ウルリカ・ルンドクヴィスト

(産婦人科医)

 GSE隊員に選ばれたとのメッセージを受け取ったとき、日本のことを知る何と素晴らしいチャンスだろうと思いました。このエキゾチックな国を初めて訪問する準備のために、歴史の勉強を始めました。この国では、伝統が大変強力だと知っていたからです。大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞したので、彼の本が現代日本についての何かの情報を与えてくれるものと期待しました。同時に新聞はあの恐ろしい阪神大震災や地下鉄のサリンガス攻撃のことを伝えていました。本当のことを言いますと、このような情報源からでは、いったいどんな国が私たちを待ちかまえているのか、想像が付きませんでした。

 医師としての仕事から、私はいろんな大陸の病院を見学し、そこで働いてきました。すべての文化は医療や病院運営に影響を与えますので、日本のシステムでは何が特別なのか、大変に好奇心を燃やしていました。

 大阪での5週間を振り返ってみると、日本の社会はこんなに現代的なのに、同時にまた伝統の影響を強く受けていることがよく理解できたとは思えません。そこで私は日本を5週間で知るために来たと思わないことにしました。私の当惑は少し程度が和らいだようです。

プログラム

 関西国際空港に到着したとき、大阪のGSE委員会の方々から温かい歓迎を受けました。全訪問を通じて、この人たちが心配りをして下さっていることは明らかでした。注意深く計画された毎週の日程と、いろんな活動の他に、週末は大変に素晴らしいホテルで過ごすよう、周到に準備されていました。私にとって、このアレンジは前週のまとめ、次週の準備に欠くことができませんでした。

 私たちのためにアレンジされたプログラムは、日本の社会を広い範囲でカバーし、多くのハイライトがありました。京阪電気鉄道、松下電器産業、けいはんな学術研究都市はハイテクビジネスへの洞察を私に与えてくれました。このコンパクトな大都会が梅田駅の周辺でどう動いているかの説明は説得力がありました。この都市は、縦に断面をつくると5層になります。一番上は、高速道路や鉄道です。2層目は普通の道路、商店は第3層にあります。サービス用のトンネルと地下鉄が4層と5層を占めます。(3、4、5層は地下にあります)このような観点からして、大地震からわずか5カ月後に電車で神戸を訪問できたことは興味がありました。道路が破壊されているのに鉄道の修復が早かったのです。神戸行きの案内役、建築家と被災者を援護したボランティアの二人は、何が起こったのか非常に広いパースペクティブを与えてくれました。この同じ被災地域で、世界最長の吊り橋の建設が進行しているのには少し驚きました。もちろんこの地域で生活している人たちは、いつも存在する脅威を乗り越えて、未来への計画を続けねばならないのでしょう。

 奈良と京都の歴史的都市での興味深い日々を除いて、思ったほど文化的なイベントは多くありませんでした。音楽、舞踊、劇場など日本の文化を表す特別の催しは、訪問当時少なく、アレンジができなかったと後ほど分かりました。その代わり、お茶会に列席できて幸せでした。お茶会はグループ全体としても参加しましたが、ホスト家庭がアレンジして下さった方が、よりオーセンティック(本格的)でした。

 いろんなロータリークラブの昼食例会はスウェーデンと日本の違いについての興味深い討論の場としばしば変じました。特に事前に質問表をもらい、私たちが回答を準備できた時にそうなりました。出発前にスウェーデンでこの昼食でのレクチャーのことを考えていた時は、日本人の興味は観光と産業にあると思っていました。聴衆の関心が社会福祉と女性の社会的地位にあると知った時は驚きました。私たちは、メンバーがほとんど女性である大阪そねざきロータリークラブを訪問しましたが、このクラブでは、不幸にも討論が予定にありませんでした。日本社会における女性の地位について特別に聞けたら、貴重な経験になったのにと思いました。

 日程について述べるなら、全体として、すべてのアイテムが日本社会のことを学ぶのに重要な役割を持っていました。もし、コミュニケーションがもっと高度のレベルで行えれば、多くの訪問でもっと洞察が深まったことでしょう。しかし、母国語でなく、どちらのサイドも完全に話せない言葉(英語)を使うのは難しいことです。これは専門語で話す時、より大きな問題になります。良い通訳の方がいても、これは困難なことでしょう。

職業研修

 私の職業は産科医ですので、わが国と違った伝統、習慣を持つ国で女性の健康、社会条件がどのように保たれているか、研究したく思っていました。職業研修で妊婦と出産に重点を置いて病院をいくつか訪問しました。私を驚かせたものは、どこでも見かけたハイテクと、理論水準の高さではありませんでした。それは当然そうだろうと予想していたことです。驚いたのは病院のケアユニットの小ささでした。クリニックも大学病院でも、予想したよりずっと小規模でした。(年間出産率が低い)能率の低さは、快適さで埋め合わせがついています。処置の違いや出産の習慣の違いについて議論することもまた、興味がありました。出産に直面して女性がどう振る舞うかは社会における女性の地位全般に密接に関連していると思います。痛み止めがほとんど用いられないこと、背臥位が唯一可能な出産姿勢であること、出産に付いて女性は自分の意見を述べる可能性が少ないことなど、スウェーデンでの伝統と大いに異なっています。このことは、日本における女性の地位について多くのことを物語っているというのが私の意見です。

 病院では、言葉はあまり問題ではありませんでした。いつも十分にケアされているように感じました。北野病院の井上先生は、二日間も貴重な時間を割いて、ご案内頂きました。一つの病院を二回訪問することも不利ではありませんでした。先生方とよりよくお知り合いになれましたし、その関係はよりインフォーマルなものになりました。このような個人的なコンタクトを感じとることは、見学コースをより深く記憶に残すのはもちろんのこと、この種の交換をより意義深いものにします。その上、最後にはおいしい晩餐までご馳走になりました。

 大阪府立母子保健総合医療センターや、もっと小さい折野さんのクリニックでも同じような素晴らしいコンタクトを経験しました。折野さんは、超音波診療における技術を教えてくれました。これは私の将来の仕事に大変役立つことでしょう。

 職業研修を計画するにあたってGSE委員会は、前もって何を見たいか訊ねてくれました。個人的な希望を述べることも可能でした。しかし、プログラムに何が含まれていないかを事前に知ることは困難です。到着まで、2、3日、日程が未定の日を残しておいて頂けたらと思います。何か興味をひかれるものが見つかった時、それをパスしなくて済みますから。

ホストファミリー

 5つの素晴らしい家族の、ゲストになることができて幸運でした。日本の伝統であるホスピタリティは大変に多くの面で明らかでした。お客があると、すべてのケアが払われます。客のパーソナリティや状況にあった格言が壁に掛けられます。花が生けられ、ふさわしいお茶が選ばれる等々です。私には、最も典型的な日本の畳の部屋が与えられ、望むなら、典型的な日本の食事が供されました。(私は時には躊躇することもありましたが、殆どの場合、料理はおいしく思いました)坂井さんのお家では宝物のように大事にしていらっしゃる着物を見せてもらいました。その着物を着てお茶をどのように飲むのが儀式にかなっているかを教えて頂きました。大熊さんとそのお友達はカラオケを歌ってくれましたし、寿司の作り方も教わりました。ある晩、大熊さんは、木製の笛である尺八を吹きました。私は森の中に座って、木の梢に吹き渡る風の音を聞いている心地がしました。折野さんの家では幸運にもゴルフの趣味を分かち合いました。かの有名な、何階もある”打ち放し”に行き、ゴルフコースに出る機会にも恵まれました。北村さんは、素晴らしいレストランと、夜の繁華街を案内して下さいました 。最後に花田さんは、奥さんと一緒に私に蛍を見せ、美しい伊勢神宮と御木本真珠島を見に三重県へ連れていって下さいました。日本の田舎のファンタスティックな旅行のことを決して忘れないことでしょう。

 ホスト家庭のホスピタリティと寛大さにはいくらお礼を申し上げても言い切れないと思います。彼らがスウェーデンに来て下さることを希望します。スウェーデンで最良のものを、お返しとして見て頂きたいからです。

 同じ言語を話さない誰かと密接なコンタクトをとるには時間がかかるものです。このGSE交換プログラムの最も重要な部分は、おそらくホームステイのアレンジかも知れません。そのおかげで私は、地球の反対側にあるこの国について少しばかり、知識を深めることができました。