実用性のあるものは、徹底して学ぶ。語学教育も例外でない

山本 泰

(大阪YMCAランゲージセンター、大阪天王寺クラブ推薦)

 5週間半にも及ぶスウェーデン訪問という甚だ希有な体験から得られたことの多大さを今になって考えると、ただ呆然と致します。

 この素晴しいプログラムに私をご推薦くださった村田恭蔵先生はじめ大阪天王寺ロータリークラブの皆様、2400/2660両地区のG.S.E.委員の方々、研修中本当に良くしていただいたすべてのロータリアン、ノンロータリアンに心から感謝申し上げます。お世話になった10家庭のホストファミリーの方々にはお礼の言葉が見つからない程です。家族の一員であるかの如く扱って頂き、一度もホームシック、フードシックを感じませんでした。

 G.S.E.研修プログラムは、毎日毎日が充実しており、日本に帰ってきてから現地で学んだことについて、初めて落ち着いて消化し考えた程、盛りだくさんの内容でした。

 スウェーデンの人と環境から学んだことは枚挙にいとまがありませんが、ここに最も印象的であった事柄を中心に報告致したいと思います。

スウェーデンの教育

 英語圏の国家/地域を除けば、スウェーデン人は世界で最も英語が上手であると言われています。事実、アメリカ、カナダ等の大学へ留学する学生用のプレイスメントテストとして有名なTOEFLのスコアをみても、スウェーデンはオランダと並び、世界一です。スウェーデンは言わばバイリンガル国家であると言えます。

 研修中、ホームステイを含めて、私の出会ったスウェーデン人は一部のお年寄りの方を除いて、全員コミュニケーションの手段として「英語を使える」方ばかりでした。スウェーデンの英語教育現場とは一体どのようなものなのでしょう。  

 私は大阪YMCAの語学教育部門で働いて居ります。従って、できるだけ沢山の教育機関、それも出来ることならば語学教育の現場を視察したい、というのが私の希望でした。研修中、G.S.E.団員個々の職業に直接関係する、所謂、「職業研修日」をKristianstadとHalmstadで頂き、私の希望は十分に叶えられました。

 スウェーデンの学制は日本のそれとほぼ同様です。日本の小・中学校のかわりに9年一貫の義務教育が行われています。英語教育に関して言えば、日本が中学生から始めるのに対し、スウェーデンでは早いところでは小学校3年生から始まるとのことでした。小学校の英語の授業を見学いたしましたが、私が中学生の時に使用したのと大差ない教材が使われております。先生もスウェーデン人です。授業風景もほぼ同じと言えるでしょう。ただひとつ決定的に違うのは、習ったばかりの構文なりイディオムを早速使ってクラスメイトと「話す」練習をするセッションが必ず設けられることでしょうか。語学を実用的な目的で学ぶ以上、聴き、話す練習を授業内で行うのは当り前のことなのですが、日本の学校教育現場では受験勉強、進学教育にウェイトをかけるせいか、まだまだ文法やリーディングが中心で、とても残念なことだと思いました。

 スウェーデン人がバイリンガルであるのは、オーラルコミュニケーションを目的とした学校の授業だけの賜物ではないように思います。ホストファミリーやロータリークラブの例会で出会ったロータリアンの方々に、ことあるごとに何故スウェーデン人がバイリンガルなのかを訊ねてみたところ、いつも同様の返事が返ってきました。

 まず第1に、MTVなど英語のテレビ放送を常に見ることができ、音楽も英語圏のものをよく耳にすることができるので、好む好まざるに関わらず、常に英語の音声にさらされている。

 第2に、スウェーデン語はインドヨーロッパ語族の一つであるので、同族の言語を学ぶのは比較的容易である。

 第3に、人口からみると我々は小さな国であるので、外国人とコミュニケーションするならば、彼等外国人がスウェーデン語を学ぶことを期待せず、我々が外国語を学ぶべきである。

 いつも上記のように誰からも同様の答えを得ました。不思議なのは、殆どのヨーロッパの国々が上記の1〜3に該当するように思えるのですが、決してスウェーデン人ほど英語ができるわけではないことです。結局は「実用性のあるものを学ぶ場合、徹底して実用的に学ぶ」といったモーティベーションの現われでしょうか。語学のみならず、スウェーデンの教育はその実用性に特徴があると私は考えます。 

 学制が日本とスウェーデンで大きく変わらないのは先程述べたとおりです。高等学校も就学年齢が15歳と、日本と同様です。ただし学校の趣きはまったく異なります。日本の高等学校が殆どの時間をアカデミックな教科教育に費やしているのに対し、スウェーデンの高等学校では、職業訓練にも教科教育とほぼ同等のウェイトをかけています。どういった業種の訓練を受けられるかは学校によって異なりますので、高校進学希望者は自分の学びたいスキルがどこの学校で学べるかを基準に学校を選ぶこともあるようです。いくつかの高校を見学させていただいて、料理、ナーシング、コンピュータ、回路設計、家具作り、等が職業訓練教科としてオファーされている様子を見て参りました。原則的にスウェーデンでは特定の技能を必要とする職業に就く場合、その専門教育を受けていることが前提になりますので、15歳の段階であらかじめ自分の将来を見据えておかないといけない訳です。私自身の高校時代を振り返って見ましても、これはなかなか大変な事であるように思えます。現に、就職した後に気が変わって別の分野の技術職に就くために必要なスキルを修得すべく、再度高等学校に戻ってくる学 生の姿も見受けられます。いろいろな学校を訪問する度に、スウェーデンの学校教育の現場では、学生が将来社会で必要になる技術や知識を教授することが本当に大事にされていることが感じられ、日本の学校との大きなギャップについて意識せざるを得ませんでした。

 数多くの教育機関を視察見学させて頂いたなかで、最も感銘を受けたのが「国民高等学校(フォークハイスクール)」と呼ばれる学校です。これは日本に全く無いタイプの学校です。いわば日本の専門学校、大学入学資格取得のための単位制高校、アメリカに多数あるコミュニティカレッジ(地域の人のためのカレッジ)などの機能をすべて併せた学校といえば良いでしょうか。学べる科目は、先程の高校の職業訓練メニューと同じく、開講されている科目は学校によって異なります。ここには職業訓練を受けに来る学生もいますし、かつて高校をドロップアウトした後に再度大学進学を考え、それに必要なユニットをそろえる為に勉強している学生もいます。また、仕事をリタイアした人達が自分のペースでアカデミックな教科を愉しみながら勉強する「生涯教育」の場でもあります。このフォークハイスクールはスウェーデンのみならず北欧諸国に多数開設されており、経営母体は私企業の共同出資やコミューン、教会などそれぞれの学校によって異なります。

 義務教育から大学、また国民高等学校にいたるまで数多くの教育現場を見学させていただきましたが、スウェーデンの教育現場には「必要なことを必要に応じて効果的に教育する」という雰囲気があります。特に大学のキャンパスは、完全に「研究機関」といった趣であります。日本の大学が、大半の学生にとって良くも悪くもモラトリアムの時間を享受するスペースであるのと対照的です。スウェーデンの大学は、畢竟そこに学ぶ者にとっては厳しく、やる気のない者や授業についていけない者はどんどんドロップアウトしていくというのが特に印象的でした。 

 G.S.E.の研修プログラムの中でも、この職業研修日に学べた事はとりわけ私自身の職業上直接参考になることばかりで、現地でお世話になった多くの方々に感謝申し上げたいと思います。 

コミューンと企業

 国民の政治に対する意識の強さは日本の比ではありません。投票率の話になると我々は恥ずかしさで一杯になりました。日本では選挙日の天候が投票率を左右する重要なファクターである旨言うと笑われました。

 政治意識の高さもさることながら、スウェーデン人には地方自治意識が確立されています。従来国家の役割であった福祉政策も地方自治体に責任が移行しています。彼等が「コミューン」と呼ぶ、日本でいうところの市町村が最も身近な公共団体であるのは日本と全く同様です。ただそれに対する市民の意識は全く日本のそれと異なります。スウェーデン人にとってのコミューンを感覚的にいうならば、自分達自身で出資して(税金)、自分達のコミュニティを運営し、運営上必要なフルタイム/パートタイムのスタッフが公務員である、という意識でしょうか。従って市民のポリティックス、ポリティシャンに対する興味や意見は尽きません。「開けた」政治が行われていると言えましょう。議事録の閲覧もたやすくできます。

 一例を挙げてみましょう。各地域・コミューンごとにある図書館は、市民にとっての情報提供機関です。図書館のロビーに設置されたコンピュータは専ら閲覧希望図書の検索に使われていますが、その他の情報提供ツールでもあります。市議会メンバーのプロフィール、彼女/彼のポリシー、アドレス、電話番号、市民のアクセス可能な曜日・時間なども、ここで知ることができます。仮にあるポリティシャンにいいかげんな言動があると市民が判断した場合、市民はその人に直接電話をかけてクレームを言うことができるそうです。

 公務員はスウェーデン全就労人口の30%にも及びます。デモクラシーの理想がそのまま現実に反映されているように私にはみえました。

 研修期間中通じて、規模の大小を問わず、様々な企業を視察する機会も与えられました。森林資源の豊かな国ですので、製材業、製紙業、その輸出業などの関連産業が大変盛んです。これらの森林産業の従業者(マネージャー等の管理職から、技師、現場スタッフまで)を養成するための学校が、行政と森林産業企業のタイアップで運営されている程です。この森林産業の学校に限らず、行政や大学と共同して商品開発をしたり、ラボを作る企業が大変多いのにも驚かされます。中にはコミューンが「経営」する企業もあり、この概念を理解するのにしばらく時間がかかりました。

 スウェーデンではここ数年慢性的な不景気であり、失業率が12%にいたりますが、福祉政策の恩恵で、失業者には失業時に得ていたサラリーの大半が保証されます。そのため、我々日本人が想像する程には個人レベルでの危機感はないようです。実際、VOLVOの新モデルが出るたびに車を買い替える失業中の人がいる、という話も聞きました。

スウェーデンらしさとは

 G.S.E.を通じてスウェーデンに関して学んだことは、数々の施設訪問からのみではなく、むしろホストファミリーの方々や、例会で出会ったロータリアンの皆様など、人と人の交流からであることを述べるべきでしょう。語らいの中からこそ、価値観や物の考え方が分かります。私なりに、スウェーデン人の物の考え方を整理してみたいと思います。

 「当然すべきことは何かについて皆で徹底的に話し合い、一旦決まった後は着実に実行していく」

 「人はこの世に生まれた限りは、個人が個人主義を全うするために、すべて同等の権利とチャンスを有するべきである」

 社会福祉、工業先進国、中立、高税率、などのスウェーデンのキャラクターとして語られる様々な現象は、スウェーデン人の意識の根底に流れているこういった物の考え方が直接/間接的に作用した結果であるように思います。特に福祉については、平等観の現われ以外の何ものでもないと思えてなりません。

私にとってのG.S.E.

 職業人が5週間半も外国で、それもホストファミリーにお世話になりながら研修できるチャンスを与えられましたことを、本当に有難く、また光栄に思います。スウェーデンの人と環境から学んだことは今後の私にとっての、また、これから私が出会い何かを一緒にする人々にとっても、大きな財産になります。G.S.E.でお世話になったすべての方々に再度感謝申し上げます。また、このG.S.E.が素晴しい研修プログラムでありえたのは中園団長、団員の川本氏、諌山氏、山田氏のおかげと存じます。最後に、ツアーを共にした4人に感謝の意を込めて「スコール」を贈ります。