エマ・ダフの報告

(事務弁護士)

旅行の準備

私のGSE体験は、友達からの1本の電話で始まりました。日本に4週間行く気はないかと訊ねるため電話を掛けて来たのです。最初は聞き間違いかと思いました。しかし、彼は旅行についての説明を少しばかりして、バレーロータリークラブ会員である父親に引き継いでくれました。クラブでの面 接、クラブ例会への出席、選抜委員会による面接があるとのことでした。私の最初の反応は、話がうますぎるということでした。

バートレーロータリークラブでの面接はインフォーマルなもので、ロータリー一般とGSEについて多くのことが学べて有益でした。クラブの会員たちは、喜んで私を推薦することになり、団員に選ばれるのは間違いないと確信したようでした。そのような確信が私にも欲しいと思いました。クラブの人たちのアドバイスに従って、日本と大阪について、またノースイーストについての情報をできる限り見つけるようにしました。選考の面 接の後、あまりうまくなかったと思いました。というのも、調査した情報の話は一度もせずに、与えられた質問と苦闘したからです。ですから、その晩、ハワードから電話で、旅行に加わってほしいと言われて驚きました。OKするのに躊躇は有りませんでした。

チーム全員が、10月にハワードの家で初めて顔を合わせました。ハワードは、チーム員同士が折り合わない場合に発生する問題について警告しました。しかし、会合が終わるころ、私はチームのみんなを好きになるだろうと確信、事実その通 りになりました。というのも準備段階、旅行そのものを通じて、チームの折り合いが良かったからです。 2000年の2月から大阪に向けて出発した5月まで、GSE旅行が私の全生活を占めたように感じました。プレゼンテーションの企画のための定期的なミーティング、があり、日本語のレッスンも受けました。私たち自身で手配した地方カレッジでの10レッスンのコースと、ロータリーが手配してくれた4回の3時間授業で、語学と文化の勉強をしました。日本語には手こずりました。コースが終わるころ、基本的な挨拶と商店での買い物の仕方しか、マスターしていないと感じました。しかし、このレッスンは、言葉を学んだだけではなく、英国と日本の文化の違いや学び、少なくとも1週間に1回会ってお互いを知り合ったことで価値がありました。

プレゼンテーション

日本に滞在中、私たち自身とノースイーストについて11回のプレゼンテーションをしました。ハワードは、私たちのプレゼンテーションについて確固としたアイデアを持っていました。それには衣裳、音楽、ダンス、それからスピーチに使うスライドが含まれていました。私たちとオーディエンスの間には言葉の障壁があったので、これらの要素は私たちのプレゼンテーションを記憶に残るものにしたと思います。私たちのロータリー財団委員会委員長はプレゼンテーションを日本語でやるように熱望しました。しかし、日本からの電子メールで、大阪のGSE委員会は、スピーチの冒頭だけを日本語で行い、あとは英語でするように言ってきました。妥協の産物として、個人の紹介は日本語で行い、プレゼンテーションの残りを英語ですることにしました。しかし、レッスンで学んだレベルではプレゼンテーションを日本語で書き下ろすことが十分にできず、英語の台本を日本語に翻訳してその発音を読み上げることになりました。

日本での最初のプレゼンテーションは歓迎晩餐会でした。ホスト家庭がみんな揃っていました。出発前、英国のロータリークラブでプレゼンテーションを3回し、それぞれ30分の長さでした。しかし、私たちは、プレゼンテーションの英語の部分をオーディエンスが理解できないかもしれないので通 訳がいて、その部分を日本語に訳するという事実を考慮に入れていませんでした。これは予想以上に長く、約1時間かかることを意味しました。その上、日本語の部分もオーディエンスは理解できませんでした。結果 として、私たちはスピーチを短くし、日本語では2、3センテンスだけをしゃべることにしました。時間が足りなくなりそうなら、スピーチを短くする術も心得るようになりました。

私たちがプレゼンテーションをしたクラブの例会は、殆どが似たパターンでした。例会は英国国歌と日本国歌を歌って始まり、ロータリーソングがそれに続くこともあります。ランチは通 常、伝統的な日本食ですが、時には西洋料理です。プレゼンテーションはランチのあとでしました。オーディエンスは平均50人で、最大は200人を超えていました。多くのクラブが、私たちの訪問のために多くの準備をしていました。例えばあるクラブは、チームのために歓迎の旗を用意していました。

ホームステイ

私たちは旅行中、4家庭に滞在し、それぞれの家庭で1週間ずつ過ごしました。このような長い期間、各家庭にお世話になったことを感謝します。それは、ホストと知り合いになれるチャンスが与えられたからです。滞在した全ての家庭は例外的に親切で、私の面 倒をよくみて下さいました。殆どの日に、自分自身の時間を与えられ、有り難く思いました。というのも、旅行のスケジュールは非常に疲れますし、日記を書く時間も毎日必要だったからです。家に入るときは靴を脱いでスリッパを履き、畳の部屋(伝統的な和室)に入るときはスリッパを脱ぎ、トイレに入るときはスリッパを換えることを覚えねばなりませんでした。

日本の生活と英国の生活の大きな違いは食べ物です。私は生の魚を食べることは楽しめないのではないかと、特に心配していました。事実はこうでした。出された食べ物の殆どすべてを私は楽しみました。特に刺身(生の魚)はいつも大変新鮮で、味がマイルドでした。時には私の好みからすれば、新鮮すぎることもありました。あるとき、いま殺したばかりで、まだうごめいている烏賊がでてきましたが、これは私にとって全く新しい経験でした。大阪の伝統的な食べ物も試しましたが、これは大変結構でした。焼きそば―烏賊の入ったヌードル、たこやき―オクトパスボール、お好み焼き―烏賊、キャベツ、ベーコンが入り、英国のブラウンソースのようなトンカツソースをかけた一種のパンケーキがその例です。お好み焼きは、しばしばレストランでたべました。客はホットプレートの周りに座り、シェフが調理し、ホットプレートから直接食べるのです。調理の方法も食べ物それ自体もいままで経験したものと全く違いました。日本食は英国の食事よりはるかに健康的です。脂肪をあまり含みませんし、デザートは英国のものほど甘くありません。

ホームステイで私が特に楽しんだのは、お風呂でした。日本の浴室にはシャワーと浴槽があり、浴槽はお湯をはると家族の全てのメンバーがそれを使用します。まず、シャワーで体を洗って、清潔になってから浴槽に体を沈めます。私がいつもしているシャワーだけより、ずっとリラックスすることが分かりました。

私のホストたちは、夜、時にはカラオケバーやレストランに連れていったり、パーティを開いてくれて、大変楽しみました。他の場合は、家庭で食事をし、ホスト家庭のことや日本文化を学ぶチャンスになりました。ある時、私は阪神タイガースを見に連れていってもらいました。この野球チームは大阪で大変人気のあるチームです。野球場は騒音が一杯でしたが、英国のサッカー試合よりずっとフレンドリーなものでした。英国では暴力沙汰の発生に備えて双方のサポーターをフェンスで隔離しなければなりません。野球の試合には家族ぐるみで来ている人もあり、群衆はみんなを一つにまとめるドラムに合わせてユニゾンでチャント(祈り)を唱えます。タイガースの伝統は、7回になると音楽が鳴る間に観客が風船を膨らませ、音楽が終わるとすべての風船が一斉に空に放たれることです。いろんな色の風船が何百も暗い空に向かってただようのが非常に印象に残りました。

毎週、土曜日はホスト家庭にではなく、ホテルに泊まりました。私たち自身で過ごせ、その週の出来事を話し合うチャンスが与えられたことを有り難く思いました。日本食は楽しみましたが、チップスがとても恋しくて、週末ごとにそれを食べることにふけりました。

職業研修訪問

私は事務弁護士(ソリシター)です。滞在中に3カ所の法律事務所に行き、日本の法律システムについて多くのことを学びました。英国にくらべて、日本では弁護士の数が大変少ない、これは日本では伝統的に和解が多く、争いを避けることにも原因があります。それは弁護士の仕事が少ないことを意味します。しかし、新しい弁護士の数が最近増加していますし、さらに数を増やそうという計画もあります。これは弁護士の請求額が大変高いことにも原因があると聞かされました。弁護士が増えれば、競争が激しくなり、弁護士費用も下がるだろうと言うのです。例を挙げれば、私が働いているノースシールズでは簡単な遺言状は60ポンドプラス付加価値税です。日本では、これに相当する遺言状は600ポンドが最低必要と聞きました。他の仕事については比較は困難です。英国の弁護士は使った時間で費用を請求しますし、日本では通 常、そうではないからです。

私はいつも、日本が近代的な、技術的な先進国だとの印象を持っていました。この印象は、サンヨーとその他の会社を訪問して確かめられました。ですから、日本の法律事務所を訪問してその仕事の方法のあるものが古風なことに驚きました。例えば、もし英国の弁護士がある会社のことを調査する必要があれば、郵便、電話あるいはファクスで「カンパニーハウス」にコンタクトして情報を得ます。この会社はイングランドとウエールズのすべての会社情報を持っています。日本で同じ情報を手に入れようとすれば、大阪にも数カ所有る登記所を個人的に訪れなければなりません。請求用紙に記入して、印紙を貼ります。この用紙はスタッフに渡され、謄本が準備されるのです。大阪在住の弁護士が東京にある会社を調査したいと思えば、東京へ行くか、あるいは東京の弁護士に代行してもらわねばなりません。

日本人に私の職業のことを話すと、いつも大変感心されます。それは、日本では司法試験に合格することが大変難しいからだと分かりました。弁護士になるのに法律の学位 は必要ではありません。しかし、一年一回の国家試験に合格しなければなりません。学生は私学やカレッジでこの試験の準備をします。合格率は3%です。合格者は仕事に就く前に研修コースで勉強します。この研修は法律事務所や法廷での実習を含みます。このコースを終了すると検事、判事あるいは弁護士のいずれかになることを選びます。このシステムは法廷の経験のあるシニアー弁護士の中から裁判官が任命されるわが国のシステムとは大変異なっています。昨年誕生した新弁護士2486人のうち、237人が女性でした。約9.5%です。(イングランドとウエールズでは、昨年5436人の新弁護士が生まれ、50%は女性でした)

日本の弁護士の殆どは、1ヶ月に2回、地方の弁護士会で3時間過ごし、弁護士費用を払えない人たちの法律相談にのるシステムに貢献しています。彼らがもらうのは、名目的な料金だけです。この計画をサポートするのは公的な義務であると弁護士の大多数は考えています。これは英国とは対照的です。英国では大きな法律事務所は法的援助に関わろうとしません。報酬が十分に多くないからです。

プログラム

私たちのためのプログラムは、大変よくオーガナイズされ、多くのロータリークラブとロータリアンがお世話をして下さいました。一般 的に言って、毎日別のクラブが担当していました。準備段階で、GSE委員会とそれからクラブ自身でよく考えが練られているのが明かでした。普通 、1人または2人の通訳がつき、大変助かりました。プログラムは会社訪問と、観光やショッピングなどのリラックスした活動がほどよくミックスされていました。

お寺や神社も数カ所を訪問しました。日本での主な宗教は2つ。神道と仏教です。しかし、多くの人が両方の宗教に従い、神道で結婚式をし、仏教で葬式することを何とも思っていません。私たちが訪れた多くの家には、その家族が特に宗教心が厚いというわけではないのに、小さな神棚と仏壇がありました。人口の約2%はクリスチャンで、ある時私は英国国教会の礼拝に参加しました。それは英国の教会での礼拝と全く同じパターンで進行し、アットホームに感じました。

私が特に印象深かったのは、サンヨーのような先進技術の会社でした。サンヨーの中央研究所で私たちはGENESIS計画(太陽電池と国際的な超伝導グリッドによる地球エネルギーネットワーク)の話を聞きました。この計画では、世界の砂漠地帯の4%に太陽電池を設置すれば全世界の電力需要を賄えると計算しています。超伝導ケーブルでエネルギーを世界中に運ぶことができ、私たちはそのケーブルの予想ルートを示す地球儀を見せてもらいました。

決して忘れることのできないもう一つの訪問は広島での一日です。私たちはそこへ新幹線(弾丸列車)で行き、大変印象的でした。広島の平和記念館訪問で一日を過ごしました。展示は、公正な事実で始まっていました。原子爆弾の投下とその直接の効果 と長期にわたる影響結果が述べられていました。爆弾投下の引き起こした恐怖をフルに伝えていましたが、全体を流れるメッセージは「平和」でした。私たちは、何が起こったか忘れてはならない、しかし、そのような戦争が決して起こらないように運動しなければなりません。広島訪問がプログラムに組み込まれているのを見て、少し驚いていました。私たちとホスト家庭にぎこちなさを生むのではないかと考えたからです。ここでは人々は戦争のことを話すのに、英国の場合よりオープンであることが分かりました。広島には平和記念館を訪問する学生が満ちていました。私たちが昼食を食べていると、学生達が数人話しかけてきました。彼らは私たちに、彼らがピースメッセージを英語と日本語で書いたカードを手渡しました。カードの下部には私たちがお返しのメッセージを書くスペースがあり、そのカードを2つに破ってそれぞれが相手のメッセージを持ち帰るのでした。これらのメッセージは広島の一日を感動的に思い出させます。

私たちのために開かれた社交的なイベントも数回ありました。その中には第2660地区から派遣された元GSEメンバーによるパーティがあり、大変楽しいものでした。旅行中英国へ来たGSEチームとインフォーマルに会い、私たちと似た年齢の時間を過ごす機会を得て、有り難く思いました。

旅行が終わりに近づくと、ヘレン・ブラウンは、空港でサヨナラを言うとき自分はきっと泣くわと私に言いました。私はいつも泣かないので、「泣かない」と彼女に断言しました。しかし、関西国際空港でお別 れするとき、涙で一杯になりました。この旅行の間、ホスト家庭や、関係者のみなさんから示して頂いた親切に、突然圧倒されたからです。GSEに参加できて何とラッキーだったかを、また悟ったのでした。そこで私は感謝の言葉を述べて報告を終わりたいと思います。ロータリーに私を紹介してくれたディックさん一家とバートレーロータリークラブに、国際ロータリーのロータリー財団に、滞在中私たちの面 倒を見て頂いたホスト家庭とその他すべての方には、ご配慮と寛大さに感謝します。決して忘れることのない体験です。