GSE REPORT

佐藤良和

団長・大阪大手前RC会員、生涯学習推進センター理事長


 私は、RI第6270地区へのGSE団長として、アメリカは、ウイスコンシン州のミルウォキー周辺のホストRCの温かいもてなしを受けて、1か月に亘り滞在し、日々詳細な日記を認め、過ごしてきました。
 私の『GSE日記』は、約10万字。第2660地区ガヴァナーをはじめRC関係者やその他、私を良く知る人々に差し上げてしまいました。今は、手許に数冊残すのみです。また、その膨大な日記を、このぺ一ジに復活させようとは思っていません。

 ここでは、その時々に考えた事だけを、リポートします。

 第6270地区の大会は、ジュネーヴァ湖の近くに在るホテル・グランド・ジュネーヴァで3日間、開催されました。

RI第6270地区ガヴァナー(左より2人目)と共に

 地区大会の午前、午後夕刻の開会の前、参会者は三々五々、朝、昼、夕の食事を摂ります。食事が終る頃に、開会が宣言されます。開会の冒頭に、アメリカ国旗に向い国歌を斉唱します。その直後に、全員での祈りを捧げます。
 強く心に残っていることは、アメリカの国旗・国歌に対する参会者の姿勢でした。敬虔な忠誠心の発露を見ました。
 続いて、祈りです。心を深く込めた祈りの一時がありました。
 この事は、訪問した10の各RCでも、同様でした。
 日本は儀式的で、ある意味では整然とした運営が例会や地区大会などでなされています。が、敬虔な祈りを捧げる慣習はありません。考えさせられた一時でした。
 アメリカの強さやロータリーが極く自然に社会に溶け込んで奉仕活動をしている姿を感じ、ここに、ロータリーの理念や基本姿勢があると感じました。

 次に、大会の運営や例会の様子です。

 大会は、明るく和やかで、形式的なところ(ここで言う形式的とは、表面的には形を整えているが中身の乏しい事を指します)はありません。儀式というよりも、心を通わせて想いを一つにし、次のステップに進もうとするための結集を感じ取りました。
 基本が、明確なのです。理念が、明瞭に見えてきます。その実行と実践は如何にあるべきか、一人一人が自覚できるような目標があり、運営があり、中身なのです。

 どこにも威張った人や旧い人間像を持ち出す人はいません。皆がそれぞれ固有の人格、個性を表しながら、協力し合っています。
 奉仕団体であり、コミュニケーションを図り、協力し合う団体。そのためには、どう生きるか、と言うことの解った人々の集まりであることを体得しました。

 冒頭、大会の様子を書き記したところで述べましたように、例会でも先に食事を摂ります。食事は、どこもヴァイキングでした。ウエイターやウエイトレスたちがサーヴィスすることはありません。食事を済ませ、開会となると、一瞬に、全員の態度が、厳正に変化します。鮮やかな変化です。開会の時に点鐘するクラブもありましたが、それほど多く、点鐘の音を聞いた記憶は残っていません。

 お互いに必要以上の干渉はしませんし、親切や思い遣りの押し付けをしません。全てが、質素です。これは、ヨーロッパから移り住んだ人々のルーツが、原因しているのかも知れません。兎に角、質素なのです。でも心の底から、心を砕いて世話をします。

 元来、日本人は親切です。江戸の末期や明治の始めに、日本を訪れた外国人達が、旅人に対する日本人の思い遣りや、親切、異国の人に対しても同じ人間として付き合っていたことを、外国人の書いた記録からも、うかがえます。
 今でも本当のところは、そうかも知れません。が、国際理解や国際的な付き合い方は、欧米や中国のコミュニケーション態度に学ばなければならないように、思います。いつの間にか、日本人のコミュニケーション感覚が、国際的に低下しているのではないか、と想う場面を見掛けますから。

 ロータリーでは、そうあってはならない、と考えさせられました。

 次に、地区大会の時、考えさせられたことがありました。
 それは、次世代のロータリアンを育てるということです。
 大会の2日目、夕の会合の時です。ロータリー財団が遂行している留学生交換の若者たちが、会運営の中に入り、余興までのパートを受け持って実に有益な交換をやってのけた事です。
 それだけに止まりませんでした。翌朝、3日目の解散前の、全てのプログラムは若者たちでイニシアティヴが執られていました。
 開会の宣言から、祈りの音楽や合唱、そして、地区ガヴァナーの話やRI会長代行の講話まで、解散式の全てが、土地の高校生やロータリアンの子供たちによって行われたのです。
 如何に、次世代の事を考慮しているかが、良く解りました。

 訪れたホスト・クラブが私たちを歓迎する、また私たちの「さよならパーティ」を行う場合、極めて質素なのです。大きなホテルを借り切ったりはせずに、出来る範囲での心のこもったパーティでした。アシュカシでのレセプションは土地の或るクラブの、少し広い目の一室で開かれました。訪米した研修団員一人一人に記念品が手渡され、5月17日を「大阪とアシュカシの国際交流の記念日にする」といった宣言が、アシュカシ市長(ロータリアン)によって読み上げられました。

 「さよならパーティ」はホスト・ファミリーの5工一カーもある庭で開かれました。ピクニックと称してバーベキュー・パーティをアメリカ側のGSE関係者やホスト・ファミリーたちが集まって開いてくれました。まったくのカジュアルな会合でした。

 どこのホスト・クラブや、それ以外のクラブを訪ねても、驚いたことは、裁判官、市長、市の職員などがロータリー・クラブの会員であったことです。
 地域の活性化の為には、奉仕団体だけが取り組む、または行政だけが取り組むのではなく、街の多くの官僚や有識者、学者や善意のある人々によって強力な組織を作っていくという協力体制は日本よりも一歩も二歩も進んでいるように思いました。これは、多民族国家としてのアメリカの強さに、繋がっているのかも知れません。
 或いは、日本には未だに、ロータリアンはエリートという誇りが、残っているのかも知れません。

ミルウォーキー市長と

 日本のロータリーにも行政人や法曹界(弁護士だけではなく)からも加入できる中身を持つ必要があるのではないか、と思いました。

 その意味から、大阪府職員や大阪市職員がGSEに参加することは将来に向けた布石として考えられなくもありません。が、現段階では、GSEの成果が、行政の中で生きてこない気がします。日本には、未だそうしたことへの寛容さは無い、と思うからです。

 次に、ロータリアンの地区大会や例会に参加する時の服装ですが、生活感のある服装でした。これも日本で気温の高い夏だけ例外に軽装をしても差し支えない、となっていますが、もっと自由であるべきだ、と思いました。きちんとした服装は、緊張感があり、清潔な感じもしますが、人と人が心底から付き合い、共通の目的に向かって奉仕活動を思考し、進める場合の、役には立たないだろうと感じました。アメリカではまったく平服、カジュアルな服装でしたから。
 ロータリー・バッジについても同様の事が言えます。あるロータリー・クラブでは直径1センチ以上の大きなバッジを付けているかと思えば、あるロータリー・クラブでは、全員がバッジを付けていません。付けていなくてもロータリアンとしての自覚を、きちんと持っていました。

 ここで、ロータリーからの寄付について述べます。
 ある地域では、3ロータリー・クラブが協力し、市民の協賛を得て、芸術の家の建設を行っていました。これは勿論、その町の公共建築物になります。そこでは、学校で取り組めない芸術教育を実施し、市民に開放して、音楽会やバレーの公演が出来るように配慮されていました。建設と運営については、3ロータリー・クラブ及び、市民からの協賛寄付金でまかなわれていました。
 あるロータリー・クラブは、積極的に学校教育に関係し学校教育が発展するための寄付、例えば、理科教育振興のために実験室を増築するための基金を寄贈するとか、器具機材の購入費の援助をするとかです。その他、保育園や幼稚園に遊び場を設けるとか、遊び器具を寄付するとかでした。
 いくつかの公園を見ました。ロータリー公園です。子供たちの遊園地であったり、市民の憩いの場であったりして、心が和やかになりました。
 寄付を行っている先は、公立の機関であったり、公共の場所でした。

 大阪大手前RCは同様の事柄を大阪府整肢学園に対し継続して寄付していますが、それとは一味違う方法でした。
 公立の機関や公共の場所が、ロータリー・クラブや協賛した市民の寄付を、受け付け、有効に活かすことを、アメリカ並みに行うには、日本の税制を変えるという観点があるかも知れませんが、私たちGSEが見学した学校やスペイン語と英語を公用語とした保育園、学校などに対する大きな寄付、公園建設などを行う寄付を、アメリカのロータリー・クラブが実践しているということは、如何に市民生活の中にロータリアンが入り込み、ロータリー・クラブが、市民生活の中で生きているかを実感させられました。

 Support but no controlの精神が生きているように思いました。
 アメリカでは、ロータリーが浮いていないのです。

 ホスト・ファミリーは、皆、心優しい人たちでした。どうすればゲストが喜び、平穏に生活でき、感動を得て、帰国するか、と配慮してくれていた、と思います。私はヘヴィー・スモーカーではありませんが、彼らは心を遣い、喫煙場所を考えてくれました。
 だが、ホスト・ファミリーの心遣いに頼り過ぎる嫌いが、今回のGSE活動の中では見られ、少し残念でした。私たちは、日本のGSE委員長に断って、第6270地区のGSE委員長に、私たちの希望や念願を、改めて個条書にし、英文に直して、郵送していました。それぞれのホスト・ロータリー・クラブは、総合的に気配りをされ受入れ計画を立てていました。が、時には、受入れロータリー・クラブが計画された以上の要求をしてしまったように、感じています。これは少し反省をすべきであったと思っています。

 野村浩司GSE委員長からお聞きしたことですが、私たちが帰国後、RI第6270地区訪日団々長のエリック・メーザー氏から「訪米団長は、日本人であることを、示していた」という批評を戴いて、私は満足しています。

 国際理解の原点は、その人物の母国を十二分に説明し、その人物の言動がそれを証明できることが必要と日頃から考えているからです。自国の事を知らずに、他の国を理解することはできない、という苦い経験を私は持っているからです。

 私は、その考えを持っていたので、和服を持参、着用し、プレゼンテーションの冒頭で、私は日本語を遣って大阪の歴史的、文化的な説明をしました。勿論、私の話す内容は、日本にいる間に英文に訳し、在日アメリカ人の添削を受けて完全版を準備して訪米しました。地区大会ではRI第6270地区の訪日団々長のエリック氏に英文を渡し、私が日本語で一区ぎりずつ話し、彼が英文を読む形で進めました。

 他のロータリー・クラブを訪問しプレゼンテーションを求められた時も、同様に行いました。RI第6270地区のGSE委員長ライデン氏は、その事に絶大な賛辞を寄せて下さいました。

RI第6270地区GSE委員長と

 また色紙に自作の和歌や句を墨書し、ホスト・ファミリーに差し上げ、例会や諸種の会合の折に、日本の歌曲(舟歌や古歌)を唄い、披露しました。勿論、日本や東洋の歴史、文化や美術、生活習慣や宗教についても話しました。それだけに止まらず共通理解の出来る外国旅行のことや、西欧の芸術、美術や音楽についても話し合いました。

 こうして日本民族固有の価値観や日本人としての個性や文化的背景を示しました。しかし、日本人は、というものの、国際的に通用するマナーを身に付けて置く事を忘れてはなりません。挨拶や食事時のマナーのことです。

 さらに言うなれば、日本の典型的な料理を作り、ホスト・ファミリーに馳走することも肝要なことだと思います。ただし、食材を準備するのには、不可能な場合があります。が、そこは創作意欲を燃やして取り組むべきだと思っています。旨いものを食べることに、腹を立てる人はいない、と思うからです。

 私の旅は、大抵、ひとり旅です。今回は同じ目的を持った4名の紳士淑女と共に出かけたのですが、紳士淑女の言動について細かい指示を出すことや何かにつけてとやかく注意することを極力抑えました。言うなれば三猿に徹したかったのです。まあ、あまり神経を遣わなくて済みました。

 日本では、日頃、多事多様で走り回っている私です。今回の、GSE活動では、電話も掛からず、英字新聞はまれに読むだけ、TVニュースや映画、ドラマも視ず、私の内面に迫る思索と冥想の時間が持てたことに感謝しています。

 RI第2660地区の2001年から2002年までのGSEの団長をさせて戴いたことに、厚く御礼申し上げ、リポートを擱筆させて頂きます。
2002年(平成14年)6月