レナーテ・ベルグマンの感想

参加動機

私の仕事は病院組織の経営陣や被雇用者に対し、組織プロセスの改善に寄与する教育およびコーチの方法について助言することです。従って、私は日本の人的資源管理に特に興味を懐きました。私はまた、日本の医療機関に私の職種に相当するものがあるか、是非知りたいと思いました。もしあるのなら彼らは誰のために仕事するのか、理事者か幹部スタッフか或いはすべての被雇用者のためか。その上、私がGSEの日本ツアーに参加したいと思ったのは、普通 では得られない観点、感情、情緒に触れることが出来るだろうと考えたからです。とりわけ、私の日々の仕事で有益となる経験を得るのに役立つと考えました。

さらに、日本は私にとって、未知の、そして魅惑に満ちた国で(今でもそうですが)、多くの点でコントラストがあります。国際的な先進技術と、茶の湯のような古い伝統の国です。私はこの旅行が、日本人が人生に何を期待し、何が彼らにとって重要であり、仕事や人生の私的領域で何に努力しているのかを知る機会だと期待しました。

選抜の過程がすべて終了すると、私はGSEプログラムに参加する招請を受けました。日本を訪問できるということに私がどれだけ興奮したかご想像がつくでしょう。ですから、私の個人的なレポートを、2000/2001年GSEプログラムに参加する機会を与えて下さったロータリー組織に対する感謝で始めたいと思います。約束したように、このレポートは出来るだけ短く、また個人的なものにするよう努めます。日本における医療システムについて述べ、私の個人的な感想を述べます。

医療組織

私の職業研修は大阪府庁を訪問して、日本の医療制度や病院経営を学ぶことから始まりました。3時間ほどの間に、彼らは日本の医療システムについての優れた概観を与えてくれました。また主な死亡原因のような数字をあげ、日本、オランダの比較を試みてくれました。このことは、後々、病院を訪問する、よい下準備となりました。

80才と74.5才)三大死因は、悪性腫瘍、心臓病、脳血管性疾病です。この三大死因はオランダでも同じですが、心臓病での死亡者数は日本の2倍です。(日本114.300、オランダ227.200)この違いの理由は、オランダ人が日本人より脂肪を多く摂取するためだとされています。日本の食文化を体験した今、私はこの意見に全面的に賛成です。こちらでは、食物がよりヘルシーであり、自然成分を多く含んでいます。しかし大きな欠点が一つあります。ずっと塩辛いのです。このことは三大死因の一つに現れています。脳血管性疾病の率は日本がずっと高いのです。(日本110.000、オランダ80.300

人が長寿命になり、出生数が減少しているので、日本における高齢者の率はどんどん高くなって行きます。2015年の予測では人口の25.2%が65才以上となります。このことは、医療システム確保に貢献する人の数が少なくなることを意味します。日本では、誰もが公的な健康保険システムでカバーされています。このシステムは日本人の暮らしを支えるのに役立っていますが、増加する社会保障負担をどうするかが、重要な関心事となっています。人口の高齢化や女性の職場進出のような社会経済的構造変化により、人々の認識や価値観が修正されつつあります。これらの変化に対応して社会保障システムの改革への要求が生じています。このことは、例えば育児休暇の導入、老人ケア対策などを意味します。医療システムの財政的状況は楽観からほど遠く、改革は必要かつ必至です。

財政危機の結果として、病院は出費を抑えねばなりません。入院期間を短くする(平均33日。これはオランダの病院の8日にくらべて大変多い)、医薬品や備品の調達を中央化する、アウトソーシングの可能性を探る、などがその方法です。他に考慮することは、病院ごとにリスク・マネジャーを置き、患者の満足度調査をしたり、医療カルテの電子化を進めることです。違いはいくらかありましたが、日本の病院もオランダの病院もコスト削減に同じ解決法を用いていることが判明して驚きました。つまり、日本の医療システムの抱える問題は、オランダと多くの点で似ているのです。オランダの医療システムもまた、財政問題で苦闘しています。エンシェーデのメディッシュ・スペクトルム・トゥエンテは、医薬品調達の改善、クリーニングと食事ケータリングのアウトソーシングのために(病院から)選ばれました。

その後、職業研修日に私は数カ所の病院と老人養護施設を訪問しました。私はそこで病院の経営者と同時に看護婦や医療スタッフと話ができました。彼らの情報は、日本の病院の組織や経営、看護婦やドクターの教育についての洞察を与えてくれました。病院や他の医療機関における人的資源管理(HRM)の方法は日本とオランダで少し違うことが分かりました。専門的な教育アドバイザーは、まだありません。地方政府で働いている人事担当者がHRMの仕事を行っています。HRM手段の一つ、ジョブ・ローテーションが制度として確立していることに驚きました。オランダでも医療組織にジョブ・ローテーションを強制できればよいのにと思います。3年ごとに仕事がかわるのがノーマルな人たちと話するユニークな機会がありました。被雇用者は自分の職歴を決定するのに影響力を持っていないように見えます。オランダではその正反対、自分の職歴を責任をもってプランするため、我々は努力しています。この違いは、本当にパラダイム・シフトでした。

報告書のこの部分を、それぞれの職業研修訪問先で得た経験と記憶のいくつかを述べて締めくくりたいと思います。

大阪母子健康医療センター:21週間、400グラムの未熟児を保育できるこの病院の卓越した能力。

関西医科大学:新生児科、川本教授の部屋の膨大な頭蓋骨コレクション。

松下記念病院:松下電器の創設者が患者でありまた、この病院の創設者であったこと。経営者である病院長が患者を手術し続けることができる事実。

ひまわり、井上病院:老人養護施設、血液透析ユニットそして病院を見た素晴らしい一日。昼食を取りながら、多くの、時には難しいテーマを話し合いました。その日の終わりに経営者に会い、のちに写真アルバムを頂いて感謝します。

住友病院:新しいテクノロジーがいっぱい、建物も新しいできたての病院。健康診断施設、富裕な人のための素晴らしい施設が印象的。

大阪府立成人病センター:大変興味深く、インフォーマティブな夕べ。放射線治療科訪問。一日の終わりに若いスタッフ(看護婦とドクター)とディスカッションしたことを高く評価。

私に付き添ってくださった通訳の優れた仕事に感謝。このレポートで言い切れないほど職業研修日に多くのことを学びました。有り難うございました。

個人的な感想

誰もが私に尋ねます。「日本で一番良かったことは?」あるいはまた「日本で一番印象的なことは?」私はこの質問に答えられません。この5週間であまりにも多くの印象を得たので、もっとも重要なものを選ぶことが困難なのです。印象のいくつかを述べてみます。

ホスト家庭

ホスト家庭に滞在することは、私にとって新しい体験でした。素晴らしかった。寝室、勉強施設、洗濯設備、ホスト家庭からの交通、すべてがよくオーガナイズされていました。日本の食事の食べ方を教わりました。オランダで食べる食事と大変異なっていました。ホスト家庭の親切さとオープンさに、家にいる感じがしました。王女様のように感じたというのが一番適切でしょう。そこで私は力身さん一家、石山さん一家、森さん一家、松本さん一家、時枝さん一家が日本で私のホスト家庭となって頂いたことに感謝します。毎土曜日、ホテルニューオータニに宿泊したことにもまた感謝します。このホテルは一週間の間、荷物を預かり助けてくれました。毎回同じホテルに戻ることは元気付き、リラックスできました。万華鏡のような体験の中で、安定した基地となりました。

家庭生活

私は、日本の家庭生活、特に夫婦の役割について多くのことを学びました。オランダ人の目から見れば、この役割は非常に伝統的に見えます。妻は、結婚すると仕事を辞め、育児に専念します。家族の面倒を見、十分な収入を与えるのは夫の役割です。労働は少なくとも週60時間。託児所を利用したり、仕事に専念できるよう掃除人を雇うことはまだ、広く受け入れられていません。子供が成人に達すると、女性は労働力に復帰します。若い成人が結婚するまで同居するのを知って驚きました。学校へ行っている間、自分で暮らすのは可能です(多くは親戚と一緒に)。しかし、学校を卒業すると学生は家庭に戻ってきます。この事情の主な理由は経済的なものです。日本では生活水準のみならず、文化、規範、信条の水準も高いのです。オランダでは家族文化はより個人化し、男女の役割も変化しつつあります。一般的に、妻は自分自身の職業を持ち、夫もまた育児の責任を持ち、労働時間を短くします。成人すると勉学のために、あるいは一緒に暮らしたいが結婚はまだ、というパートナーが見つかれば、家を離れます。オランダの家庭生活は、より近代的ですが、必ずしも優れていると言えません!

人と環境

私の注意を最初に惹いたのは、空港で一切れの紙もゴミも落ちていないことでした。大阪は非常に清潔な都市です。地面の上に物を投げ捨てるより、ゴミ箱に入れる習慣があります。この都市の規模、260万人を考えると驚くべきことです。私はホームレスの人が、別の場所に移動する前に吸い殻を掃除するのをみました。

風景

私が訪問した地域は自由な空間が限られていました。海辺から山までビルディング、住宅、アパート、産業が切れ目なく続きます。別の都市に入るのは道路標識で分かるだけ、境界を認識するのは困難です。森や草地のような自然の境界があると思っていました。森を散歩したければ、山の方向にドライブしなければなりません。

運転習慣

郊外で交通渋滞が多いのは、必ずしも愉快なことではありません。しかし、これは大阪人の運転習慣のせいではありません。誰もが非常に正しく運転しています。左折、右折は自然で、バンパーがきしむことは殆どありません。最高速度は制限されています。高速道路でさえも。誰もがこの規制を我慢しています。質問してみた結果 、この完全な運転習慣はマナーの良さばかりでなく、道路脇の隠しカメラのせいであることが分かりました。

ヒロシマ

ヒロシマは私に大きな衝撃を与えました。博物館には生存者の話や、空中からの眺め、学校生徒のつくった折り鶴の輪がありました。私の住んでいる地域でも災害があり(エンシェーデの全市域が、花火工場の爆発で破壊されました)、今ではヒロシマの災害がどんなものであったか、よりよく理解できます。私は謙虚に、そして悲しくなりました。

この5年間内に日本で私の関心分野での職を見つけるのが困難なのは明らかです。そこで日本に移住する代わりに(よろこんでそうしたいのですが)今は、「日常生活とその現実」に戻ります。これは易しくありません。日本のロータリーとホスト家庭のおかげで私は5週間、VIPのような気がしました。私が学び体験したことを振り返ると、このGSEプログラムに参加できたのは、大変幸運だったと感じました。このGSEプログラムに寄与してくださった全ての方に、大きな「ありがとう」を申し上げます。