スウェーデンチーム行動日誌と感想


5月8日

●パナソニック・ショウルーム

 私たちの最初の訪問は、このハイテクショウルームから、意義深く始まりました。コンピュータ、テレビセット、そして考えられるすべての電気製品が展示されていました。不運にもこの訪問は、大変に短く、エキスパートによるガイダンスは有りませんでした。

●梅田地下街

 この場所を、毎日、60万人が通勤やショッピングのために通過します。ここでは都市が運輸の観点から見て、どのように機能しているかの説明をうけました。人や車両は5つの層をなして移動します。地上部分の一番上は、高速道路と鉄道です。第2層はいわゆるグラウンドレベルで、普通の道路網があります。地下には3層あり、商店街、サービス用のトンネルが続き、一番下は地下鉄システムです。「田舎」から来た私たちにとって、面白い午後でした。皮切りの訪問として良く計画されていました。

5月9日

●京阪電気鉄道株式会社

 私たちは、クリスタル・タワーの高層階にある京阪電鉄の本社に行きました。会議室の大きな窓から見える大阪城は壮大でした。最初に伊藤さんにお目にかかり、社長の宮下さんに紹介されました。日本茶を飲みながらいくつかの「質問と答え」の後、私たちは社長さんを囲んで記念写真を撮りました。その写真の一枚は、スウェーデンGSEチームの説明をつけて「京阪ニュース」に掲載されました。

 大変に良く準備されたインフォメーション提供が、それに続きました。古次さんは、スウェーデンと日本を、人口、国土面積で比較要約してくれました。日本の鉄道の歴史についての説明では日本国有鉄道がJRになって、6つの会社に分割され、民有化されたため、鉄道会社が現在複数存在していることが分かりました。日本には鉄道会社が186あり、そのうち165が私鉄です。時には、いろんな会社の路線が並行して走っているため、乗客の獲得競争は熾烈です。競争は、スピード、快適さ、そしてもちろん運賃で行われます。身体障害者のために施設を改善することは、京阪電鉄にとって重要な検討事項です。また、高度の安全基準を守ることが今日では決定的な意味を持ちます。1995年初頭の神戸の震災以来、安全基準は見直されています。このように大きな投資が必要なため鉄道会社としての通常のビジネスは影響を受けます。しかし、会社としては顧客を失望させるわけには行きません。さもないと、お客は、より安全な路線を選択するからです。京阪電鉄は、競争相手より、強く大きい柱を使用しています。

 京阪電鉄がサバイバルするためには、運賃収入以外に他の収入源を持つことが必要です。出生率の低下、経済情勢、週5日制(週休2日)のため、乗客の数は減りつつあります。京阪電鉄は副業として小売り業(スーパー、ショッピングモール)不動産、遊園地、スポーツクラブ等を子会社で経営しています。鉄道は、京阪電鉄全体の50%を占めるに過ぎません。

●大阪城

 この日のロータリーの昼食例会は、大阪鶴見RCでした。私たちはプログラムをプレゼンテーションした後、クラブのメンバーと懇談をしました。スウェーデンやスウェーデン人のものの見方について、質問を楽しく受けました。佐藤俊一さんは、私たちにとても関心があり、ポイントをついた質問をしてきました。ボルボ車を運転する須田潤市朗さんは、自分で買ったガイドブックから、スウェーデンに関する興味ある事実を拾い出して話しました。彼の話は楽しく、同僚のロータリアンばかりでなく、GSEチームのメンバーも、その事実や数字を面白がりました。また彼はスウェーデン語を片言で話しました。私たちはこのことを嬉しく思いました。大変印象的でした。

 昼食後、いよいよ大阪城を訪問する時がきました。この城は、大阪に来る誰にとっても、必ず訪れるべき場所です。日本を平定した武将、豊臣秀吉によって400年ほど前に建造されました。彼の息子と、この後何世紀にも亘り将軍として日本を支配することになる徳川との戦いがあり、この城は焼け落ちました。徳川はこの城を再建し、城壁に巨大な石を持ち込みました。近代的な機械や道具を用いないで、どうしてこんなことが、3世紀半も前に可能だったのか、想像することができません!

 この城はもう一度、落雷によって焼けました。現在の大阪城は、60〜70年前に大阪市民の寄付で再建されたレプリカです。私たちは天守閣をエレベーターで上りました。天守閣の上からは、大阪ビジネスパーク(OBP)の眺めが素晴らしいものでした。その日早く訪問した京阪電鉄のあるクリスタルタワーが見え、また、週末宿泊したホテルニューオータニも見えました。

 天守閣には興味深い美術工芸品が展示され、大阪鶴見RC会員による説明を受けました。その後、冷たい飲み物で暫くリラックスしました。城を去る前には美しい石橋の上で、お城をバックに記念写真を撮りました。

5月10日

●大阪水族館「海遊館」

 大阪水族館は、オープンして5年になりますが、世界で最も大きい水族館の一つです。この水族館は「リング・オブ・ファイアー」で見られるいろんな環境を再現しています。リング・オブ・ファイアーとは、日本から北アメリカ、そして中央アメリカ、南アメリカへと下り、ニュージーランド、オーストラリアを回って日本に戻る太平洋周辺の地震火山帯のことです。水族館の建物の中央部には5400トンの水を湛える大きなタンクがあります。見学用の通路はこの水槽を巡って螺旋状に下って行きます。寒帯、温帯、熱帯の自然環境がシミュレートされ、そこに棲む生物の生態を観察することができます。最も驚いたのは大きな甚兵衛鮫です。5年前にこの魚が水族館に到着した時は、体長4メートルでした。いまでは6メートルに育っています。甚兵衛鮫はいつも泳いでいます。昼も夜もです。この魚は日本の南部で捕獲され、水族館に着くまで輸送に48時間かかりました。死なないように、コンテナーの中で絶えず水流を発生させて運びました。

 これだけの量の水を清潔で新鮮に保つためには多量の電力が必要です。停電があれば致命的です。これを防ぐため、この水族館は、自前のガスタービン発電機ををいつも稼働させて電力を供給しています。殺菌のためには、オゾンを使うシステムを採用しています。この大水槽の水をすっかり入れ替えるには2時間半かかります。

 甚兵衛鮫や、ラッコ、アザラシ、ペンギン、イルカなどが見れて、素敵で興味深い訪問でした。

●よみうりテレビ

 民間テレビ放送局の中を案内してもらいました。あるスタジオに入ったとき、生放送が始まるところでした。それは料理番組で、有名な神田川氏がホストでした。彼の後ろには料理を試食するために、たくさんのご婦人が控えていました。神田川氏は私たちのチームの女性メンバーの参加を希望しました。こうして、レナ、ウルリカ、クリスティーナは日本のテレビに出演したのです!

5月11日

●大阪市役所、ミズノ、ATC

 5月11日の木曜日は、丸一日が見学日でした。午前中は大阪市役所を見学しました。市会議員の席は所属する政党別に議場内で決められていました。最大多数党が議場の中央部を占めています。古参の議員は、議席を持つ長さの順に挨拶されるのが伝統です。新しい市役所は1986年に竣工しました。大阪市議会は市民によって選出され、定員は90人です。任期は4年。現在市議会には6つの会派があります。最大多数党は自民党で、議席の3分の1を占めています。私たちは、大阪市長の西尾さんに会うという大変な名誉を与えられました。彼は最も近しいスタッフを従えて、大阪へ私たちを温かく歓迎し、大阪の未来に関する計画を語ってくれました。西尾さんからは、美しい贈り物を頂きました。私たちは、西暦2008年のオリンピックの候補地に大阪が名乗りをあげることを示すこのバッジを付けて歩くことを市長に約束しました。

 午後、3つの大変興味深い訪問をしました。多くの異なったスポーツのために用具やウェアを製造しているミズノでは、第一級のビデオを見せてもらい、会社の中を案内されました。1906年創業のこの会社は、地球規模でスポーツ界をリードし、製品開発、用具や施設のテストに大きな努力を払っています。

 WTCすなわち大阪世界貿易センター。この巨大なビルディングは、まさにオープンしたばかりでした。西日本で一番高いビルで、252メートルあります。最上階に上るには、51階をエレベーターで通り過ぎ、あと2、3階をエスカレーターで上ります。ここでは、企業のために新しくつくられた展示場のような展望室がつくられています。

 この日の最後の訪問は、ATCアジア太平洋トレードセンターでした。このビルは1994年にオープンし、最初の夏だけで500万人以上の訪問者がありました。その中には、ATCデザインセンター、国際スポーツ・レジャー・ギフト展示卸、国際ファッション展示卸、国際宝飾展示卸などがあります。

5月12日

●OAPプロジェクト

 大雨の中を、建設中のOAPを訪問しました。これはこの都市のど真ん中に建設中の巨大な建築プロジェクトです。ホテル、オフィス、マンションが含まれます。この日の昼食例会は、ロイヤルホテルでありました。ホストは大阪ロータリークラブで、このクラブはこの地区最大の、かつ一番歴史の古いクラブです。当日のスピーカーは、大阪ベイエリアの別の大きなプロジェクト「テーマパーク」について話しました。私たちのプログラムをする時間はなく、クラブ会員に対して団長が挨拶し、GSEチームメンバーの紹介をしました。

●鶴見緑地

 大阪市の北東部にある鶴見緑地は、この都市を取り巻く4つの緑地公園の一つです。マスタープランは1941年に決定され、農場を巨大な公園に作り替えるのが狙いでした。成長する都市には、市民のためにレクリエーション環境が必要です。1970年に建設が始まりました。それ以来、何百万立方メートルのゴミや建設廃棄物が公園地域に運び込まれ、地形を変えて行きました。20〜45メートルの山もできました。この新しい土地は「ゴミ」の上に造られているので、「サンドイッチ法」と呼ばれる建設方法が採用されました。廃棄物は層になり、上には良質の土壌が積まれました。粘土層が廃棄物を固定するために用いられました。また、ガス抜きの通気ダクトやゴミ焼却場も設置されました。年月が経つにつれて有機物から発生するガスの量は減少しています。

 1990年に国際花と緑の博覧会がこの地域で開催されました。会期は6カ月。82カ国と50以上の国際組織が参加し、入場者は2200万人でした。この緑地は4月の末から始まる一連の休日「ゴールデンウィーク」には多くの市民が訪れる人気の高いリゾートになっています。

 訪問した日は天気が良くなかったのですが、公園内の散策を楽しみました。いろんな國を代表する世界庭園があり、歩いているだけで世界旅行ができます。

 ここで大きな驚きが待ちかまえていました。事前に考えもしなかった出来事でした。私たちは新しく植樹する名誉が与えられました。友情の樹です。

 スウェーデンチームのメンバーは、正式に植樹し、樹に水をやりました。写真も撮りました。植樹以外に、私たちの名前を刻んだ石のプレートがありました!それは感激的な体験で、いつか大阪に帰ってくる良い動機になります。

5月13日

●大阪市立科学館

 日本語が分かれば、物理の大変に良い教育になるに違いありません。良い通訳がいたにも拘わらず、このちょっと複雑なインフォメーションは、私たちには活用困難でした。(注、この日はこのあと地区大会に参加)

5月15日

●奈良デー

 大阪の都市生活との、何というコントラスト!!! あの大きな、緑あふれるお寺の公園は、雨に濡れて美しく(当日は雨天でした)悦ばしい香りを放っていました。もちろんお寺――信じられないほど古い建築の法隆寺、大仏のある東大寺も、大変興味深い経験でした。

 この日、私たちを案内して下さった大阪柏原ロータリークラブのメンバーは、公園内の高級日本料理レストランへ連れていって下さいました。新緑と雨に向かって開かれた壁のある部屋で、おいしく美しいランチをご馳走になりました。何時間か、よく笑いながら過ごし、レストランを後にしました。次の日程があったのです。

 大阪柏原RCの会長さんは、春日大社の神聖な部屋への訪問をアレンジしていてくれました。これは大変に有名な奈良の神社です。ここでは神道についての説明とお祓いを神主さんからしてもらいました。私たちは清い気持ちで大阪に帰りました。これは大変に実り多く、平和的で、教えられる一日でした。

5月17日

●野菜ケーキ工場、八尾市役所、八尾RC例会(質疑応答)、八尾地区晩餐会

 5月17日は、野菜からケーキやスウィーツをつくっている興味深いベーカリーを訪問しました。近代的な包装機械がたくさん有りましたが、多くの作業はまだ人手で行われていて、単調な仕事のように見えました。八尾RCの例会で昼食のあと私たちのプレゼンテーション・プログラムを持ちました。続いて、楽しい質疑応答に入りました。私たちが受けた質問は、囚人をどのように矯正するのか、スウェーデンで地震が発生すればどんな準備があるか、ガンの治療、生徒たちは日本についてどんな知識を持っているか、スウェーデン女性は日本の男性をどう思うか、老人をどう世話しているかなどでした。それから八尾市役所(築後1年)を訪問し、選ばれたばかりの新市長に会いました。夕方、アンデルスとラルスは八尾地区の晩餐会に参加しました。楽しいイベントがあり、参加者は約60人でした。

5月19日

●角谷釜工房、お茶会とガーデンパーティ

 角谷は、家族経営で、鉄製の特別な茶釜をつくっています。粘土の二つの鋳型をつくり、それを合わせて、その間に融けた鉄を流し込みます。外側の鋳型にはいろんな模様がこしらえてあり、どの茶釜にもデザイナーのサインがあります。このファミリービジネスは3世代続いていて、私たちは若いほうの角谷氏に会いました。彼の父は90才ですが、まだいくらか仕事をしています。彼の父は人間国宝に指名されています。彼は、パリの展示会にも招待されましたが、出席しませんでした。彼は茶釜をパリに送り、記者たちが大阪へ来たのです!茶釜は大変美しく、大変高価です。かなり大きい茶釜は300万円です。

 この日の午後、一人のロータリアンの家で開かれたお茶会に参加しました。茶会は屋外から始まりました。私たちは、日本の典型的な履き物を履き、水が注ぐ小さな池で手を洗わねばなりませんでした。手を清めた後、壁の穴から屋内に入り、茶室に着きました。茶室は私たちのために、花と絵で特別に飾られていました。お茶を頂く前に、いろんな薬草や花でつくられた特別な日本のクッキーを食べました。それから緑の苦いお茶を飲む時間になりました。誰もが、褒め称え、かつそれで飲むための特別のカップを持っていました。お茶を飲む前にカップを手の中で3回、回転させねばなりませんでした。私たちは3回と半分すすり、最後は大きな音を立てて飲むことが望まれていました。

 この日は、増井さんの家での盛大なガーデンパーティで終わりました。この週の行事に参加したすべてのロータリアンが奥さんとともに来ていました。男性が料理を担当し、これは大変に普通でないことでした!美味しい日本の食事を食べ、誰もが楽しみました。私たちのやり方と違っていたのは、日本ではパーティに時間制限があることでした。8時20分には、スピーチでパーティが終わり、みんなが家に帰りました!

5月22日

●けいはんな学術研究都市

 これは、京都、大阪、奈良を多様な分野での研究で結びつけるプロジェクトです。企業、大学、地方公共団体が、分子生物学、エンジニアリング、コンピュータ科学の基礎研究で協力しあっています。

 素晴らしい昼食の後、この研究都市で午後を過ごしました。最初は積水ハウスで、ハウジングが開発されていました。防音技術や地震にも安全な高層ビルの建設のサンプルなど、興味深く見学しました。

 最後はBBCCで、ここでは新しいコミュニケーション方法が実験されていました。インフォメーション・ネットワーク、コンピュータ・コミュニケーションのスーパーハイウェイ、X線写真の病院間の転送が示されました。難しい技術ですが、プレゼンテーションが大変によく、素人にも理解できました。

5月23日

●京都

 京都は794年から1868年まで日本の首都でした。京都と言う名前は首都を意味します。京都には多くのお寺や、庭園や、観光場所があります。歴史的な絵画や工芸もあります。この日は、私たちにとって、美しいお寺の日でした。

 私たちは、朝、金閣寺の見学からスタートしました。このお寺のお堂は、金箔で覆われていました。お堂は大きな池のほとりにあり、金色の影を映していました。優雅で調和のとれた建物は3つのタイプの建築からなっていました。1階は宮廷風、2階は武家風、3階は禅寺風でした。

 次は、竜安寺です。このお寺は石庭で知られています。それは小さな(30x10メートル)庭で、白い砂と15個の石で構成され、15世紀にレイアウトされたものです。その簡素な美しさは、哲学的な瞑想を誘います。この庭が何を意味しているのかはそぞれのビジターが自分で発見せねばなりません。じっと座ってこの美しい庭を愛で、素敵な、リラックスしたひとときを過ごしました。

 二条城は、初代将軍家康のために建築され、三代将軍家光によって完成しました。徳川将軍家の権力と権威の象徴の役を果たしました。巨大な二の丸は建築的なディテイルが多くあります。内部には、人がその上を歩くと鳴き音がする床があります。これで人の来るのが分かります。建物の周囲には美しい庭園があります。

 清水寺は、急な斜面の上に建てられています。この建物は、釘を一本も使わず組み上げた木製の柱(高さ50メートル)と梁の大きな基盤の上に建てられています。この寺は美しい緑の木に囲まれています。

 京都ではまた西陣織物センターを訪問することができました。私たちは丁度、大変に美しい着物ショウが始まった時に到着しました。後ほど、日本女性が着物とともに身に付ける伝統的な品々を見ることができました。伝統と歴史、文化に満ちた一日でした。

5月24日

●ダイコロ

 午前中は職業研修で過ごし、私たちはロータリークラブの昼食例会に出席するためプリンスホテルに集合しました。午後の訪問はダイコロという会社でした。この会社は主として学校の卒業記念アルバムをつくっています。彼等はボートや飛行機にも関心を持っています。私たちは、写真処理と印刷の過程をガイド付きで案内してもらいました。一番興味が有ったのは、案内の最後で、一台の機械の前に座り、名刺に使うための自分自身の写真撮影にトライしたことです。テレビモニターで自分を見て、自分がハンサムだと思うときに映像を固定させます。一週間後に自分の写真入り名刺を大量に頂きましたが、もちろん私たちはみんな、いい顔をしていました。

5月26日

●三洋電機研究センター

 最前線のハイテクを見学するには何処へ行けばいいのでしょう?そうですね、日本を選ぶのがいいと思いますよ。私たちは、幸運にも大阪に居て、枚方の三洋電機の研究センターを訪問することができました。サンヨーと言う名前は、3つの太洋、つまり、太平洋、インド洋、大西洋を意味しています。社員数は、世界中で2万5千人です。「地球を救うことは人類を救うことだ」というのが会社のモットーです。そのようにするために、4つの技術分野に集中しています。それは、地球にやさしいソフトエネルギー、クリーンな冷暖房システム、新しいオーディオ・ビデオとコンピュータコミュニケーション、光電子と半導体のテクノロジーです。

 新世代の化学電池、例えば高エネルギー電池や超薄型電池の話をを聞かされました。その他、三洋電機で見たもので興味深かったのは、音声技術と、フロンを使わない冷凍技術でした。特別な眼鏡を必要とせず直接視ることのできる、コンパクトな3Dの液晶ユニットは信じられないような発明で、サンヨー訪問のハイライトでした。

 太陽電池システムは、この会社が得意にしている分野なのでしょう。この技術でサンヨーは世界のリーダーです。太陽熱発電のいろんな異なる方法と、普通の家庭で一つのシステムがどう働くかを、見せてもらいました。小さなシステムでも、空調や照明用の電力を十分に発電できます。例えば屋根瓦は太陽電池と通常の屋根保護材の両方の役を果たすことができます。西アフリカの脱塩システムはサンヨーの太陽電池の電力で動いています。

 アフリカでは太陽は尽きることのないエネルギー供給源です。”ジェネシス”(創世記)プロジェクトは、エネルギー問題を解決するための、一つの試みです。砂漠の広大なエリアが太陽電池で覆われて、世界に安価な電力を供給できるかもしれません。面白いアイデアです。エネルギーの変換ロスが十分に小さければこのプロジェクトはおそらく成功するでしょう。

●松下電器産業株式会社

 同じ日の午後、松下電器を訪問しました。この会社はどこに市場があるかによって4つの異なったトレードマークを使っています。「ナショナル」は、日本では家庭電器と住宅関連の商品のブランドとして、またアジア、中近東、アフリカでは殆どの製品に採用されています。「パナソニック」は、日本ではオーディオ・ビデオ製品、情報通信機器、工場オートメーション設備に、アメリカ、ヨーロッパ、大洋州、南アフリカでは、全製品に用いられています。さらに「テクニクス」が、世界中でハイファイオーディオ製品と電子音楽製品に現在、用いられています。

 優秀なガイドが次から次へとハイテク応用製品を見せてくれました。ビデオゲーム、ハイファイオーディオ製品、HDTV(信じられないほど高画質のTV)、身体障害者援助製品などが、私たちが喜んで見た技術分野でした。

 「歴史館」には、創業者の松下幸之助氏の一生の物語と、彼の時代の技術開発が展示されていました。

5月29日

●大阪ガス生活誕生館、国立民族学博物館

 この日、吹田江坂RCが大きなバスで私たちを引き受けてくれました。エキスポ70の跡地内にある大阪ガスのミュージアムに行きました。ガスのいろんな使い方が展示してありました。多くのビデオや機械が動いていて大変に騒がしい場所でした。ガイドの英語にも問題があり、展示を理解することは少し困難でした。次に再び大きなバスに乗って、国立民族学博物館に行きました。建物は近代建築デザインの暴走を示すようでしたが、中は大違いです。この博物館は建物もコレクションも巨大です。展示は神経が行き届いて、エレガントでした。

 エキスポ70の跡地内には日本庭園があり、暫く歩きました。この庭園は鶴見緑地の庭園よりはコンディションがよく、石や樹、水、植物などをしばし楽しみました。この日の最後は、吹田西RCの15周年記念例会でした。最後の瞬間まで私たちの出番(プログラム)があるのかないのか、分かりませんでした。結局、短いプレゼンテーションをすることが判明しました。その後、美味しい立食形式の食事が供されましたが、不運にも大急ぎで食べなければなりませんでした。それはホストファミリーが待っていたからです。

5月31日

●神戸デー、明石海峡大橋

 6カ月前、大災害に遭った都市を、謹みと悲しみと好奇心をもって訪れました。1月17日、午前5時16分マグニチュード7.2の地震が阪神地区を襲ったのです。震源地は淡路島の3キロ北東でした。死傷者の数、倒壊した家屋の数は、私たちには把握することが不可能でした。大阪で会った人たちは、時々、この悲劇について聞いたことがあるかどうか、私たちに尋ねました。この質問は私たちを当惑させ驚かせました。スウェーデンのテレビジョンが、そして疑いもなく世界中が、何週間もの間、この地震のことだけを話題にしていたのです!これはおそらく、日本流の礼儀正しさなのでしょうか?私たちは、地震で何らかの被害を被った2660地区のロータリアンに会いました。この人たちがいまだに楽天的な態度を示しておられるのに感銘をうけました!これはおそらく物事をやりすごす唯一の方法なのでしょうか?

 三宮地区はひどく破壊されていました。被害のない建物は多くありませんでした。地震後の火災が、残っていたものを焼き付くしました。破壊されたビルの残骸は引き裂かれていました。ハーバーにも行きましたが、大地が波打っていました。舗装は割れ、コンクリートは傾いていました。地震の爪痕が私たちの眼前にありました。それでもなおかつ、数カ月前本当に何が起こったのかは、想像できません。大切な命を失った神戸の人たちに心から同情致します。また、友や家族や家や財産を失われた方すべてにお悔やみを申し上げます。

 私たちの隣国、デンマークは世界で最大になるはずの吊り橋を建設中であります。しかし、その天下は長く続きません!私たちは、明石海峡大橋の建設現場を訪れることができました。神戸から淡路島まで、約4キロメートルの長さです。この橋には2つのタワーとケーブルがあり、塔の高さは283メートルです。ケーブルは水路の両側にあるアンカレージでがっちり固定されます。私たちが訪れたとき、タワーの間には既にケーブルが懸けられ、高速道路を懸架するロープがすでにその位置に懸けられていました。ケーブルを渡すプロジェクトはヘリコプターを使うなど、大変に込み入っています。実際の道路部分はまだ設置されていませんでした。しかし、近くのビジターセンターで、最終の形を模型やビデオ映像で見ることができました。水中でタワーの基礎をつくるため、低粘度のコンクリートが用いられました。明石海峡大橋は1998年に通行できるようになります。高さ65メートルのセンタースパンは、1990メートルの長さに達し、世界で最長の吊り橋となります。この橋は、マグニチュード8.5の大地震にも耐えるよう設計されていました。阪神大震災が起きた時、橋はもちろんまだ 完成していませんでした。それでも損害は厳しいものではありませんでした。しかし、コンクリートの基礎は元の位置から1.5メートル動きました!

6月1日

●関西国際空港

 6月1日木曜日、関西国際空港(KIX)を訪問しました。これは日本で初めて、24時間運行できる空港です。航空便、地球規模での人、物、情報の動きの増加に適応するために建設されたものです。オープンは1994年9月、海上の人工島に建設されています。この空港は大阪の中心から50キロメートル離れた場所にあり、車で約1時間かかります。鉄道や水中翼船でも行くことができます。全体計画が完成すれば、1200ヘクタールの敷地に、4000メートル級滑走路が2本、横風用の3400メートル滑走路が1本、年間の離着陸回数は26万回になります。年に3000万人の旅行客が利用するようになるでしょう。この空港は地域にとって極めて大切な意味を持つ、信じがたい程の施設です。施設は大変効率的で、美しく、地元が十分に自慢する理由があります。

6月6日

●でんでんタウン、大阪南RC、心斎橋筋

 スウェーデンの記念日である6月6日、大阪南RCのメンバーとともに、でんでんタウンを訪れました。日本橋にあるこの地域は電気製品のメッカです。300近くの店がバラエティ豊かなテレビセット、エアコン、コンピュータのハードとソフト、オーディオ・ビデオ機器等を販売しています。大阪南RCでは昼食とともに、チームのプレゼンテーションを行いました。午後はほとんど心斎橋筋を歩きました。これは最も有名なアーケード商店街の一つです。近代的なデパートやブチーク、権威と名声のある老舗が、ほとんど終わりないほど続いています。

6月7日

●梅田スカイビル、大阪そねざきロータリークラブ

 梅田スカイビルは、真ん中に大きな穴のある特別のビルディングです。この穴とブロックを横切ってガラスのチューブの中を通るエスカレーターがあります。建物の屋上からは大阪の素晴らしい眺望が楽しめました。

 そねざきロータリークラブは、65人の会員のうち、50人が女性でした。このクラブにはゲスト、特に男性がたくさんいました。おそらくそれは、もの珍しいからであり、またキチンと例会が運営されているかチェックに来ていたのでしょう!誰もが私たちのプログラムに興味を持ち、歓迎されている気がしました。

6月8日

●大阪総合医療センター

 ベッド数1000、40の診療科目、200人の医師を持つ最高級病院です。この地域の、より小さい病院が合併して1993年にできました。産科の医長さんが、最大4人1部屋の病室を案内してくれました。新生児の集中治療ユニットは設備がよく、そこでは機械的な助けを借りずにようやく息のできる500グラムの小さい男の子と知り合いになれてハッピーでした!5つのレベルを持つ学校を含む小児科にも行きました。スウェーデンの習慣とはと違って、両親は子供が入院しても病院で寝ることはありません。

●NHK

 非商業ラジオとテレビの、近代的な放送局です。最新の革新、ファンタスティックな画質のハイビジョンを見ました。

●NTT

 光ファイバーを使用して近い将来に「ビデオ・オン・デマンド」のような商品を顧客に配給する計画を持つ電信電話会社です。交換室は大きくて印象的でした。

SAYONARA! さようなら

(このほか、6/7大阪そねざきRCによる梅田周辺での買い物、6/2大阪天王寺RCによる四天王寺の案内がありましたが、レポートでは省略されています。松岡注)