オペラ歌手のブラジル体験

岸 美香

(オペラ歌手、大阪音楽大学事務員、大阪南ロータリークラブ推薦)

ホームステイの体験から

 わたしたちの訪れたブラジルという国は、日本とは地球の真反対という距離的に一番遠い関係にある国で、多くの日系人が在住しているにもかかわらず、その国についてのわたしたち日本人の知識はわずかなものでしかありません。

 わたしたちGSEのメンバ−も、今回出発前に詳しい打ち合わせがあったわけでもなく、向こうの国についての知識交換があったわけでもなく、スケジュ−ルの面、言葉の面、その他様々な不安を抱えながら、5月17日、関西国際空港を出発しました。

 飛行機で約30時間という長い道程で、途中マイアミで一泊し、鋭気を養ってからのブラジル入国でしたが、飛行機が霧のために遅れたこともあり、さすがに到着したときは団員みな疲れきった表情で、明日からの研修に不安げだったのを記憶しています。

 ブラジルでの滞在は、リオデジャネイロと、イグアスの滝をのぞいて、すべてホ−ムステイで、まず1週目に、私と佐田さんとは、運よく同じ日系人のお宅に滞在させていただくことができました。今回のGSEは、団員全員がブラジルの国語であるポルトガル語に親しみがなかったため、ホ−ムステイするうえでの不安というのは常に抱えていましたが滞在先が日系人ということで安心もし、逆に現地の日系人の方達の生活習慣に大いに興味がわいてきました。

 1週目のその野崎さんというお宅は、夫婦二人とも日系2世で、日本語はほとんど理解されていましたが、育った環境、考え方、食習慣は日本人のそれとは大きく変化しており、その息子、娘になるともはやほとんどが日本語も理解できず、まったくブラジル人の子として生活しているようでした。しかしながら印象的だったのは、その人たちはブラジル人、つまり非日系人を「外人」と呼び、息子達にも日系人との婚姻を望み、自分たちが常に日本人であるという認識を持っていることです。

 2週目の滞在先である井上さんという方のお宅でもそうでした。日系2世であるご夫婦は、もはや名前からして典型的な日本人とは違い、同じように3人の子供たちも日本語を話すことはほとんどありませんでした。そういう家族の人々とお互いに理解を深めるのには、言葉という大きな壁があり、なかなか親しくなるのに時間がかかりましたが、幸い、わたしは音楽家ということで行く先々にピアノもあり、ある時はホ−ムステイ先の家族と一緒に音楽を演奏することにより、言葉より早く深く交流を持てたような気がします。

 職業研修のことはまた後程のべることにして、先に3週目の家族の話をすると、ここだけが私にとって唯一全く言葉の通じない家庭でした。彼らは純粋なブラジル人(ブラジル自体が多民族国家なのでどの人たちを正式にブラジル人と呼ぶかはわかりませんが)で、ブラジルの国語であるポルトガル語以外家族のだれも英語すら話さず、コミュニケ−ションをとるのには本当に苦労しました。その家族も同じように思っていたらしく、娘さんの友達の日系人の女の子を通訳として呼んでくれ、なんとかその彼女のいるときだけは話が通じるものの、彼女等が学校に出かけてしまつたあとは身振り手振りで話すしかありませんでした。私はオペラをやっている関係上イタリア語だとかラテン系の言葉に比較的慣れているほうですが、それでもなんとか相手の言っていることが理解できるようになるまでしばらく時間がかかりました。それでもおもしろいことに、その家族とは苦労しただけあってか、一番心の交流が交わせたように思い、サンパウロの空港から旅立つとき一番別れがたかったのも、そのブラジル人の家族だったような気がします。

 4週目はわたしたち5人全員で、行徳さんという日系人の方の別荘にホ−ムステイさせていただいたので、直接その家族の生活に触れることはなかったのですが、この週滞在したスザノ市というところは、ロ−タリ−クラブのメンバ−の方々全員がとても家族的な交流のあるところで、ここでもわたしたちは常に大切なお客として扱ってもらえ、この4週間の滞在中とても気持ちよく過ごせました。ブラジルに集まっているさまざまな人種のなかで、今回こうして多くの日系人と知り合えたことはとても貴重な体験だったし、ホ−ムステイを通してわたしたちが忘れかけていた人と人とのふれあいの大切さを改めて学んだように思います。

職業研修を通して

 日本を出発する前にわたしたちが見せていただいたブラジルのビデオにはとても立派なオペラハウスが映されており、わたしたち関西の音楽家のだれも知らないブラジルの音楽界というものが体験できると、多少なりとも期待をかけてブラジルへ旅立ちました。そしてあわよくば、あちらでもオペラがみられるかもしれないという都合のいいことを思っていた私は、あちらへ着いてブラジル国内のクラッシック音楽というものに対する興味、関心の低さに少なからずがっかりさせられました。ブラジルという国の治安の悪さから夜あまり出歩くことがないためそうした娯楽が受け入れられないのかも知れませんが、私の知り合ったほとんどの人はオペラが演奏されているのかどうか、その他の音楽会があるのか、音楽大学というものが存在するのかといつたようなことに対して知識を持っておられないようでした。あちらでわたしたちのスケジュ−ルを組んでくださった方も、私が正式に大学で音楽を勉強したオペラ歌手だということを知らなかった様で、こちらが提出した希望見学先もほとんど理解されてはいないようでした。我々日本の大学でも、音楽教育はもはやヨ−ロッパと同じになってきており、理 論的にも技術的にも西洋人と変わらない高い水準であると思っていますが、ブラジルという経済後進国で、果たしてどの程度理論的な教育が為されているのか(もちろん私の興味は音楽教育に関してのみですが)知りたいと思い、音楽学校、音楽大学の見学を希望していました。州立のサンパウロ大学には音楽科もあり、かなり高い水準の音楽学生等がいるということでしたが、残念ながらこちらのほうは見学することができず、私立の音楽学校で、オペラ歌手である若い女の人のレッスンを聴講させてもらいました。こちらはある程度ブラジルの演奏家の水準を知るのには役立ちましたが、私の知りたかった音楽教育という点で、大学でどの程度の授業が開講されていて、それを学ぶことによって、演奏にどういう影響があるかなどといったつっこんだ内容のことを知るのに全く成果が得られませんでした。グアル−リョスで行った州立の音楽学校では教室を見学することにより、おそらくこの程度の理論が教えられているだろうということを想像できるという点で、前回よりは少しはましでしたが、言葉の壁もありここでも思ったような成果が得られずわたしはがっかりしました。色々な人の協力をえて見学さ せてもらつた州立劇場も、職業研修としてはあまり役に立つものではありませんでした。ただここでは、イタリアの建築様式を取り入れて設計された劇場だということで、おそらくその演奏は水準の高いイタリアオペラと同じものであろうと想像することができました。残念ながらブラジルのオペラのシ−ズン―西洋ではよくあることですが、オペラはシ−ズン内にしか演奏されないのです―は7月8月だそうで、またここでも運悪く勉強の機会をのがしたといった感じでした。

 ところでシ−ズン以外は、じゃあ劇場は使っていないのかというと、当たり前ながらそんなことはなく、わたしたちがそこを見学したちょうど3日後にオ−ケストラの演奏会があるというので、劇場のほうにチケットを手配してもらい職業研修日に私を案内してくださった方と演奏会にいくことになりました。演奏自体はとても水準の高いもので、ちょうどその日に演奏されたのもブラジルの作曲家ヴィラ・ロボスの曲ということもあり、思ったように職業研修で成果が得られなかつた私の欲求不満を解消してくれました。驚いたのは、日本に比べてチケット代が圧倒的に安いことです。その劇場でも市のプロデュ−スした演奏会と、私立の音楽事務所のプロデュ−スする演奏会ではチケットの値段に大きなひらきがあるそうですが、その日のチケットは8レアル、日本円になおすと約800円という安さで、なぜこんなに安い演奏会がブラジルの国民に娯楽として受け入れられないのか不思議でした。日本もそうですが、クラシック音楽というと、それを勉強している人々か、ごく一部の音楽ファンだけが聞きにいく演奏会が多く、ブラジルでも同じように若者をはじめ広く一般大衆に受け入れられているよ うには見えませんでした。といってブラジルだからサンバなのか、というとそうでもなく、たしかにクラシックよりは地についた音楽というような気がしましたが、今や若者にとつては全世界的にロックやニュ−ミュ−ジックのみが重要な要素になりつつあるといった様子がここでも見られ、これから益々クラシック音楽が廃れていくのではないかという危機感さえ感じられました。

 このように、ブラジルにおけるクラシック音楽の浸透ぶりというのは今回の研修ではほとんど知ることができませんでしたが、それ以外に私にとって大きな成果の得られたことがありました。RC4430地区の地区大会の折、団長のアイディアで親善のために歌を歌ったのがきつかけでしたが、日本の歌から「さくら」とグノ−の「アヴェ・マリア」が思いの外ブラジルの人たちに好評で、それを聞いた人たちが(特に日系人の人たちが)ぜひ自分の所属するクラブにも来てほしいと言ってくれたりもしました。それ以後あちこちのクラブの例会に出席するたびに、歌を歌わせていただくことができ、演奏という面で大きな研修の成果があったと思っています。ブラジルの人々はとても感情の起伏が激しく、特に国民の大半がカトリツク教徒でもあり、「アヴェ・マリア」には特別な思い入れがあってのことだと思いますが、地区大会をはじめ行く先々で私の歌を聞いて涙を流して感激する人が多かったことにとても驚かされました。私の演奏がよかったとか、声がきれいだったとかそんなことは私自身にはわからないことですが、ロ−タリ−の関係者だけでなく、貧民街のこどもや、日系人の老人ホ−ムの お年寄りたちになんらかの喜びを与えられたことは、演奏者としてとても嬉しいことであるし、こういう機会を数多く与えてくださった団長はじめ、それに協力してくれたメンバ−の皆にとても感謝しています。

 これらの経験を通して、ブラジルのクラシック界のことを我々関西の音楽界に広めていくことが私の使命だと思うし、これを機にブラジルでも大阪の演奏家が演奏活動でき、あちらの音楽界と繋がりがもてるようになれば、と思います。

最後に

 今回このGSEチ−ムに参加し、一ヶ月という短い間でしたが色々な人々と知り合え、今まで全く親しみのなかったブラジルという国の文化に触れることができ、本当によい体験ができました。出発前はブラジルというのは貧しい国だと思っていたのですが、食生活の豊かさや、資源の多さ、国土の広さ、人種の多さなど、経済大国日本とはいえ我々の知らないことが沢山あり、何もかもが目新しく感じられたのも事実です。

 私は今回のブラジル訪問で私たちが知り合ったすべての人々に感謝していますし、こういう体験を通じて自分の視野を広げることができたという点でこのGSEに参加できたことをとても嬉しく思っております。もしも機会があるようなら、また是非この遠いブラジルを訪れてみたい、いま心からそう思っています。このような機会を与えてくださったRI第2660地区の皆様にお礼申し上げます。本当に有難うございました。