Aotearoaで過ごした40日

河村 浩一

(大阪市総務局行政部文書課、大阪北RC派遣)

はじめに

 まず最初に、今回我々が訪問したNZ(マオリ語でAotearoa)について簡単に紹介することにします。

 NZには14世紀頃、ポリネシア系のマオリ人が集団居住してきましたが、1840年に英国女王と先住民マオリ族との間でワイタンギ条約が締結され、こりによりNZは英国の植民地となりました。1908年には英国自治領となり、1947年に独立国となり英連邦の一員となりました。

 NZは、南北両島からなる島国で、面積は日本の72%、ちょうど日本から九州と四国を除いたくらい、人口は約350万人で日本の約3%です。

 我々が最初に到着したのは、RI9980地区の中心都市である、ダニーデンという町でした。ダニーデン市の人口は約12万人、オークランド、ウエリントン、クライストチャーチ、ハミルトンに次ぐ、NZでは第5の都市で、南島の南部に位置しています。ガイドブック等を見る限りにおいては、スコットランドの伝統(スコットランドからの移民が多い)が息づく坂の多い大学の町という印象しかなかったのですが、実際に訪問してみると、このダニーデンという町は何かしら気品を感じさせるというか、風情があるというか、ちょうど日本でいえば、京都のような落ち着いたたたずまいの町でした。オクタゴン(8角形の広場)と呼ばれる町の中心部には壮観なセント・ポール大聖堂があり、ヨーロッパの古き大聖堂をしのばせるものでした。

 実は、10年前に私は新婚旅行でNZを訪問し、オークランド、クライストチャーチ、クイーンズタウン、ロトルアといった観光地を訪問しているのですが、これらの都市と比べるとダニーデンはまったく観光化されていない重厚さの漂う不思議な都市であるとの印象を受けました。NZを訪問する機会がある人には、是非ダニーデンで数日を過ごされることをお勧めします。

GSE研修について

 我々は、このダニーデンを皮切りに9980地区をくまなく訪問し、13の家庭でホームステイを体験しました。ホームステイは私にとってもちろん初めての経験で、しかも1つの家庭に最長で5日間、最短で1日間といった非常に慌ただしいスケジュールであったため、大変ハードであったことは事実ですが、毎日が新しい発見の連続で新鮮でした。最初は、南部訛りのあるNZイングリッシュに相当の戸惑いを覚えました(特にAをaiと発音したり、Rを巻き舌で発音したりする点)が、日を追うごとに抵抗感がなくなっていったのは不思議です。

 13のホストファミリーの職業は千差万別であったことも、毎日が新鮮に感じられた、ひとつの理由でもあったように思います。農家、書店経営、保険業、宝石商、雑貨店経営、建築設計士、元大学医学部教授、クラフトショップ経営、薬局経営、小学校校長、専門学校講師などでした。このうち、農業と兼業のところもいくつかありました。

 訪問したすべての町で我々は想像を超える歓迎を受けました。我々は、合計すると13のロータリー・ミーティングに出席し、夕食や昼食を共にし、スライドやビデオを使って自己紹介を行い、最後はAKIが得意の書道(色紙に「ありがとう」と書く)を披露しました。これらはすべて大変好評でした。いずれのミーティングにおいても最高のもてなしを受けました。(我々が日本を出発する直前のミーティングにおいて、お互いの名前をニックネームで呼び合うことを中島団長が提案され、我々はこれに賛同しました。GEORGE(中島)、AKI(菅井)、YOSHI(蜷川)、EWE(山本)、PAUL(河村)。これがまた今回のGSE旅行を大成功に導いた大きな要因であったと思います。このことにより、初めて出会う人たちとのコミュニケーションが断然容易になったからです。)

 ダニーデン市民会館での今回のGSE研修の締めくくりとなる9980地区大会では、なつかしいNZのGSEメンバーと再会することができ、また、約300人の出席者の前で我々が各自約3分間のスピーチを行う機会を与えられました。(私が実際に行なったスピーチの内容を、参考までに後掲しておきます。)

 GSE研修終了後のボーナス・トリップでは、ロータリークラブの方のご配慮により、首都であるウエリントンの国会議事堂を訪問することができ、議場を見学したり、複数の国会議員と意見交換をするという機会にも恵まれました。

NZ社会についての印象

(1)マオリについて

 テムカという町を訪れたとき、マラエと呼ばれるマオリの集会所に立ち寄る機会がありました。部外者がマラエの中へ入るためには、一定の儀式を済ませた後、責任者の特別の許可を得なければいけないのです。写真撮影はもちろん禁止されています。マラエの中は意外と広く、敬虔な空気が漂い、緊張の連続でしたが、親交を深めるために何か歌を披り、その後は非常に打ち解けた雰囲気になりました。その日は偶然にもマオリの南部地区大会の前日であり、各地から大勢のマオリの人達が集まっており、特別の料理でもてなしを受けました。マオリ語と日本語は発音において共通する部分があり、マオリ語の発音が上手であると誉められました。

「こんにちは」はTena Koe(テナコエ)、「ありがとう」はKa Pai(カパイ)といった具合に。

 NZ南島最南端の、インバカーゴという町は、特にマオリ人が多く、ちょうどインバカーごでのホストファミリー夫婦がともに小学校の校長であったので、マオリについてのいろいろな話を聞くことができました。小学校のクラスは英語のクラス、英語とマオリ語併用のクラス、マオリ語だけのクラスに分類されており、先住民の文化を大切に保存しようとする姿勢がうかがわれたことは非常に印象的でした。

 日本でも先住少数民族であるアイヌの文化を保護しようとする動きがあり、アイヌ文化の振興等に関する法律がこの5月に制定されたところですが、このことともオーバーラップし、たいへん興味深く感じました。

(2)食べ物について

 NZといえば羊なので、毎日ラム(子羊の肉)を食べるものとばかり思っていたのですが、食生活は意外と質素で、じゃがいも(主食)と鳥肉が多かった印象があります。味付けされた料理は少なく、塩や胡椒で自分で味付けをするのが常でした。最近は、low fatの鹿肉がポピュラーになりつつあるということで、移動中もsheep farmのほかに deer farmが多く目につきました。

(3)ビールについて

 NZのビールといえば、あのALL BLACKSのスポンサーであるスタインラガーくらいしか知らなかったのですが、今回訪問した南部の地区ではSPEIGHTS (スペイツ)とDBという2種類のビールが有名で、アルコール度は4%と非常に軽く、私はほとんど毎日飲んでいました。もっとも、自称酒飲みの私にとっては、お茶代わりに過ぎなかったのですが。

 ところで、市役所の中にはLIQUOR LICENSE課なるものがあり、酒類の販売を業とすることは許可制となっていました。因みに、タバコは1箱500円以上し、いきおい喫煙家の数が減少していました。

(4)その他

 今回訪問した南部の地区は、概して田舎町が多く、5時を過ぎるとだいたいの店は閉まってしまいました。犬の散歩でもない限り、夜に外出する機会はほとんどなく、ネオンの街に慣れ親しんだ私にとっては非常に苦痛でした。農家にステイしたときなどは、周囲に民家はなく、全くの暗闇でした。ホームステイ先の人たちは、早寝早起きの健康的な生活を送っており、「特別な用事でもなければ、10時には就寝する」と言いながら、概して話し好きで、Go to bedのタイミングが難しかった記憶があります。

行政改革の裏側

 今回のGSEのテーマはNZの行政改革で、実際に調査研究した内容については、別掲の報告書に詳述していますので、そちらのほうを参照してください。ただ、一言だけ付け加えさせていただきたいことがあります。それは、行政改革に成功したといわれるNZにはバラ色の将来が待ち受けているように思われがちですが、必ずしもそうではないということです。

 例えば、青少年の非行問題、高学歴社会化に伴う教育問題や少子化傾向、北島の都会への人口流出問題、国内産業の空洞化の問題(独自の産業が発展せず、国内の消費は専ら輸入品に依存している)、高齢化社会問題、医療や福祉の問題などは特に深刻で、21世紀以降のことを考えると必ずしも手放しでは喜んでいられないというのが、率直な私の印象です。

 24時間オープンしているマクドナルドは、金曜日の夜ともなると、若者たち特にティーンエイジャーで遅くまで賑わい、メインストリートでは、深夜、車を乗り回している若者たちの姿がありました。NZでは、15歳から運転免許が取得できるのです。

おわりに

 すでに述べたように、今回のGSEのテーマがNZの行政改革であり、この点について勉強できたこともさることながら、約40日間に渡るNZでの生活で、NZの人たちの生活習慣やものの考え方、気質といったものも何となくわかったような気がします。そこで私が感じたNZ人気質といったものに少し触れておきたいと思います。

 NZ人の生活態度は食生活を含めてだいたい質素で、合理主義的で割り切りが感じられました。人柄も率直、誠実で、余暇を楽しむ傾向が感じられました。また、自国の歴史、伝統を重んじ、先祖、家族に誇りを持っていました。特に、家族の中でも自分の子供の自慢を大いにする点が、我々日本人には少し奇異に映りました。

 彼らは自国に対して自負を抱き、自分たちがこの国をゼロから作り上げたのだという自信と、どんな逆境にも耐え、克服していけるというフロンティア精神を持っていました。「人生はチャレンジだ」といって、計5回の転職暦を持つホスト・ファミリーに出会ったことは、特に印象的でした。

 彼らは、環境破壊には厳しい目を光らせていましたし、政府の政策や政治の動向にも大きな関心を寄せていました。

 彼らの良さは家庭においても遺憾なく発揮されており、特に男性はKIWIハズバンドと呼ばれ、非常にマイホーム主義的でした。

 しかしながら、その反面、自己の地域社会における生活基盤を大切にするあまり、ほかからの干渉と批判を好まないといった態度も目につきました。また、近隣住民との日常的な接触も余りないように感じられました。

 なにはともあれ、今回のGSE旅行は、私のこれまでの人生の中でも最も有意義な経験であったと思っています。終わってみれば、あっという間の5週間でしたが、13の家族、その他大勢のロータリアンの人たち、スケジュールを組んでくださったGSEの役員の方々に対しては、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。