ディーン・ブレイ3世

(タイヤ販売及び再生業経営)

 研究グループ交換チームの一員に選抜されて以来、私は熱望と懐疑を同時に抱きました。熱望したのは、新しい国に旅をし、日本の人たちと個人対個人の交流を行う体験を得ることです。しかし、文化的に我々と大変異なった国の中で、私がどのように受け入れてもらえるのか、懐疑的でした。私は、日本人を競争相手と見るように条件づけられていましたし、競争相手というものにはすべて、誤解を持つものだからです。

 いままで日本に抱いていた心配は、この交換プログラムが始まるやいなや、素早く解消してしまいました。日本に到着して2、3時間も経たないうちに、日本人は自分と違っているというよりは、類似点の方が多いと思い始めました。私が遭遇したコントラストに満ちた体験は、どちらかと言えば、感化を受けるものでした。

 28時間を超える旅を終えて、大阪国際空港に到着すると、50人以上のロータリアンが暖かく出迎えてくれました。彼らはアメリカ国旗を振り、花束を贈ってくれました。冷たく無情な異国人というイメージは、急速にあせ始めました。アメリカ人の日本人観は第2次世界大戦当時の認識を引きずっているように思います。和らいだとは言え、日本はいまだに敵と見られています。しかし、事実は違いました。

 ロータリアン達は、日本人全体から感じた親密さの、強烈なサンプルです。日本のロータリークラブは、アメリカの、そして世界のロータリークラブと「姉妹都市関係」を通じて結ばれています。仲間としての意識(フェローシップ)の絆が都市と都市の間に存在し、そのことに感銘を受けました。日本のロータリアンからは、アメリカの姉妹クラブを訪問し、暖かい歓迎を受けたという話を、多く聞かされました。

 毎日のスケジュールがすぐに始まりました。ほとんどの日は、日本の生活をバランスよく観察することを意図して、現代社会の見学と文化的、個人的なイベントの組み合わせで構成されていました。典型的な一日の日程を記しますと、朝には最新エレクトロニクスを見学し、午後は仏教寺院を訪れ、タベはホスト家庭の一員としての交歓の時を過ごすといった具合でした。これらの活動の一つ一つが啓発的でした。

 私のツアーの大きな部分が、いろいろなロータリークラブ訪問に当てられていました。私は、通訳の助けを借りて、全部で7つのクラブでスピーチしました。日本のロータリークラブは、アメリカのロータリークラブと、会合のありかた、プログラムの進行、地域社会への貢献目標の点で似ていました。いろんな会社や大学を訪問した際に私たちが受けたケアと尊敬が印象的でした。会社の社長が時間を割いて私たちと個人的に会い、施設見学ツアーを案内してくれました。私はアメリカ側も、これに匹敵する尊敬と配慮を提供したものと望みます。ノースカロライナヘ行った大阪のGSEチームも、私たちがこちらで体験したと同じホスピタリティでもって、迎えられたことでしょう。

 我々の社会との興味深い差異は、公的な運輸システムの効率であります。私は、しょっちゅう地下鉄、電車、バスを、目的地への移動に利用しましたが、遅刻することはありませんでした。私はこの迅速さを爽快に感じましたが、日本人にとっては、これが当たり前なのでした。

 私が見学した近代設備と対照的なのは、時代を越えて先祖から受け継いだ、名誉ある伝続を持つ刀鍛冶でした。精密な、神経の細部まで行き届いた仕事ぶりで、ひと塊の鉄から芸術作品が形造られていました。恐らく最も感動的だった体験は、花博跡地での植樹式だと思います。ノースカロライナの名誉をたたえ、州花であるダグウッド(はなみずき)が6本、植樹されたのです。私たち6人の名前を刻んだ1枚のプレートも添えられました。 職業研修日は、各人に焦点を合わせてスケジュールが組まれ、私は自分の職業に関連した会社を訪問しました。タイヤの販売業者として、東洋タイヤの工場、数カ所の独立系タイヤディーラー、2カ所のタイヤ再生設備です。これらの訪問のそれぞれが、私自身のビジネスに対する理解を増大させ、共通の目標を達成するための異なった手段についての洞察力を与えてくれました。2つのタイヤ再生業者は、私同様、3世代続いたビジネスで、リサイクルの確立した形態として、長期にわたって利益を得る仕事となることを期待していました。

 タイヤ販売店では、オーナーの自分のビジネスに対する物理的な結びつきが、わが国と違いました。殆どのオーナーは、店舗の上もしくは隣接地で生活しています。これは利用できる土地が欠けているため仕方のないことですが、同時に自分の仕事に対する結びつきを強めます。アメリカではこのような結びつきは殆ど見られません。アメリカのビジネスと同じく、従業員は週40、50時間働き、週末は休みます。

 このツアーのハイライトは、5つの異なった家族との生活でした。1つの家庭での生活は3〜6日。ホームステイのおかげで、私たちは、ホスト家族と、知人というよりは、友人になりました。移動に時間を取られず、お互いのことを知るのに時間が使われました。4つの家庭では、少なくとも家族の1人が英語を話せました。英語を話す人のいない家庭は、私の滞在中、通訳を別に雇ってくれました。研究交換プログラムに対する、このような献身に勇気づけられ、家族の一人一人と会話ができました。予想に反して、コミュニケーションは、この旅行の大きな問題ではありませんでした。

 この交換により、私たちは日本人の日常生活を体験する機会を得ました。食事は殆ど家庭で用意されました。それぞれの家庭には特有の好みの料理があり、家族の一員として扱われるのは、素敵なことでした。ある家庭はテニス、ジョギング、サッカーを楽しんでいましたが、他の家庭ではゴルフ、英語の勉強に興じていました。私たちの旅行は、大阪地区に限られていましたが、多くの異なった食べ物や興味深いことを、多様なホスト家庭での滞在を通じて経験しました。全体を総括すると、この旅行は、こんな機会は過去に恵まれたことがないと思うほど、実り多い経験でした。

 日本人に対する固定観念<ワーカホリック、同じ顔つき、反米的>は単なる固定観念に過ぎませんでした。日本人は友好的で、惜しみなく、アメリカ人に対して純粋なケアをしてくれました。彼らは、要点をついて、我々のニードがどんなに些細なものでも満たされるように、気を使ってくれました。

 終わりにあたり、私がこの、為になる体験に参加することをお許しいただいた数人の方に、お礼を申し上げたいと思います。まず、私の父に対しては、仕事を離れる時間を認めてくれたことに。私が専門職業的にも個人的にも得た経験は、充分に私のキャリヤの中で生きてくると、心から信じます。

 次にマウント・エアリーRCに私を指名して下さったことに対して、第769地区には私をGSEの団員に選抜して下さったことに対して、そしてロータリー財団には、旅行費用を支出して下さったことに対して感謝します。大阪のロータリークラブは、卓越した仕事ぶりで、現在と過去の日本をバランス良くスケジュールに含めたプランを立ててくれました。 中でも最も、個人的にお礼を申し上げたいのは、私を家庭に受け入れ、歓迎して下さった、日本の家族のみなさんです。彼らは私がこれからの人生で大切にし、折にふれて思い出す体験を与えてくれました。彼らがノースカロライナ訪問を希望するときは、私の家庭はいつもオープンしましょう。私の唯一の願いは、彼らが私に示してくれたホスピタリティを少しでもお返しできたら嬉しい、ということです。

「タイヤディーラー、新しい日本観を持って帰国」

タイヤビジネス8月10日号(キャシー・マカロン記者)

 ノースカロライナ、マウント・エアリー発。距離は離れ、カルチャーは異なるが、日本とアメリカのタイヤディーラーは、多くの共通点がある、とマウント・エアリーのブレイ・タイヤ・リキャッピングサービス社のディーン・ブレイ3世は語った。彼は、この3月の日本訪問から帰国したところである。

 同社は同族会社で、その副社長を勤めるブレイ氏はロータリー財団の研究グループ交換プログラムに参加し、他の4人の若い専門職業人とともに、日本の大阪を5週間に亘って訪問した。

 当初、ブレイ氏はアメリカ人が日本訪問中どのように受け入れられるのか、心配していた。最近、この2国間で興奮的に交わされるレトリックを見聞きしていたからである。

 しかし、彼の不安は飛行機が日本の大阪空港に到着したとたんに急速に消えさった。約50人の日本人が、このグループを熱狂的に出迎え、挨拶を交わしてくれた。

 続く5週間のあいだ、この勢いとホスピタリティが継続したとブレイ氏は語る。その間に彼は5つの異なった家庭と生活を共にし、日本のタイヤビジネス企業を訪問した。ブレイ氏によると、アメリカと日本のカルチャーやライフスタイルは、はっきり違うにも拘らず、タイヤ販売ビジネスでは両国間に多くの類似点がある。

 ロータリーのプログラムは、29才のブレイ氏と他の4人の専門職業人を選抜した。彼らはロータリアンではなく、年齢制限は25才以上35才まで。一つの外国を訪問し、国際的なグッドウイルを育てることを目的にしている。

 ブレイ氏は、教師、不動産エイジェント、写真フイルム会社の従業員、アメリカ商務省のレップからなるグループで、唯一のタイヤディーラーだった。

 「我々は、第1日目から最後の見送りの日まで、よくもてなしてもらえた」とブレイ氏は、日本旅行について語った。ブレイ氏は、ローカルのタイヤディーラーやタイヤ再生業者を訪問し、アメリカの同種の企業との多くの類似点に気がついた。しかし、日本では土地スペースが限られているので、2、3マイナーな相違点はあるようだ。

 たとえば、スペース上の制限のため、あるディーラーはタイヤ店を垂直方向にデザインしている。1階はサービスエリア、2階は展示ショウルーム、3階は家族の生活空間になっている。タイヤはフロア間をエレベーターで運ばれている、とブレイ氏は語る。

 それにつけ加えて、日本ではメーカーは販売店にデリバリーをより頻繁にしている。タイヤ貯蔵倉庫に制限があるため、殆ど毎日のように配達されている。

 ブレイ氏は、オートサービスが限られた範囲でしか行われていないことにも気がついた。通常は、ホイールヘの装着、バランス調整とちょっとしたブレーキ点検に限られている。

 店の運営方法は違うが、日米のタイヤディーラーは、少なくとも一つの共通点がある。毎日のビジネスが予測できないことである。忙しい日もあれば、暇な日もあるとブレイ氏は語る。

 そして、アメリカの同業者と同じく、日本のタイヤディーラーはスクラップタイヤ処理問題の解決に苦心している。

 滞在中、ブレイ氏は、毎週異なった家族と生活を共にした。彼は日本人のアメリカ人に対する態度は、アメリカのマスコミから受ける印象と全く異なる、と語った。

 ホスト家庭の中には、子供がアメリカの学校に在学している家庭もあった。彼らはアメリカ車が好きで、それを実際に所有している人も多かった。一般的に言って、日本人はアメリカ人に敬意を持っている、と彼は語る。

 アメリカのデレゲーションが日本のロータリークラブでスピーチする場合、アメリカ国歌が演奏され、アメリカ国旗が飾られていた。

 「個人的に話を交わすと、新聞で読むのとは違った答が返ってくる」とブレイ氏は語った。