カナダ・オンタリオ州で学んだこと〜音楽と友愛〜

余田佳子

大阪国際女子短期大学講師、ピアニスト、オルガニスト
(交野RC推薦)

はじめに

カナダはオンタリオ州にGSE団員として派遣して頂く機会に恵まれ、このような貴重な機会を与えて下さいました第2660地区のロータリアンや多くの関係者の皆様方に、深く御礼を申し上げます。
また、第7080地区の多くのロータリアンが、このプログラムのためにご尽力を下さったことに対しても、筆舌に尽くせぬほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
4週間のプログラムを終えた今、改めて、国際ロータリーという組織とGSEプログラムの素晴らしさを実感しています。

選考されるまで

交野市の広報誌でGSE団員の募集を知りました。それまでロータリーについてもGSEについてもほとんど何も知りませんでしたので、まずはじめに交野RCに問い合わせました。頂いたパンフレットを読むうちに、地球上に番号がつけられたRIの「地区」という単位が存在すること、そして、GSEがその地区同志の社会人を交換するプログラムであることを知り、その規模の大きさと趣旨に魅力を感じ、出願の決心をしました。
面接試験では、大勢の試験官に囲まれて、非常に緊張しました。英語スピーチもしどろもどろになり、終わって控室に戻った時にはすっかり自信を喪失したことを思い出します。そんな調子でしたので、自分が団員に選考されるとはとても思えず、後日郵送されてきた封書を、実は、3日ほど開封せずににらんで過ごしてしまいました。(中身が合格通知書だとは思ってもみなかったのです。)

出発準備

1)ガイダンス
第1回目の団員ミーティングで、加藤団長から親切丁寧なガイダンスを受けました。これまで知らなかった国際ロータリーという組織やGSEプログラムについて多くの事を学んだのですが、正直に言って「これは大変なことになった」と思いました。与えられるプログラムを全てこなすことが出来るだろうかと、とても不安でした。
でも、そのような心配も、出発までの約半年間ミーティングを重ねるうちにいつしか消え、少しずつ団員としての自覚が芽生え、出発が待ち遠しくさえ思えるようになりました。

2)プレゼンテーション
出発準備で一番時間を費やしたのはプレゼンテーションの準備です。まず、大阪の全体を紹介したビデオを編集し、さらに詳しく、大阪の文化について各自の分担を決めてスピーチ原稿を作成し、パソコンに写真画像を取り込む、といった段取りでした。この作業は遅々としてはかどらず、出発までに間に合わないのでは?と、あせりましたが、最終的には、出発の間際のラストスパートで、何とか仕上げることができました。
今から思えば、プレゼンテーションの準備は、自国の文化を再認識する機会であったのと同時に、プログラムを遂行するのに一番大切な「チームワーク」を築くのに最適の準備期間でした。

3)資料・お土産
中島団員と樋口団員が段取りして下さった大阪府・市のデータや外国人向けの資料のお陰で、ホストファミリーや研修先でお世話になった方々に、私達の生活や文化についての理解を深めて頂くことが出来ました。また、ホストファミリーをはじめとする多くの方へのお土産に、ピンバッジ、キーホルダー、折り紙、日本手ぬぐい、和紙はがき、湯呑み、日本茶、扇子とうちわなどを用意しましたが、これらも行く先々で非常に好評でした。
私の居住地の交野市がカナダ・コリンウッド市と姉妹都市を提携していることから、出発前に市と姉妹都市協議会にお願いし、交野市の概要パンフレットと地図(英文)を用意して頂きました。また、交野RC会長から、姉妹クラブであるコリンウッドRCの会長に宛てた手紙をお預りしました。残念ながらコリンウッド市は派遣先の7080地区には含まれず、距離的にも非常に遠かったため、訪問することが出来ませんでしたが、7080地区GSE委員のご厚意により、手紙を届けて頂くことが出来ました。有難うございました。

7080地区の印象

1)空港にて
5月7日、長い空の旅も快適そのもの、私達5人は元気にトロント・ピアソン国際空港に到着しました。ゲートをくぐると、そこには一目で私達のためとわかる大きな横断幕が、そして、ガバナー、GSE委員をはじめとする多くのお出迎えの方が待っていて下さいました。
ガバナーから直々に記念品を頂戴し、握手をして頂いた時、私は少し緊張していましたが、その大きな手と優しい微笑みに安心感を覚え、「いよいよカナダにやって来たんだ!GSEプログラムが始まったのだ・・」という実感がこみあげてきました。

2)人々の暮らしについて
カナダは憲法制定より約50年の歴史の非常に新しい国家です。広い国土に豊かな自然と資源をもつ国で暮らす人々は、その生活や人間性に、いつも大らかさが感じられました。
特に印象に残ったのは、緑をとても大切にされていることです。道路に沿ってメイプル(かえで)の木が生い茂り、その葉の色、赤と緑のコントラストはみごとでした。また、家々の庭には木々が自然のあるがままの姿で育てられ、その枝の上をりすが走り、青い鳥が実をついばみにやってくる、という、まさに絵のような風景を、私は飽かず眺めました。
カナダ人の思いやりの精紳と礼儀正しさは、車社会の中に顕著に反映されていました。ドライバーは市街地の交差点では、必ずと言っていいほど、止まって安全を確認してから発進します。渋滞中もいらいらせず、つとめて冷静です。町でクラクションの音を聞くことはほとんどありませんでした。また歩行者も信号を守り、それぞれの責任の中で安全への配慮がなされている、と感じました。
それに比べて、日本では、次々とスピードを誇る列車が開発され、渋滞にいらいらしながら抜け道を駆け抜ける車や、信号が青になる前から我先にと飛び出す歩行者をよく見かけます。「日本人(特に大阪人)は歩くのが早い」と言われますが、どうして私達は、狭い国土の中にいながら、なおも1分1秒でも早いことを望むのでしょうか?自分自身を国外に置くことによって、その事実を実感すると同時に、少し疑問に思いました。
カナダは多国籍国家として知られています。世界中の国々からの移住民、宗教上の理由から独自の文化を踏襲している民族など、さまざまな人種の人間が、それぞれの自由をお互いに尊重しあいながら実際に生活をしている様子を、目の当たりにしました。特に、国連支援活動の一環としての、コソボ自治区からの難民受入れについては、現地でもタイムリーな話題でした。
お互いを尊重しながら生活するカナダ人の姿や生活から、「generosity・寛容さ」という言葉をいつも思わされました。また、さまざまな場面で臨機応変に対応し、同調していく生活の様子に、まさに「flexibility・柔軟性/適応性」を見出したように思います。このように相手を敬い認め合う気持ちを、今後の人生において、いつも心に留めておきたいと、思います。

3)「モザイク」と「キルト」
カナダを色にたとえると・・・「モザイク」・・・全ての色が存在するから。
「モザイク」という言葉は、カナダという国の特色を反映している言葉であると、教わりました。これは、細かいさまざまな色が共存し、それらが大きなまとまりのある模様を形成している芸術の一つです。
また、「キルト」という手芸はカナダの代表的な文化の一つです。これは、さまざまな模様の小さな布が美しい配色に配置され、細かく縫い合わされた、一枚の大きな生地のことです。家の中のインテリアとしてベッドカバー・テーブルクロスなど、至る所に手製のキルトを見かけました。美しいキルトは、隣合う色彩との調和、そして全体としての構成力から成り立っています。
これら二つの文化には、カナダという国にさまざまな人種・文化・価値観が共存し、それらが全体として一つのまとまりのある国家を形成している、ということが表現されていると思います。これは、日本の文化が古い歴史を持ち、独自の発展を遂げたものであることとは、非常に対照的です。
 カナダ人が声高らかに国家を歌われるのを聴く時、自国に誇りを持って「私達が今まさに国を作っているのだ」と、謳歌されている気持ちが、胸に伝わってきました。
 ウォータールー市役所の1階正面入口に、巨大なキルトがまるで壁画のように掲げられていたのがとても印象に残っています。私はここに、カナダという国の中にひとつの小さな世界が存在するのを見ました。

職業研修

GSEプログラムの中で最も重要な目的である職業研修は、1週間に約1回の割合で、各団員の希望に添った専門分野での研修が設けられていました。私は現在、短期大学の幼児教育コースで音楽実技の指導にあたり、また、ピアノとパイプオルガンの演奏活動を行っていることから、職業研修について次の3点をリクエストしました。
1)教育機関においてさまざまな指導法を見学すること
2)カナダの音楽家と会って、音楽事情について話を伺うこと
3)歴史的な教会のパイプオルガンを見学すること
これらのリクエストに対して、アレンジして下さった研修内容は、想像以上に素晴らしいものでした。ここで、そのいくつかを報告させて頂きたいと思います。

1)教育機関の見学
中学校1校、高等学校2校、大学4校、音楽教室2校と、多くの教育機関を見学する機会を頂き、日本とは違ったさまざまな教育システムを学ぶことが出来ました。
パブリックスクールで、日本でいうと中学生にあたる学年の音楽の授業を見学しました。ここでは、生徒一人に1台ずつ各種管楽器があてがわれ、クラス全員でブラスバンド演奏を行っていました。初めて楽器を手にする生徒が大半ですので、教師は楽器の扱い方、持ち方、音の出し方などを指導しながら、ロングトーン(一息で長く音を出す奏法)や音階(ドレミファソラシド)の練習、次に合奏へと授業を進めていました。
また、他のクラスでは、ドラム(フルセット)の授業を行っていました。ドラムは音楽室に1台しかありませんので、まず教師が模範演奏を行います。次に、生徒がそれにあわせて机や鉛筆を楽器にみたてて練習します(シュミレーション)。何度かこの練習を繰り返したところで、生徒が順番に本物のドラムをたたいてみる、という要領で授業が進められていました。
管楽器にしてもドラムにしても、一度で上手に演奏できる楽器ではありませんが、それだけに、楽器と格闘している生徒の様子はとても一生懸命で、微笑ましく思いました。毎時間、楽器に触れるのを楽しみにして、音楽室に走り込んでくる生徒もいました。
日本の中学校では、授業でブラスバンドを指導するということはめったにありません。数多くの楽器を取り揃えることは予算上や管理面で大変難しいことですが、幼少時に多くの楽器に親しみ、演奏経験を積むという意味では、是非取り入れたい教育の一つだと思いました。
高校では、初心者のために開講されているキーボードレッスンの授業を見学しました。この授業は半年開講の選択科目で、10人ほどの小人数で授業が行われていました。各自にキーボードが1台与えられ、ヘッドフォンをつけて演奏していました。ヘッドフォンを使用することにより、生徒はお互いに自分の音しか聞こえませんので、練習に集中することができます。唯一教師だけがそれらの集中システムをコントロールし、ヘッドフォンを通じて各人の演奏を聴き、個別にアドヴァイスを与えることができます。もちろん、教師の模範演奏を生徒に一斉に聞かせて指示を与えることもできます。英語のLLシステムに似たシステムというと、おわかり頂けるかと思いますが、これは各自のペースに合わせて、短時間に集中して技能を修得するのに、非常に適した方法だと思いました。成績の評価は楽器の経験の有無に関わらず、主に受講態度と理解度によるものだそうです。
大学(音楽学部)を4校見学しましたが、それぞれが独自の教育システムに特色を持ち、楽器や練習をする環境が整えられていました。なかでも、ウエスタン・オンタリオ大学(Western Ontario Univ.)の音楽学部には、楽器の構造を学ぶ科学技術部門があり、実際にグランドピアノの調整を行っている様子を見学することができました。録音室と編集室では、専門の技師が、コンピュータを駆使した機器の操作にあたっておられました。また、北米でも有数の蔵書数をほこる大学図書室には、作曲家グスタフマーラー縁の博物館があり、貴重な資料が厳重に保管されていました。
モホーク・カレッジ(Mohawk College)は当初の見学予定に入っていませんでしたが、第4週のホストファミリーのお世話により、急遽見学を受け入れて頂くことができました。ここでは、独自の音楽理論の教材が使用され(秘密資料のため見せて頂けなかったのは残念でしたが)、独創的な教育方針を掲げておられました。その一つに、さまざまな分野で実際に活躍されている社会人を講師としてお招きし、話を聞く、というユニークな授業がありました。この授業は、卒業を控えた学生が、現実的な社会問題を学び、自分の将来を考える、ということがねらいとされているそうです。

2)カナダの音楽事情について
カナダの音楽について、現在の日本ではそれほど多く知られていませんので、カナダ縁の民族音楽、作曲者、演奏家に関すること情報を得る、ということが今回一番の希望でした。
ミシソーガ交響楽団の指揮者ジョン氏(John Barnum)は、一人の音楽家として、また、指導者としてのお考えを聞かせて下さいました。誰もが音楽に親しめる機会を提供すること、音楽を楽しむために必要な基礎的な指導を行い、一般大衆の音楽活動の普及発展に努めていくことなど、我々音楽家の目指す道は共通のものであることを認識させて頂きました。
セント・ポール教会(St. Paul's Church)のオルガニストであるデヴィット(David Greenslade)氏は、カナダ人の作曲家「Healey Willan」について、いくつかのオルガン曲を演奏し、楽譜を見せて、詳しく教えて下さいました。これらは、現在の日本ではまず知られていない貴重な情報ですので、今後研究を続け、何らかの方法でそれらを日本で紹介したい、と考えています。
このほかに、数名のロータリアンから、ご子息(ポップス歌手)のCD、子供向けテレビアニメの主題歌、ロータリーソングなど、貴重なCDを有り難く頂戴いたしました。

3)教会のオルガン見学、構造を学ぶこと
滞在中に、4つの教会を見学することが出来ました。なかでも、ホストファミリーが礼拝に連れていって下さったセント・ジョーンズ教会(St. John's Church)がとても印象に残っています。ここで耳にした一曲の合唱曲は、未だに私の耳の中に生きています。
また、セントラル司祭教会(Central Presbyterian Church)の大聖堂で、思いがけずオルガンを演奏させて頂く機会に恵まれ、J・S・バッハ作曲の有名な一曲「トッカータとフーガニ短調」を弾かせて頂きました。このような歴史的な教会のオルガンを、実際に演奏させて頂く機会自体が、どれほど貴重な機会であることか。ロータリーのGSEプログラムでなければ、まず有り得なかったことです。自分の演奏するオルガンの音が鳴り響いたあの瞬間を、私は生涯忘れることはないでしょう。
セント・ジェームス教会(The Cathedral Church of St. James)で素晴らしいオルガンコンサートを聞かせて頂きました。ここで、思いがけなく、全世界に発進されているカナダのオルガン情報誌を手にすることが出来ました。このおかげで、今や、日本の自宅に居ながらにして、インターネット上で世界中のオルガニストや建築家とコミュニケーションをとることが可能になりました。
音楽の勉強について言えば、一日や1ヶ月という単位で何かを取得するのは非常に難しいことなのですが、それだけに、これほど多くの課題を見つけて持ちかえることができ、しかも今後も継続して勉強出来るということは、どれほど価値のあることであるか、はかり知れません。
これらの研修をお世話して下さった関係者の皆様方に、あらためて感謝の気持ちを申し上げたいと思います。

一般研修

一般研修は団員の5人が一緒に、いつもロータリアンの案内のもとに行われました。
第1週目のキッチュナー&ウオータールー(Kitchener&Waterloo)市では、人々の素朴な暮らしにふれました。メノナイト(Mennonite)と呼ばれるドイツ系の移住民族が住む郊外の町セント・ジェイコブズ(St. Jacobs)では、ソーセージ工場(sausage makers)、馬車工場(wagon makers)、馬具の修理店(harness shop)などを見学し、質素な自給自足の生活の様子を学びました。また、ファーマーズ・マーケット(farmers' market)と呼ばれる名物市では、メノナイトが生産した新鮮な野菜、ソーセージ、チーズ、メイプルシロップなどがずらりと並べられ、それらを求めてやって来る買い物客で大賑わいでした。
2週目のミサソーガ(Mississauga)では、大都会トロントを中心に、非常にアクティブな毎日を過ごしました。全天候型球場であるスカイドーム(Sky Dome)、世界一高いCNタワー(CN Tower)、電信会社(Northern Networks)、リビングアートセンター(Living Art Center)、などを訪問し、建築や情報部門の高度な技術に目を見張りました。マクマイケル美術館(McMichael Art Galley)ではグループオブセブン(The Group of Seven)と呼ばれる7人の画家によるカナダの近代絵画や、先住民イヌイットによる芸術作品を鑑賞しました。
3週目ウッドストック(Woodstock)では、広大な土地を利用した農業や酪農産業の様子と、近代産業技術の両面を学びました。見学したところは、煙草農場(tobacco farm)、酪農、牛馬豚の飼育場、紙箱工場(paper box company)、トーマス・バス製造工場(Thomas bus)、メープルシロップ工場(maple syrup farm)、チョコレート工場(chocolate plant)、園芸店(garden gallery)、そして健老施設(people care center)です。
4週目バーリントン(Burlington)は、オンタリオ湖に面した緑の美しい町で、ナイアガラやトロントに近く、交通の便が非常によい所でした。ここでのハイライトは、何と言っても、ナイアガラ瀑布の見学でしょう。「霧の乙女号」(Maid of the Mist)という船に乗り、滝のすぐ下で水の落ちる轟音を聞き、水飛沫を浴びたのは、信じ難い体験でした。他にもワイン工場(winery)、蝶の博物館(butterfly conservatory)、自然園(nature interpretive center)、戦闘機博物館(warplane heritage museum)、サファリ、など、バラエティに富んだプログラムが用意されました。ロータリー主催のチャリティーマラソンに、給水ボランティアとして参加させて頂いたのは、素晴らしい経験でした。
また、ロータリアンの皆様のご配慮により、滞在中に3回もゴルフをさせて頂きました。私達が思いっきりスイングするそのすぐ横で、馬やカナダ・ギース(Canada geese)の群れが顔を覗かせるなど、大自然の中でのプレイは爽快でした。その中でも、キッチュナー・コネストーガ(Kitchener Conestoga)RC主催のコンペでは、RCオリジナルのルールでチームプレイを楽しませて頂き、そのお心遣いに感激しました。
これらの他に、各市町の表敬訪問、観劇などもありましたが、どれも普通の観光旅行ではまず経験できないであろう貴重な体験ばかりでした。GSE委員を中心とする大きな輪の中で、まさ「手に手、輪に輪」と歌われているように、本当に多くの方が私達をお世話して下さっていることを実感しました。

カナダチームとの交流

3月の桜の美しい季節に、カナダからGSEチームが来日されました。私達団員は、加藤団長リードの元、何度か彼らと一緒に過ごす機会を持つことが出来ました。このおかげで、異国の地で学ぶことの楽しみと大変さ、そしてGSEプログラムがどういうものであるかを予め知ることが出来ました。
私達がカナダで過ごした4週間の間、キャシー団長をはじめとするカナダGSEチームがいつも私達の身近で、何かと細やかな心遣いをして下さっているのは、とても有り難いことでした。もちろん、これはキャシー団長と加藤団長とのフレンドシップから起因するものであることは明確でした。
ちょうどプログラムの半ばを過ぎた頃、カナダチームと私達の10人全員で過ごす2泊3日の休養プログラムが用意されました。小さな島にあるコテージでのんびりとし、リフレッシュさせて頂けたのは、本当に心に残る思い出です。お互いに異国の地での体験を分かち合い、フレンドシップを深められたことは、これもGSEプログラムならではの国際交流であったと思います。

英会話研修

出発前の最大の不安は、現地での英会話でした。出発前の約半年間、ホームステイや研修先でのやりとりを想定し、会話中心のラジオ番組で繰り返し声を出して練習し、ヒアリング強化のために英文ニュースを努めて聴くようにしました。
また、ベルリッツでの英語研修では、カナダ現地に詳しい講師に、生活様式に会った即戦力になる会話方法を教えて頂きました。なかでもプレゼンテーションでのスピーチについてアドヴァイスを受けられたのは、非常に有意義でした。
これらの成果があったかどうかわかりませんが、会話をいつも楽しむことが出来たのは幸いでした。もちろんこれは、私達に接する人々が、ゆっくりと親切に、そしてわかりやすい言葉を選んでしゃべって下さったからだ、と理解しています。
時には、相手の言うことがさっぱり理解できず、自分自身の意見を上手く言えなくて、もどかしく思うことも多々ありましたが、こちらがつたない英語で何かを伝えようとすると、相手も一生懸命理解しようと努めて下さり、そのうちに、私の言いたいことを全て相手が理解して下さっているのでした。易しい言葉を選んでは、何度も何度も説明して下さるお心くばりには、申し訳なくて、涙が出そうになることがありました。

ホストファミリー

 今回、4件のホストファミリーに、それぞれ1週間ずつお世話になりました。ホームステイは、昨日まで全く知らなかった異国の人間同志が、その日から家族となり、同じ家の中で生活をさせて頂く、という不思議な体験でした。
ホストファミリーから家の鍵を渡された時、また「ここはあなたの家だから、家中のものを何でも自由に使っていいですよ」と言われた時、とても嬉しく思いました。いつも私はホストファミリーのことを"mom" "dad"(お母さん、お父さん)と呼んでいたのですが、本当の家族のように強い絆が感じられ、次のホストファミリーへ移動する時やカナダを後にする時は別れが辛く、悲しくて悲しくて、困りました。
カナダに到着したその夜から、第1週目のキッチュナーでの生活が始まりました。ホストファミリーのWilf & Cathie Jenkinsさん宅に着いた時、日本の国旗が飾られているのが目に入り、そのお心遣いにとても感動しました。
翌朝、お二人と一緒にウオータールー公園でジョギングを楽しみました。その次の朝も早起きをして、日曜礼拝に連れて行って頂きました。Wilfはいつもユーモアたっぷりで、私の英会話を助けて下さいました。Cathieはいつも優しい目で私を見ていてくれました。二匹の愛らしい猫は、私の心の慰めでした。毎晩のようにピアノを弾いて過ごしたホームパーティが、懐かしく思い出されます。
2週目のホストファミリーはPat Gomesさん。彼女はトロント市内の銀行のマネージャーで、とてもお洒落なキャリアウーマンでした。滞在中は、毎朝いつもより早めに車で出勤し、私を加藤団長のホスト先まで送り届けて下さり、大変ご迷惑をおかけしました。そのような忙しい生活の中でも、手際良く手料理をご馳走して下さったり、庭の植物の世話を楽しんでおられました。カリビアンダンスのパーティーに連れていって下さった時の、リズミカルに踊っておられた彼女の姿が、今も目に浮かびます。別れの日に手渡して下さったのは_「forget‐me‐not」_「忘れな草」の種でした。
3週目のホストはGord & Gloria Martinさん。Gordさんは1週間のプログラムの取りまとめ役をされていましたので、一日中私達にかかりきりで、大変なご苦労をされていました。彼の広報活動のお陰で、私達の活動が2回も新聞に報道されました。又、ここでは4つのクラブによる合同のプログラムでしたので、毎日朝早くから夜遅くまで目一杯の歓迎を受け、大忙しでした。そんな中で、Gloriaは朝早くからレンジやオーブンをフル稼動させて、豪華な朝食を作って元気付けて下さいました。毎日帰宅が遅かったので、夕食を一度も家で食べられなかったことが、唯一の心残りです。
4週目のホストはDavid & Marg Deanさん。Davidはもと大学の学長をされた方ですので、終始学生の世話をするように、私の面倒を見て下さいました。帰宅するとMargの手料理とお客さんが私の帰りを待っていて下さり、毎晩のようにホームコンサートが開かれました。リビングルーム(開放フロア)にグランドピアノがあるのですが、夜中でも気にせず音が出せる環境は羨ましい限りです。(これは余談ですが、帰国してから、防音施工をした小さな部屋で窓やカーテンを締め切って練習しなければならない現実が、息苦しく思えてなりません。)
団員と数人のロータリアンでピアノを囲んで過ごした、カナダ最後の夜のことが、まるで昨日のことのように思い出されます。
ホストファミリーの存在は、GSEプログラムの中でも大きな位置を占めるものでした。研修先での説明がほとんど理解できず、落ち込むことが度々ありましたが、家に帰りますと、ホストファミリーが「困ったことはない?今日はどんなことがあったの?」と、いつも優しく話し掛けて、励まして下さいました。これがどれほど嬉しかったことでしょう。
毎日、私の研修プログラムにあわせて、起床、食事、集合場所への送迎、と、スケジュール調整をして下さり、多大なご迷惑とお世話をおかけしました。とても感謝しています。有難うございました。

RC例会訪問

GSEプログラムの活動の中心はRCの例会訪問でした。全部で8つの例会に参加し、そのうち5つの例会でプレゼンテーションを行いました。出発前から、多くのロータリアンを前にして英語でスピーチをするなんて、自分に出来るのだろうかと、とても心配だったのですが、最初は緊張して汗をかきつつしゃべったスピーチも、回を重ねる毎に雰囲気に慣れてきて、少し原稿と違ったことをしゃべる余裕が出てきました。最後のプレゼンテーションが終わった時には「5回だけでは物足りない、もっとやりたい」などと思うくらいになっていました。
 例会ではカナダと日本の国歌をそれぞれ歌うのですが、異国の地で歌う国歌は、少し感動的でした。日本人である自分が今、親善大使としてカナダに来ているのだ、と再認識する瞬間でした。
また、いくつかの例会会場でピアノが用意され、日本の音楽について説明したり、団員全員の協力を得て「さくらさくら」や「ふるさと」を歌う機会に恵まれました。
言葉が通じなくても、不思議と音楽は心を通わせるもので、5人で演奏した後はいつも雰囲気が和やかになり、時には感動して涙を流して下さる方がおられたりして、心暖まる思いをしました。多少なりとも日本の文化について知って頂くことが出来たのではないかと、嬉しく思っています。

初めてのスタンディング・オベイション

ウッドストックでの合同例会の時のことです。ここでもピアノが用意され、演奏をさせて頂くことになりました。団員全員で日本の歌を歌った後、夜の例会にふさわしい、ショパン作曲の「ノクターン」を独奏しましたところ、もう1曲リクエストを頂きました。私はこの時とっさに、何か日本の曲を演奏しなくては、と思いました。そこで、日本古謡「さくらさくら」を即興でアレンジして演奏しました。
演奏し終わってお辞儀をした時、私は信じられない光景を目の前にしました。会場におられる全ての人が立ちあがって拍手をして下さっていたのです。私はとまどい、思わずあたりを見回したのですが、その次に目に入ったのは、ガバナーの目に光る涙でした。その時、私の耳から拍手の音も声も消え、時間が止まり、自分の鼓動さえも止まったのではないかと思うくらい静かな世界にいました。極度の感動と興奮のためか、かわす握手にも感覚がなくなってしまったように感じました。
音楽は一瞬の無形の財産です。その音楽が通り過ぎた一瞬の時間に自分を置くことが出来るということが、どれほど貴重で価値のあることであるか。遠く海を越えた異国の地で、魂の揺さぶられるような感動を初めて体験したのでした。この時ほど、音楽をやっていてよかったと思ったことは、ありませんでした。

「地球人」としての生き方

 あるロータリアンに質問されました。
「自分自身の将来、子供たちの未来、世界の未来について考える時、あなたは日本で暮らすことにどんな意義があると思うのか?どんな夢を持っているのか?」と。
 仮に日本語であってもこの質問に答えられない私は、英語で何の返事も出来ませんでした。
「カナダには広大な土地や資源がある。これらをもっともっと世界中の人間と分かち合うべきだ。われわれは地球人として、全てのことを平等にし、生活の向上をめざして努力しなければならない。」と、その方はおっしゃいました。
 カナダと日本、地球の反対側に住んでいる私達ですが、平和、健やかな生活、文化の向上といった、同じ目標に向かって進んでいることを実感し、また、ロータリーの活動や目指すものもよくわかりました。日頃あたりまえと思いがちな些細なことにも問題意識を持ち、生活の向上を目指す努力を怠ってはならないと、思いました。

旅のおわりに

名残惜しいカナダを後に、私達はボーナス旅行のニューヨークへ向いました。のどかなカナダから突如、騒がしい、人の多い、忙しい街ニューヨークに降り立ち、何かにつけカナダと比べてはギャップに苦しみましたが、帰国する前のリハビリとしてはちょうどよかったのかもしれません。主だった観光スポットをいくつかまわりましたが、その中で国連の見学は、旅の締めくくりにふさわしいビッグ・イベントでした。GSEプログラムのねらいの一つである「国際理解」は、まさに地球上の全世界が一つになってめざすべき目標と、まったく同じものであることがわかりました。

プログラムを終えて

楽しい時間は過ぎるのも早く、あっという間に全行程を修了して帰国しました。忙しい毎日の中でも、カナダで過ごした4週間の出来事を、思い出さない日はありません。未だにカナダで出会った方のことを思い出しては、胸を熱くしています。
幸い、現代の私達には電子メールという優れた情報伝達の方法がありますので、カナダに住む多くのロータリアン、ホストファミリー、お世話になった方々とコミュニケーションをとることは、それほど難しいことではありません。このお陰で、飛行機で10時間以上飛ぶほど離れているはずの距離も、あまり遠いとは感じないのが不思議です。
GSEプログラムは終了しましたが、実際には今、第2楽章が始まったばかりであると思います。カナダで学んだことを、これからの生活の中に活かし、出会った多くの方とのフレンドシップを絶やすこと無く、お互いの生活を向上していけるように努めて参りたいと思います。
最後になりましたが、加藤団長、中島さん、鹿島さん、樋口さん、いたらない私をフォローして頂き、有難うございました。
そして、7080地区で出会った皆様、2660地区のロータリアンの皆様、ご推薦下さいました交野RCの皆様に、あらためて感謝の気持ちを申し上げたいと思います。有難うございました。


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