イギリス農村部の自然と人々──保護活動や社会教育を通して

佐久間大輔

大阪市自然史博物館学芸員 (大阪南RC推薦)  

北緯40度をこえる冷温帯域に位置するブリテン島。広大なユーラシア大陸をはさんで日本と正反対にあるこの島の植生は、意外にも日本人に馴染み易いものです。森にはドングリをつける楢の仲間が繁り、やせ尾根には松が、水辺には畔ノ木や楊の仲間が繁ります。街路樹には栃や楡が植わり、垣根には榛やサンザシが仕立てられます。こうやって、日本語で(あるいは漢字で)植生を表せるというのは、実は大変なことなのです。同じことをインドネシアや、オーストラリアでやろうとするとカタカナだらけになってしまいます。たとえ、日本語の名前がついているにしてもそれは名前と実体が結びつかない場合がほとんどでしょう。英国の植物が日本のものに近いとは言え、これだけ離れると種類としてはかなり異なります。自然は文化にとって舞台装置のようなものだと思います。英国文学を日本語に翻訳して違和感なく読めるのにはこうした背景があるのではないでしょうか。  

しかし、一方で英国の自然は日本に比べ相当に貧弱です。例えばシダは日本に約950種程分布するのに対し、ヨーロッパ全土をあわせても150種程です。詳しくは後で述べますが、日本人の私たちの眼から見て、豊かな森はほとんど見られません。  

そうした背景を持ちながらも、ダーウインをはじめとする多くの偉大な生物学者を生んだ英国。私の学ぶ菌学、そして生態学の分野にもたくさんの先達の研究者がいます。英国を代表する博物館として大英自然史博物館の名前は余りにも有名です。この博物館に蓄積された資料は、私達の住むこの星とそこに現在あるいは過去生息した生物について壮大な叙事詩を物語っています。この国は世界に広がる帝国を築いただけでなく同時に世界中の生き物に関する知識も手に入れようとするかのようです。バンクス(Sir Joseph Banks、王立Kew植物園初代園長)のように大航海時代に私財とその身を投げ打ってまでもアジア・オーストラリアの植物の記載に力を捧げた研究者も数知れません。セルボーンの博物誌を例に出すまでもなく、英国人の自然に関する愛情や観察力には特筆すべき物があるように思います。アメリカのワイルダネスとは対極にある英国の箱庭のような貧弱な自然、そこで育まれた自然に対する観察・愛情のまなざし、そして自然保護の概念はどういうものなのか。英国の研究者や自然保護NGOのメンバーと出会うたびにそう思っていました。  

文学者にとってシェークスピアこそが英国であるように、私にとっては英国の自然史とその伝統こそが英国でした。自然史の伝統は現代にも生きているのだろうか。私の今回の英国行きのテーマはこのあたりにあったのです。

文化財と社会  
私達が訪れた英国東北部は、簡単に言ってしまえば「かつての造船と炭坑の町、現代は農業と一部新興工業の街」です。しかし、炭坑以前に長い歴史があり、古い教会や領主の居館・富豪の館などがそこここの街角に見られます。先方の配慮により、私達の旅程はこれら名所旧跡の見学という、比較的ゆったりしたスタートとなりました。日本人の金持ちの意識をはるかにこえる豪奢な建物と調度、絵画や陶器などが各部屋に並んだ邸宅や古城。これら名所の多くはEnglish Heritageなどによって公営で、あるいはThe National Trustのような大きな組織をもつNGOによって運営・維持管理されています。スタッフの多くはボランティアですが、大学で美術を学ぶ学生などが多く、彼らにとって労働により経験や機会など報酬以外に得るものが多いのが特徴でしょう。契約スタッフも同様です。Cragsideで陶器の保存技術を担当していた専門家は、このコレクションを調査したいがために契約していると言っていました。私は純粋に見学を楽しむつもりが、ついついこうした運営面 に眼が行き、日本の博物館と比較してしまいました。日本で一般的に行われているボランティアの導入は経営者側からすれば「安価な労働力」という側面 が非常に大きいように思います。「お金が欲しいのではなく、経験を積みたい」と言うボランティア個人の意欲を活かしている施設はどれだけあるでしょう。手前味噌ですが私たちの博物館はその意識を掲げています。また英国社会でそうした個人の生き方を可能にしている余裕はどこから来るのでしょう。  

さて、たいていの居館には陶器などの展示とともに鳥の剥製や卵のコレクションが並んでいます。これらとともに化石や鉱物のコレクションが附随しているケースも珍しくありません。多くの人にとってそれ程目を引くものではないにしても、その地方のかつての自然を網羅して語るものであったり、逆に遠い異国の鳥の剥製が誇示するように展示されています。これが英国の上流階級にごく一般 的なたしなみ、道楽であったNatural Historyの形なのでしょう。実際英国の地方博物館の多くはこうした個人コレクションに基礎をおいています。日本のようにハコモノとして博物館が作られるのでなく、価値のあるコレクションを公開し、研究する場として博物館が作られています。NewcastleのHancock自然史博物館、 MiddlesbroughのDorman Museumなどもその一例です。前者は自然史博物館として発展していますが、後者は自然史関係だけでなく鉄工王であった創始者のコレクションを反映、美術品から産業史までも扱う総合的な博物館となっています。  

居館だけでなく庭も驚くべきものがあります。地域の人に愛される、名所たりえる庭ばかりでした。北緯50度をこえるこの地域で19世紀に熱帯果 樹を育てる温室ができていようとは思いませんでした。日本をはじめアジアの樹木も数多く見られます。なかでもシャクナゲやツバキ・アオキが目につきました。オーストラリアやニュージーランドの花木も多く、ちょっとした植物園のようです。  

名所旧跡だけでなく、古い公共施設、さらには炭坑跡などの産業遺産、そして町並みそのものも公共財・観光名所として積極的に生かす取り組む姿がごく自然に見られます。町の歴史・町のアイデンティティとしての名所・旧跡を訪ねる度に、英国の地域に根付く文化財のあり方、それを受け入れ誇らしげに語る市民(そしてロータリアン)の姿を強く印象づけられたように思います。

関連サイト
The National Trust:http://www.nationaltrust.org.uk/
同日本語版:http://www3.withnet.ne.jp/ntejc/ntuk/index.htm

英国の田園風景  
英国東北部の風景は「明るい」と感じるものでした。なだらかな起伏を基調とした地形の上に、牧場、あるいは穀物畑が広がる風景が繰り返し続きます。用材のために維持された森もそれほど大きくなく、小さな木立を牧場を仕切る「生け垣=Hedgerow」がつなぎます。この生け垣は地方によっては砂岩の石垣になり、畑や牧場を区分けし、また冬の季節風から動物を守っています。丘の尾根の部分は森ではなくしばしばヒース(背丈の低いツツジ科の植物が作る茂み)が発達しています。天然の森はごく限られた場所でしか残っていません。結果 として、非常にオープンな芝生のような景色となります。

典型的な農村の風景。小さな森をつなぎ牧場や畑を仕切る生け垣や石垣が見える。 

このゴルフコースのような景観が出来た理由には、いくつかの自然要因と人間の働きかけが関係しています。大きな要因の一つがかつて氷河によりおおわれたことです。氷河は地形をなだらかにし、また温暖な気候下に育つ植物を絶滅させ、植生を単純化しました。降水量 も日本の半分程度と、かなり少ない事も挙げられます。降水量の少ない地域は草原に適している環境とも言え、森林の回復にはより時間がかかることになります。これに加えて、産業革命を受けた18世紀に造船業などのために徹底した森林伐採が行われたことがこの地域の現在の景観を決定付けたといえるでしょう。豊かな石炭資源が燃料としての森林資源の維持の意識をうすくしていたと言うこともあるかもしれません。いずれにせよ、森は畑や牧場として開墾され、オープンな景観ができあがったのです。  

風景の通り、私達が目にした動植物も草原的なものになっています。ほ乳類はノウサギやアナウサギをよく目にした反面 、森を隠れ家として必要とするアカシカなどはスコットランド国境の林の多い地域でしか目にできませんでした。キノコはハラタケ(マッシュルーム)やシバフタケの仲間などの草原生のものや、家畜のフンに関係するものをよく目にしました。  

こうした状況下で、森や薮をすみかとする動物・昆虫たちににとって重要な役割を果 たすのが、先程の生け垣です。この生け垣は日本的な感覚でいえば潅木を仕立てた「まぜ垣」のようなもので、ニレ・ハシバミ・ローズヒップ・ニワトコの仲間・イボタの仲間・アオダモの仲間( Ash tree)・サンザシの仲間 (Hawthorn)など様々な樹種で構成されます。時にはヨーロッパブナ等も垣根になっていました。これらの生け垣は生き物にとってとても大切な場所です。生け垣のまわりには刈り残した草地が残されます。ここは色とりどりの花や実の宝庫となります。Blackberryやラズベリーが生える場所で、これらを子供たちが集めることが秋の農村の風物とも言えます。人にとっても、植物にとっても、昆虫や動物にとっても豊かな場所ということになるでしょう。生け垣自体も、イボタの仲間やニワトコの仲間・ウラジロノキの仲間が果 肉のついたサクランボのような実をつけ、鳥の餌となります。ハシバミやブナの実はリスなどの餌となります(もちろん人も利用する)。日本人にとっての里山のような場所といえるかも知れません。  

何よりも生け垣は野生の動植物にとって隠れ家となります。石垣も石垣にそった背の高い草や生け垣と組み合わさることによって隠れ家を提供します。今回の研修でも私も生け垣の間にたくさんのアナグマやアナウサギの巣穴を見かけました。鳥たちもこの垣根をつたって庭に来ているようです。生け垣や石垣は古くからの人が作ってきた構造物ですが、この草原の国において野生の動物達を維持する上で大きな役割があったのです。Durham Wildlife Trustなどの自然保護NGOはこうした状況下での自然保護に力を入れています。

関連サイト
Wildlife Trust:http://www.wildlifetrust.org.uk/

農業景観と自然保護  
英国東北部の農業を取り巻く情勢は厳しいものがあります。EU加盟に伴う自由化による競争の激化は大規模化による競争力強化に直結しています。生け垣や石垣は取り除かれ、機械化に適した大面 積の区画に変わっていきました。また、これまで利用されなかった湿地やヒースも土地改良などによって農地への編入が進んできたのです。過去10数年の間に、全英の生け垣の総延長は1/10に減ったといいます。しかしこのような農業環境の激変は、伝統的文化景観の破壊であり、先に示したように野生生物にとっての危機を意味します。この急速な変化を補償するとともに、条件不利地でもある丘陵地農業を維持し、地域経済の悪化を緩和するために行われているのがいわゆる「Set Aside Policy」です。EUの共通農業政策とも密接な関連を持つ施策ですが、近年は特に環境施策との関連づけが強化され、ムーアランド事業の導入、カント リーサイド・アクセス事業の導入、野生生物生息地事業の導入などの制度が整備されています。Friends of the Earth(地球の友)、 RSPB(英国王立野鳥保護連盟)をはじめとする多くの自然保護NGOの働きで、生け垣の撤去の申請制度や、生け垣を維持・復元するためのインセンティブの支給など包括的な取り組みが始まっています。  

こうした方向性には「補助金漬け農業」という批判もあろうかと思います。しかし同じように各種の補助金で農業を維持しながらも、競争力強化(機械化)のための農地改良と減反の狭間で伝統的農業景観と共同体が破壊され、それに伴って農業環境に生息してきた動植物が絶滅の危機にさらされている日本の現状を対比して考えてしまいます。基本になるストーリーは同じであり、補助金で地域を維持するという方向性もよく似ています。日本の中山間地域にはどのような農業景観が維持されるべきなのか、という本来「コスト競争」に拮抗すべき「理念」の部分がないがために、結果 として日本では補助金の効果が自然・文化にマイナスに働いているように思います。解決の道筋は簡単ではないでしょうが、現実を目の前に突きつけられたような刺激的な事例だと感じました。  

今回訪ねたホストのなかで唯一のプロの農業者がJohn Gray氏です。1平方キロをこえるだろう農場に食肉を目的とした羊を飼っています。交配用の雄羊まで自分で生産を手掛ける意欲的な若い世代の農業者です。彼や職業研修で訪れたHougful Farmでこの政策についての感想を何度か聞きました。環境に配慮する制度には理解しながらも、やはり現場の農業者として、生産力を落とす結果 につながる農業政策には複雑な感情があるようでした。  

このように農業と自然保護の問題は、日本の里山同様に(あるいはそれ以上に)、英国においても密接に関係していました。職業研修の一環で訪れた場所の一つにNorth York Moor National Parkがあります。イングランドでもっとも大きなヒース(Heather land、ヒーサーまたはヘザーともいう)の平原です(ヒースは背の低いエリカやカルーナなどのツツジの仲間が一面 に広がる環境)。ヒースには低温と乾燥のために落ち葉などが分解せずピートが形成されています。このため樹木はほとんど生えてきません。私が訪れたときは多くのエリカやカルーナが花を付け、コットングラスは紅葉を始めたよい時期でした。実は、この景観を維持するためにも農業が重要な役割を果 たしています。羊や牛に古くなったヒースの枝を食べさせ、新しい枝を出させます。この国立公園はライチョウのすみかでもあるため、ライチョウの餌となる若いヒースや隠れ家の古い茂み、といった要素を維持するために牧畜を利用しているのです。

North York Moor National Parkのヒース。前を歩いているのはレンジャー

日本の国立公園はほとんど山岳地帯などの山深い原生林に設けられているため、国立公園の維持と農業は多くの場合切り離された問題です。日本の農業景観は非常に豊かな生き物の棲み場所なのですが、国立公園として維持しているような場所はありません。英国の国立公園は、農業景観に近い場所が設定されています。このため、自然に「手をつけない」のではなく、維持のために「管理した農業を続ける」事が必要なのです。これはこの国の自然の現実に即しているのですが、国立公園全体の自然を管理する体制というのを実現している事自体大変驚くべきことだと感じました。もちろん、国立公園の管理がすべてレンジャーによって行われているわけではありません。国立公園の大部分は日本と同じようにほとんどが民有地からなっています。このために国立公園のレンジャーはきめ細かに農業者に重要な生物や要素について説明をし、理解を求め協力を得ているのです。一日同行させていただきましたが、限られたスタッフで国立公園の状況を把握し、必要な手段を講じ、日常的に農業者たちと接点を持っていくことは途方もない仕事におもいます。  

牧場の一角にある何気ない草花が、農業景観の破壊とともに減少している状態に、国立公園として保全対策をとるべくスタッフの努力が日々続いています。異国の自然景観の中で、何度も日本の状況を思い返し、この取り組みは日本では可能だろうか、効果 的だろうか、なぜ実現できていないのだろうかと考える毎日でした。  

ここでは詳しくふれませんが、英国の畜産業は先の狂牛病・スクレイピー問題で大きな打撃を受けています。地域により被害の大きさは異なるものの英国畜産業そのものに衝撃的な事件だった事は報道の通 りです。しかし、事件をきっかけに、農業へのアプローチに多様化をもたらした側面 もあるように感じられました。

関連サイト
North York Moors National Park:http://www.northyorkmoors-npa.gov.uk/

都市の自然  
自然に関するかぎり、都市の状態は日本とさほど変わらないと思います。主な街路樹はSycamore(カエデの仲間)、 Ash(トネリコの仲間)、 Elm(この地域ではWich Elmニレの仲間)、 Horse Chestnut(トチノキの仲間)、 Lime(シナノキの仲間)がごく日常的に見られる樹で、時々Birch(カバノキの仲間)やWhitebeam(ナナカマドの仲間なのだが、ウラジロノキにイメージが近い)がまじります。小さな花木としてはナナカマドによく似た Mountain Ash、 サクラの仲間、なども良く街角に植えられています。教会や墓地にはYew(イチイの仲間)が植えられます。こうしてあげると種類が多いようにも見えますが、公園などで見られる大きな樹もほとんどこれらに限られ、私はかえって単純な印象を受ましけた。そうは言っても街路樹はいずれも巨木で、日本のように煩雑に植え替えないために堂々と美しく見えます。イングランドはヨーロッパでも巨木・古樹の多い地域だといいます。  

単純に思ったことの理由の一つは本来この地域をおおうべきナラ林がほとんど残らない事にあります。日本の屋敷林・社寺林などはかつての自然を知る手がかりになるのですが、同じ図式は英国にこの図式は当てはまらないようです。先にも述べましたが立派な庭園であっても、植物に関する限り、やはり人工的な要素が強いように思われます。私が森を見るとき日本的感傷を持ってみてしまうためでしょうが、庭園の花木もほとんどが外来の植物(英国に自生しない)であるために、町の中の自然は「花と緑は非常に多いのだが、自然は貧弱」、という印象を持ちました。ただし、野鳥には都市の人工的な庭であっても十分すみ場所を提供しているようで、いくらか楽しみました(後述)。この国の自然の名残は先に書いた農業景観の草地や灌木の方にむしろ求めるべきなのでしょう。都市住人が求める自然への憧憬が農業景観にあることは、ホスト諸氏との会話の中でも端々に感じられました。  都市から農村へは車でわずかな距離です。しかし、子供が自分の足で遊びに行く距離ではないでしょう。大人であっても車窓からの風景としては日常であってもそれを手に取り、においをかぎ、味を見るという行為は、日本人同様、確実に非日常のようです。都市住民にとり、草木や鳥は確実に遠いものとなっているようでした(そうした中で、押し葉標本をとり、木の実の味を確かめ、キノコを手にし喜んでいる私の行動は、やはり一風変わったものであったに違いないでしょう)。こうした状況を受けて、環境教育はこの国でも重要な取り組みになっていました。小学生の授業の課題にバードウォッチングが入っているといいます。炭坑跡地を動植物の生息場所として水辺や林に復元している施設を何カ所か見かけました。設置後数年のものから20年以上を経ているものまで様々でしたが、良好な状態を実現している場所も多くみられました。失われた森林を取り戻すことはできなくても、子供たちをつれて校外授業を行う格好の場所となっているようです。Gatesheadでは、わずかに残された森林地域にビジターセンターを作り、教師や子供向けそして市民向けのたくさんの観察プログラムを用意していました。次の節で示すThe Nature's Worldもそのひとつですが、公的機関以外に、ここでもNGOが活躍しています。Wetland and Waterfowl Trust in Washingtonは水鳥保護を目的とした自然保護団体が経営するビジターセンターです。

WWT Washington 敷地は画面左手に延々と続く この町の他に農村など4つのゾーンがある
NewcastleやSunderlandから1時間圏内のTyne川岸に作られた人工の湿地に、英国内の水鳥を中心に飼育し、水鳥を通 して水辺の自然の大切さを訴える施設になっています。「鳥を体験として知らず、怖がる子供たちだけでは野鳥保護の未来はない、私たちのアプローチは時間はかかるが着実なものだ」と語るスタッフの言葉は、それだけの長期計画を語れるこの国のNGOの基礎体力を感じさせます。

関連サイト 
WWT Washington:http://www.washington.co.uk/wwt/

ガーデニング  
私たちが戯画的に知る英国人のイメージを裏切ることなく、庭園は非常に丹誠を込めて管理されています。最初に述べた大邸宅の話だけではありません。大きな緑化センターを持つGatesheadに代表されるように行政も力を入れ、市民レベルでもちょっとした交差点に花壇を造ったりとその層は大変厚いようです。ステイの間、私が植物に興味を持っているということから、ホストに2度ほどガーデンセンターに連れていっていただきました。そこにはまさに世界中の植物が集められ、日本のシャクナゲやカエデ、マンリョウなどさえ並んでいました。園芸は非常に重要な産業であり、(庭を持たない人を含め)多くの人にとって関心事でした。園芸植物に関して気づいたことを二つほど列挙したいと思います。一つは「名札」についてです。職業柄、博物館で私たちは園芸植物の名前をよく尋ねられます。電話での質問の際、園芸業界でつけられた日本語の商品名で非常に苦労する場合がよくあります。先方はその名前を言えば何の仲間か、どういった育て方をすればいいのか教えてもらえると思っているのに対し、実際こうした植物の素性さがしには相当苦労します。市場の商品名は我々研究者のあずかり知らぬ ところで付いているのです。英国でも英語の商品名がついているという事情は変わりません。ただ、感心したのは鉢に付いたラベルのたいていには、学名及び科名がついていたのです。ホスト達も、学名なんて普段目に留めないが、図鑑などを調べるときには手がかりになるといいます。このあたりに長い園芸の伝統と植物への探求心の伝統があるのでしょう。日本の業界もこうあってほしいとうらやましく思います。  

もう一つ、最近日本でも耳にするワイルドガーデニングの流行が目に付きました。ガーデンセンターにも解説書や実例を示す一角があります。無機的だった都市の中に野生を取り入れたい、という思想潮流は英国でも例外ではないようです。もっともわかりやすいのは小鳥が訪れる庭づくりでしょう。餌台を設置している庭はかなりの割合のようです。ほとんどのホストの庭で眼にしました。野鳥は種類によっては町中にもかなり適応し進出してきます。好適な場所を確保し、自宅のconservatory(日本で言えばサンルーム、本来は温室の意)からそれを眺めるというのは本当に優雅な楽しみです。普及をねらう自然保護NGOの側の意図は、鳥(そしてさらにすすめてチョウやミツバチ)の訪れる庭づくりを通 して様々な生き物の住み場所を作っていき、さらには「自然について考える機会を作る」という点にあります。必ずしも、「在来植物を使って」といった原理主義的な自然復元ではなく、市民が自分の手を使いながら意識を変えていく、ささやかな、建設的なアプローチです。デモンストレーションは堆肥づくりとミミズ、蛙の池、キリギリスやバッタのための棲み場所と様々な展開をしていました。The Nature's Worldはこのワイルドガーデニングを中心に据えた、NGOの経営するテーマパークです。子供が安心して遊べ、そこここに、コンポストづくりやワイルドガーデニング、自然を理解するためのちょっとした遊び道具、流域の自然を示すミニチュアの庭、エネルギーや生態系を理解するための展示などがちりばめられています。ここで有機野菜や園芸植物を求めていく人、造園やレンガ積みの実習を受けていく市民も多くいます。「自然保護のすそ野を広げていくためには、反対運動をするだけではなくて、輪を広げ、取り込んでいく運動をしたいと思ったんだ」と彼らは言います。地域の大企業までも賛同者に取り込み、大企業に環境に対して正しい方向に向くチャンスを与えるという彼らのもくろみはある程度成果 を上げているようです。  

この国には、こうした市民団体の積極的な「事業化」を補償する制度があります。事実これらの活動は行政による社会教育や環境教育を補完している、あるいは別 の見地からのアプローチを実現していると思います。娯楽と就業の場を作り、環境改善にさえ効果 があるでしょう。社会全体への還元益は大きいでしょう。例会に訪れるロータリアンの間でもRSPBやThe NationalTrustやWWTなどなどの自然保護NGOのステッカーを貼った車はかなりの割合でした。NGOの力量 と共に、活動に対する市民・法人の支援の厚みを感じました。

関連サイト
The Nature's World: http://www.naturesworld.org.uk/

市民の学習意欲  
英国は不安定な雇用状況に対応し、成人学習に対し非常に力を入れています。自ら望む職業を手にするために、スキルアップのため仕事を辞めて学校に行くというのも特に変わったことではないようです。このために、公立のカレッジ(単科コースが多数集まった職業訓練学校というイメージ)が国策として整備され、特に数年単位 で通う若年者には手厚い学資援助があります。市民はここでそれぞれの職種の資格(National Vocational Qualify)を手にし、社会全体は競争力のある労働力を手にします。学習はカレッジやポリテクなどの専門学校で行われるだけではありません。様々な場所で訓練生制度があります。たとえば造園に関わる資格は、大学だけでなく、植物園やNGO、BTCV (British Trust for Conservation Volunteer)や先程のThe Nature's World などでも得ることができます。NGO側でも訓練生制度で収入と労働力と社会的関心を得ることができます。  

NGOが優秀な人材を得られるのも、この望む仕事を求めてスキルを得ながら転職していく雇用のあり方に大きく関係しているのでしょう。もとNGO職員の国立公園レンジャーや、元教師のNGO職員にも出会いました。彼らはそれを特殊だとは思っていないようです。  市民のスキルアップという意欲に支えられた「学習する社会人」の姿は今、コンピュータとインターネット、すなわちITに向いています。英語というインターネット共通 語を持つ英国人は今、村々を巡回する移動バス教室で着実にInternet Literacyを身につけつつあります。博物館も社会教育の一翼を担う施設です。公的な生涯教育のシステムについて、得るところが多かったように思います。

関連サイト
Northumberland College :http://www.northland.ac.uk/

博物館に何が求められているのか  
市民の財産である過去の名士たちの遺産に基礎を起き、市民の学習の場として長く位 置を占めてきたこの国の博物館の実像はどのようなところにあるのだろうか。地域が大きく変貌をしようとする昨今、地域のアイデンテティの基礎を再び歴史と自然に求める動きが強まっています。今回訪れた地域は産業革命発祥の地ということもあり、特に産業遺産に関連した博物館が目に付きました。これはもしかすると日本で産業遺産に関する文化財意識がひくいことの裏返しかもしれません。明治期から昭和初期の産業施設を歴史的に重要なものとして保存する動きは我が国にはきわめて遅れているのです。産業遺産を中心に扱う博物館としては、炭坑やビクトリア朝の生活様式、産業革命期の機関車や蒸気機関、などを地域の歴史として研究し、わかりやすく楽しめるものとして展示・実演している博物館をBeamish, The Open Air MuseumやWoodhorn Museumなどいくつかたずねました。

Beamish, The Open Air Museumのtramから

汽車や路面電車が走り、かつてのお菓子屋で実際にお菓子が食べられる、その「楽しい博物館」は、しかし、そこに所属する学芸員たちとかれらの研究活動によって入念に仕組まれ、検証され、そして伝えられるべき視点を確固として持つものでした。いかにそれがかつての風景のように違和感なく私たちの目に飛び込んでくるか、私たちは普段それを意識しません。しかし、入念に仕組まれたその統一感こそが私たちをその時代、その場所を追体験させてくれるのです。楽しませることはそれだけならテーマパークと同じです。しかし、社会教育施設である博物館の本領は、こうした学芸員たちの教育的配慮にあると思います。私は現地の学芸員たちとそうした一つ一つのことに共感しあい、大いに語ることができた時間が幸福であり、本当に有意義なものだったと思います。  

今回Hancock自然史博物館、 Dorman museum、ダーラム大学付属植物園など英国の地方博物館を訪ねる中で得たものは、実際には英国流の博物館運営に多くを学ぶという事ではなく、むしろ私たちの博物館自身が行っている活動の方向性の正しさを確認したというところが大きかったように思います。職業研修は展示と収蔵庫や研究施設を見学した後、先方の運営についてだいたい聞かせてもらい、私たちの行ってる方法を説明、お互いにディスカッションするという形で進みました。子供への自然体験のきっかけづくり、シニアの参加、学習の機会としてのボランティアの育成、博物館を取り巻く「友の会」の育成、自ら学習するサークルの育成などなど、お互いの事業の現状と問題点を話していると毎回のように送迎のホストを待たせてしまう有様でした。中でも私たちの自然史博物館友の会の活動を大変評価をしていただいたことがうれしい経験でした。どこの博物館でも熱意のある学芸員たちに出会え、不思議と目指すものが似ていたことは非常に愉快な経験でした。

Hancock自然史博物館 200年の歴史のある博物館。

この展示も各種の基金から資金を得 てつくられている。  

地域の自然環境・そして地球規模の環境が大きく変わろうという現代、市民の自主的な学習の場として博物館の役割はさらに大きくなると思います。英国でみたその現実は、激しい官民のコンペティションだったと思います。環境教育や生涯教育は博物館だけが行うのではなく、前出したいくつものNGOが独自の施設運営を通 してそれぞれの活動を行っています。市民にとっては、多様な学習の機会が得られることにつながっているのです。非常におもしろい状況だと思いました。コンペティションといったのは、こうしたNGOや博物館がともに施設改善・展示更新の財源を官民の助成金に頼っているためです。日本でいえば宝くじ協会のような財団から、大きいところではEU、小さなところまでは商店街の肉屋さん・靴屋さんといったところから募った基金によって展示作成のための資金が確保されています。十分な資金が集まれば、展示には最新の内容が盛り込まれ、コンピューターなどを駆使ししたハンズオンなども整備されていきます。魅力ある施設、価値のある教育活動を行っている施設が評価され、基金を集め発展しよりよいものになる。その一方、基金が集まらない施設はさらに取り残されるといった状況を生んでいます。  

官民を問わず基金提供の習慣がある国だからこそ生まれた合理性だと思います。日本でそのまま当てはまる状況には思いません。一部には地域格差など、この競争のうんだ歪みも感じます。The National Trust のあるマネージャーが、ある公立ではあるが、入場料収入に基盤をおいている博物館について「残念なことにその博物観は経営を意識しなければならない、比べると案外(資金基盤のある)我々の方が忠実な保存活動ができる」と評していた事は印象的でした。どちらが博物館かわからない状況にも思えます。  

博物館は社会全体の教育システムのほんの一部ととらえることもできますが、今回英国で見た様々な活動は博物館という概念が拡張されて、様々な運営形態の新しい博物館が生まれていく状況を感じさせるものでした。Hancock自然史博物館とDurham Wildlife Trustなどが共同で地域の生物多様性データベースを作成して行くなど、枠組みを越えた発展的な取り組みも見えます。訪ねた施設の中には障害者向けの授産施設と環境教育を融合させた意欲的な取り組みのものなどもありました(EarthBalance; 滞在中に経営の行き詰まりが表面化し、廃止の方向と聞いた)。 学芸員やNGOの職員達と話す中で、様々な未来が描けたように思います。  

旅の終わりにはロンドンで、この分野における総本山とも言うべき大英自然史博物館・科学博物館・Kew植物園を訪ね歩き、大きな刺激を受けました。またFriends of the Earth London事務所などでもヒアリングを行い、改めてこの国全体の自然の状況とNGOのしっかりとした方向性を学んだように思います。実際同行諸氏には博物館中毒、職業病とも評されるほどの充実した盛りだくさんの研修であったと思います。  

はや帰国して3ヶ月。さて、この大阪において私たちの博物館はどこへ向かうのか、これから日々の活動の中で問われていくのですが、今回の研修を通 してそのための視野・座標軸は大きく広がったように思います。  

最後になりますが、今回の機会を与えていただいた国際ロータリー財団と大阪第2660地区並びに英国1030地区のロータリアン、とくに両GSE委員会のみなさまとホストファミリー、研修のために協力下さった博物館・教育委員会の同僚、快く研修を受け入れてくれた諸施設のすべての関係者に感謝してこの文章を閉じたいと思います。

関連サイト
Beamish, The Open Air Museum:http://www.countydurham.com/beamish/index.htm
Woodhorn Colliery Museum:http://ris.sunderland.ac.uk/museums/woodhorn.htm
R.I.B.I. District 1030: http://wwwkenya.freeuk.com/rotary1030/
Hancock Museum of Natural History: http://www.newcastle.ac.uk/hancock/
大阪市立自然史博物館: http://www.mus-nh.city.osaka.jp/
同上英語版: http://www.mus-nh.city.osaka.jp/english/omnh-e-home.html