました。ロータリーが家族としての縁を即座に結んだのでした。
ある日の職業研修で、寝屋川での老人ケアを見学しました。その訪問の一部として、私立のホームで92才の痴呆症の老母のケアをする娘とその夫に会いました。私は畳の部屋に招じ入れられ、その母と娘からお茶と桜餅を頂きました。その部屋には、コトという日本の弦楽器があり、92才の老婆は、若い娘時代にそれを弾いていた話してくれました。娘さんの話では、お婆さんはまだ、時々それを弾くのだそうです。老母は、私に演奏を聞いてみますかと日本語で尋ねました。この美しい婦人が楽器を弾きながらサクラ、サクラを歌ってくれたことを思い出すと私の眼には、いまだに涙が浮かびます。
この瞬間は、いつまでも私の心に刻みこまれています。
その同じ職業研修日に、非常に小さいアパートに暮らす夫婦を訪問しました。彼らはホームケアの人と一緒にいました。夫は盲目で、妻は寝たきりでした。言葉は通じませんが、夫は、家に客を迎えることを喜び、どうか一日ずっと居てくださいと言ってくれましたが、残念にも次の予定に行かねばなりませんでした。
どこへ行っても子供たちのグループは、私たちを見て興奮しました。手を振り、ピースサインをして見せ、ハローと言ったり、そのほか知っている英語を試していました。日本の他の部分より大阪では西洋人の数が少なく、珍しいのでしょう。ポーズをしてくれる学校生徒の写真をたくさん撮りました。
何故、人が私を見ているのだろうと不思議に思ったことがありましたが、私は少し違って見えることに気が付きました。そんな瞬間を除けば、この旅行の殆どで、そのような意識を持ったことはありませんでした。
私は、サヨナラパーティで、私たちのチームのメンバー一人一人がスピーチをする度に、涙にくれる多くの人を見て圧倒されました。この訪問で私たちのチームが大きな衝撃を受けたことは分かっていましたが、この交換が、ホストにも如何に深いインパクトを与えたかを知って驚きました。
第4週のホストと自由な朝を過ごしているとき、神道の感謝を捧げるセレモニーを見ました。このようなスピリチュアルな体験ができたのは素晴らしいことでした。
私は、チームメンバーの一人とともに、相撲の横綱の曙関と写真を撮る幸運に恵まれました。リサが曙関に、写真を撮らせてもらえませんかと日本語で聞くと、彼は英語で答えました。私たちは、彼がハワイ出身であることを忘れていたのです。
第2週のホスト、江原さんは、大東ロータリークラブの会員でした。このロータリークラブは私のためにパーティを開いてくれました。彼らは日本文化の3つの面を見せてくれました。その夕方は、まず茶道から始まり、あとで剣道をするチャンスがありました。最後は書道で、私も筆書しました。それは信じがたい夕べでした。
思い出に残ることをこんな風に何ページでも書いて行くことができます。しかし、これは本にするわけでないので割愛します。私の人生に衝撃を与えた瞬間は毎日ありました。






チームリーダーの役割

私がチームリーダーに選ばれる前に、私たちの地区は、2660地区に女性がリーダーに選ばれたら何か問題があるだろうか、と問い合わせました。(有り難いことに)答えは、問題なし、でした。私が親切と最大の敬意をもって扱われなかった瞬間は全くなかった
と申し上げます。私はいつも、リーダーとして、そしてロータリアンとしての扱いを受けました。男性が一人、メンバーに混じっていると、ロータリアンは私よりも彼に敬意を表するのではないかという懸念は、全くありませんでした。
第2660地区の女性会員は、まだ多くありませんが、私が女性のロータリー会員であることに何の問題もありませんでした。これも、人がレッテルによってではなく、人を人として扱った別の例です。
チームリーダーの役割は、自分自身についても多くのことを学ばせてくれます。その役割はやりがいのあるものですが、日本にいる間、それがどんなに大変かに気づいて驚きました。チームリーダーは絶えずチームのニードを知り、またホストのニードや期待を知っていなければなりません。耳と目を開いて、次は何が起こるか予測します。ホストの期待よりチームのニードを優先しなければならない場合やその逆にチームのニードを抑えることが必要なこともあります。チームリーダーであることはエキサイティングですがメンタルには疲れる役割です。それは学び、成長する機会であり、私はそれを経験するチャンスを与えられたことにスリルを覚えました。






いくつかの観察

個人的に学んだ経験のうちで最大のものは、他人の手に自分を完全に委ねることでした。毎朝、地下鉄や電車や車でどうなるか判らない場所へ行くのです。一ヶ月というもの、実際上、私は自分で意志決定をしませんでした。自分で自分をコントロールすることに慣れている人間にとって、一ヶ月間もそのコントロールを放棄することは、良い学習経験です。GSEは、メンバー一人一人を慣れ親しんだものでない環境に置きます。これこそ、人を個人的に成長させる領域なのです。快適でない状況にメンバーが対処し、成長して行くのを私は観察しました。私はまた、多くのエリアで自分自身が試され、GSEの結果として成長したと思っています。私たちは、チームとして大変ラッキーでした。と言うのも、2660地区チームとの親密な関係を発展できたからです。私たちは大阪でもカナダでも一緒に過ごす時間を持ちました。私たちのチーム内部ばかりでなく、2660地区チームとも、一生続く友情を確立できたと信じています。電子通信時代は、世界をどんどん小さくしています。カナダに帰ってから、大阪から少なくとも一つの電子メールを受け取らなかった日は、殆どありません。帰国してから 、二人の新しい友人の訪問を受けています。私は、自分が新しい友人のもとへ会いに行き、カナダへもさらに多くの訪問があることを疑いません。この「贈り物」をロータリーに感謝したいと思います。






終わりに
私は、いつもGSEの恩恵を信じてきました。いまでは、心と頭でこの交換がいかに重要なものであるかを認識しています。
GSEは、訪問する相手国についてと同様、あなた方自身とあなた方の国そのものについても教えてくれます。想像できなかった形で、個人的な試練を受ける機会があります。
頭と心を開くこと、自分の信念や価値観の再検討が求められます。世界平和に対して個人的につくす大きな一歩が踏み出せます。チームリーダーは、知らなかった人たちのグループと共に行動し、チームとしての団結を作りだす機会を得ます。彼らにロータリーについての知識を分かち与え、自分自身にチャレンジするチャンスも得ます。
私がGSEの体験から学んだことすべてを言葉で言い尽くすのは困難です。一つの偉大な体験、一つの特定な学習経験を選び出すことは不可能です。人生を変える体験あまりにも多くあるので、一つを選ぶことはできません。私は自分で気づいている以上のものをこの交換から学びました。私は、殆ど毎日、自分自身や世界のことについて、何か一つ学んでいることに気づきました。私を信用してチームリーダーに任命してくれた7080地区、それぞれがすぐれた個人であり、私にいろんなことを教えてくれたチームメイト、ホスト家庭、GSEの重要性を真に理解している2660地区のロータリアンのみなさん。ドモアリガトゴザイマシテ。








リオ・アライ(オークヴィルノースRC推薦)


Final Reports of GSE team from District 7080


1999.10.1.


日本の大阪とのGSEは信じられないくらいの体験でした!4週間という短期間で、私たちのチームは、日本の文化、ビジネス習慣、伝統、食べ物そして日常生活についての強力な印象を受けました。以下は私の最終報告です。
ロータリーについての、私の第一印象は、私が8歳で、所属していた日本舞踊の団体が、トロントのユダヤコミュニティセンターで開かれたロータリーミーティングに出演するよう依頼を受けたときのものです。母がロータリーはビジネスマンのための閉鎖的な(そして権威のある)クラブだよと話してくれました。もっと最近の経験は、私の親しい友達が、ロータリー入会の勧誘を受けたことです。彼女はそれ以来、毎週の例会や資金集めの活動について、私に話してくれます。
GSEのことを初めて知ったのは、地域の新聞、オークヴィル・ビーバーに掲載された広告からでした。この広告はGSEについて説明していて、行き先が日本であることで嬉しくなりました。私は即座にロータリアンの友人に電話を掛け、彼女はさらに詳しく、このプログラムのことを説明してくれました。GSEの委員長のノーマ・ギャンブルにも電話しました。彼女はこのプログラムについての知識をさらに与えてくれ、応募手続きの概略を教えてくれました。このプログラムの諸費用は、すべて支払ってもらえることが分かり大変に興奮しました。というのは、自費では4週間も日本旅行をする余裕が絶対にないからです。
選考の日は、その過程は興味深かったのですが、大変に疲れました。自分の業界以外の若い職業人に会い、話しをすることを楽しみました。みんながユニークな、また興味深いバックグラウンドを持っていました。資格十分の若者がこんなに多くいるのだから、私がこのプログラムに参加できることはない、とあきらめました。その晩、リーダーのキャシー・スミスから私が選ばれたことを聞いて、大変驚きました。
旅行の準備は、集中的に行われました。ほとんど毎土曜日に集まり、4〜7時間を過ごしました。このミーティングの目的は、日本語のレッスン、グループとしてのプレゼンテーション、パンフレット、名刺、ギフトの準備とユニフォームの決定でした。国際ロータリーの日本語研修予算に限界のあることは知っていますが、先生の側に研修の内容も、その準備も欠けているのには失望しました。また、私たちのグループがミーティング中、いつも目標に向かっていたわけでないと感じました。時には話題が脇道にそれて、大切な土曜日の時間を空費しました。ミーティングの良かった点は、旅行前に多くの時間を一緒に過ごしたので、それからの4週間を共にする以前にお互いをかなりよく知り合いになれたことです。
日程および旅のアレンジは、この旅行を通じて、よくオーガナイズさていました。日程には特に感銘を受けました。それはロータリーの例会、会社訪問、職業研修および観光が完璧にミックスされていました。日程は集中的なものではありましたが、私たちは4週間という短期間で日本の多くの面を体験することができました。毎週土曜日にホテルで休息の一夜を過ごせたのは幸運でした。スケジュールが非常に密でしたから、忙しかった1週間から解放され、次の週に備えるために、ホテル滞在が楽しみになりました。
GSEで私が好きだったのは、ホームステイ、会社訪問そして職業研修でした。私たちは、それぞれ一家庭に一週間ずつ滞在しました。一家の一員になって、日常生活に加わることを特に楽しみました。家族という単位をのぞき見て、その独特の活力に触れることができました。それはカナダの家庭とは非常に異なっています。
日系カナダ人の三世として、これまでの人生で日本語と日本文化を経験してきました。
また、これまでに日本を2回、訪問しています。一回目は15歳の交換学生として三週間、二回目は日本政府がスポンサーのJETプログラムでのAETとして一年間の滞在です。これらの経験は、日本語と日本の文化を理解しコミュニケーションを図るのに役立ったと信じています。英語の練習をしようとしているのでない限り、ホスト家庭の家族とは常に日本語で話しをしました。そのため、挨拶的な会話の域を越えて、奥深いディスカッションができたと思います。それは見合い結婚、家庭における父親および母親の役割、料理のレッスン、お茶会などの理解、子供に対する両親の期待、文化、社会、隣人、社会的な不文律などです。複雑な日本社会を理解し、よりよく学ぶために、以前の訪問は、しっかりとした基礎を提供してくれました。
このGSE交換は、スケジュールが教育的であり、また文化的である点で以前の訪問とは異なっています。いろんな会社訪問には魅惑されました。大阪ウォーターフロント開発会社(海遊館)、松下電器の技術館、三洋電機の枚方中央研究所、ダイハツ自動車、明石海峡大橋(世界最長の吊り橋)、竹中工務店。どの訪問でも幹部の方からの公式プレゼンテーションがあり、自分の関心領域について質問することができました。マーケティングや広告の分野は、カナダのやり方と全く異なっていました。
職業研修での訪問も楽しみました。私はトロントのスカイドームで働いていますから、大阪ドームへの訪問にはスリルを覚えました。まる一日をゼネラルマネジャーと一緒に過ごしました。この訪問は最もインフォーマティブなものであり、通訳は優秀で、両者の情報コミュニケーションは完璧でした。私の他の訪問も同様に興味深いものでした。広告の電通(日本最大の広告代理店)、宝塚歌劇、ミキハウス(ギャップによく似た衣料品店)それからユニバーサルスタジオ・ジャパンの本部です。
私たちのチームは、ツーリストを惹きつける主要な観光スポットも楽しみました。水族館の「海遊館」、でんでんタウン(エレクトロニクス地域)、奈良、京都、広島です。これらの場所へは、別々のロータリークラブがホストになって下さいました。いろんなロータリアンに会い、一日を過ごすのを特に楽しみました。みんな、とても親切でした!
大阪地区のいろんなロータリークラブで多くのプレゼンテーションをしました。非常に多くのロータリアンにお会いし、カナダを訪問すれば何が体験できるかの知識を共有しました。いつも誇りを持って、カナダと私たちのロータリー地区のプロモーションのためのプレゼンテーションを行いました。この人たちが、私たちが日本という素晴らしい国について学んだのと同じように、私たちの素晴らしい国について学んで頂ければ嬉しいのですが。
このGSE交換は、全体として、信じられないほどの体験でした。これからも決して忘れることはありません。私たちのチームは、この旅行を通じて結ばれ、これから続く友情が楽しみです。終わりにあたって、国際ロータリーにこの素晴らしいプログラムを感謝したいと思います。ロータリーの夢が現実のものになったのですから!








デニス・フラミング(ケンブリッジ・サンライズRC推薦)


Final Reports of GSE team from District 7080


1999.10.1.


概観

1999年3月18日から4月18日まで、日本の大阪地区で参加したGSEプログラムは、豊かで実り多い経験に満ちていました。第7080地区(カナダ、オンタリオ)から派遣された私たちのチームは、大阪地区の多くのロータリークラブによって組織され、大変充実したスケジュールをエンジョイしました。






GSE体験のインパクト

私たちのチームが出発準備をしているとき、「この交換は人生を変える経験になるよ」と言われたことを思い出します。別の国を訪問するのは大きなチャンスであり、本当に魅力的なことだとは知っていましたが、「人生が変わる」と言ってくれた人たちが何を意味しているのか、興味津々でした。
この交換の豊かで報われるこの多い経験を終えたいま、GSEが個人に与える重要なインパクトを有り難く思う次第です。私の経験した変化、そしてGSEの価値について述べるなら、それは「私の世界が少し大きくなった!」ということです。
GSEの体験は、私の眼、心、頭をいろんな方面で開いてくれました。私は、言語、宗教、髪の色、文化的背景は違っても、カナダ人と日本人は共通の目標を持ち、努力していることを学びました。私たちは、お互い人間として、また自然と調和して生きようと努めながら、未来の世代に対しても最前のことを望んでいるのです。
若い専門職業人のダイナミックなチームの一員であったことから、私はグループダイナミクス、チームワークそして自分自身についても学ぶところがありました。柔軟性、忍耐性が必要なことを学び、またチームメンバー一人一人がユニークなスキルを持っていることに感銘を受けました。こんなにうまく協力して行動できたチームの一員になれて本当に幸運でした。
GSEのプレゼンテーションで9つの異なったロータリークラブの会合に出席し、約600人のロータリアンにお会いできたのは本当に光栄でした。また、例会出席以外の交流を考え合わせると、さらに多くのロータリアンとお会いしています。例会で日加両国の国歌が歌われ、両国の国旗が会場に掲げられているのを見るのは感激的な体験で、日本の滞在しているカナダ人であることを誇らしく感じさせてくれました。出席したどのロータリークラブも、それぞれのやり方で、私たちを特別のゲストのようにもてなして頂きました。






職業研修訪問

私の職業研修訪問は、私の仕事と関連が密で、大変役立つものでした。私は地方政府の食品産業コンサルタントとして働いていますので、日本の田舎を一日かけて旅行したり、8つの農業と食品関係の組織や会社を訪問できたことは大いに楽しい出来事でした。
私の職業研修ではっきり分かったことは、農業の規模がカナダとは大いに異なっていることです。カナダの26分の1の土地、それも山がほとんどで、典型的な田地は3ヘクタール。温室が多く、茶畑は非常にきつい斜面につくられています。
食品の安全性は厳重に守られています。食品会社のスタッフはいて、いろんなプロセス食品を包装するさいに保護服を着用していて、そのことがとても印象的でした。
環境に対する関心も、私とビジネスマンたちとの話しの中に絶えず浮かぶ話題でした。
環境に敏感な形で、土地開発、農業生産、食品加工に関し努力が払われていました。ゼネコンや食品会社の幹部は、施設の建設、食品加工を自然や近隣の住民と調和させる必要性について語っていました。
私が学び、これはいいと思った別の重要項目は、「顧客と供給者の間の強い関係の開発と維持」でした。食品会社も非食品会社も、このセクター全体の成長と繁栄を確保するため、特に供給側(調査も行う)が密接に協力してリスク管理することの重要性を話していました。
「日本人は目で食べる」と言う話も聞きました。私は、日本における食品生産には見た目と新鮮さが重要であることを知りました。刺身やメロンの盛りつけにもそれは明らかに見ることができました。日本料理を食べたことは私の日本体験のハイライトで、カナダへ帰国してもこの話題に花を咲かせました。私の友達や家族は、まだ動いている新鮮なタコを私が食べたことを未だに信じていません。何という経験でしょう!
食品産業の大手や販売業者は、できる限り新鮮な食品を供給することにプライドを持っています。メロンは、一個20ドルから140ドル(カナダドル)と、パッケージの状態や特定の産地・栽培者によって値段が異なるのを興味津々に見ました。
消費者にとっての便利さは、日本で最優先されます。カナダでも同様に便利食品の売れ行きが伸びています。自動販売機には温かい飲料と冷たい飲料が一杯詰め込まれていました。CD、ビール、アルコール飲料、アイスクリームも自動販売されています。食品店では、多様な調理済み包装食品(HMR)を販売していました。






ホスト家庭を通じて理解した日本文化

私の二つのホスト家庭に対し、私がどんなに感謝し、有り難く思っているかということを、うまく言い表すのは困難です。彼らの目を通して日本を経験し、初めて会った時から家族の一員のように扱って頂いたことは、大阪へのGSE旅行であきらかに最も素晴らしく、また最も記憶に残る出来事でした。
ホスト家庭は、私を温かく家に迎え入れ、身の上話を分かち合い、あたかも真の友達がするように、いろんな方面で手を差し伸べてくれました。私は二つの世話好きで、友情に満ちたホスト家庭を通じ、日本の歴史、文化、日常生活について多くを学びました。
楊井さん一家で3週間暮らし、家族全体、特に息子のヒロシさんと特別な友情を育む機会に恵まれたのは大変ラッキーでした。エーワンベーカリーの社長である楊井さんは、食品産業に強いコネを持ち、そのおかげで私の職業研修は意味深いものとなりました。楊井さん一家は、私が日本をできる限り見て、体験できるよう、大きく動いてくれました。日本の田舎に一家の祖父を訪ね、多くの日本の伝統的な食事を味わせ、野生の猿やイノシシを見せ、伊賀上野では忍者屋敷まで見せてくれました。
仏教の僧侶の亀井信昭さん一家と過ごした一週間も感動に満ちていました。クリスチャンは日本の人口の1%にすぎず、行くところすべてに仏教と神道の影響が感じられました。仏教寺院で生活し、僧侶の纏う袈裟を着、仏教の初歩のレッスンをうけることができたのは名誉でした。オンタリオ州オークヴィルの姉妹都市である寝屋川市の市長にも、彼のおかげで会うことができ、感謝しています。
ある日、私は花嫁と仲人さんに会って驚きました。ホストの祖父を小さな田舎の村に訪れた時のことです。仲人が花嫁を彼女の新しい隣人に紹介している最中でした。私は伝統的な見合い結婚がまだ続いていることを知りましたが、もちろん、若い人たちは自分の思う通りにデートする自由も持っています。
ホスト家庭と過ごした時間は、私の限られた日本語の語彙を拡げ、多くの伝統的な食べ物を見、味わせて(オイシイ)くれました。うどんを食べるとき、すすって音を立てるのはホストに対する満足の表現です。朝食を辞書片手に食べたのも楽しい思い出です。私は勉強中の基本日本語を小さなノートに書いて、しばしば参考にしました。(特に食べ物関連の言葉、お好み焼き、しゃぶしゃぶ、タコ焼きなど)






日本で最も強く印象に残ったこと

GSEの中で、もっとも魅力的なことは、日本の人たちの文化や日常生活を深く体験できたことです。どの日も驚きに満ちていました。ロータリアンによるホスト家庭への出迎え、あるいは電車に乗って都心のホテルへ行き、他のチームメンバーと合流することから毎日が始まりました。
日本での4週間では、多くの好ましい思い出があります。そのハイライトの一つとして、広島が思い浮かびます。広島訪問で、私は過去を尊敬し大切に考える感覚を得、日本の未来に明るい希望を抱きました。広島で過ごした一日は、一生忘れ得ない、特別に感動的な日でした。川越しに原爆ドーム見て、平和記念公園を歩きました。折り紙の千羽鶴が子供の記念碑の周りにあるのを見、そして平和記念資料館の展示を見ました。それは戦争の惨禍をあからさまに思い出させました。コソボで戦闘が勃発した直後に広島の破壊状況(1945年8月6日の)を見たのは皮肉でした。広島で一日を過ごしたあとは、コソボの衝突のことをテレビで見たり聞いたりすると、突然に戦争が現実味を帯びてきました。平和記念資料館を去るとき、私の良き友人、ヒロシはチームの一人一人に「ノー・モア・ヒロシマ」のバンパー・ステッカーをくれました。それは、全ての国が平和に暮らすことを奨励するお土産で、特別な日本の友からの、感動に満ちた一日の終わりにふさわしい贈り物でした。
一日一日が過ぎて行くにつれ、日本の文化に存在する丁寧さと礼儀正しさに感銘を受けました。ホテルやレストラン、小売店や他のビジネスでもサービス第一であることが観察できました。エレベーターやトイレの場所をたずねると、場所を教えるだけでなく、従業員がその前まで直接に連れていってくれることもありました。
誰かに会ったり、別れたりするとき、どれだけ深くお辞儀すればよいかを、カナダから出発する前に文化的な準備として学んでいました。私たちが車で去るとき、訪問先の人たちが我々が見えなくなるまでお辞儀を繰り返しているのを一度ならず見ました。
日本の田舎を見ることができたのは大変ラッキーに感じました。カナダのオンタリオ州の農場に育ち、農業と食品産業で働く私には、田舎の村と農地をみることが、何よりのもてなしでした。日本の田舎のコミュニティは、カナダの田舎のコミュニティと同じく、田舎のひなびた、農業的な性格を保全しようとしていることが分かりました。兵庫県美山町の小さなコミュニティを訪問したことは、田舎のコミュニティ開発の良い勉強になりました。
私たちのチームは大阪で日本側のGSEチームと一緒に過ごす時間を持てて幸運でした。このチームは我々の地区への旅行準備の真っ最中で、私たちがカナダに帰ってから一、二週間のうちにやってくることになっていました。日本チームとある晩、カラオケボックスで過ごしましたが、面白くて笑いが絶えませんでした。この到着早々のカラオケの夕べは、私たちのチームを一つに団結させ、同時に日本チームとの友情を発展させる基礎となりました。カラオケの経験は、カナダチームは日本チームにくらべ、いかに歌が下手かを悟らせましたが、日本の言葉と文化についての知識を拡げるのに役立ちました。
大相撲を生で見物できたのは、チーム全体にとって光栄な特権であり、スリルがありました。それぞれの力士が相手を投げ倒そう、あるいは土俵から押し出そうとする動作を見て魅惑されました。大阪鶴見ロータリークラブのみなさん、豊かな相撲の伝統を体験させて下さってありがとうございました。
労働倫理の強さ、競争、会社への忠実さは明らかでした。夜の8時になってもオフィスは人が行き交い、子供たちは勉強教室の「じゅく」へ通っています。一週間六日労働がまだ一般的で、朝8時から夜8時まで働いているのを興味深く見ました。「まゆ」あるいは「カプセルホテル」のことを聞いてびっくりしました。これらのホテルは、終列車を逃したか、あるいは仕事に戻るまでの二、三時間を過ごすため、人々が一晩40ドルで、棺桶に似た狭いコンパートメントで寝るためのものです。しかし、20〜35才の世代は、家族やレジャーに多くの時間を割くように変わりつつあります。
日本に到着して二、三日すると、日本人が如何に鉄道の輸送システムに依存しているかが分かりました。長距離旅行用には「弾丸列車」のネットワークが拡がり、ローカルにはそれぞれの電車システムがあります。カナダの26分の1の国土でカナダの4倍の人口が効率的に動くのをこのシステムが助けているのです。大阪の都心の7つの主要駅を歩き回って圧倒されることがしばしばありました。列車による旅行体験のハイライトは、大阪から広島への旅で、私たちは最新の弾丸列車、700系に乗り、時速270キロメートルで旅行しました。
GSEの体験で、カナダにおける自分たち自身の文化、歴史、地理のことを考えさせられました。簡単に言えば、カナダの大きな空間と人種の多様性を当然のように考えてはいけないということです。都市開発が大規模に行われ、多くの人が忙しく行き交い、駐車場は立体的でゴルフ練習場も何階建てにもなっているのを見て、カナダ、オンタリオ州の巨大なオープン空間を本当に有り難く思うようになりました。




終わりに

私は、カナダから日本への親善大使チームの一員になって、恵まれたと感じています。
私たちは熱心に学び、新しいこと(水族館でしか見たことが無かった多くの種類の魚)を試しました。私は、このプログラムがグッドウイルと国際理解を促進するという目的に確かにかなったものであると信じます。それは、私の期待を大きく上回るものでした。
この体験のおかげで、私はニュースを見たり読んだりするとき、日本およびアジア諸国を、以前よりも意識し、注意するようになるでしょう。多くの人が小さい地域に暮らし、開発が盛んで、魅惑的、おいしいものを食べ、庭園が美しく、神社やお寺があり、大相撲、広島、田舎のある日本は、人々が温かく、友情にみち、私の心にいつまでも特別の場所を占めることでしょう。
この機会をとらえ、2660地区のGSE委員会のみなさん、地区の多くの方々に、私たちのGSE体験が、こんなにも成功するよう献身的に関わって頂いたことについてお礼申し上げ、光栄に思う次第です。
ロータリー財団、ありがとう。推薦いただいたケンブリッジ・サンライズRCありがとう。私の世界は、いまや、少し大きくなったように思います。サンキュー・ベリー・マッチ。日本語で何回も言いましたように「ドモアリガトゴザイマス」








ヴァネッサ・カトー(オークヴィルRC推薦)


Final Reports of GSE team from District 7080


1999.10.1.


日本に向けて出発したとき、この交換は大きな成長の機会であり、新しい文化を体験し、また自分自身についても学ぶ機会でもあることを認識していました。私が認識していなかったのは、その体験が、どんなに信じがたいものであるかということでした。ビジネスのトップの意志決定者に毎日のようにお会いしたり、日本の文化遺産を味わうためにカギとなる場所を訪問したり、日本の家庭生活を豊かに経験したり、私たち自身のチームや日本でできた新しい友達との絆や友情を大きく育てることができたのです。私たちの地区のGSE委員会、ホストGSE委員会そしてこの交換を計画し参加した全てのロータリアンのサポートのおかげで、最初から最後まで旋風のような活動がもたらされたのでした。この体験は一生に一度の経験で、その思い出を一生大事にして行きたいと考えています。特に申し上げたいのは、私たちの素敵な友達、松岡茂雄GSE委員長(ガジェットさん)のことで、彼は私たちのために信じがたいほど優れた、これからの新しいスタンダードになるような体験を用意してくれました。






選考過程

それは、1998年秋、グレアム夫妻が電話でロータリーのGSEプログラムにについて説明し、興味があるかと訊ねてくれた時に始まりました。グレアム夫妻とは、ロータリーの目的、私の生涯設計に対するGSEの価値などを最初に話し合い、非常に楽しく、また真に価値のある学習体験が開始されたのです。
まる一日要した、個人面接とグループディスカッションは疲れましたが、ウキウキしたものでした。いろんな職業の興味深い人たちと会えるユニークな機会で、こんなことは滅多にないことだと思い返しています。5人が組になって議論の多いトピックを含む4つの質問を20分間討議し、それを上級グループに報告するというエクササイズは非常にクリエイティブなアイデアです。楽しかったと言えば言い過ぎかもしれませんが、その日のユニークな要素の一つであり、連帯感をつくる体験で、今後も記憶に残る一日でした。またチーム選抜へのフィードバックがタイムリーだったのは素晴らしく、とにかく充実した一日でした。






旅行前の準備

日本人への尊敬を表すために、交換に先立って、できるだけ日本の文化を勉強したのは、大変に重要なことでした。出席したロータリーのどの例会でも、私たちが最初のセンテンスを日本語で話すと、熱狂的な拍手を受けました。私のホスト家庭は、私が食前・食後の感謝を述べたり、箸を使い、また共通の皿からとるときは箸のきれいな方を使う(家では必要ないとみんなに言われましたが)のを見て大変喜びました。私の話す日本語はどんなに分かりづらくても、いつも笑顔で迎えられました。(子供たちはくすくす笑いました)日本文化について知っていることを披露するときは誇らしい気がしました。私たちの努力は大いに歓迎されたのです。






交換
<ホスト家庭>

ホスト家庭での滞在は、この交換をユニークで思い出深いものにしてくれます。ホスト家庭は、素晴らしいお世話を私たちにして頂きました。彼らは日本についての見解を私たちに述べ、カナダのことも熱心に知りたがりました。彼らはまるまる一週間、自分の日常生活を乱して、定められた集合場所へ時間通りに(大変重要)連れて行き、また連れて帰り、毎晩おいしい伝統的な日本料理を提供してくれました。私が自分だけで行動したいと申し出たときは、そうさせてくれましたが、こうすると大阪(いつも活動的)の複雑さが身にしみて分かるのでした。もっとも重要なことは、ホスト家庭が、私たちを本当に歓迎していると感じさせてくれたことでした。私たちは生活を比べあいながら、おしゃべりし、くすくす笑いました。
日本の食事は、私たちの食事とは大いに異なっていますが、ヘルシーです。たこ焼き、すき焼き、鉄板焼き、お好み焼き、しゃぶしゃぶ、串カツ、日本風のカレー、てんぷら、みそ汁、寿司、刺身(トテモオイシカッタ)!!!スナックとして海苔巻きが大好きで、何日もこれを朝食として楽しみました。それからフルーツ。日本のイチゴは信じられないくらいジューシーでおいしい。食事を締めくくったり、一日をスタートさせるのに完璧な方法です。




<職業研修日>

私の職業は金融関係です。住友銀行、野村証券、大阪証券取引所、松下電器、大阪商工会議所、ビジネス・デザイン社そしてユニバーサルスタジオ・ジャパン。金融サービスという、かなりクローズドな産業なのに、信じられないくらいのラインアップでした。
これらの会社で上級の意志決定者に会えたことはエキサイティングであり、とても価値がありました。それは信じられないようなインフォメーションの組み合わせでした。住友銀行ではリスクマネジメントとアナリシスの専門家と話しをし、大阪証券取引所の理事長にお目にかかり、松下電器の資金部長と2時間に亘って効率的なキャッシュ運用のプールシステムについて議論することまで含まれていました。大阪商工会議所とビジネス・デザインという小企業のためのコンサルタント会社訪問は、ベンチャービジネスが銀行からの融資を受けられるようになるまでに起業にさいして受けられるサポートの説明を受けました。野村証券では日本の証券界の概観と彼らが過去2、3年間で直面している重大なチャレンジについて学びました。現在開業準備中のユニバーサルスタジオ・ジャパンでは、借り手の業績見通しをベースにしたプロジェクトファイナンスについての興味深いディスカッションがありました。




<文化研修日>

私たちの交換は、ビジネスと文化そしてロータリー例会が完璧にミックスされていました。
文化研修はちょうど良いタイミングでその中に計画されていました。奈良、京都、広島への日帰り旅行は日本の歴史についての教育的な概観を与えてくれました。お寺やお城は息を呑む美しさでした。どの旅行も一日で、広島でさえ日帰りでした。新幹線に乗って時速270キロメートルで走るというゼイタクを楽しみました。広島は大変重要な体験でした。原爆ドームの遺跡から、千羽鶴の記念碑そして平和記念資料館。記念館の展示の多くは非常にドラマチックで私の心に衝撃的なイメージを残しました。特にフレームが熔けた小さい三輪車が心を打ちました。感情が吸い尽くされたようようような感じがしましたが、大変重要な経験でした。




<日本の列車のシステム>

日本の文化では時間厳守が重要であることに驚きました。それは列車のシステムに一番よく現れています。私は毎日、仕事でオークヴィルからトロントへ通勤しているのですが、この日本の列車運行システムをオンタリオに持参して帰れたらと思います。一ヶ月の滞在中、どの電車も信じられないくらい時刻表通りに到着しました。それも秒単位で。
これは素晴らしい!列車システムばかりでなく、ミーティングもすべて、スケジュール通りに始まり、そして終わりました。日本では時間を守るということは、10〜15分早く到着することを意味します。誰もが時間通りに到着するとどんなに多くのことができるか、驚くべきものがあります。




<テクノロジー>

テクノロジーのリーダーシップに触れずに日本について語ることはできません。サンヨーの研究所、松下電器、でんでんタウンを訪れて、カナダではこれからも長くお目にかかりそうもない、エキサイティングな新技術を見ました。スクリーン付きの携帯電話、CDに取って代わる小さなMD。DVDは小さなディスクに映画が数本は入り、ビデオの5分の1のサイズの機械で再生できます。カナダの電気店は競争相手から離れた場所に店を構えるのに対し、でんでんタウンは数ブロックにわたって、水平にも垂直にも電気店だけが集合しています。それは大した光景でした。






<感想>

この交換は、真に一生一度の体験です。自分の職業が新しい国ではどうなっているかを経験でき、その国のビジネスや政府についての包括的な知識が得られ、歴史上の名所や豊かな文化的施設を訪問できるのです。私たちの訪問のタイミングは完璧で、カナダではまだシーズン最後の降雪の時期に美しいサクラの満開を楽しむことができました。(ロータリーでなく)自分で旅行しているのなら、絶対不可能な楽しい活動、たとえば大相撲見物、プライベートクラブでのゴルフができました。
大阪のGSEチームが7080地区を訪問した際のプログラムに参加できたのも素晴らしい体験でした。彼らに再会できたのも良かったのですが、彼らがカナダで新しい体験をしている様を見て、私たちのチームの日本での同じような体験がどのようなものだったかを想像すると、とても面白く感じました。日本チームが凍った濃縮オレンジジュースやジャンボチーズの写真を撮っているのを見て、私たちが最初の日に、たこ焼きやその他全ての新しい体験をフィルムに納めたのを思い出しました。




<文化について学んだこと>

あって当然のように思っていることが、それがないとどうなるかを見て初めて認識できるものです。この交換で、我々の社会では女性に利用可能な機会が多くあり、また、キャリヤーを追求する女性をサポートするインフラストラクチャーに恵まれていることを認識させられました。
日本では、家族のユニットが非常に大切で、伝統的な役割が守られています。年寄りを世話する責任感が強い一方、カナダのリタイヤメントホームに比べられるインフラストラクチャーは数が限られ、またその利用が(社会的に)よく受け入れられているとは言えないので、主婦は自分の責任として年寄りの世話と、子供の世話に忙殺されることがあります。リタイヤメントホームやデイケアセンター(一時間約20ドル)のインフラが十分でないため、母親が家庭外でキャリヤーを求めることはほとんど不可能に近いのです。その結果は統計に表れています。日本人は晩婚で、子供をつくる年齢も遅くなっています。
これと対照的に私たちの社会では、デイケアやエルダーケアは社会的に大々的に受容されています。これは女性が自分の望むキャリヤープランについて自分自身で決断する機会を与えるに必要なインフラを提供しています。




<私が日本で最も楽しんだこと>

言葉!私にとって、文字、それも3セットあるものに由来する言語に接触する初めての機会でした。サイン類が全く読めない国で暮らすのは信じられない体験です。もし、フランスへ旅行したとすれば、フランス語のサインを理解できないかも知れませんが、読むことはできます。象形文字由来の言語表記では、その読むことすらできないのです。
3種類の違った表記法を学ぶことは大変エキサイティングでした。

漢字:最も複雑な象形文字。数千もあり、中国から渡来。
ひらがな:漢字から発達した51文字。日本の言葉に使用。
カタカナ:日本語に採用した非日本語の表記に使用する51文字。
チームメイトをいらいらさせたことを謝りますが、私はとてつもなく多くの時間をいろんなサインを読むことに費やし、それが何を意味しているのか知ろうとしました。3種類の文字が一つのサインや文章で一度に使用されている場合は、それは全く不可能なことがありました。26文字のアルファベットとは大きな違いです。日本語は非常に複雑な言葉なので、それがこのますますグローバル化する社会にどのように適応して行くのか興味があります。非日本人にとってはビジネスレベルでこの言葉をマスターするのは多くの年月が必要だからです。





<要約>

最後に、いつも記憶に鮮明な大変特別な瞬間についてお話ししましょう。京都の竜安寺を訪問したときのこと。茶室の「つくばい」の手洗い石にあったユニークな刻印、「吾ただ足るを知る」に出会いました。禅の哲学に極めて重要なこのコンセプトは、このように拡大解釈できます。「満足を知る人は精神的に豊かであり、満足することを学ばない人は、たとえ物質的に豊かでも精神的には貧困である。」
日本の大阪とのGSE交換で我々に与えられた機会とその体験に圧倒されているとき、何と良い場所だったことでしょう。この知足の思想は私の中にとどまっています。「より多く、より良く」を求めて、絶えずプッシュ、プッシュを続ける世の中で、リラックスし、満足を知る平和と静穏を楽しむのは素敵なことではありませんか。





思い出に残る日本での興味深い事柄

<日本の家>

・ ほとんどの家は断熱がよくありません。それは主として、大変暑く湿度の高い夏に、家の中への風通しを良くしたいと思うからです。寒い気候になると部屋は個別にスペースヒーターで暖房されます。これは主な部屋は大変暖かいのに、ホール廊下は大変寒いということを意味します。トイレの便座を温めることが重要です。ある家庭では食卓の下のマットが(薄い電気毛布のように)温められていました。多くの家庭では、テレビルームの中央にテーブルがあり、その下の床の凹みが暖房されていました。テーブルからは毛布が垂れ下がり、暖かさを保ちます。
・ 家に入ると、すぐ靴を脱ぎます。スリッパを履きます。出かけるとき便利なように、靴の向きは反対にして置かれます。
・ ほとんどの家やアパートメントでは洗濯物が外に干してあります。乾燥機が大変高価なのでしょう。
・ 伝統的な日本の部屋は畳が敷いてあります。その上ではスリッパを履いてはいけません。部屋の大きさを述べるとき、畳の数で表すのが普通です。
・ テレビはいつもつけっぱなしです!野球は大変人気があり、高校野球が放送されています。ゲームショーやトークショーが多くあります。
・ 日本の庭は、ユニークな形の常緑樹や湿度の高い気候を好み、美しい花を咲かせる植物が美しく植えられています。



<浴室とトイレ>

・ トイレと浴室は分かれています。多くのトイレには暖房便座があり、コンピュータがビデとシャワー、温風を制御しています。小さくてタンクをおけないトイレは、水が背後からフラッシュする方式があります。
・ 日本のお風呂:まず、シャワーで洗い、それから浴槽に浸かります。お湯の温度は通常43?47度にセットされています。風呂に入り体を清潔にするのは夕方です。



<台所>

・ 冷蔵庫はしばしば4ドアで、肉や野菜が異なった温度で保存できるよう、小部屋に分かれています。
・ 皿洗い機のあるキチンもあり、乾燥機だけの場合もあります。




<食べ物>
・ 自動販売機がどこにでもあり、缶入りの温かい、あるいは冷たい飲料を売っています。ビールや日本酒、ウイスキーを売っているものもあります!
・ 多くのレストランでは冷たいコーヒーや冷たいお茶(特に緑茶)が飲めます。これらの飲料には液状の砂糖がついてきます。これは混ざりが良いからです。
・ 伝統的な日本料理はいろんな形やサイズの多くの小皿で供されます。食べ物がテーブルの中央に置かれ、好きなだけ取って食べる場合もあります。正しいやり方では、中央の皿から取るときはお箸を逆向けにするのですが、全てのホスト家庭で、その必要はない、我々は家族なのだからと言われました。家庭では家族のそれぞれが自分用の箸をもっています。(これと対照的に私たちは自分専用のナイフ、フォークを持ちません)
・ 日本の食事は脂肪が少なく、とても多くの魚(海そのものに似ているほどの)を含んでいます。肉はとても高価で、なかでも霜降り肉(神戸ビーフ)は最高価です。
・ 食事のあとのメロンはごく普通のことですが、食品店で見かけるメロンで50ドル以下のものはありませんでした。(高いものは100ドル以上です)




<ビジネス>

・ チップは不要です!
・ 名刺:カードを相手に向けて、両手で差し出します。相手の名刺も両手で受け取り、あがめます。名刺に書き込みをしてはいけません。
・ フォーマルな写真を撮るとき、日本人は笑いません。




<面白いこと>

・ エレベーター付きで何階にもなった駐車場を見ました。土地が限られているからでしょう。
・ 人にうつる風邪をひいている人は、公衆の中では口と鼻を布のマスクで覆っています。
・ 自動車は左側通行で、ドライバーは右にいます。アメリカ製の車は例外ですが。
・ 贈り物:日本の習慣では面前で開けません。後で自分一人になってから開きます。
・ お辞儀の深さは、尊敬の度合いを表します。
・ ギフトはとても一般的です。食べ物をギフトにするときは奇数にします。
・ 百貨店:買い物はすべて、包装されます。販売スペースは売り上げをベースにしたマージンで販売店にレンタルされています。売り上げが多ければ、パーセンテージは話し合いできます。
・ 英国と同様、ローカル電話料金は(定額ではなく)度数時間制です。
・ 多くの通りには名前がついていません!電車や地下鉄の駅をベースにしたローカルな地図で方向が示されます。
・ タクシー:運転手は白い手袋をしています。タクシーのドアは遠隔操作で自動的に開閉します!
・ 大阪梅田の大きな駅近くの交差点では、歩行者用の信号が青に変わるまでにあと何秒かかるかを表示していました。
・ ほとんどの通りは大変狭い。2車線の通りは、本当は1台分なのを、むりやり2車線にした感じ。車のミラーは狭い場所も通れるよう折り畳み可能で道路のコーナーにも、反対方向からの車を発見するためのミラーが付いています。
・ 日本で車を運転するには、かなり攻撃的にならねばなりません。レーンをしょっちゅう変更し、車の四隅に気を配ります。救急車や消防車もスピードを出すことは許されていません。
・ 若い女性や、若いカップルの間で、ステッカーアルバムが流行っています。多くの繁華街には写真ブースがあり、フレームと絵の番号を選ぶと約3ドルで数ポーズの写真が撮れます。(訳注:プリクラのことか)若い女性にとっては友達みんなと多くの写真を撮り、アルバムにするのが大切なことなのです。アルバムは、写真をページに貼り付けることなく、着脱できます。
・ 選挙:選挙カーが、スピーカーで支持を要請しながら走り回っています。家庭の遮音は十分でないので、家の中にいてもこの音は聞こえます。
・ 電車/地下鉄のシステムの重要性は、とても大きい。
・ 学校:試験は最高の幼稚園、高校、大学への合格に照準をあわせています。学校はとても大切で、特別の学習(幼稚園入園のためにも!)を提供する特別の学校(塾)が多くあり、良い学校(例えば私立校)に合格できる点数を得られるよう試験の準備をしています。
・ ホームレス:よく組織化されています。時には「日本のキャンプ」とも呼ばれています。ホームレスは大抵ブルーの防水シートと箱をもっています。これらの「ホーム」の存在場所は確立しているように見えます。
・ 日本は安全:公立学校へ通う子供たちは一人で通学しています!(2、3の場所を除いて)夜に歩いても安全です。相撲見物したさい、財布やその他のものを席に残して歩き回りました。
・ ゴルフは、非常にお金がかかります。おそらく300〜400ドルかかるでしょう








アキラ・ピープルズ(ミシソーガRC推薦)


Final Reports of GSE team from District 7080


1999.10.1.


“一生一度の機会”

日本の有名な諺に、「入りやすいものは出やすい」(訳注:悪銭身に付かず)があります。
けれども私にとって、大阪を離れることはイージーではありません。
国際ロータリーのGSEで過ごした、この4週間は多くの新しい、そして記憶に残る体験に満ちていました。この信じられないような出来事と印象を2、3ページで有効に伝えるのは困難です。
私は美しいキモノを着ましたし、宝塚歌劇へ行き、新幹線(弾丸列車)に乗り、美しいサクラを楽しみました。大相撲を観戦できたのは光栄です。広島訪問には心を動かされました。しかし、GSE体験の最も印象的な部分は、人々とその結果生じる人間関係でした。私は、この地球の反対側で多くの新しい友人を得ました。また、ここカナダで数人の非常に特別な友人、つまりGSEのチームメイトを得ました。私たちは一緒に一生一度の旅をし、学び、冒険し、体験し、笑い、泣き、絆を深めました。でも最初は、この地球の反対側の友人と彼らの国で過ごした信じがたい一月に関する情報を手短にのべましょう。




一般的な観察

ホスピタリティ

ロータリーのホストは、私たちのGSEチームに対して、日本とそのカルチャーの最善の部分を見せようと強く思っていることが、ほとんど直ちに分かりました。空港で心から歓迎され、ホテル・ニューオータニにエスコートされましたが、これはマロニー氏が首相だった時滞在したホテルでした。このホテルは美しく、私たちにとって家から離れた家になりました。というのも、ホームステイの狭間に、幸運にも毎週末このホテルに滞在できたからです。ホテル滞在は、私たちのバッテリーを充電し、グループとしてチームがまとまる機会を与えてくれました。そのとき以来、ベストのレストランでの食事、運転手付きの車、トップクラスのサービス、細部にわたるケアが、私たちのニードのすべてを満たしてくれました。日本のロータリアンは、彼らの国のベストの部分をゲストに示し、費用を惜しまず、このGSE体験を快適で、価値があり、実り多いものにしてくれました。




感覚のオーバーヒート

私は、世界中のいろんな興味深い場所を旅しましたが、感覚のオーバーヒートを感じたことは決してありませんでした。この国は、知らない風景、音、肌合い、味覚、匂いに満ちています。私は生まれて初めて、街頭のサイン、メニューお店のショーウインドーで何が書いてあるのか少しも分からず、文盲であることはどんな感じがするものなのかを体験しました。私が旅をしたのは、アルファベットに基づいた言語の国に限られていましたから、少なくとも何が書いてあるのか推測ができていたのです。日本語は文字(平仮名、カタカナ、漢字)がベースで、4000以上の字が含まれています。短期間に書き言葉を多く習得することは、ほとんど不可能です。この感覚のオーバーヒートは、私たちのチームが絶えず疲れた感じを持った主たる原因と信じます。




日常生活

日本の人たちは、いつも早く集まります。少なくとも定刻15分前に。電車は奇妙な時間に出発します。(例えば午前10時23分とか、午後5時17分)それも分単位に正確で、ぐずぐずしていません。即座に出発です。人は目的を持って早く歩きます。私は、カナダ人としては歩くのが早いほうですが、それでも大阪の人たちに付いて行くのに走ることがしばしばありました。彼らは世界で2番目に足の速い人たちです。(1番は東京人ですが!)道路の交差点には大きなデジタルのサインがあり、歩行者に青信号で渡れるまであと何秒かを60秒の範囲内でカウントダウンしています!
ビジネスでも個人的にも、体の接触はほとんどありません。もちろん有名なお辞儀は広く行われていますが、握手は適切なエチケットではありません。しかし、私たちは西洋人ですから、握手を求められることもありました。たまに若いカップルが手をつないだり、腕を組んでいるのを見かけましたが、それは一般的ではなく、適当なことと考えられていません。
入浴は、カナダの習慣とは全く異なっています。人は、夜、就寝する前にお風呂に入ります。シャワーを浴びたあと、リラックスのために浴槽の熱いお湯に体を浸します。お湯は捨てずに共用です。口に出すのは躊躇しますが、思い切って言いましょう。トイレは素晴らしい体験です。便座は温められ、個人的なスプレーはいろんな角度でシャワーし、温風で乾かします。思いだしますね!この装置がカナダにまだ輸入されていないのは何故か、私たちのチームには分かりませんでした。
家の中では、決して靴をはいたままではいけません。家の中ではどこでもスリッパで歩きます。大抵の家には数室ある畳(稲わらで作られた日本伝統の床材)の部屋ではスリッパも履きません。トイレでは共用のスリッパに履き替えます。トイレの中にはそのスリッ
パが備えてあります。
慣れるのが難しかった習慣は、スープとヌードルを同時にすすって食べるのが礼儀にかなっていることでした。小皿を口まで持ち上げて食べることも慣れにくい習慣でした。
公衆の面前でティッシュを使ったり、鼻をくんくんさせることも禁物です。家やレストランで膝を曲げて座るのはよくあることですが、座ったあとは、体がつらくなります。会話しながらうなずくことはしょっちゅうあります。たとえ、ノーの意味で相手が話している場合でもです。私たちも日本人から見れば、同じように可笑しいことをしているに違いありません。
男女のについて我々の社会で、礼儀正しいとされている習慣のいくつかは、日本の文化にありません。日本に着く前にこの点について予備知識を得ていたのはラッキーでした。男の人は女性より前方を歩きます。ドアを開いて待つことも、バッグを持ってもらうことも、コートを着るときに手を貸してもらうこともありません。これらの違いに気づいて、私たちのいるとき、ホスト家庭の多くは日本式より西洋式にしようとしてくれました。私たちのチームの男性は、日本の社会の規範に従って、チームの女性と少し別待遇を受けました。彼はいつも真っ先に紹介され、上席に座り、私たち女性に出されないものを供されました。私たちは、機会あるごとに、このことで彼をからかい、彼は当惑していました!カナダにくらべて、日本では女性は明らかに地位が違います。ビジネスの上級職で女性を見かけることはほとんどありませんでした。




食べ物

日本の食事はカナダの食事より、ずっとヘルシーです。日本人は魚を多く食べ、肉は少なく、野菜は多く食べます。一般的に脂肪や炭水化物は少なく、チーズやミルクもほとんど食べません。私は生まれて初めて食べたものが多くあります。くらげ、あわび、生の小烏賊、生肉、うにです。私は新しい味覚も発見しました。紅葉おろし、ポン酢、そして納豆さえも。前の2つは風味のあるソースで、私はとても好きになりました。あとのものは、発酵した大豆で、これはもう食べなくてもかまいません!私は寿司をエンジョイしましたが、3週目になると北アメリカ風の食事がほしくなりました。有り難いことに、ホスト家庭はこのことを予期していたようでした。




清潔さ

着いた早々から、大阪が大変クリーンな場所であることに気づきました。公共の場所に生ゴミが落ちていたことはありません。壁の落書きもありません。これは人口が密で、スペースが限られているのを考えると驚くべきことです。地下鉄の駅に従業員が掃除機をかけていたのには全くビックリしました!




安全

私はいつも、大阪は安全だと感じました。非常に小さい子供が何の心配もなく、一人で地下鉄に乗っているのを見て驚きました。身の回りのものが無くなる心配は全くしませんでした。日本で何かを無くしたら、忘れた場所に戻ってみると、おそらくそこにあるでしょうと教わりました。
面白かったのは、ホームステイ中、毎朝、ドアにノックが聞こえ(スケジュールの15分前に)一人か二人の男の人が現れます。彼らは英語を一言も話しません。私は、この人たちに会ったこともないのですが、心配することなしに喜んで車に乗り、一時間も離れた見知らぬ場所へドライブするのです。私はどこへ行くのか、誰が同行しているのか全然知りませんが、いつもちゃんと世話して頂いていることは知っていました。不幸なことにカナダで同じようなシチュエーションがあるとは想像できません。




家族が社会の要

日本では家族というユニットの強さを印象づけられました。若い世代が反抗する心配はあるのですが、家族が社会の要になっていることはたやすく見て取れます。上役や目上の人への尊敬はごく普通で、これは日本のカルチャーの大変特別な特徴であると思います。この分野では、カナダ人は日本の友人から学ぶことができます。




労働倫理、ビジネス習慣、職場

大阪に対する私の第一印象は空港からホテルまでの道のりで得たものでした。金曜日の夜7時30分というのに、高速道路周辺のオフィスビル(“空中のお金”とホスト家庭はいっていました)は、まだ働いている人で一杯でした。明らかに、残業が期待され、それが労働のノーマルな部分となっています。雇用、被雇用の関係は、カナダとは明らかに異なります。この関係は終身の間続くと期待されています。転職、転社はありません。労働者が会社を辞めれば、どこかで別の仕事を得ようとしても忠誠心が疑われます。忠誠心は、労働倫理の中に組み込まれているのです。給料、特典、休暇やその他のことは標準化され、契約はないのです。被雇用者は志願して昇進するのではありません。彼らは任命されるのです。ですから彼らは仕事で(能力を)証明せねばなりません。その結果、レストランやお店のサービスは通常優秀です。





テクノロジー

明らかに、大変印象的でした。ほとんどの車には衛星利用のカーナビとテレビが付いています。非常に小さい携帯電話は、どこにでもあります。(ローティーンにまで激しい売り込み)コンピュータ、ノートパソコンはカナダの半分のサイズです。テレビは数センチの厚さで、駐車場はコンピュータ化され無人。駐車スペースへの出し入れはロボット化されているものもあります。リビングルームにいて、ボタンを一押しすると、浴槽には自動的に、適温のお湯が適量に満たされます。(浴槽使用後もお湯の量と温度は自動的に保たれます)このリストは、どこまでも続いたとしても不思議ではありません。




贈り物の習慣

圧倒的です!他に言いようがありません。日本文化に欠くことのできない要素です。私たちは、この親切さにお返しができることを喜びました。




ホームステイ

私にとって、この冒険で最も記憶に残る部分は、(ホームステイという)個人的な体験です。毎週違った一つの家族のもとで、日曜から土曜までを過ごし、週末はデラックスなホテルでリラックスできて幸運でした。
それぞれの家族が、私に日本語の新しい単語を教えてくれ、彼らも英語をいくらか学びました。私たちは、一緒になって、お互いの国の生活についてのプライマリーな情報や家族の価値、伝統についての個人的な意見を交換しました。私が新しい食べ物を試すとき、ホスト家庭は、私がその食べ物が好きか嫌いか、気にしながら待ち受けていました。結果は大笑いになり、日本風のブロークンイングリッシュで会話は続きました。
振り返ってみると、それぞれの家族はユニークに違っていて、日本の生活を幅広く経験できたのを嬉しく思います。言葉の障壁はあっても、ホスト家庭との間に強い絆が結ばれ、毎週土曜日になると日本のお父さんお母さん、兄弟姉妹に別れを告げる怖ろしい時間がくるのでした。さよならする日、それぞれの家族にお礼を言おうとすると、突然に(私もホストも)涙があふれました。
短い間でしたが、私は別の暮らしを経験し、あるいは少なくとも他人のお世話になって暮らしました。世話になるまでは、人の心は分からないという諺があります。ホームステイを通じて、私は日本流の生活スタイルを、真にまた個人的に理解できたと信じます。
そして私はそのスタイルを、今では大いに尊敬しています。ホテル滞在だけでは、まったく異なった体験となったことでしょう。こんなに深く理解できなかったはずです。私が彼らから強いインパクトを受けたと同様に、私の新しい友人も私からインパクトを受けたことを希望します。その兆候には気づいています。
私は公衆の面前で話すことに十分経験がありますが、この旅行で最も困難な部分はお別れのスピーチでした。ほんの短い持ち時間で、言葉の障壁を乗り越えて、ホームステイ家族に、彼らが私に何をしてくれ、私にとってどんなに大切な人たちになったか、また私の日本体験のどんなに特別なパートとなったかを、何とかして伝えなければなりませんでした。空港での長いお別れも同じように辛いものでした。私は、涙にくれ、強い感情に押されて、社会的なエチケットとして適切かどうかに関わらず、お別れのハグ(抱擁)をしました。ハグは私たちの社会では親しい友の間では普通のことですが、日本では聞いたことがありません。興味深いことに、私は滞在した全ての家族からお返しのハグを受けました。社会的なエチケットを、感情が越えるときがあるのだと思います。
私のホストを申し出て下さった家族に本当に有り難く思います。地球の反対側に非常に特別な友ができ、これから何年もコミュニケーションを交わして、近況を知らせ会うのを楽しみにしています。




職業研修

職業に就いて間もないころ、私は高校の担任教師をしていました。そのとき、日本人の生徒を多く教えましたが、いつも彼らは勉強熱心なのに感心していました。この旅行で、彼らがなぜ、学業にいそしむのか、そのルーツが理解できました。
トップクラスの大学に入るという目標が普通で、小さい年齢から試験が重要視されるので、少なくとも大学もしくはカレッジに入学するまでは、学生も家族も学業成績に集中しています。学校は、週6日間あり、ほとんどの学生は放課後、塾に通います。それは毎日、3〜5時間です。塾のシステムは私経営で、この放課後の勉強の目的は、ただ、私立の学校システムへの入学試験の準備にすぎないのです。
私は、塾を訪問して5〜6才の子供のクラスを見学しました。彼らは何と私立の小学校!の入学試験の準備をしているのでした。競争が激しいので、こんなに若いころから学生は、試験の重要性、その意味を認識させられます。無事、私立学校に入学できれば、その次は、良い職に就けるのです。カナダに塾はありません。若い人を教育する方法で両国の違いと類似点を認識できたのは大変価値がありました。
仏教寺院経営の幼稚園を訪れたときのことです。3,4,5才の子供が60人ほど、14分間も物音一つ立てず、身じろぎもせずにいるのを見て驚きました。日本の子供にほんの幼児のころからしみこんだこの訓練は、信じがたいものでした。このこと、そして子供に明らかな尊敬の念は、カナダの学校システムが学べば益のあることです。
他の顕著な違いは、オンタリオの学校と比べて日本の学校では、社会的なつきあいやアートが重要視されていないことです。学生たちはグループで座らず、いつも列を組んでいます。ディスカッションも見ませんでした。驚いたことに学校ではテクノロジーが明らかに欠けていました。私は、机一つに一台のノートパソコンがあるものと考えていましたが、そうではありませんでした。この分野では日本の友人は私たちから学ぶところがあると信じます。
若者の教育に類似点と相違点を観察して、面白く感じました。




この次来るなら

幸運にも日本とのGSEの準備をしている誰かさんへの私のアドバイスは次の通りです。



サクラ、サクラ
あなた方の旅行が、サクラの季節に計画されていることを祈ります。日本を体験するのにベストの季節です。

準備時間
準備に必要な時間は、チームの誰もの予想をはるかに上回りました。私たちは、毎週火曜日の夜と土曜日に、2ヶ月間会い続けました。これ以上なら、個人的にも職業的にも無理が生じます。特に出発3週間前は、ストレス一杯になります。

旅行鞄、衣服その他
必要と思うより荷物は少なめに。ホテルからホスト家庭へ、そしてその逆と、何回もカバンを運びます。その度に重くなります。トランクは一つだけにすること。カジュアルなユニフォームもカナダの基準ではドレッシーに思えるものを選ぶこと。予期しないまま、一流レストランへ案内され、その場にふさわしくない服装で、気まずい思いをしたことがありました。カジュアルな日(例えばお寺見学など)でさえ、ホストはスーツを着ています。
ズボンやスカートをはいてドレスアップできるカジュアルなブレザーをおすすめします。
ほとんどの日にスーツ(おそらくはロータリーユニフォーム)を着ることになるでしょう。ジーンズはカジュアルすぎて、必要ありません。カジュアルな日でもビジネス環境の中です。履きやすい靴を忘れずに。ずいぶん歩きますから。旅行の前、そして旅行中もビタミンを摂取すること。食事、日常のペース、ライフスタイルが変わって、ダウンする傾向があるから。最初の2、3晩は睡眠薬を飲み時差に慣れること。時差は大変です。いつもティッシュを持ち歩くこと。ペーパーを備えていないトイレもあります。公衆トイレで手を拭くため、日本の人はハンカチを持ち歩いています。

してはいけなかったこと
ギフトは注意深く知的に選ぶこと。たくさん必要なので、容易に運べる、重くないものを選びます。ラッピングには注意を払い、一緒に組み合わせると格好良く見えるものを選ぶ。何百も(ジョークではありません)、必要と思う以上の数を持参。皮のキーホルダー、皮のコースター、メープルリーフやロータリーのチョコレートは全て好評でした。いつも余分を手元に、包装してスグ渡せるよう準備しておく。その日のホストが何人か、予め分からないからです。前もって送るのでない限り、本はギフトにしないこと。非常に重たい!私たちは辛い勉強をしました。

誰にも寿司?
日本食は、カナダの食べ物よりずっとヘルシーです。脂肪が少なく、炭水化物も少ない。私たちのチームの数人は、王様や女王様のように食事しながら、いつもお腹を空かせていました。ピーナッツバター、グラノラバー、チョコレート、即席オートミールを持参すると何かもっと食べたい時、役立つし、カナダの気分にも浸れます。

賞賛また賞賛
グループ・プレゼンテーションには、できることならパワーポイントとスキャンした写真を使うこと。我々のハイテクプレゼンテーションは、日本に最適でした。しかし、注意です。
プレゼンテーションの準備は早期に始めること。出発1ヶ月前が完成目標です。個人紹介の前に、日本語のセンテンスを2、3付け加えましたが圧倒的好評でした。経済開発省や旅行観光省に手紙を書いて、オンタリオの生活について日本語PRビデオを各メンバーがもらっておくこと。これは、ホスト家庭に大ヒットでした。このビデオの内、4分間をグループプレゼンテーションに用い、これまたプレゼンのハイライトになりました。

直ちにノートをとる
自分自身に厳しく、日記を毎日つける。名前や面白い出来事もすぐに忘れてしまうから。

自分の市やスポンサークラブからのメッセージを持参
スポンサークラブのバナーは予定より余分に持って行く。到着してから、エキストラの訪問が付け加わるかも知れないから。市長に手紙を書いて、相手の市長に渡すギフトや挨拶状をもらうこと。(私はその準備のために市長に十分時間をあげました)計画にはなくても、到着してから臨時の訪問があるかも知れず、その備えが必要です。あなたの市が、訪問する都市の近郊に姉妹都市を持っているなら、2セット必要です。近所の経済開発事務所へ行き、自分の市についての小冊子をもらい、進出している日本企業についての情報も仕入れておく。(ホスト家庭やロータリアンと話しするさい、大いに会話がはずむ)

カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ
写真をたくさん撮って、チームメンバーと交換することになります。チームとしてのインスタントカメラ(訳注:レンズ付きフィルムのことか?)を買い、帰国してから焼き増しをする。こうすれば、同じものを何重にも撮影しなくてすみます。チームとしてカメラに収まる機会は毎日何回もあり、時間の節約になります。日本の誰かにシャッターを押してほしいと頼むと、いつも2枚!!撮影されることを覚えていえください。

正直は最良の策
早期の段階から、チーム内でプラニング、スケジュール、決定事項など全てのことをオープンにし、正直であるようにする。多くの時間を一緒に過ごすのだから、些細なことが、大問題に発展して処理に困るようになる可能性がある。お互いの意見や感じかたに敬意を払うことは、結果的によかったと思うことになるだろう。たとえその事項が、どんなに些細なことであっても。

現実に返る
帰国したときは、疲れ切っています。仕事に復帰する前に最低2日間は休むこと。いつもの睡眠パターンに戻るまでに一週間はかかります。ホスト家庭とのコミュニケーションを続けること。一緒に過ごした写真を送ると喜ばれる。

郷に入っては郷に従え
心を開いて、新しいことをできる限りトライする。特に食べ物。好きなものを見つけて驚くでしょう。

帰国してから
この旅行は、あまりにも圧倒的なので、いろんな点で素晴らしい夢を見ていたような気がします。私は別世界にある魔法の場所へ移転していたように感じました。でもいろんな意味で、これは実際に起こった事柄です。時差は違います。帰国して一週間経過しても、私はいつもの睡眠習慣に戻れませんでした。お辞儀をする習慣も非常に長い間、残りました。帰国して何週間も経って、私はまだ会合やインフォーマルな会話の終わりでお辞儀をしていました。いうまでもないことですが、私の同僚はこのことを大変面白がりました。チームからの離脱症候群を少し感じました。突然、スケジュールの日取り、解決を要する問題、しなければならない意志決定が無くなり、大変奇妙な感じでした。

ここからどこへ
新しく生まれた私たちの友情は、幸運にもとてつもない可能性があります。新しいテクノロジーが世界的なコミュニケーションをたやすく、また効率的にしてくれるからです。10年前ですら、地球の反対側の人たちと友情を保ち続けることは、いまほどシンプルではありませんでした。帰国後2ヶ月経ったいまでも、ホスト家庭や新しい友人から電子メールや電話をもらっています。これから何年も続くかも知れません。前にも述べたように、チームメンバーは、お互い特別な友達になりました。私たちは共に、個人発見と国際理解の信じがたい旅を経験しました。自信を持って言えることですが、私たちは、カナダオンタリオ州の我々のロータリー地区を礼儀正しく、またプロフェッショナリズムを持って代表しました。このような才能に恵まれ、名誉あるチームに参加できたことを誇りに思います。各チーム員は、私の心の中に特別でユニークな占めています。これから何年も、この友情は持続すると信じています。

最後に
最後に、日本のGSE委員会、特に松岡さんのとてつもな組織力にお礼を申し上げたいと思います。私たちが意味のある、教育的な経験を得られるように、どんな細部にもケアが行き届き、努力が払われ、惜しみなく費用が使われました。何時間も何時間も働いて頂いたおかげで、優れたスケジュールでバランスのとれた交換が可能になったのです。あなたがたのホスピタリティに感謝し、一生忘れ得ない思い出と学習をえたことにお礼を申し上げます。
別の日本の諺に、「一期一会」があります。
 私は、自分の一生の中で、日本の大阪を訪れるチャンスを得たことを喜んでいます。しかし、この場合は諺が真実でないことを望みます。こんなに多くの特別の友達でいっぱいの土地をいつか未来に再訪する機会があれば、と思います。新しいミレニアム(千年期)に向け、日本もカナダもエクセレンスを求めて努力しています。2660地区のロータリアンの友情、親切、温かさを私は、いつまでも憶えていることでしょう。「ドッモ アリガトウ ゴザイマシタ」