米国南部ロータリアンのホスピタリティ

野村浩司

(チームリーダー、大阪そねざきRC直前会長、野村海外旅行代表取締役)

●はじめに

 今期1997年〜1998年度の研究グループ交換(GSE)は、米国アーカンソー州の東北部、R.I.第6150地区と、当第2660地区との間で行われ、その団長にご指名いただきましたことを、ここに感謝申し上げたいと存じます。

 昨年9月頃に松岡茂雄GSE委員会委員長よりのお話がありました時は、昨年の委員長橿村さまからのお話もあり、どうしてもお受けせざるをえない結果となりました。しかし私の本心といたしては大変な仕事を受けてしまったと反省し、出発の前日まで心配をしておりました。お受けしたかぎりは当地区の名誉の為にも万全の準備と心構えを持って出発いたしましたが、5月3日より5月31日までの間、第6150地区で十分慎重に配慮されました計画にのっとり、先方地区内の9都市、19クラブ(内2クラブはディナーパーティ、1クラブは他クラブとのジョイント例会)を訪問して、ロータリー財団の研究グループ交換の三つの目的を達成することができたと確信致しております。

 ロータリー財団のGSE(研究グループ交換)の三つの目的とは、以下の通りです。

1)事業及び専門職務に携わる優秀な人材を、他国において計画準備された研究討論プログラムに参加させ、その国民並びに諸施設を研究する機会を与える。

2)善意の人々が、友好的雰囲気の中に相会し、語り合い、生活を共にして、相互の問題や抱負を理解するようになり、かくして個人的接触を永続的友情へ育むことにより、国際理解を増進する。

3)研究グループチームのために教育的プログラムを作成し、チームを歓待することによって、ロータリアンを具体的、実際的かつ有意義な国際奉仕プロジェクトに参加させる。

 この交換を通じ、本年の国際ロータリーのテーマである”Show Rotary Cares”と、ロータリアンとしての永遠のテーマであるところの”Service Above Self”の実践を、アーカンソー州の第6150地区のGSEに携わっていただいたロータリアンの方々に示していただきました。このアーカンソー行きは大変苦労ではありましたが、私のロータリー生活と人生におきまして、他に得難い素晴らしい経験をさせていただいたと感謝申し上げます。

●アーカンソー州リトルロック、第6150地区への出発

 1998年5月3日、伊丹の大阪国際空港に午後1時に集合。松岡GSE委員長、中園副委員長他、多くの方の見送りを受け、NH078便14:20の全日空機で空路成田へ。アメリカン航空(AA060便17:45発)に乗り換え、ダラスへ直行便で飛び立った。約14時間のフライトで、同日の午後2時45分にダラス・フォトワース空港に到着、アメリカに入国した。ダラスは世界一大きな空港。ここで国際線からアーカンソー州リトルロック行きのアメリカン・イーグルに乗り、約1時間55分の飛行で、最終目的地に無事到着した。

 チームメンバーはすこぶる元気。空港には第6150地区のGSE委員長ケン・スタックス夫妻、コーディネーターのラリー・アブリル氏、この3月に当地区に来たGSEチームリーダーのボブ・アルビー夫妻の他、クラブ99の多数のロータリアンが出迎えて下さった。ボブとは数週間ぶりの再会で、皆さんから大変な歓迎を受けた。ここで各メンバーが車に分乗、最初の宿泊地、ダブルツリー・ホテルへ向かった。このホテルはアーカンソー川に面した白塗りのホテルで、黒人のスタッフが多いのには少々驚いた。サービスはなかなか気持ちのよいものだったが、南部なまりの英語には戸惑った。(普通、米国の他の地域では「サンキュー・サー」だがここでは「サンキュー・マン」である)到着して2日間、5月3日と4日はこのホテルに滞在。4日月曜日は、午前10時30分に、我々のスケジュールについてのミーティング。滞在中のコミュニケーションをスムーズにするためにケンからセルラーホーン(携帯電話)を渡された。これはなかなかよく考えたものである。さて、もう本日からクラブ訪問が始まった。この日を皮切りに9都市(プラスキー、ヒーバースプリング、フェアフィルドベイ、 サーシー、ジョーンズボロ、ウエストメンフィス、オセオラ、ブリスビル、リトルロック)を訪問、各都市のロータリークラブと第6150地区の地区大会でプレゼンテーションを行った。訪問したクラブは以下の通りである。

・ジャクソンビルRC
・マウメルRC
・クリーボーンカウンティRC
・フェアフィールドRC
・ボールドノブRC
・サーシーRC
・ジョーンズボロRC
・パラゴールドRC
・ジョーンズボロ・ユニバーシティRC
・ウエストメンフィス&マリオンRC
・ブリスビルRC
・RCリトルロック(クラブ99)
・シェアウッドRC
・ウエストリトルロックRC
・ノースリトルロックRC
・リトルロックメトロRC
・オセオラRC
・サウスリトルロックRCとRCマウメル(ディナーパーティ)

 この他、5月15日と16日は第6150地区の地区大会に出席。15日は我が2660地区チームGSEメンバーによるプレゼンテーションが計画されており、無事に終えることができた。翌日の16日には第6150地区チームの帰国報告がなされ、同地区GSEメンバーの方々と再会を楽しむことができたのには、感激した。

 米国は広大な国であるにもかかわらず、また特に、この第6150地区は、各地域が数10kmから180km以上離れているにもかかわらず、私どものプレゼンテーションの評判をどこで聞いたのか、次のクラブ訪問で数名のロータリアンから「君たちはとても素晴らしいプレゼンテーションをしたらしいね。楽しみにしているよ」と声をかけられたのには、私の方がエキサイトしたことを思い出す。アメリカは何とコミュニケーションが発達した国だろうと、おそろしくも思った。と同時にさすがアメリカだと感心させられた。アメリカ人は素直に自分たちの考えを表現し、伝える気風がある。しかし、早朝7時30分の例会のクラブが1件、7時ジャストの例会が3件あり、この例会でプレゼンテーションを行うのは少々苦痛ではあった。(朝食を取りながら例会を行う)

●ロータリークラブの例会について

 全てのロータリークラブ例会で、会長が司会を勤める。次に親睦委員長が、今日の例会の日が持てたこと、ゲストの紹介ができたことに対して神への感謝を述べ、アーメンでしめくくる。次はアメリカ合衆国への忠誠を、全員で右手のひらを左胸におき、大声で誓う。私どもも同じくそれにならった。あたりまえのことであるが、例会中は誰も出て行かない。また、何人かは必ずゲストを連れてきている。私どものつたない英語での30分のプレゼンテーションを熱心に聞き、全出席者の目が集中する。私語、居眠りは全くない。

 私どもは、ビデオを20分と各人を約5分で紹介し、場所によりQ&Aを行った。やはり、アメリカ人らしく、すぐ数名の手があがる、とても生き生きした例会である。日本地図を正面の壁に留めて日本列島を説明し、大阪がどこであるかを指摘する。何人ぐらい日本に行ったことがあるかを訊ねると、必ず4〜5名の手があがる。リトルロックRC(クラブ99)は会員400名だが、20名以上の手が上げられた。これも驚きの一つであった。しかし、大多数は過去のARMYでということで、地理的には米軍所在地に短期間だけの滞在であるが、日本に対して好意を持ってくれていることは間違いない。当然、現在の日本の企業との取引をしている方もメンバーにはおられる。プレゼンテーションが終わると必ず多くのロータリアンが来て、誉めてくれた。”It was a nice presentation.”、”Enjoyed very much.”握手を求められる。初めてのプレゼンテーションを行った時には、私自身うれしくて、胸があつくなった。回を重ねて行くと、始めのうちはとてもエキサイトしていたが、中間をすぎるとリラックスをして、もっと楽しく行うことができた。

 日本の場合、ほとんどの会員はダークのスーツにネクタイと、少々フォーマルな例会であるが、どのクラブでも半数以上がとてもカジュアルで、エンブレムをつけている人が少ないように思った。私の聞いたところでは、ほとんどのクラブにはロータリーの事務局がなく、クラブ幹事がその1年間の事務を行うようである。ほとんどのクラブで、クラブ会報は内容がとても簡単で、印刷もコピー機で作成している所が多いようである。要は、事務活動に費用をかけていないようである。

 訪問したクラブには、必ず女性会員が7〜8名居られた。サーシーRC、ブラッドノブRC、パラゴールドRCは女性会長だった。リトルロックRC(クラブ99)では400名メンバーの内、20数名の女性メンバーがおられた。これらの女性メンバーの中からGSEの研修訪問に積極的に参加され案内していただいた。

●学校訪問

 出発前、アーカンソーについての資料が不足のため、学校、病院等、特に期待をしていなかったのだが、感心したのは、小学校の低学年から高等学校(パブリック・スクール)まで、コンピュータ教育がきちんとカリキュラムに入り、本格的になされていたことである。学ぶ人数分だけコンピュータが設置され、専門の教師が常にその教室にいて、子どもたちもとても楽しそうに学んでいる。数校訪問したが、校長、教師、またはロータリアンから日本のコンピュータ教育について訊ねられた。残念ながら、日本におけるパブリック・スクールでの、この教育は大変遅れていると答えるしかなかった。また、学校によって多少の違いはあるものの、しっかりとしたテーマを持った教育が行われていた。特に印象的であったのは、小学校、中学校で、アジアの教室、中東・エジプトの教室、カナダの教室といった具合に、その教育を行う専門の先生が、生徒とともにその国の服装、食物、動物等、その国に関しての色々なものを飾り、一見して理解できるようにしていたことだ。楽しく、自然に学べることに感心させられた。私どもは、折り紙を持って行き、小学校、幼稚園でデモンストレーションを行い、大変 好評で、子どもたちはとても興味をもって一生懸命にツルの折り方を学んでくれた。

●病院訪問

 出発前の我々の認識の中には、アーカンソー州は農業が主の州でもあり、正直なところ、病院、医療面ではあまり期待できないのではないかと思っていた。第6150地区で私たちが訪問した都市では、できるだけ多くの病院施設を見学できるよう配慮されていた。施設内は大変清潔で、設備は整い、学校がそうであったようにコンピュータによる最新の機械が使われていた。専門医も日本とくらべると多いと思われる。産婦人科では部屋が大変美しく飾られ、自分の家にいるような安心した気持ちで、その部屋で分娩ができるという説明の後、スイッチ一つでベッドが上がり、分娩室に早変わりするのには驚いた。部屋はもちろんのこと、廊下もカーペットが敷き詰められていた。メディケアという言葉も、言葉だけではなく、実際にケアされていることに感銘を受けた。老人専門の病院においてもナースが心こまやかなケアを行い、あたりまえのことであるが、廊下の壁には「われわれの目標は事故をなくすことだ」と目に付くところに張り紙のあったのは、とても印象的であった。小さな都市の病院でも、救急のためにいつでも使えるヘリポートが設置されていて安心できる。リトルロックではチルドレ ンズ・ホスピタルを見学させていただいた。全米に子ども専門のチルドレンズ・ホスピタルは4つあり、ここはその一つである。この病院の特長は、2台のヘリコプターが常においてあることだ。手術においても、未熟児用の多くの保育器もコンピュータによりすべてがコントロールされ、医師および看護婦は常にケアできる状態にある。日本は医療の面からも米国からかなり遅れているように思われる。話によると外国の医師は米国で治療できないレベルのようである。私は医療には全くの素人であり、日本のそれは進んでいると考えていたが、残念なことにだいぶ遅れていることに気がついた。

●ホストファミリー

 この期間中、7家族にホストファミリーとして大変お世話になった。まず、始めは

 5月5日〜7日、ヒーバースプリングスのデーブ&ジューン・マーシャル夫妻(Dave & June Marshall)。ロッキード社で軍用機の設計をされて退職。このアーカンソー州ヒーバースプリングス(Heber Springs)へこられたそうである。この州は退職者向けの受け入れを全米に積極的に呼びかけているようである。スペースに恵まれ、木は多く、自然動物がたくさん棲み、ご主人と朝食を取っていると目の前の小さな林の草むらに出てくるというところである。

 5月8日〜10日、サーシー(Sercy)のポール&テレサ・ダニエルズ夫妻(Paul & Teresa Daniels)。彼の家の庭は大変広く、パインツリーがたくさんある住宅地で、日本でいう別荘のような感じだが、サーシーの中心には近い。これとは別に、約150km離れたマウンテンビュー(Mountain View)に別荘を持ち、週末には奥様と二人でそこで過ごされているようだ。家には一匹、ダックスフントの雌を飼っておられ、別荘では小さな池の中にキャットフィッシュ(なまず)その他の魚を飼っていた。私が彼に、”Do you eat this cat fish?”と聞くと、”No, I eat my dog before it. This is my pet.”と言われ、大笑いした。アメリカンジョークである。

 5月11日〜14日、ジョーンズボロ(Jonesboro)のヴァン&ルース・ホーキンス夫妻(Van & Ruth Hawkins)。奥さんのルースがロータリアンで、職業はアーカンソー州立大学のInstitutional Advancement担当のVice President である。ご主人のヴァンさんはロータリーに入ることはあまり興味を持っておられないようである。ご夫妻とも大変な日本好きで、16才のキュートには空手を習わせていた。ヴァンさんは宮本武蔵のファンで彼のオフィスには武蔵の大きな絵画がおいてあった。

 5月17〜18日、ウエストメンフィス(West Menphis)のデウエイン&マリアン・スミス夫妻(Dewayne & Marian Smith)。マリアンさんがロータリアンで、職業は高等学校の副校長(Vice Principal)である。ご主人のデウエインさんにロータリーについて聞いたところ、ロータリーはたいへんすばらしいが興味を持っていないとのことだった。2日間のホームステイだったが、とても気を使っていただき、立派な朝食を準備していただいたのには感謝。

 5月19日〜20日、オセオラ(Osceola)のジム&ローラ・ギルハム夫妻。ジムはドイツ系プラスチックメーカーのプラントマネジャーである。オセオラはインディアンの言葉だそうだ。アーカンソー州の私どもが訪問した地域は英語でない地名が多く出てくる。これは、この南部の地域にインディアンが住んでいたのである。この町に滞在中とても暑く、平坦な土地で、しかもミシシッピー川がそばを流れ、川の水が増水していたのでむし暑く日本の真夏のようであった。ちなみに外は毎日30度以上の温度であった。ジムはロータリー歴5年ぐらいだそうだが、ロータリーを良く理解し、奥さんもボランティア活動にとても積極的である。12才の女の子に折り紙を教えてあげるとジムもローラも一生懸命に折り方を習ってくれ、これまた大きな文化交流になった。

 5月21日〜22日、ブリスビル(Blytheville)のジェフ・ガードナー。彼は弁護士で、初めお会いした時は何だかむつかしそうな人のように見えた。少々心配したがご子息が外交官で23日からインドのマドラスへワシントンから出発とのことであった。奥さんには余り会う機会がなかったが大学の教授とのことで、ご夫妻はかなり自由に生活されているような感じを受けた。家はカントリークラブのゴルフ場に面していて、いつでも自由にコースに入れる庭があり、これ又、日本では余りというより全くないのではないかと思う。庭の木の下ではリスが遊び、ウッドペッカーが木の虫を食べるなど、米国どこへ行っても自然がいっぱいというところである。彼の家ではどうぞ自由に貴方の家にいるのと同じようにして下さいとのことで、口先だけでなく、全く本当であるとの経験をした。これは洗たく、冷蔵庫、台所、バス・トイレ、居間そして寝室を自由に使いなさいということを実感した。もし、日本のように気を使っていると何も出来なくなるので、出来るだけ早くその感覚に慣れることが、ホームステイを快適に過ごすことになると思う。彼の母校であるブリスビルハイスクールを見学。この学校 では日本語が熱心に教えられている。このブリスビルという町には、姫路に本社を持つ大和鉄工の合弁会社があり、その駐在員の方がボランティアで日本語教師のアシスタントをしておられる関係上、小さな町ゆえに日本人に対する感情はとても良いと思う。感動を覚えた。ハイスクールを見学の後、ジェフさんのオフィスを訪問し、とても有意義な時間を過ごすことができた。

 5月23日〜26日、リトルロック(Little Rock)のラリー&シュー・アブリル(Larry & Sue Averill)夫妻。ラリーはアーカンソー大学リトルロック校(University of Arkansas at Little Rock)の法律学校、法律学教授である。このGSEの出発前から彼が窓口でコーディネーターとして素晴らしい計画を設定し、おかげで私たちは最高の活動をすることができた。ここでも彼に、言葉では書くことのできない深い感謝を述べておきたい。ラリーがいなければ、私たちはとても成功できなかったかもしれない。彼は常に私たちのスケジュールに注意を払い、委員長のケンと良くコーディネートして、GSE関係者との間にコミュニケーションを取ってくれた。彼らのGSEの今後についてもアドバイスを求められ、これから互いに何らかの協調をして行くことを約束した。彼は1998〜1999年度の第6150地区のGSE委員長である。また、アメリカではタブーとされている人種問題についても彼の奥さんのシューさんと話をし、本音のところを聞かせていただいた。私は日本人として持っている考え方を述べるなどして大変勉強になった。

 5月27日〜31日、リトルロックのジム&メアリー・ソイヤー(Jim & Mary Sawyer)夫妻。ソイヤーという名前は発音が大変難しい。デンティストで、リタイヤーされてから7年は過ぎておられ、パストガバナーでもある。現在の仕事は、友人とディベロッパーをされ、この仕事が好きだと言われていた。78才ではあるが若々しく、大変にやさしく、とても気配りが良く、常に私を気遣って下さったのには深く感謝している。ホストファミリーの選任をとてもうまくして頂いたことは、さすがに米国のロータリーだと感心した。我々のチームのプロフィルを十分検討した後にホストファミリーを指名されたのだと思う。我々もこれは学ぶべきであり、協力をしなければならないのではないか。広く地区内のロータリアンにもこのことを啓蒙して行く必要性を感じた。ソイヤーの住まいのあるシェナルパークウエイビレッジ(Chenal Parkway Village)は全員がリタイヤーされた方で、家は2戸1で2寝室あり、余り大きくなくて生活はしやすくなっている。食事は別の会館へ行き、レストランで多くの老人たちと共に取ることができる。当然、自分の家で作るのも好きずきで、会館で食事すればサイン一つですみ、支払は月に一度でよいらしい。友人ができ、また古い友人ともそこで会えるので、とても良いシステムだと思う。日本でもこのような方法を国または県・市が作る必要があると考える。

●地区大会の感想

 第6150地区の地区大会は、1998年5月15日と16日、ウエストメンフィスのホリデーインで開かれた。参加者は200名。当地区(第2660地区)と比べて少人数である。100数キロ離れたところから一泊で参加する人もあり、R.I.会長代理のエバレット・ウッドご夫妻と私たち日本からのGSEチーム、そして留学生以外は全員顔見知りのロータリアンが多く、楽しそうな雰囲気であった。私たちのプレゼンテーションはランチタイムの12時から始まり、チームリーダーのメッセージの後、団員一人一人のプレゼンテーションが約30分続いた。その後ガバナーのグレグ・マーラーさんとGSE委員長のケン・スタックスさんに、こちらから持参したハッピをプレゼントした。お二人とも大きな方であり、サイズを心配したがうまく着てもらうことができた。また祭りの鉢巻をしていただき、参加のロータリアンから大いなる喝采をうけた。この15日午後の大会スケジュールはこの姿で最後まで進行された事には感動した。一番感心したことは、大会出席者、誰一人として途中で帰らないことだ。ロータリーの認識がこれほど日本のロータリアンと異なっている。素晴らしいことである。 参加費用は$25で、とても安い。彼らから貴方の地区大会はどうですか、と聞かれ、約2000名ぐらいの参加者がいるが、しかし、午後からは半数以上がいなくなり、最後はその3分の1ぐらいになると話すと大変驚いていた。R.I.会長代理ウッド氏やR.I.理事のカール・ローセンバム氏も本当に気さくに話をかけて下さり、日本のロータリーについて聞いてこられ、楽しくロータリーの情報をお聞きすることができた。ローセンバム氏によると、現在中国にロータリークラブを再建するため活動されているとのことであった。日本の経済に関する興味も深く持っておられ、今の日本を憂い、大変心配してくださった。これはまた、ロータリアンだからである。

 5月16日は朝の8時30分から登録で、9時のリーダーシップ朝食会から始まり、午後7時からのバンケット、そして午後9時すぎまで誰一人帰られる事なく表彰が続き、ユーモアたっぷりの楽しい13時間の地区大会が終わるのである。

●アーカンソー州で私たちが出会った人々と同州北東部の印象

 この州は、日本と緯度が同位置にあり、北東部は近畿圏と同じ、リトルロックは大阪とほぼ同じであるために気温が全く同じで、夏は蒸し暑く、冬は雪が降り積もるそうである。ここに生まれて住んでいる人は、とても人なつっこく人情が深いので、関西の人々の気質にとても似ていると感じた。またここでは日本と同じく四季があり、我々日本人が移住すれば安心して生活できるのではないかと思う。ただ、大変に緑が多く、山が少なく、土地が広大なので、米国の他州でも同じことだが、土地の話になると1エーカー単位で、日本の坪単位の話とはケタが異なりすぎて始めはピンとこない。一般人が家を建てる場合とか土地を買う場合の価格を聞くと、1エーカーは約15万〜20万円で良い土地が買えるようだ。私たちはアーカンソー州北東部を100km以上の移動をしたが、フリーウエイの州間道路(インターステート)の両側は、ライス・フィールド、ホイート・フィールド、コットン・フィールドそしてビーン・フィールドが延々と続いて、米の生産は米国一か二。日本へも米、大豆等を輸出していることを初めてしった。

 最後にとても感動を受けたことに触れておきたい。それはヘファー・プロジェクト・インターナショナル(Heifer Project International)訪問である。これは1937年にアーカンソーで生まれた発展途上国への食料援助組織で、妊娠した牝牛を無償援助することからスタートした。現在も中国を含む発展途上国へ、牝牛、馬、羊、ラクダ、水牛、等々を贈り続けているということだ。戦後すぐの1947年には、この組織によって、北海道に200頭の牝牛が贈られたそうである。また、ダクラス・マッカーサー将軍もリトルロックで生まれられたそうで、その生家がいまなお、町の中心部に大切に保存されている。

 リトルロックから西へ約80kmぐらいの所に、観光地で有名なホットスプリングスがある。いわゆる日本の温泉地であり、古い町並みで、あちらこちらで温泉が湧き出て国内外から観光客がやってくる。特にこれから外国観光客を誘致するためにヒルトンホテルの隣に国際会議場が建設され完成寸前で、この施設も見学した。

 5月29日には州庁舎(State Capitol Building)を見学。この庁舎は、ワシントンの国会議事堂と同じ型をした建物であり、庁内もとても美しく、大理石が内側に使用されており、お土産品店があったのは、さすがに米国らしい感じであった。午前11時頃にマイク・ハッカビー州知事とお会いし、各チームメンバーが訪問の証明である、立派な証明書を知事から一人一人手渡しで受け取り、写真を撮っていただいた。私が準備して持っていったハッピを知事にプレゼントし、着用していただいて全員で写真を撮り、大変素晴らしい記念になった。ハッカビー知事はとても友好的で、私たち日本からのGSEチームを心から歓迎して下さったことを合わせて深く感謝する次第です。

●まとめ

 最初に述べたように、今回のGSE団長としてのアーカンソー州第6150地区研修訪問は、私にとって大変に勉強になりました。多くのロータリアンと、その関係のアメリカの人々に触れ、今まで私が過去にアメリカ訪問で会い、話をしてきた人たちとは異なり、ロータリーという大きな組織の中で国籍の異なった人々が、同じ理想に向かって一つの理念の下で活動をするといった現実を実感させていただきました。第6150地区のみなさんが作って下さったこの素晴らしい計画に深く感謝したいと思います。また第2660地区の団員のみなさん、庄村裕三、阪上光、佐藤玲子、金重恵介の各氏が、アグレッシブに例会訪問でもプレゼンテーションをこなし、団体研修に個人研修にそしてレクリエーション等に積極的に参加、行動され、国際親善使節団としても高い評価を得たことは嬉しい出来事です。特にプレゼンテーションで使用したビデオは、アーカンソーのロータリアンに大変喜ばれ、評価されました。

 この機会を通じて、いままで全く知らなかったアメリカ南部やその人々の本質に触れ、大きな発見をすることができました。このような機会を与えてくださいました、当第2660地区ガバナー近藤雅臣さま、GSE地区委員長松岡茂雄さま、ロータリアンの皆様と第6150地区ガバナー、グレグ・マーラーさま、GSE地区委員長ケン・スタックスさま、コーディネーターのラリー・アブリルさま、ロータリアンの皆様に深く感謝いたします。また、各ホストファミリーの奥様方に、深い愛情でもってお世話下さいました事を合わせて感謝したいと思います。ロータリー財団とGSE活動にバンザイ!有り難うございました。