ローリー・スウィンク

(小学校教師)

第1部 個人的な体験および感じたこと

 私の日本行きは、本当に一生に一度の機会を与えてくれました。日本に来るまでは日本人とはこんな人たちだろうとか、その文化はこんなのだろう、とか先入観を持っていましたが、来てみて分かったことは、我々は世界の中で異なった地域に暮らし、外観も異なり、異なった言語をしやべっていますが、それにも拘らず、内面では全く同じ人間だということでした。私は、自分が日本の人たち、習慣、文化、そして日本という国について得た印象の一部を、みなさまと分かち合いたいと思います。

 私は、日本人の生活様式の良さは大変なものであると認め、それを尊敬するようになりました。日本の人たちは誠実で忍耐深いと思います。忍耐心がめったにみられないこの世界で珍しい存在です。彼らは丁重で親切です。実際、お客は、各家庭で本当に大切に扱われます。日本のみなさんのホスピタリティは信じ難いほど大きなものです。日本のロータリアンは、かなりの時間を割いて下さって、私たちGSEチームの個人個人と知り合うようになりました。これは、私にとってとても重要なことでした。さらに言うなら、日本の5つの家庭で暮らすことによって、日本人のライフスタイルや教養、信条、そして日常生活を注意深く調べ研究するチャンスに恵まれました。最も裕福な観光客といえども直接には体験できない物事に触れるチャンスを、このユニークな機会は与えてくれました。

 GSEの目的は、異なった国のメンバーの間に、世界平和を推進するための相互理解をもたらすことです。この旅行は、それ以上でした!私は、日本人と日本に恋に落ちました。大阪国際空港で飛行機に乗る他のチームメンバーに手を振って別れを告げ、そのまま大阪に残れたら、きっと満足だったでしょう。しかし、アメリカに帰って、私の属するコミュニティや州の人たちに、私の体験や日本に付いての知識を分かち与えることが、自分の義務であることを、私ほ知っていました。

 ホームステイでほ、いろんなライフスタイルのホスト家庭と生活しました。ある家族は伝統的な日本人なのに、他の家族は大変西洋化していました。共通だったのほ、家に上がるには靴を脱ぐことと、日本式のお風呂、そして暖房便座でした。私が自分の家を持つようになれば、いま途べた「ゆとり」をすべて、取り入れたいと思います。就寝設備は家庭によって違っていました。西洋風のベッドに3週間眠り、布団で眠るチャンスには2週間恵まれました。最初、布団を見たときは「こんな薄いマットでどうして床の上で眠れるのだろう」と自問しました。驚いたことに、布団は、たとえアメリカのベッド以上ではないにせよ、それと同等に快適でした。

 私は、また、見合い結婚のアイデアに魅了されました。私のホスト家庭のうち、2家庭は恋愛結婚で、他の3家庭は見合い結婚でした。見合い結婚のことを最初に聞いたとき、愛しあってもいないのにどうして一緒に暮らせるのか不思議に思いました。しかし、見合いにはそれなりの利点があることが分かりました。少なくとも、見合い結婚では、自分自身が属する社会階級の相手と結ばれ、両親と同じ生活水準を保てます。事実、いったん結婚してしまえば、伴侶がしてくれる素晴らしいことのおかげで、恋に落ちてしまいます。 私のホスト家庭のそれぞれは、特別でユニークでした。ある家庭では、私はゲストでしたし、別の家庭では家族の一員として扱われました。ホスト家庭のそれぞれが私に示して下さった親切と配慮に感謝し、恩を感じます。私のことを少しもご存知ないのに、家に招き入れて下さり、大切に扱って頂きました。他の国からやって来た全く見知らぬ他人に自分の家庭と、そして自分自身を開放するのは本当に特別な人の行いです。しかし、このような体験を通じて私たちは、お互いの信条や思考方法やライフスタイルを学ぶのです。

 日本人の方が、1週間のうちに信じられないくらい長時間働くことに驚嘆しました。私の生活した家庭では、女性は全て家庭を守り、家族を生きがいにしていました。実際、家庭にはいつも家族の誰かがいないことはありまぜんでした。女性が家にいることは、日本の学校教育が大変成功している一つの原因と感じました。家族が重要視されていることで、子供たちが得をしているのが、とても印象的でした。

 日本の社会を描写できるもう一つの言葉は「秩序」でしょう。大阪滞在中に、列車のストライキがありました。駅に着くと。誰もが静かに列にならんで、運行している少ない列車を待っていました。列車に乗るために誰も押し合いしませんでしたし、先頭に割り込む人もありませんでした。もし、これがニューヨークだったら、恐らく暴動になっていたでしょう。また、日本人の特色は「正直さ」です。私は一度、ホテルで荷物を自動車に積んださい、財布を置き忘れました。45分間もドライプした後、それに気がつきました。ホストファミリーは、親切にもそれを探しに引き返してくれました。ホテルに着くと一人のロータりアンが財布を持って待っていてくれました。お金もパスポートも全てありました。いうまでもないことですが、無くなったものは何もありませんでした。素晴らしいことだと思います。日本の方はゲストが楽しく過ごせるのなら、自分自身の楽しみを犠牲にすることがあるという事実を見聞きしました。彼らの誠実さには、感動します。彼らが何か言うと、その言葉は最後まで守られます。いつも信頼でき、名誉が全てであるような人に会えることは気持ちを爽やかにしてくれました 。

 大阪滞在中、日本の習慣や文化について学ぶ機会が多くありました。私の好きだったことをいくつか列挙してみますと、宝塚大劇場、松下電器の中央研究所、座禅、刀鍛冶訪問、大阪城、OBP、自動車学校、高浜原子力発電所、文楽、そしてもちろん、神戸、京都、奈良への観光旅行でした。また、花博公園での植樹セレモニーは特に印象的でした。しかし、最も心にじんときた体験は広島訪問でした。広島平和記念資料館を誰もが訪れることを要請されれば、戦争なんて無くなる、というのが私の固い信念です。世界は、第2次世界大戦のような悲惨な戦争を2度と起こさないよう、この過ちから学ぷことができます。私はハワイの真珠湾には、まだ行っていませんが、きっと、同じように印象的だろうと思います。

 もちろん、私には、大阪滞在中に、多くのお茶席に出る機会がありました。実のところ、日本式のエチケットについて大変貴重なレッスンを学びました。4月6日のことです。私は真野さんの家の美しいお茶席に招かれました。公式のお点前が済んで、座ってお話ししていると、みんなの持っているお茶碗が一つ一つ違うのに気付きました。私は、好奇心から、みんなのお茶碗が違っていることは何か意味があるのか、と尋ねました。そこで、そのお茶碗の一つ一つがユニークな重要性を持つ、高価な芸術品であることを学びました。私は真野さんに、お茶椀が美しいことを賞賛し、桜の花の模様のついた茶碗はいまの季節にいかにふさわしいかを述べました。彼の家を辞去する準備をしていると、彼は一つの箱を私に差し出して「どうぞ」と言いました。包みを解くと、桜の花のついたお茶碗が表れ私は叫び声をあげました。最初、これは貰えません、と辞退しました。私は、ただ、そのその美しさを褒めたに過ぎまぜん。それが欲しいと言ったつもりはなかったのです。贈り物を受け取らないのは侮辱だと、真野さんは言いました。私は、この贈り物を受け取り、彼の心の広さに大変感動しました。そこで教 訓です。日本人の持ち物を褒めてはいけません。さもないと、家にそれを持って帰ることになります!いまでは、このお茶椀は、わが家のベッドルームに置かれ、毎朝、目覚める度にその美しさを愛で、日本を思い出しております。一般的に、日本人は贈り物を多くします。私は、自分自身が、頂戴した素晴らしい贈り物に値する人間だと思いませんが、私が人々から頂いた最も大切な贈り物は、知識、思想、信条そして感情だったと思います。

 このGSEプログラムほ、国際的な食体験でもあります。美食における最も魅力的な経験は、日本到着のわずか3日後に発生しました。松岡さんは、日本の伝統的な居酒屋に私たちを連れて行くと言ってくれました。もう、待てません!居酒屋で、靴を脱ぎ、床の掘りごたつに座りました。最初に供されたのは、温かいお酒で、次ぎにウエイトレスが、卵の中で焼いた、8つの丸いものを載せた皿を持ってきました。私は、すぐ、最初の1個をお箸でつまんで、噛みはじめました。卵は、すぐ呑み込めましたが、あとに何か残りました。私は噛みに噛みましたが、噛めば噛むほど、それは大きくなりました。私は温かいお酒とともに、ついにそれを呑み込み、別の1個に手を出しました。今度は焼き卵がはがれ落ち、私をタコの触手が睨みつけました。タコを食べるというアイデアは、とてもいやな気がしますが、実際はそんなに悪いものではありません。居酒屋を出るとき、水槽にタコが居るのに気付き、明日食べるお寿司について冗談を言い始めると、いま食べたタコの足はこのタコのものだったと教えられました。この経験は何物にも替え難いものです。諺に言うように、試してみるまで、何が好きか分かりま せん!日本の伝統的な食べ物に挑戦する多くの機会がありましたが、その多くは大変デリシャスでした。特に好きになったのは、テンプラ、すき焼き、しやぶしゃぶです。刺身も食べられるようになりました。どうしても好きになれなかった唯一のものは、日本のお弁当(ランチボックス)でした。

 職業研修日には、日本の学校の内部の仕組みについて、覗き見ることができました。多くの点で日本の学校は、アメリカの学校と似ていますが、著しい違いもあります。例えば日本の子供は、1年に240日学校へ行きます。1学級は40人で、先生は1人。アシスタントはいません。教育組織は、日本の教育が成功しているカギの一つのように思えます。小学枚で男性の先生を多く見かけるのが特に気に入りました。アメリカでは、特に小学校レべルでは、男性の先生は殆どいません。私が、男性が教育界で職歴を追求するようアメリカが奨励するべきだと感じる理由は、いろいろありますが、その中で最も重要な理由は、子供たちに積極的な男性の役割を果たす模範が必要だということです。無料の食事や朝食の便宜の提供は、日本ではありません。スクールバスもありません。日本とアメリカのシステムの違いの別の例は、大学への入学です。日本では入学試験の成績だけで決まると聞いて驚きました。いったん大学に入ってしまうと、日本の学生は卒業が殆ど保証されています。アメリカでは、入学は数種のファクター、つまり、成績、クラスのランク、カリキュラム外の活動に基づき、スポーツ能力さえ考 慮されます。識字率が殆ど100%の国を訪れたことは、信じ難いことでした。塾、即ち詰め込み勉強の学校を訪問する機会も数回ありました。この特別なシステムについては、複雑な心境です。塾の第1の目的は入学試験に合格するよう学生を教えることです。確かに、その点では成功でしょう。しかし、子供たちの創造的な能力に及ぼす影響については心配です。私の観察したところでは、学校では個性の発揮よりは順応性を教えているように思えました。このコンセプトは悪いものではありません。我々のものと違っているだけです。生徒に先生が尊敬されているのは、羨ましい。日本の学生もアメリカの学生も同じようですが、教育の重点の置き方が大変に違います。風紀の問題は殆ど存在しないようです。たとえ発生しても、学生や両親と話し合って処理されます。教育システムでは、日本は誇りにして良い点が数多くあります。

 わがGSEチームは、多くの産業や工場を訪問しました。訛もが制服を着ているのが魅力的でした。私が個人的に、これが素晴らしいアイデアだと思う理由はいくつかあります。まず、第1に、全ての労働者を同じレベルに置き、社会階級の区別がなくなります。第2に、職場での服装競争を少なくします。第3に、従業員のお金を節約します。日本の会社の提供している終身雇用制も私の好きなポイントです。個人がその職に誇りを抱くようになると思います。作業の管理システムは効率的という以上のものです。日本スタイルの経営管理を研究することは、私たちにとって有益であると感じます。

 日本におけるテクノロジーははるかに進んでいて圧倒されるくらいです。リモコンできるお風呂。日本の地図がテレビ画面に出る、車載用のナビゲーションシステムに魅了されました。沢山のボタンのついた温かい便器も、日本にある多くの信じ難いものの一つに過ぎません。概して日本の人たちは、ガジェット(気のきいた小物)をアメリカ人より多く持っています。殆ど全ての人がカーテレホンを持ち、タクシーの中には、ファクスを備えたものまであります。

 日本の生活で絶対に理解できないものに、宗教があります。寺院を数カ所訪れた後、私は人々に、信仰のことを2、3質問してみました。同じ答えをした人は2人となく、同じものを信じている人も2人といませんでした。

 日本の文化で多くのことを有り難く思いました。まず、すべてのものが丁度、私向きのサイズでした。アメリカでは、自分が何を食べているのか、テーブルが高くて、見えません。日本では、何を食べているのか、ほとんど何時も分かりませんでしたが、少なくとも食べているものを、見ることはできました。私が賞賛するのは、人々に自尊心があり、かつ他人を尊敬すること、誠実さ、社会の中に秩序がある、という感覚です。

 GSEで得たものの中で最も重要なのは、多くの新しい友人です。日本とその国民について本当に多くのことを学びました。しかし、私は、自分自身についても学ぶところがありました。人間は、その内面では、みな同じなのです。GSEのようなプログラムを提供してくださった国際ロータリーに謹んでお礼を申し上げます。GSEの使命は達成されました。私は、日本とその国民に対する深い尊敬と熱情を育てました。世界でも最も素晴らしい人たちのサンプルです。私は、お別れのスピーチで、こう言いました。「サヨナラと言うことは出来ません。近々お会いしましょうと言いいます」と。

 いつか、日本に帰ってきて、ここで働くのが私の望みです。しかし、その時がくるまで、知人のみんな、会う人のみんなに、日本とその国民が何と素晴らしいかを伝え、この2つの異なった国の人々の間の相互理解を深めるよう、推進したいと望んでいます。

第2部 団員選考過程と準備について

 北米とヨーロッパを広範囲に旅行した経験からして、GSEプログラムが素晴らしいチャンスを提供していることを悟りました。私は、他国の文化にいつも魅了されていましたから、日本行きのGSEプログラムが告知されると、即座に応募しました。2週間後に、連絡があり、面接するとのことでした。団員として採用されるチャンスがどれくらいあるかは不明でしたが、私はいつも、国際研究や旅行に関するチャンスは積極的に利用することにしています。

 昨年、日本からのGSEメンバーがノースカロライナを訪問した時、私のクラスにやってきましたので、GSEについては、少し知識がありました。けれども、こんなに素晴らしく、教育的な体験になろうとは想像もできませんでした。

 GSE団員に選ばれたと正式の通知を受けた後、私はこの旅行のためのいろんな準備を始めました。1週間につき3時間、日本についての勉強をしました。教室でも、日本について1単位教えました。生徒たちは、日本とその文化について考えつく全ての局面を調べました。私の興味が生徒にも伝染しました。

 日本に出発する前に、ミーティングが数回、公式にまたインフォーマルに開かれました。多くの異なった問題について講義を受けました。現代的関心事、歴史、政府、貿易等ですが、我々の冒険の準備のためでした。

 1992年3月14日グリーンズボロを出発し、アトランタでのベルリッツの語学訓練に出席しました。内容は有益でしたが、日本で最低限必要な言葉を学ぶのにもっと時間を割いてもらったら助かったのですが。しかし、時間の制限があり、日本語を奥深く学ぶことはできませんでした。とはいえ、アトランタで過ごした時間は、グループ全体をまとめるのに役立ちました。日本に出発する前にお互いを知り合う時間がたっぷり、何にも邪魔されず与えられました。日本のロータリー地区は、私たちの研究準備のために、何を見るのか、情報をよく与えてくれました。彼らの組織はとても優れています!私は、いつも安全で、安心していましたし、訪問中ずっと情報がよく知らされました。ノースカロライナを訪問した日本のGSEチームの団員と知り合いになれたのを特に嬉しく思いました。残念なのは、彼らが我々の地区に来たとき、私は翌年、自分が日本に行くことになると知らなかったことです。

 GSEの体験は、言葉に表せないほど、私の人生にインパクトを与えました。私は、もはや以前の私ではありません。日本のことを話しながら涙がこぼれないょうになるまで、まるまる1カ月かかりました。それは、最も謙遜させられる経験でした。アメリカに帰国したとき、生活になじむことがちょっと困難だったことは認めざるをえません。日本ではカルチャーショックを感じませんでした。しかし、アメリカに帰った時、それを感じました。こちらでは、大阪と違って、私の全ての願いを受け入れ、好きなようにさせてくれる人が誰もいないのです。

 帰国後、私はあらゆる機会を利用して、会った人たち全てに、私の日本体験について話をしました。今まですでに、10の公式プログラム(ロータリー4、学枚5、地元の女性クラブ1)を終えています。夏の間に、もう数回のプレゼンテーションをする予定があります。

 国際ロータリーの目標を、私の公式、非公式のプレゼンテーションを通じてプロモートすることが、私の心からの望みです。何時の日か私たちは争いのない世界に暮らせるという希望を持ち、国を異にする人々の間の理解を促進するため、全力をつくす積もりです。