マルチナ・モレンディクの感想

参加動機

GSEプログラムのことを読んだとき、私は直ちに熱中しました。実際に何かを予測していたというわけではないのですが、ジーセン夫人に手紙を書きました。日本は、私が高校で少し習っただけの国で、その内容の殆どは第二次世界大戦に関連し、あまりポジティブなものではありませんでした。日本に行くということは、私にとって今まで未知であったこの国について自分自身の考えを得る大きなチャンスとなるでしょう。

また、教育システムについてより多くのことを知るのは、先生である私にとって興味のあることです。オランダの小学校で起こりつつあるのと同じ種類の変化すべてに対し、日本の学校でも似たアイデアを持っているのか、知りたいとも考えました。同じ様な問題があるのかどうかと思いました。子供達、先生達、学校長と話しし、このことを知りたかったのです。

私はオランダに帰国して、自分が教えている子供達と私自身がこの体験から収穫を得るだろうことを確信しています。先生は毎日子供達とその両親を相手にしています。私の仕事の一部は、知識を伝えることですが、もっと重要なことは世界やその人々について考えさせることです。もし、先生の生活体験からする話が他の人の話と異なる場合、他の文化を理解し、受容し、それに尊敬を払い、自分自身の考えを形成することをその人たちが学ぶのを援助するのに、この体験は大いに役立つことでしょう。

日本の文化と日常生活

日本に数週間いただけですが、このテーマについて多くのことが書けることでしょう。日本の文化は我々の文化と非常に異なり、多くのことは良く理解することが困難です。多くの伝統は長くさかのぼり、少々西洋化されていてもその背後にミステリーと雰囲気をまだ少し感じることができます。日本に来たことがない人には、この言い方は漠然としているように聞こえるでしょう。しかし、この国に来たことのある人なら例えば人間関係のようなことを理解することが困難なことを理解できるでしょう。夫婦関係や、雇用者と被雇用者の関係には多くの不文律があります。

今後、このミステリーの感じが変化するかどうか、疑わしく思います。現在、目にするものはハイテクの発展が古い伝統と手を携えていることです。高速で移動する新幹線の中に男女の着物姿が見られます。お茶や生け花を習った後、女の子は、都心にあるトレンディなディスコで夜を踊り明かします。

日本の文化は、その習慣がおそらく昔々に起源を持ちますが、説明は可能です。少しやってみましょう。

入浴の習慣
日本の家の中には狭いものもありますが、そこには必ず、素敵な、浴槽の深い浴室があります。浴槽に入る前に、頭から爪先まで洗わねばなりません。これは小さな腰掛けの上に座って行います。浴槽の水は全家族が用い、時には一日以上使います。というのも、水を温めるシステムがあるからです。我々は幸いにも、日本の本当の「おんせん」に行きました。これは特別 の公共浴場で、温泉の湯を使用しています。日本式のお風呂は、リラックスできるほかに、社交的な役割も持っています。

サクラ
我々は、サクラのシーズンに日本に居て幸運でした。いたるところで木に花が咲き、美しい眺めでした。日本人にとって、サクラの咲き始めは稲作のシーズンの始まりも意味します。米は、一番重要な輸出品だったことがあり、サクラの開花はいまだに重要な出来事と見なされています。ニュースでは、サクラが何分咲いたか、毎日報道しています。

日常生活に織り込まれ、深く根付いたこの文化は日本の美しさの一つだと思います。絶対、大切にして行かねばならないものです。それを観光客向けの、単なる「シンボル」にしてしまってはいけません。風車や木靴、伝統風俗などを見に、観光客はオランダに来ますが、それらは我々にとって「シンボル」以上のものではありません。

職業研修日

職業研修日には、私は主に小学校、普通の学校と同様に、知的障害のある子供の学校を訪れました。身体障害者のデイケアセンターと幼稚園も訪問しました。職業研修日は、いつも非常に良くアレンジされ、通 訳のおかげで学校システム、学級運営、給料、問題点、喜び等々について多くを知ることができました。

私は、最初の職業研修日に、虐待された児童のための学校を訪れました。そこにいるすべての児童が知的、身体的、性的に虐待を受けたと考えるのは怖ろしいことでした。虐待は、日本で増えつつある問題ですが、経済不況のせいで政府は十分な予算をソーシャルワークに投入していません。まだ春休み中でしたが、ホールや教室を歩いて回りました。学校の状態にはショックを受けました。学校設備は実に古く、ペンキは壁から剥げ落ち、子供達が遊ぶものは何もありませんでした。子供達が遊ぶ小さいスペースを見せてもらいましたが、それは門のついた石の庭以上のものではありませんでした。子供達が暮らしている場所と学校は同じ建物内にありました。小さい部屋に二段ベッドが4つ。子供達はみんな、私の周りに集まってきました。何人かはヨーロッパ人を見たことがないようでした。彼らは私の目の色を見、髪の毛をさわり続けました。

私は先生達や、心理学者と語り合いました。彼らのアイデアや治療メソッドは興味深いものでした。そこに勤務するソーシャルワーカーの一人は、GSE日本チームのメンバーでした。子供達の状況は本当にひどく、ソーシャルワーカーの数も十分ではありません。給料も低いのですが、たったの一つも不満を聞きませんでした。すべての人たちが児童への大きな愛をしめしていました。これは我々が彼らから学べることです。

私の職業研修の詳細を語る積もりはありませんが、日本の公立、私立の学校についての一般 的なアイデアについて述べてみましょう。

日本の学校についての一般的な情報
日本には公立と私立の学校システムがあります。日本ではどの学校に通うかが本当に重要です。私立の学校に通 うことは子供のキャリヤーにプラスの影響があるでしょう。幼稚園生ですら、時には特別 な小学校に入るためにテストを受けねばなりません。私は異なった学校を訪問しましたが、ある場所では新しく、良い設備に驚かされましたが、他の場所は監獄の中を歩いているようでした。広い音楽室、新しいコンピュータと運動場。一方ではまた、古い机、壁から剥げたペンキなどが見られます。私立の学校は概して、良く設備されていましたが、それでも大人数学級の問題を抱えていました。日本の学級には平均して40人の生徒がいます。興味深いことは、「普通 の」学校にいる障害児が一日に二、三時間、特別授業を受けていることです。学級内の人数が多いので、先生が違った学習レベルを提供することができません。どの子供も同じプログラムを受けます。オランダも25年前はこのような状態でした。しかし、現在では古典的な学習方法から、いわゆる適応学習(アダプティブ・ラーニング)がとって変わりました。先生たちは異なったレベルの異なったプログラムを用意せねばなりません。これは生徒数が少ない場合にのみ、初めて可能になることです。

教育についてのプレシャーが大きいので、多くの子供たちが、学校後の学校に行きます。家に帰るのは夕食、宿題の時間で、その後は睡眠の時間です。多くの、そして若い子供たちでさえ、非常にストレスを感じ、幸福な生活を常におくれないと聞いて驚いてはいけません。高い失業率の下では、良い子供が成績が良くても必ずしも就職できると限らずモーチベーションは低下しています。

先生たちは、増大する問題行動に直面しています。しかし、生徒数が多いので何かすることは困難です。クラスを小さくするプランが立案中なのは良いことです。子供たちに必要なケアをするにはこのことが不可欠です。

私は、また、障害を持つ子供のための施設も訪問しました。すべてのことが良くオーガナイズされているのを見て驚き、幸せでした。設備は良く、児童の数も少ない、小さい子供には一人の先生が2人に付いて年長組も小グループで教えられていました。

学校や施設を歩き回り、雰囲気を感じ、好奇心に満ちた日本の子供たちの大群に囲まれ、日本の先生たちと語るのは素晴らしいことでした。いつかまた、日本に戻って、もう一度訪問したいと思います。

ホスト家庭

最初のホスト家庭とともに家に帰ったときのことを良く覚えています。彼女は未亡人で、英語は全然話せませんでした。彼女は姪御さんに援助を頼みました。会話を交わさなかったにも拘わらず、私は良い感じを懐き、週が過ぎるにつれ、その思いは増しました。私は畳と布団の伝統的な部屋で寝ました。この部屋に滞在できて良かった。というのも、典型的な日本スタイルだからです。5週間の間に、私は多くの人に会い、カラオケに行き、魚を沢山食べ、キモノを着るチャンスがあり、生け花をし、日本舞踊を見たりしました。毎週が異なり、一つの家庭が毎晩違った企画をすると、別 の家庭ではリラックスする時間があるか、気遣ってくれました。

私は、いつも彼らから与えられた大きなホスピタリティと温かい歓迎を常に思い出します。いつでも会話が可能だったとは限らないのに、文化や生活様式の違いを交換しあえたと、いまだに感じています。

参加動機についての感想

日本で何があるのか、本当に何も知りませんでした。読んだり、聞いたりすることで僅かなアイデアは得られますが、この国や人たちを理解し始めることができるのは、庭園、学校、近代的な建物などを自分の目で見た後のことです。パチンコの騒音、日本語の会話、お茶会の静寂を自分の耳で聞いた後のことです。魚を味わい、緑茶を飲み、お寺を訪問して長時間正座した後、脚のしびれを感じ、日本人の温かさに触れた後のことです。そしてまた、神社やお寺でお香を嗅いだ後のことです。

私は、別の文化を体験したいと希望していました。GSE委員会とロータリークラブは、日本文化の異なった局面 を経験するユニークなチャンスを与えてくれました。私は、美しい庭園や神社への訪問を楽しみましたが、同様にアミューズメントパークの訪問も楽しみました。大きな建物をじっくり見るのも興味深かったが、お好み焼きの匂いがする小径を歩くのも興味がありました。

5週間以上日本にいると、この国は第二次世界大戦に関係し、大きな相撲の力士がいる以上の存在です。日本には顔があります。その周りにまだミステリーのベールを残したフレンドリーな顔です。絶対に、もう一度訪れる値打ちのある国です。

私は、あらゆる種類の活動とともに、日本デーを組織しました。子供達はみんな、とても熱中しました。私は彼らが日本についてのポジティブな話や特別 なことをきっと覚えていてくれると確信します。日本についてポジティブでない情報を将来に得ても、このことを彼らが心に留めていることを希望します。

日本訪問は偉大な経験でした。あるいはヘンクの言葉を借りれば、「ハイライト」でした。私はホスト家庭、ドゥイヘンロータリークラブ、そしてもちろん立派なリーダーであり、チーム員だったヘンク・フェーンベルゲン、そしてチームのみなさんに感謝します。立派な人たちでした!あなたがたみんなと素晴らしい時を持てました。