ニュージーランド訪問日記

R.I. 2660地区(大阪)GSEチーム 1997年5月6日〜6月14日

団長 中島 守

団員 菅井朗夫、蜷川善夫、河村浩一、山本 豊

5月6日(火)関空 − ニュージーランド

 午後5時半に関空に集合。以下の方々の見送りを受けた。橿村GSE委員長、松岡GSE副委員長、中園委員、力石委員、松本委員(及び夫人)、中川ガバナー、山中ロ財団担当パストガバナー、その他団員の夫人方。午後8時定刻にいよいよニュージーランドに向けて出発。

5月7日(水)オークランド

 オークランドに午後1時頃到着。14時過ぎにホテル(Sky City Hotel)にチェックイン。その後全員で街を歩き、ニュージーランドに来たことを実感。

5月8日(木)オークランド − ダニーデン

 15時半頃ダニーデン空港に到着。ガバナーのハインズご夫妻をはじめ、GSE委員長のジャクソン氏等の出迎えを受けて Pacific Park Hotel チェックイン。19時よりガバナー・ハインズ夫妻他数名による最初の歓迎夕食会。英語に慣れるのに時間が掛かりそうと少々不安ながらも、無事到着したことに安堵するとともに、いよいよ始まる研修を思って緊張する。

5月9日(金)ダニーデン

 9時半より第1日目の視察研修に向かう。団長は聖ヒルダス女子高校(St. Hildas Collegiate School −Private Girls School) 、オタゴ男子高校(Otago Boys High School)。菅井、蜷川、河村はダニーデン市役所、山本はオタゴ県庁を訪問。4時頃、最初のホストファミリーに紹介され、それぞれに分散。一人になるのは何となく不安であるが、度胸を決めてすごすご付いて行くこととする。19時、ホストのご好意で全員ホストと一緒にラグビー見学。なるほど、「オールブラックス」の国だけあって、その応援のすさまじいこと。

5月10日(土)モスギール

 9時半頃から山歩き(Bush Walking)。これもこのお国のアウトドア・スポーツの一つ。11時過ぎからインバーメイの農業試験場(Ag Research)見学。今の研究課題は農家にとっての大きな被害の元凶である兎とポッサム(フクロネズミ)の対策とのこと。これはその後最後まで各地でその被害について聞かされることとなった。14時、モスギールRC会長のマイケル・ローラーの案内で彼の農場を見学。口笛一つでシープドッグが上手に羊を追い立てる様子を見た。更に、ダニーデン市の水源池など。

 山奥の水源池は彼の所有地であるが、引退する時には水源池から街までの途方もない広大な土地を街に寄付するとのこと。一つの人生観を見る思いがする。暗くなるまで案内された。

5月11日(日)モスギール

 今日は一同休息日で、それぞれのホスト家族と「母の日」を過ごす。

5月12日(月)ダニーデン − ミロトン

 9時、ホーリー・クロス大学(カトリック神学校)10時半、この地方第一の工場であるフィッシャー・パイケル社(FISHER & PAYKEL CO) 訪問見学。電子レンジ、食器洗機などを製作。この国では電子レンジは全家庭の80%に、食器洗機は30%に普及しているとのこと。午後ミルトンへ。途中トコマリオ高校訪問。大阪此花学園より留学中の男子生徒1名に出会った。18時半、ミルトンRC例会に出席。英語による最初のプレゼンテーションに一同大いに緊張した。

5月13日(火)モスギール − オマルー

 10時半に羊毛業の最大手、ライトソン社(WRIGHTSON CO)見学。NZからのウールの65%を取り扱っている。一昨年は72000バイル(1bale=160Kg.)の取り扱い量があったのに、昨年度は45000バイルに減少した。羊毛の値段が底を付いているためとのこと。正午前に出発して次の訪問地オマルーに向かう。有名なモエラキ海岸で不思議な石を見た。自然が作った、怪獣の卵のような石。そこでオマルRC会長のデビッド・ラッドさんの出迎えを受けて、一路オマルー市へ。

 そこでGSE/NZの団長であったマーガレット・ウイリアムズさんと再会。

5月14日(水)オマルー

 9時にオマルー石(石灰石)で有名なパークサイド石切場(PARKSIDE LIMESTONE QUARRY)へ。町中がこの石で作られた建物にあふれている。特に古い建物はすべてこの石で作られている。この街だけではなく、ダニーデンでも、北島の首都オークランドでさえこのオマル石による建築物が多く存在する。見学中のところを「オマルー・メイル誌」の記者による取材にあった。撮られた写真は翌朝の新聞に載っていた。

 18時から、オマルーRCと、隣のワイタキRCの合同例会に出席。一同英語でプレゼンテーション。

5月15日(木)オマルー − ワイマテ

 9時、スミット羊毛社(SUMMIT WOOL SPINNERS CO)訪問。住友系だから「スミット」かな。そこの長尾孝彦社長さんと面会。日本語での会話で一同大いに助かる。

 午後、次の訪問地ワイマテに向かう。15時頃ワイマテ到着。羊の毛刈りを見学。さらに牛の絞乳を見学。数百頭の牛が順番を待って、次々に自動絞り機に入って行くのは不思議で面白い。牧草を保つ灌漑を見学。17時ホストの家に案内され、18時からのワイマテRC例会に出席。そこでGSE/NZの団員だったカレン・キースさんと再会。   

 ここでは通常のスライドを使ってのプレゼンテーション。割合に自由に英語でのやりとりができるようになってきたように思う。ここでは一泊のみ。

5月16日(金)ワイマテ − ティマル

 9時頃10人ほどでそろってワイタキ川へでジェットボートに乗る。14時過ぎに次の訪問地ティマルへ向かう。17時頃、マオリ(原住民)の人達の集会に参加させてもらうためにテムカへ。大変珍しい経験であった。

5月17日(土)ティマル

 今日はあの有名なNZの最高峰クック山を遊覧飛行。雲一つ無く、風さえ無いという最高の日より。クック山とそれを取り巻く氷河の軌跡はとても美しかった。湖畔でバーベキュー・ランチ。

 14時頃出発。農場 (HALDON STATION) に寄る。2万エーカー。羊1万4千頭、鹿6千、牛900。このあたりで一番大きな(効率性−広さとその利用度−から言うとこの国一番とか)農場とか。

5月18日(日)ティマル

 今日は休息日。一同それぞれのホスト家族とのんびり過ごす。

5月19日(月)ティマル − テムカ

 テムカへ向かう。今回の旅程の中で最も北に当たるところ。10時過ぎにエミュー(ダチョウの小型)農場見学。食料から化粧品にわたる、ある種のベンチャービジネスである。12時頃、テムカでRC例会に出席。14時頃、ポテト・ファームへ。300ヘクタール。規模が大きい。次に養蜂家を訪問。

 16時半にアルパイン酪農工場(ALPINE DAIRY FACTORY)を訪問。ここはGSE/NZの団員だったリネア・ライアンさんが働いている所。彼女の案内で場内を見学。多くを日本へ輸出している。

5月20日(火)ティマル

 9時半「ポート・オブ・ティマル」(ティマルの港湾会社−かつては公共団体の組織だったが改革で民間会社組織になった)を訪問。幹部の人達と会談。午後、ティマル市役所訪問。市長と市の幹部達と討論、懇談。市の行政に関して種々意見交換。気さくな市長の案内で市の古い建物(今はビヤ・ホールになっている)を見学。市長のおごりで地ビールをご馳走になる。17時半、ティマルと南ティマルRCの合同例会に出席し、プレゼンテーションを行う。明日はまた移動日。荷物を詰めて準備。

5月21日(水)ティマル − ワナカ

 次の訪問地ワナカに向けて出発。ワナカは田舎町ではあるが、自然の美しいリゾート地。ただしここも一泊だけ。

5月22日(木)ワナカ − クイーンズタウン

 ワナカよりこの国最高のリゾート地クインーズタウンに向かう。途中「バンジー・ジャンプ」の渓谷に立ち寄る。おそるおそる橋の上に出て見ると、下は100メートルもある川の上。「飛べ、飛べ」と言われても、結局一同ご辞退申し上げた。クイーンズタウンに到着後、ホストたちとそれぞれのお宅に案内される。

5月23日(金)クイーンズタウン

 午後、RC会員の4駆車で開発途中の総合開発予定地(高原地域保護トラストを含む土地利用開発)を見学。さらに歩いて町を見学。美しい町である。今は冬期のスキーシーズン前とあって人は少なく、町は割に静かとのこと。それでも日本人の観光客を10人以上見かけたであろうか。夕刻、クイーンズタウンRC例会へ。RC例会は大変盛り上がっていた。当地のロータリー・クラブは、有名な観光地とあって会場には4千本のバナーが飾られていたのは壮観であった。こん他に飾り切れないバナーが2千本あるとのこと。9時過ぎになってから我々のプレゼンテーション。大いに受けた。ガバナー夫妻も来ていた。会長交代の例会とあって終わったのは夜12時前。こんな例会は初めて。12時過ぎの帰宅となった。明日からの2日間は、GSE委員であるロス・ウエンズレイさんのアパートで一同一緒に過ごせるというので、大いに期待する。事実今まで一度も全員で会って、ゆっくり話すときがなかった。

5月24日(土)クイーンズタウン

 今日は自由行動で、団長以外は午後からケルビン・ハイツ・ゴルフ・コースでゴルフを楽しむ。夕には、一同一緒とあって、河村・山本の買い出しで、菅井君が日本から持参したカレー・ルーで、料理自慢の蜷川君の手料理で久方振りのカレー・ライスのご馳走になる。夕食後は一同で旅程後半についてのブリーフィング。

5月25日(日)クイーンズタウン

 今日は休息日であるが、全員で金鉱の町アロータウン、およびスキッパー渓谷を観光。

5月26日(月)クイーンズタウン − アレクサンドラ

 アレクサンドラに向けて出発。途中、羊の精肉工場を訪問。その一部始終を見学した。少々可愛そうでもある。さらに巨大なクライド・ダム(水力発電所)を訪問。地方紙の取材があった。翌朝の新聞に写真入りで載った。

 17時半、途中の町クロムウエルにおいて、近隣の4ロータリー・クラブ(ワナカ、ロックスボウ、クロムウエル、アレクサンドラ)の約60名による合同例会に出席。ガバナーのハインズ夫妻も出席された。大阪紹介のビデオを初めて紹介の後、一同のプレゼンテーション。例会終了後アレクサンドラのホストの方々に連れられて散会。アレクサンドラにて3泊の予定。

5月27日(火)アレクサンドラ

 10時、ラウダー観測所(SATELITE TRACKING STATION) を訪問、見学。ここは地球のオゾン層破壊の観測をしている、世界5ヶ所の一つ。直射日光には15分以上当たってはいけない、とのこと。

昼頃に、セントラル・オタゴ市役所を表敬訪問。地区の行政について意見交換を行い、バナーとお土産を渡す。

5月28日(水)アレクサンドラ − ロックスボウ

 朝8時、まだもやにけむる川辺から、RC会員の方々の2隻のフィッシング・ボートで寒風のクルッサ川を下って次の訪問地ロックスボウに向かう。ただし風邪気味の団長は車で移動。(ご老体お大切に。)

 ロータリー地区代理デニス・カークパトリック氏のジミーズ・パイ工場に到着。見学の後、ボートを残して、高地にある農場の見学。牧草のための肥料散布は飛行機で行うとか。とにかく丘また丘が広大な農場。15時、地区の一貫校(ロックスボロ・エリヤ・スクース)を訪問。18時、予定にはなかったロックスボウRCの例会(約35名)に出席。各自プレゼンテーションを行い、リラックスした雰囲気の中で交歓の時を持った。

今日はここロックスボウにおいて予定外の一泊。さあ、お土産の数が足らなくなるぞ!

5月29日(月)ロックスボウ − ゴア

 午前、地区内の果物集積場などを見学。この地方はリンゴを中心とする果物の産地。多くが日本にも出荷されている。昼過ぎ、次の訪問地ゴアに向けて出発。4時頃ホストの方々の出迎えを受けて、各家庭へ。

5月30日(火)ゴア

 今日は各自一人で一つの学校を訪問することになっているとのこと。一人とは殺生な!学校を見学したいという我々の希望がこんな形でかなえられるとは! それでも午前中の訪問見学を各自無事終えて、むしろ自信が付いたようである。12時にゴア市役所を表敬訪問。市議会議員と市幹部の方々を前にして各自挨拶。

 15時頃、マンデビル飛行機製作所へ。19時からゴアRC例会場へ。例会(30名位)はビデオによる紹介と一同のプレゼンテーションで、時の経つのを忘れた。良い人達ばかりである。

5月31日(土)ゴア − ウイントン

 ゴアからウイントンに向かう。11時にウイントンのRC会員のホストファミリーに会って、それぞれの宅へ。午後は各自自由時間。しかしこんな田舎(失礼)では、郵便を出すにも大変。事実、長い間機会がないまま宛名を書いた手紙を持ち歩いている。

6月1日(日)ウイントン

 7時15分に集合。3台の車であの有名な観光地ミルフォード・サウンド(MILFORD SOUND)に行く。周遊船で1時間半程の観光。その眺めは写真に収め切れないほどの実に見事なものであった。

6月2日(月)ウイントン

 今日は「女王誕生日」でこの国の休日。我々も休日、と思いきや、11時半ごろに出発。この国最南端の町ブラフへ。18時半頃、特に我々のために持たれたRC会員宅でのポットラックでの例会に出席。バナーを交換。ここでGSE/NZの団員だったサマンサ・ヨークさんと再会。一同で国歌を歌ったり、、、、。しかし良いリラックスした時であった。

6月3日(火)ウイントン − インバカーゴ

 次の訪問地インバガーゴに向かう。一同でサウスランド・女子高校(SOUTHLAND GIRL'S HIGH SCHOOL)へ。そこで大阪の薫英高校からの4人の生徒に出会った。高校も「営業」をやっている。外国からの学資納入者を得なければならない実情は各地で聞いた。10時半に、3組に別れてそれぞれ訪問。団長と菅井君はサウスランド大学(と言っても専門学校と言ったほうが適当かも)(SOUTHLAND POLITECH INSTITUTE )に。河村君と山本君はインバカーゴ市下水処理場へ。蜷川君はスポーツ・サウスランド(体育協会)に、それぞれ訪問。12時過ぎ、インバカーゴRC 例会に出席。そこでは時間の関係で一同の紹介とバナーの交換をして退出。午後、スメルタ・アルミニューム精練工場へ。この国第一というほどの工業施設。1000人の従業員を抱えている。帰途海岸へ出た。30キロに及ぶ砂浜が広がっている。実に壮大であった。これが汚染されずにいつまで残るのであろうか。5時にホストの方々に出会ってそれぞれ散会。

6月4日(水)インバカーゴ

 9時半にまず市役所訪問。市幹部と意見交換。11時前にサウスランド県庁へ。女性の地区議長(知事のようなもの)に会見の後、各自の専門の関連部門の担当幹部と討議、意見交換。午後から南部最大の精肉工場を見学。18時から南インバカーゴRC 例会(40人ほど)に出席。ビデオとスライドの両方を用いて各自プレゼンテーションを行う。自由な雰囲気の集会であった。もうここまで来ると慣れたものである。と、勝手に思っているだけかも知れないけど。

6月5日(木)インバカーゴ − バルクルッサ

 次の訪問地バルクルッサに向けて出発。

 途中レオニヤ合板製作工場(RAYONIER)を訪問。見学後一路バルクルッサへ。バルクルッサではRC会員の方々の案内でクルッサ川の渡しまで行って、一回りして帰ってきた。この川はキャプテン月川がかつて船で辿っていたところ。キャプテン月川の人命救助の英雄談は今も健在である。18時、バルクルッサRC例会に出席。ここでGSE/NZ団員だったナイジェル・ユディさんに再会。これでGSE/NZ団員の全員と再会を果たしたこととなる。例会は気さくな人達とのリラックスした楽しい会合であった。我々が慣れてきたからそう感じるのか、一同の英語の発表も板についてきた感じである。いよいよ最後が近い。明日はいよいよ出発地でもあり最終地でもあるダニーデンで。当地で開かれる年次大会での報告挨拶が気掛かりである。

6月6日(金)ダニーデン

 いよいよダニーデンに向けて出発。

 午後ダニーデンのクオリティー・ホテル(QUARITY HOTEL)に到着。夕刻、GSE委員長ピーター・ジャクソン氏と、明日の大会の打ち合わをした後、大会会場の下見。市庁舎の大ホールが会場。夕食後は一同で明日のプレゼンテーションのリハーサル。一同少々ナーバスになっている。

6月7日(土)ダニーデン

 今日は午後からカンファレンスで発表の日。一番気を使う。しかし公式のプレゼンテーションに関する限りこれが最後の仕事。

 12時に一同集合。最後の打ち合わせ。1時半に会場へ。2時半頃我々の番となり、プレゼンテーションを行う。大変な好評であった。19時半から大会のバンケット。ここでの、各地のホスト・ファミリーとの再会は楽しく懐かしかった。バンケットは実にすばらしかった。これは古き良き時代の大英帝国の名残の晩餐会のような、それでいて和やかなものであった。12時になってもまだ続いていたが先に退散。

6月8日(日)ダニーデン

 午後1時、ホストの方々に迎えられてそれぞれ最後のホームステイ先へ向かう。

6月9日(月)ダニーデン

 9時半にダニーデン市長を表敬訪問。インド人の小柄の魅力的な女性であった。11時半頃一同オタゴ大学を見学し、学内のレストランでで昼食。午後、タイエリ渓谷観光。夕食はホスト家族と共に日本食レストランで久しぶりに日本食を楽しむ。

6月10日(火)ダニーデン

 ジャクソンGSE委員長の案内でダニーデン市近郊の観光。夕刻に一同でホスト家族と共にバーベキューで送別会。ガバナー・ハインズご夫妻、ジャクソンGSE委員長、ウイリアムズGSE団長、そしてホスト家族の方々による和やかな集いであった。ガバナーよりの送別の言葉に、中島団長の感謝の挨拶で、一同再会を期して散会。いよいよ明日はこの地を去るかと思うと、名残惜しいような気持ちである。

6月11日(水)ダニーデン − クライストチャーチ

 ガバナー・ハインズ夫妻、ジャクソンGSE委員長、ギャンブル氏の見送りを受けて9時50分発の飛行機でクライストチャーチに向かう。市内観光。

6月12日(木)クライストチャーチ − ウエリントン

 首都ウエリントンでは、国会議事堂を訪問し、議場見学の後、RCの特別の計らいでミュレー・マクリーン議員、他2名と懇談の時を持つ。市内観光。

6月13日(金)ウエリントン − オークランド

 早朝出発。8時半発のNZ97便にて一路関西空港へ。 

6月14日(土)オークランド − 関西空港